354話 死闘の末

「ギャアアアアアアアッッッッ!!!」


片目が潰されるように勇者アリシャの一刀を食らい、悲鳴をあげる獣人。しかし彼女は、間髪入れず追撃を入れた。


「はぁぁぁッ!!」


ザンッッッッッッッッッ!!


「ガァアアアアアアアッッッ!?!!」


獣人の身体を断ち切らんばかりの袈裟懸け。しかしながらただでさえ巨体、加えて術紋と呪薬で多重に強化されている影響か、両断とはいかなかった。


だがそれでも…アリシャの、竜崎の仇と言わんばかりの斬撃は獣人の身に深手を与えた。服や獣毛ごと切り裂かれた彼の刀傷からは、術紋と並ぶほどにどす黒い血が盛大に噴き出す。




「グ…グフゥウウッアッ…!!」


獣人は力を振り絞り、腕とラケットを最大限に振り回す。引き起こされた鎌鼬により勇者達はそれで距離を取らざるを得なかった。だが…。


「ウ…ウァ……ウ」


獣人は動かず、その場でガクリと膝をつく。もはや逃げることすら能わぬほどのダメージを負ってしまったのである。






「や…やった…!」


その様子を手に汗握りながら見ていたさくらは、思わず声を上げた。策が、成功したのだ。


竜崎が隙を作り、勇者達が浴びせた渾身の一撃。それは荒れ狂う猛獣を見事に弱らせた。


そのことだけではない。さくらは、僅かであるが自分が助力になれたことを喜んだのである。勇者達に指令を伝達するという大役を、見事果たせたのだから。



「よ…かっ…た……」


竜崎もまた、苦悶の表情の内に安堵を浮かべる。どちらかというとそれは、獣人への攻撃が成功したということより、勇者達が無事に済んだことに対する息であった。


「ウッ…ガフッ…!」


だが、代償は大きかった。竜崎の口は、再度血に染まる。瀕死の身で魔術の強制行使…それも、一瞬とはいえ獣人の身体が大きく揺らぐほどの暴風を起こしたのだ。当然のこと。


「竜崎さん…! しっかり…!」


急ぎ対処しようとするさくら。しかしそれよりも先に、ニアロンが竜崎の頭を支えた。


―と、竜崎はさくらに向け、指輪がついた手をゆっくり差し出した。



「…ゆ…びわ…。…ぐぅっ…、あり…がと……。返…すね…」


「…え。いえ、まだ…」


まだ、使うかもしれないから持っていてください。さくらはそう言おうとしたのだが、竜崎は…被せるように否定してきた。


「い…や…、…も…う…」


その細切れな言葉と同時に、伸ばされていた竜崎の手はガクンと下がる。さくらは慌ててそれを受け止めた。


「―――っ…!」


その瞬間、さくらは気づいた。竜崎の手は、まるで死人のように冷え、蒼ざめていることに。血液や魔力の脈動も、感じられぬほどであるということに。


もう…『もう、魔術を紡げない』。彼の呟きの先、その事実をさくらは理解してしまった。彼は勇者達を支援するため、残っていた全ての力を振り絞ったのだ。


故にさくらは、何も言葉を紡げなかった。ただ、震える指先で、竜崎につけてあげた指輪を外してあげようと―。



「…ご…めん…ね…、さくら…さん…」


「…!」


突然耳に入ってきた竜崎の言葉に、さくらはハッと顔を上げる。もはや、幾度目かわからない彼の謝罪。


「…そんな……私のせいなのに……!」

―清人…!もういい…!もういいから…!―


さくらとニアロンは、涙を滲ませながら彼を宥める。と…竜崎は、小さく呟いた。


「さ…く…ら…」


「……ぇ…は、はい…?」


名を呼ばれたと思い、応じるさくら。竜崎はそんな彼女の目を見つめ…、いや、視界が霞んでいるのだろう。まともに目を開けられぬまま、彼は耳を澄まさなければ聞こえぬ今際の声を―。



「君の…名…前…の…花…が…、『桜』…が…咲き…誇る……世界に…、帰して…あげ…られな…く…て…」




瞬間―、さくらが受け止めていた彼の手が、引き抜かれかけていた指輪を残し、墜ちていく。


ニアロンに支えられていた彼の首も、力が失われ、がくりと垂れ下がる。それはまるで、事切れたかのような―。


「竜崎さん!!」

―清人!!―


叫ぶ、さくら達。直後、賢者の声が響いた。



「落ち着くんじゃ2人共、気を失っただけじゃ。しかし…よう耐えたの、リュウザキ! ぞい!」








賢者の言葉に続くように、竜崎へと強く暖かな光が注ぐ。それは天使の羽根のように形を変え、彼の全身を優しく包み込んだ。保護魔術の完成である。


「『呪い』の侵食も完全に阻害、とな…! ふぃー…!これでようやくリュウザキを運べるぞい…!」


額の汗を拭う賢者。さくらは大きく息を吸い、ニアロンは大きく息を吐いた。


「…!ほ、ほんとですか!!」


―よし……っ! 急いで退くぞ、ミルスパール!―


「勿論じゃ。予断を許さぬ状況なのは変わりがないからの」


賢者が杖を振ると、周りに張られている障壁ごとその場が持ち上がる。半球状の小空間となり、空中にふわりと浮かんだ。


―と、その瞬間だった。




カッッッッッッッッッッッッッッッッ!



再度、神具激突の閃光と衝撃波が迸った。









竜崎が気を失う直前、勇者達も詰めに移っていた。動けなくなった獣人を仕留めるために、再度攻勢をしかけたのだ。


「ウ…アウ…ウヴル…!」


顔、そして身体から血をだくだくと垂れ流しながらも、応戦する獣人。しかし、傷が響いているらしく、動きはかなり鈍重となっている。


そんな状態の彼が、勇者達に敵うはずもなかった。



「ふんっっ!」

ガッッ!


「ァ…!」


機動鎧の拳が、獣人の腕を叩く。先程まで幾ら殴りつけてもびくともせず、寧ろ機動鎧に損傷を与えていた彼の黒闇に染まりし腕は、容易く弾かれてしまった。


そこで生まれた隙を逃さず、アリシャは剣を突き立てようと―。その時である。



「させ…るか…っ!!!」


キュンッ!



「―っ!」


突如獣人の背より、アリシャに向け一本の黒槍が襲い掛かる。脳天を貫かんばかりの勢いのそれを、彼女は紙一重で避ける。


「ウッ…! ガアッ!」


加えて、獣人が振ったラケットが迫り、更に身を回避せざるを得なくなるアリシャ。すると直後、思わぬことが起きた。



「ガッ…ウヴ…ヴルルルル…!!」


なんと…獣人が立ち上がったのだ。その無事な片目には、狂乱と言うべきほどの闘志が浮かんでいた。


「あの目…。戦争の時、よく見た…」


未だ白く染まったままの獣人の瞳、しかしアリシャはあることに気づいていた。かつての戦争時、旧魔王軍が多用していた『強制的に戦意を奮い立たせる』洗脳魔術。その症状の現れに。



「させるか…この…阿婆擦れが…!! まだ…殺させは…しない…からな…!」


そんな言葉と共に獣人の背から顔を出したのは、痛みと恨みのため、血が出るほどに歯を軋ませる魔術士。彼は、アリシャに向け言い放った。


「こいつは…俺の『最高傑作』だ…! お前に…まだ殺させるわけにはいかないんだよォッ!!」


絶叫する魔術士。それと同時に、彼は獣人の頭を両手で抑えつける。すると―。


「グ…グル…!」


まるで命令を聞いた忠犬の如く、獣人は身を翻す。そして、天井の亀裂…ソフィアが簡易的に塞いでいたあの穴へと向かっていく。


「―! させない…!」


アリシャは即座に後を追う。と、刹那―。獣人は反転。手にしていたラケットを思いっきり振りかぶり、狙い澄ました一撃を放つ。


「ッー!」


勇者は反射的に剣を向ける。そして、神具同士の激突が巻き起こった。







カッッッッッッッッッッッッッッッッ!



巻き起こる、閃光と衝撃波。それと同時だった。


ビキッ…バガッ…!


獣人の手にしていた神具ラケットの持ち手が…マリアによって取り付けられた機構付きのグリップ部分が、叩き折れてしまった。


幾ら神具の鏡が、攻撃をほぼ完全に弾く力を持っているとはいえ、獣人の剛力により根元部分にもダメージは蓄積していた。


度重なる神具同士の激突、そして収束魔導術砲による衝撃。その予想外の威力を食らい続け、疲労破壊を起こしてしまったのである。



衝撃波に流され、吹き飛ぶ鏡部分。それを獣人は逃さず、フリスビーのように即座に咥え確保した。


「返して…!」


アリシャはそれを奪い返そうと手を伸ばす。瞬間―。



ゴァッッッッッッッッッッッッ!


獣人とアリシャを隔てるように、竜脈からの魔力波が地を裂き噴き出す。否、それだけではない。


ゴ…ゴゴゴゴゴゴ…!!


緩んだ地盤が、沈み始めたのだ。先程の衝撃波が、崩壊寸前のこの場に拍車をかけてしまったらしい。至る所で噴き出し続けていた魔力波は更に勢いを増し、そしてとうとう―。




バギ…バギ…バギギギギギギギッッッッ!!


「むぅっ…天井が崩れ始めたか…!」


賢者の見上げる先には、地面の地割れと同様に巨大な亀裂が。幾度と穴が開けられていたとはいえ、全壊まではしなかった厚きその岩天井。その全てが崩れ出したのである。


「それにこの魔力量から察する竜脈の励起度合い…限界じゃの…! アリシャ、ソフィア!すぐさま脱出じゃ!」


竜崎の処置を終え、ようやく手の空いた賢者は自らの声を飛ばす。即座に従った勇者は、ソフィアの機動鎧に掴まり、落下してくる巨大瓦礫を払いのけながら外へ。賢者達と共に安全圏まで飛び上がった。



と、その瞬刻の後―。





ドッッッッッッッッッゴォオオオオオオッッッッッッッッ!!!







巨大なる爆弾が投下されたかのような、火山の大噴火のような、極大の爆発が起きる。その勢い凄まじく、立ち込めていた濃霧を一瞬で消し飛ばし、それだけには飽き足らず、周辺の木々の悉くをなぎ倒した。


直後、噴き上げられた瓦礫が噴石の如く空を貫き、さくら達を襲う。ソフィアの機動鎧と賢者の障壁がそれを防ぎ、事なきを得るが…


「ぁ……」


その後に見たものに、さくらの目は釘付けになる。先程まで自分達がいたその地下は、大穴となっていた。いいや、それだけでは済まなかった。


穴の周囲の地面も大量の土砂と瓦礫となり、次々と崩れ広がって呑み込まれていく。あの転移装置は…既に砕け散ったあの希望は、千尋せんじんの底に沈み埋まってしまったのである。





「あの獣人達、どうしたかしらね…。埋まってくれていればいいんだけど…」


ポツリと呟くソフィア。賢者は静かに返した。


「…わからぬ。そうなっていれば楽なんじゃが…。今はリュウザキの治療が先じゃ。急ぎ帰るぞい、アリシャバージルへ」



そのまま賢者は、自らも乗る浮遊半球を動かす。勇者達もそれに続き、竜崎に隠すようにして秘密裡に設置されていた転移魔法陣へと向かっていった。


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