351話 確固たる決意

何故、勇者アリシャは手を止めてしまったのか。難敵を、愛する者竜崎を傷つけた外道を、屠り去る絶好の機会だったというのに。


恐らくその直接の理由は、『アリシャが魔術士の顔を認めた』…つまり認識したことであろう。




確かに彼女は、戦闘開始から今まで魔術士の顔をまともには見ていなかった。獣人とのぶつかり合いに集中しており、そもそも接敵時点ではまだ魔術士の顔は幻惑魔術に覆われ隠されていた。


その後である。その戦闘の隙を突き動いたソフィアと賢者が魔術士を捕え、彼の顔を暴いたのは。その際アリシャ達は離れたところで戦闘していて、見える位置ではなかった。



但しそれ以降、幾度かアリシャが魔術士に接近をした瞬間はあった。獣人を追い込んだ際、ソフィアを守った際―。だがその時は、機動鎧や獣人の巨体に上手く隠され見えるものではなかった。


加えて、魔術士は顔を出来る限り顔を伏せ隠していたのだ。既に賢者達にはバレている顔を、何故か。




しかし実際のところ、アリシャは魔術士の顔はおろか獣人の顔も全く気にしてはいなかった。『竜崎に重傷を負わせた憎き相手』。それだけで戦うには充分であったのだ。


だから、奇妙にも自身と同じ強化魔術紋を浮かべる獣人に驚きこそすれ、魔術士のほうは無視に近い状態であったのだが…。




そんな彼女が、魔術士の顔を見て攻撃をストップしてしまった。勇者としての初戦闘相手だと気づいたからだろうか。


当時と毛色や顔の様子が変わり、異形へと転じた獣人。それと比べ、魔術士は20年前の面影をほぼ完璧に残している。ならば、その反応も頷ける…。



…いや、それにしては少々様子がおかしい気が。アリシャは『かつて戦った敵との再会への驚き』という理由だけで手を止めたわけではないように見える。


それこそもっと、反射的な…ともすれば何かの力に強制されたかのような…。






―ともあれ、勇者が動きを止めてしまった僅か数瞬。それが獣人達の命運を分けた。



「ッ! ぐぅおっらッ…!」


獣人は、手にしていたラケットの角度を無理やり変える。当然、鏡の反射向きも変わる。


すると、ソフィアの放っている簡易型収束魔導術砲が弾かれ細かくなった光の粒が、勇者へと襲い掛かった。



神具の鏡を以てして、獣人の巨体を容易く押し込む強力無比なレーザービーム。その欠片である光の粒もかなりの力が籠っていた。


周囲の壁や床にそれが当たる度、賢者の張った障壁にはビキビキビキと微細な亀裂が走っていく。当たれば散弾の如く身に刺さるであろうそれを、勇者は回避せざるを得なかった。



更に―。


「オォオ…どりゃああああッッ!」


大きく気合を入れ、獣人は紫光湛える腕…ラケットを握っている腕を真上に弾き上げる。当たっていたビームはある程度の形を残したまま、天井に激突。そのまま障壁ごと貫通し、穴を開けた。


そしてその隙を利用し、獣人は身を横に閃かせる。多少毛が焼かれたものの、ビームからの脱出を果たしてしまった。





「やばっ…! うっ…しかも丁度照射終了…!」


泡を食うソフィア。それと同時に片腕から放たれていたビームは細り、消えていく。


「どうせ腕は壊れてるし…!冷却を後回し、機動鎧再起動。マジックミサイル粘着弾装填、発射!」


即座に対処に移った彼女は、機動鎧からマジックミサイルを放つ。それは天井に開いた穴へとぶつかり、弾頭のトリモチで蓋をした。



「クソッ…!」


一旦距離を取る獣人。天井に開いた穴は自身が通るには小さく、面倒な封をされてしまった。それにビームを耐えた影響で、極度の疲労が襲っていたのだ。



その隙に、ソフィアはアリシャと合流。と、彼女は少し驚いた。何故かアリシャが、少し呆けていたのだ。


「えっ、どうしたのアリシャ!?」


ソフィアの問いに、アリシャは答えない。ただ、ぼーっと獣人達を見つめるだけ。しかし、数秒後―。


「……でも、キヨトを傷つけたんだから…」


そう静かに呟くアリシャ。そして、キッと表情を変えた。


「今度は…逃がさない…!!」


確固たる決意を感じられる台詞を残し、彼女は剣を手に突撃。ソフィアは困惑しながら、急ぎ後を追うのであった。








「く…クソがあッ…阿婆擦れがぁっ…! あんな男に…リュウザキの野郎に…股開きやがってぇ…!!」


再度迫りくる勇者に対して、中傷の言葉を吐き散らす魔術士。そのまま更に幾つかの黒刃を展開した。


獣人も先程の余りを呼び寄せ、戦闘態勢をとる。だが―。



「はっ!」

「いい加減、倒れなさいよ!」


「ぐおっ……」


片や五体満足+怒りを身に宿した勇者。片や片腕が使用不可だが、まだそれ以外は無事な強固なる機動鎧。そんな強敵相手に、武器代わりの巨大氷を壊され疲労し始めた獣人は防戦となるしかなかった。



しかし、彼はただ疲れていただけではなかった。







「ぐっ…! うおおおおおっ!」



一際大きく神具の鏡を振り回し、勇者達を弾く獣人。そのまま彼は大きく距離を取る。と―。



「―ごっ…ゴフォッ…」


突然片膝をつき、うずくまる獣人。なんと、口から血を吐いたではないか。


「…ぐぅ…う…。…もうそろ…限界かよ…。クスリ…やり過ぎたぜ……!」


彼はそう呟く。一本で手のひらサイズのネズミ達を人間大の化物へと変貌させる『生命力強化暴走』の呪薬。それの投与など、元々危険な行為であったのだ。


いや、それでも数本程度ならば、後日反動あれども問題はなかった。少なくとも獣人達はそんな口ぶりだった。



問題は、竜崎との戦闘で既に何本か使用していたこと。そして勇者と相対した際に、大量の呪薬を同時投与したということ。ぶっ続けで戦っていた彼にも、とうとうドーピングの悪影響が出てしまったのである。




「ハァ…ハァ……。 チッ…!せっかくの…勇者との決闘だっつのに…! やっとの…念願だっつのに…!!」


ギリィと歯を鳴らす獣人。その隙間から漏れ出している血が、まるで彼の悔しさを表しているかのようにポタリポタリと垂れる。


そんな口腔を、彼はカッと開く。そして、確固たる決意が籠った大声を放った。


「兄弟ぃい……! を…使うぜ…! 後は…託したぞ!」







「なっ…! 待てテメエ…!」


「クスリで身体が不安定になっている今がチャンスだからなぁ…! 正気で勇者のヤロウを倒せねえのは癪だがよ…!」


魔術士の制止を流し、狂気的な笑みを浮かべる獣人。次の瞬間、彼の上半身はだらりと力なく崩れる。


気を失ったかのようにも見える、あからさまな隙。勇者達がそれを逃すわけなく、剣と剛腕の一撃が襲い掛かり―。



と、その瞬間だった。







「グ…ルルル…グルルルォオオオッッッ!!!」


突如響き渡るは、猛獣の咆哮。それと同時に、獣人の全身からは神具同士の激突に比肩するほどの波動が放たれた。


「…っ!」

「なっ、なにっ…!?」


受け身を取りつつ、アリシャとソフィアは距離を取る。その間に、獣人はゆっくりと身体を戻し―。



「「「―っ!?」」」


この空間にいる、魔術士以外の全員が驚愕した。やや前屈気味の獣人の顔からは人らしさが消え、まるで獣のように。瞳の色も消え、白目の如く。


これだけでも正気を失っているということがわかるのだが、それ以上に異質さを放っている箇所があった。



それは、獣人の全身に走る魔術紋。勇者アリシャと同じそれが、紫の輝きを放っていたそれが…。



「黒…に…!?」


思わず、さくらは口にしてしまった。そう、黒に―。



獣人の魔術紋は、光を呑み込まんばかりの漆黒へと変貌していたのだ。

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