386話 おかえり清人
「アリシャ……!」
中庭への出入り口付近で、肩にかけられた白ローブを両手できゅっと掴みながら佇む彼女の名を、竜崎は口にする。
彼がこの中庭にくるまでは、そこそこの時間がかかった。その間にアリシャも目覚め、追ってきたのであろう。
その微かに震えるような立ち姿に、竜崎は言葉を詰まらせる。…なんと言えば良いか、わからなくなってしまったのだ。
感謝、お礼、告白、謝罪、報告、説得…勿論、言うべきことなんて山のように頭の中に浮かび上がってきていた。
しかし…そのどれを始めに口にすべきか、何を言えばアリシャを安心させることができるか、何を伝えれば詫びとなるのか。彼女の顔を見た瞬間、想いが一斉に噴き出し、まとまりがつかなくなってしまったのである。
「…ぁ…アリ…シャ……」
故に、竜崎が紡ぐことができたのは、再度の勇者の名。そして誠意を見せるために、ベンチに沈めていた身体を立て直そうとした…その瞬間であった。
「キヨト!!!」
「ぇ……ちょっ…!?」
佇んでいたアリシャは、まるで風のように走り出す。そしてあっという間に、慌てる竜崎の座るベンチへとたどり着き―。
「んっ……!」
「むぐっ…!?」
そのまま彼の胸に飛び込み、その唇同士を濃密に合わせた。
「っっ……。…っ…! ……っ……、…ぷはっっ…!!」
長い長い口づけで、呼吸困難となった竜崎はアリシャをタップ。なんとか解放され、一息つく。
――しかし、間髪入れず……。
むぎゅっ!
「むごっ!? むー…!? むー…!!」
今度は、以前もやられたような、顔面を思いっきり褐色の胸に埋められる行為。やっぱり呼吸が出来ぬほどに強く。
御褒美というよりも拷問に近いやもしれないその急襲連続アタックに、竜崎は目を白黒。そしてなんとか息を吸おうと、アリシャの胸の中で必死にもがく。
「っ…ふはぁっ…!」
二度目の息継ぎ。 結局アリシャが放してくれないため、彼は胸の谷間辺りから顔を出すことでなんとか窮地を脱した。
その時である――。
「……ぇ…?」
胸に捕らえられたまま上手く体勢を整えようとしていた竜崎は、その動きを俄かに止める。
何かが…。雨粒のような何かが、タッ、タッと頭に振って来たのである。
しかし先程までの天気は、青空映える晴れ。雨だとは考えにくい。訝しみつつ、竜崎が顔を上げると―。
「っ…!」
―彼は、息を呑むしかなかった。 何故なら…アリシャが、大粒の涙をボロボロとこぼしていたのだから。
「よかった…! キヨト…! よかった…!!」
歓喜と安堵で顔をぐちゃぐちゃにしながら、涙を流し続けるアリシャ。その感情が詰まった雫を受けながら、竜崎はゆっくりと口を開いた。
「アリシャ…」
「ん……」
涙を振り払うように顔を揺らしてから、アリシャはしっかりと竜崎の瞳を見つめる。竜崎はそれから目を逸らすことなく、続けた。
「ごめんね、心配させてしまって…。 そして…」
―と、そこで一旦言葉を切った彼は、片手をアリシャの背に回し、もう片方の手で彼女の腕による拘束を外す。
そして、褐色の背に置いた手で彼女を自らの胸に抱き寄せ、その身を、頭を、強く、それでいて優しく、ぎゅうっと抱きしめた。
「―ありがとう、助けに来てくれて。 大好きだよ」
「ん……!!」
言葉少なに頷き、濡れた顔を竜崎の胸に埋め、抱きしめ返すアリシャ。しかしそれは力任せではなく、恋人が愛しい相手を抱く時のそれ。
そんな彼女へ微笑み、頭を撫でる竜崎の首に、少し離れていたニアロンが再度背後から身を寄せてきた。
―全く…。本当にお前は、無茶ばかり…。残される者達の身になれっての…―
「…ごめんニアロン」
そう謝る竜崎。しかしニアロンは先程と同じく、彼の口に人差し指を当てた。
―何も言うな。…あと、こっち向くなよ…?―
「え?」
―…今の私の顔、見せたくないんだ…。察せ、バカ清人…―
背後から聞こえてくる彼女の声には、鼻をすするような音も。そして、竜崎は背に温かいものを感じた。アリシャから落ちてきたのと同じものが―。
察した竜崎は、アリシャを抱いていた内の片方の手を、自らの背後へと回す。そして、ニアロンの頭を、感謝をこめて柔らかに撫でる。
「ありがとうニアロン。 約束した通り、お礼は―…」
―何も言うなっての…。勿論それは、後で存分に返してもらう…。 けど、今はこうやって頭を撫でてくれるだけにしてくれ…―
これ以上何か言われると、本格的に堪えきれなくなってしまう。そう言わんばかりのニアロンの台詞に、竜崎は口を閉じる。
胸のアリシャと、背のニアロン、双方を愛し労わり続けながら。
少しして、竜崎の背後で涙を拭ったような微音が。そしていまだ涙声を残しつつも、普段の調子を少し取り戻したニアロンが、静かに口を開いた。
―…清人、一つだけ言わせてくれ―
その言葉に、竜崎は首を縦に動かす。それを確認したニアロンは、先程以上に身をぎゅっと竜崎にくっつけ、彼の耳元で愛おしそうに囁いた。
―おかえり、清人。もう私達を置いていこうとするなよ?―
ふと、竜崎は目を動かす。ほんの僅かに見えたニアロンの顔は、艶めくほどに想いに満ちていた。
そして、抱きしめているアリシャもまた、上目遣いで答えを待っている素振り。
…ただ、そんな貌を見なくとも、竜崎の返答は決まっていた。 彼は2人を一際強く抱き寄せ―。
「――あぁ…!」
そう、確固たる意志で頷いたのであった。
暖かな日の光と、心地よい風が中庭を包む。ベンチに腰掛ける竜崎達三人はそれを、そして
なお…アリシャにかけられていた白いローブは、今や竜崎が着させられていた。
風邪ひくからとニアロンとアリシャに半ば無理やりに纏わされていたのだ。おかげで普段通りの恰好に。
加えて、その2人それぞれに両腕を抱き留められていた。そんな状態に苦笑いを浮かべつつ、竜崎はポカポカとした陽気の中、微睡みかけてゆく。
―と、そんな折…。
「…ん。 来た」
―案外早い到着だな。 ちょっと残念だが…あいつらもそれだけ心配だったってことだぞ―
顔を上げ空を見るアリシャと、何故か竜崎を小突くニアロン。 事態が良く呑み込めず、とりあえず彼が目を覚ましたのと同時であった。
「ごしゅじーんっ!!」
勢いよく、しかし軽やかに中庭へ降り立つ巨影が。それは真っ白な長毛で包まれた巨大毛玉…もとい、巨大猫。
「タマ…!」
竜崎はそんな彼の名を呼ぶ。霊獣『白猫』であるタマ。怪我を負い入院させていたはずの、そして自分が眠っている間に完治し、さくらの護衛を務めてくれているはずの彼である。
「ご無事に目覚められて何よりです! ご主人がいつ起きてくださるか、私達ずーっと心待ちにしていたんですよ!」
「ごめんねタマ、心配かけて…」
「で・す・が! 一番心配していたのは残念ながら私じゃないでしょう」
竜崎の言葉を遮るように、白く長い毛を揺らすタマ。そしてその場にストンと腰を落とした。
すると、そのふわふわな背から誰かが現れる。 先程までは毛に埋もれて上手く見えなかったが、何者かが乗ってきていたようだ。
そしてその人物は、感極まったような声で、竜崎の名を呼んだ。
「竜崎さん…!!」
「さくら…! …さん…!!」
竜崎も、彼女の名を呼ぶ。 そこにいたのは髪をポニーテールに纏めている、愛しき1人の少女。
そう―、雪谷さくらであった。
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