第二巻 第六章 摂関政治と国風文化

〇藤原道長(中年)UP

N「藤原氏がその栄華の頂点を極めたのは、道長の代だと言われている」


〇藤原道隆邸・庭

矢場が設けられ、道長(青年)と伊周(道隆の息子、少年)が矢を競っている。

見ている道隆(中年)ら貴族たち。

N「しかし道長が若い頃には、摂政・関白の地位は兄の道隆に独占されていた」

道長「(きりりとした表情で)我が家から帝・后が出るなら、この矢よ、当たれ!」

ひょうと放つと、見事に当たる。狼狽する伊周。それを見た道長、さらに自信ありげな表情で

道長「我が身が将来に摂関となるなら、この矢よ、当たれ!」

ひょうと放つと、また見事に当たる。狼狽して矢を放つ伊周だが、これは外れる。

どっと笑う貴族たち。恥辱で真っ赤になる伊周。真っ青になる道隆。

N「それでも道長は野心を隠そうとはしなかった」


〇平安宮・後宮

中宮定子(二十代中盤)と清少納言(三十歳前後)が、数人の女房たちと談笑している。

N「道隆は摂関の地位を得るため、自分の娘・定子を一条天皇に嫁がせていた。その定子に仕えていたのが、『枕草子』を著した清少納言である」

納言「春を一番よく味わえるのは、やはりあけぼのですわ」


〇納言のイメージ

明け方の富士山に、紫がかった雲が細くたなびいている。

納言「山ぎわの空が徐々に白く、少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている景色は、春にしか見られませんものね」


〇平安宮・後宮

納言のイメージは定子や女房たちをもうっとりさせる。

女房「素晴らしいですわ!」

納言「(誇らしげに)夏は夜がいいですわね……」

N「当時の後宮は、教養を極めた女房たちが集う、一大サロンでもあった。随筆『枕草子』は現代まで読み継がれる傑作となる」


〇礼服の道長(三十一歳)

N「長徳元(九九五)年、道隆とその弟・道兼(みちかね)が相次いで亡くなると、道長は伊周を蹴落として右大臣に、翌年には左大臣に昇進する」


〇平安宮・清涼殿

道長(三十五歳)が一条天皇(二十一歳)に謁見している。

一条「(困った顔で)そちの娘・彰子を中宮にせよと申すか」

道長「何か問題が」

一条「そちは定子を中宮の座から下ろせというのか。そのようなことは朕にはできぬ」

道長「ですから、定子さまには皇后になっていただきます」

一条「中宮と皇后を並立させるなど、前例が……」

道長「ではこれを嚆矢といたしましょう」

がっくりと肩を落とす一条天皇。

N「本来中宮は、皇后の別称に過ぎなかった。道長はその二つを別の役職と強弁したのである」


〇中宮彰子(十代後半)と紫式部(三十歳前後)

N「道長は次の天皇の摂政となるために、娘の彰子を強引に中宮にした。その彰子のサロンに、道長の肝煎りで送り込まれたのが、『源氏物語』を著した紫式部である」


〇平安宮・後宮

彰子、式部、女房たちが談笑している。

彰子「式部、『源氏物語』は進んでいますか?」

式部「はい、中宮さま」

女房「光源氏さまは、次はどんなお相手と恋をなさるのかしら!」

女房「紫の上のこと、どうか幸せにしてあげてくださいましね!」

女房たちに微笑みで応える式部。

N「美貌の主人公・光源氏の女性遍歴を描いた『源氏物語』は、世界最古の長編小説として、文学史にその名を残している」


〇三条天皇(三十七歳)と妍子(十九歳)

N「しかし一条天皇は、定子の産んだ敦成親王(後の後一条天皇)には譲位しなかった。寛弘八(一〇一一)年に三条天皇が即位すると、翌年、道長は娘・妍子を三条天皇の中宮とする」


〇平安京・清涼殿

道長(四十七歳)が三条天皇に謁見している。

道長「娍子(藤原北家・済時の娘)さまを皇后になさりたいと……?」

三条「(強がって笑い)うむ。中宮と皇后が並び立つ。先帝の例にならおうと思う」

道長、冷たい目で三条を見て

道長「主上はこの国一番の権力者ですからな。お好きになさるとよろしい」

ぷいと行ってしまう道長を見て、ほっとする三条。

N「しかし……」


〇平安宮・大極殿

娍子の立后の儀式がおこなわれているが、貴族たちは列席せず、大極殿はがらんとしている。

屈辱に身を震わせる三条と娍子。

N「貴族たちのほとんどは道長におもねり、娍子の立后の儀式を欠席した」


〇平安宮・大極殿

即位する後一条天皇(九歳)、悔しげな三条上皇(四十一歳)、満足げな道長(五十一歳)。列席の貴族たちは道長におもねり、盛大に祝っている。

N「長和五(一〇一六)年、三条天皇は度重なる道長の要求に屈し、彰子の産んだ敦成親王(後一条天皇)に譲位する」


〇道長邸(夜)

道長(五十三歳)が大勢の公卿を集めて、盛大な宴会が開いている。

N「寛仁(二(一〇一八)年十月十六日、道長は娘の威子を後一条天皇の中宮とし、その祝いの宴を開いた」

道長が空を見上げると、空は雲がかかっていて月が見えない。そこをあえて

道長「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」

一同、一瞬ざわざわするが、すぐに追従の笑みを浮かべて

一同「(唱和して)この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」

道長の表情に、一抹の空しさがよぎる。


〇道長の回想(寛弘元(一〇〇四)年)

道長(三十九歳)が源信(僧侶、貴族の源信とは別人、六十三歳)と面会している。

N「天台宗の僧侶・源信がまとめた仏教書『往生要集』により、平安京の貴族たちの間には、空前の浄土ブームが巻き起こっていた」

道長「私はあらゆる困難をこの手で撃ち破り、ついに帝にすら無理を押し通せるほどの権力を手に入れた。その私に、何か説くことがあるか」

何も答えない源信。

道長「どうした、お前はこの国一番の仏教者ではないのか」

源信「……私など、空也上人や伝教大師(最澄)の足下にも及びませぬ。ただ、古今の仏教書から、仏の救いについて書かれた部分を書き出し、まとめただけでございます」

源信、道長に『往生要集』を渡して、

源信「私はこの本を差し上げるのみです。読むようにとも申しませぬ。ただ、仏の救いは、手を伸ばせば届くところにあるということだけ、覚えておいてください」

ぽかんとしている道長に、一礼して立ち去る源信。


〇道長邸(夜)

そっと宴を続ける人々から離れ、部屋に戻った道長(五十三歳)。長持の中を探って、『往生要集』を取り出し、夢中で読み始める。


〇念仏を唱える僧形の道長(五十四歳)

その脇には『往生要集』が置かれている。

N「翌年、道長は出家し、晩年は壮大な法成寺の建立に力を注ぐ」


〇法成寺・建設現場

荷物を満載した牛車がずらりと行列を作っている。

N「法成寺の建築現場には、道長の権勢にあやかろうとする貴族たちが、貢ぎ物のため列をなした」


〇法成寺・無量寿院(阿弥陀堂)

九体の阿弥陀如来が並ぶ阿弥陀堂の真ん中で、病床についている道長(六十三歳)。

その手には九体の阿弥陀像の手から伸びた糸が握られ、周囲では僧侶たちが読経をあげている。枕元には頼通(道長の嫡子、三十七歳)。道長は高熱のせいか苦しげである。

道長「浮世の権力をいくら極めたところで、死には抗えぬのだ……お前もただ、阿弥陀さまにすがるがよい……」

何度もうなずく頼通。

N「万寿四(一〇二八)年、道長は六十三歳で亡くなる」


〇平等院鳳凰堂・工事現場

ほぼ完成しつつある鳳凰堂を眺める頼通(六十一歳)。

N「永承七(一〇五二)年は、釈迦の教えが失われる、末法の時代の始まりとされ、人々は恐れおののいた。この年、頼通は道長の別荘であった宇治(うじ)・平等院を改装、鳳凰堂を建立する」

頼通「末法に抗って、地上に極楽を再現してみたとて、やはり死には抗えぬか……」

N「延久六(一〇七四)年に頼通が八十四歳で亡くなると、藤原氏の全盛期も終わりを告げるのである」

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