304話 何も、考えなくていいよ

命を、賭ける。そう、命を賭ける。それは、失敗したら命を失うということ。いや、この場合は『実行してしまえば、十中八九命を失う』というのが正しいか。


それが自分の命だったら気にすることは無い。色々なしがらみこそあれど、結局は自己責任なのだから。


しかし―、今回は違う。他人を…いいや、恩人の、大切な人の命を賭けなければいけない。自分が得をするためだけに。しかも、成功するか全くの不明なものに。


ずっと心の中心にありながらも、無意識的に避け続けてしまったその事実。そして、新しく知らされた詳細。それらを同時に突きつけられ、さくらは何も答えられず目を震わせる。



なんで、どうして…。 絶対に帰れると思っていた。勝手にそう思っていた。だって、人の命を犠牲にするのだから。


だが思い返すと、あのノートには「帰せる『かも』」と書かれていた。ノートの題通り、ただの可能性の代物だったのだ。


仮に竜崎が命を捨てても、もしかしたら元の世界に戻れずこの世界に残されるかもしれない。そうしたらどうなるか、考えるまでもない。


心から頼れる大切な人を失っただけでは済まない。周囲からは白い目で見られるだろう。『世界を救った竜崎の、命を生贄とさせた自己中な子供』として。


こんなことなら、言わなかった。帰りたいなんて、言わなかった―。



…いや、どうであろうか…。言わなかったかもしれない。しかし、後悔はしただろう。この先、幾度も。


帰れないとわかっている時と、帰れるかもとわかっている時では心の置き所が違う。それは今のさくらが一番わかっていた。


諦め、落ち着いていた元の世界への想いが、帰れる方法を知ってしまい一気に心底から吹き出す。それは止めようもなく、期待へと変わり胸を埋め尽くしている。言葉にするならばそんな感じか。


それなのに、その方法が取り上げられたらどうなるか。誇張なく、一生引きずる重しとなるのは明白。しかも、あの時試しておけばよかったで済まされる内容ではない。


竜崎はそれをわかっているから、わざと『帰れないかもしれない』という事実を隠し、黙ってここに連れてきたのだろう。それこそ、自らの命を賭けて。







頭も心も混乱し、もはや怯えるしかないさくらに、ニアロンはすっと目を伏せる。そして、ぽつりと呟いた。


―なあさくら…。この世界は面白くないか? 私達はお前がこの世界を謳歌できるよう、色々手を尽くした。それもこれも、この方法を使いたくなかったがためだ。頼む…帰りたいなんて言わないでくれ…。清人の命を賭けないでくれ…―


首を垂れるような彼女のその姿は、まさに懇願。しかしさくらは震えるばかり。と―。


ぎゅぅっ


さくらとニアロンの身体は、暖かな腕に抱きしめられる。勿論、それは竜崎であった。


「2人共、大丈夫。何も考えなくていいよ」





さくら達を抱きしめながら、器用に彼女達の頭を撫でる竜崎。それはこの間より少し強く、落ち着かせようとしてくれていることが伝わってくる。


―何も、だと…! 清人、お前死ぬかもしれないんだぞ…!それがわかって…!―


「俺だって怖いさ…!」


ニアロンの怒り交じりの抗議へ、やや食い気味に、普段より語調を強めに竜崎は言い放つ。その様子に、ニアロンはおろか、さくらすらも身体をビクッと震わせてしまった。


それは彼女達を抱いた腕から直に伝わったのか、竜崎は頭を撫でる力をもう少し加えた。そして、いつものような優しい言葉へと戻した。


「ごめんね、声を荒げちゃって。…だけどニアロン、同じようなことは以前にもやっている。お前のところに捧げられた時だよ」




「あの時は今以上に怖かった。守ってくれる人は誰もいなかった。自分を、意識を殺し、暗闇の中ただ死ぬのを待つだけだった」


懐かしむように、岩天井を見上げる竜崎。そして、少し照れくさそうに微笑んだ。


「だけど、今は違う。今はお前ニアロンが傍にいてくれている。仮に装置が起動し、串刺しにされたとしても、お前が治してくれる。だろ?」


―当たり前だろ!―


「有難う。それならきっと大丈夫さ。装置を起動すれば流石に賢者の爺さんも気づいちゃうだろうから、それまで保てばいいしね」


―あ、やっぱりお前道中にあった通報魔術を解除していたな…!―


「バレたか。賢者の爺さんは装置の使用を咎めはしないだろうけど、万が一のことを考えてね」


―お前なぁ…!―


ポカリと竜崎を殴るニアロン。一方の彼はそれを甘んじて受け入れた。それは長年の友人同士らしい振舞いであった。





しかし、さくらの内心は晴れない。と、竜崎はニアロンを背に戻し、一際強く、優しくさくらを抱きしめた。


「そう心配そうな顔をしないで。シビラさん『予言者』が言っていたでしょう?『何かに襲われ、大切なものを奪われる』ってね。つまり、逆に言えば何かに襲われるまで大切なものは奪われないってことだ。『命』であろうとね」


その言葉に、ハッと顔を上げるさくら。竜崎はそのまま続けた。


「あの予言は、さくらさんの神具ラケットが奪われかけるという形で実現してしまった。タマも死ぬほどの怪我ではなかったし、恐らく示していたのはそれだったのだろう。となると、私の分がまだだ」





「私も同じ予言を受けたのに、まだ襲われていない。逆説的にそれまでは少なくとも命があるということ、なのかもしれない。賭けて見る価値はあるんだ」


最早詭弁の域に近しい竜崎の言葉。しかし、さくらにはそれは投げ渡された命綱に等しかった。


彼の命を奪うことなく、元の世界に帰ることができるかもしれない。消えかけていた、自分で消しかけていた希望は戻ってきたのだ。体の力が抜けていくさくらの背を、竜崎はポンポンと撫でた。


「だから、さくらさん。君は何も考えなくていいんだ。ただ、元の世界の自分の部屋、転移してしまった森、自分の学校、どこでもいいからしっかりと思い浮かべ、そこに転移するよう念じるんだ」


最後の教示と言うように、強く、はっきりと方法を伝える竜崎。その方法は奇しくも契約した上位精霊を召喚するときと同じであった。




と、竜崎はさくらを離し、再度向き合う。そして、ゆっくりと口を開いた。


「…1つ、さくらさんに謝らせてくれないか?」

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