―没落貴族令嬢の過去―

277話 竜崎の怒り

「我が領地内での不祥事に巻き込んでしまったこと、心よりのお詫びを。お二人とも一度ならず二度までも我らの問題を肩代わりし解決してくださったというのに…。今後どれだけかかろうとも、公爵の名を賜っている者として相応しい贖罪をさせていただきます」


公爵邸、その一室。ソファに座るさくら達の前で、ディレクトリウス公爵は片膝をつき平謝りしていた。


いくら恩ある相手だとしても、平民相手に公爵がここまでへりくだるなど異例中の異例。およそ他の貴族に見られたら(というか実際に陰から見られているが…)後ろ指を指されてしまうのは必至である。


だがそれを一顧だにしないほど、公爵は気を病んでいたのである。わざわざ呼んだ子達があわや人さらいの餌食に…そう考えると彼もこうせざるを得なかったのだろう。


さくら達にとっても彼が良識ある立派な貴族だということは周知の事実。彼女達はその申し出を遠慮しようとしたが、公爵はさくら達が受け入れてくれるまで下げた頭を戻すことは無かった。



そして幸い、いや必然かもしれないが、陰から見ていた貴族達からもその後さくら達へ謝罪がなされた。召使をけしかけた罪状だけではない。下手をすれば自分達が攫われていたかもしれなかったのだ。公爵があれだけ頭を下げた以上、彼らが下げないわけにはいかない。


因みにその際、貴族の1人がさくら達へ雇用依頼を持ち掛けようとしたが、護衛についていたマーサ、そして公爵令嬢のエーリカに思いっきり睨まれ言葉を呑み込んだ。







場所は移り、公爵邸の浴場。流石は公爵の湯浴み場、広く白く、豪勢。ライオンのようなお湯の注ぎ口まで完備している。


さくら達はそこで公爵の女召使達に全身をくまなく洗われていた。誰かに身体を洗ってもらうなんて、お母さんと一緒にお風呂入った時以来かも…。そんなことを考えているさくらの横で、エーリカの声が響いた。


「メスト様、お身体にどこもお傷はありませんか!?」


「大丈夫だよエーリカ。さっきマーサ先生にも確認してもらったしね。アハハッ、そこくすぐったい…!」


召使の仕事を奪うようにメストの身体を洗ってあげている彼女。まるで美術品に傷がついていないか確認するかのような目をしている。


公爵令嬢が平民と湯浴みを共にしていいのか。だって誰が止めても一緒に入ると言って聞かないのだもの。


別に今だけではない。タマの背に乗り帰ってきている道中、公爵に謝罪を受けている間、廊下を移動している時…どんな時でも、エーリカはメストの傍を離れない。彼女の腕をぎゅっと抱きしめ、もう二度と離さないといわんばかり。


なおさくらが少し気を利かせて距離を取ろうとすると、エーリカはその度にさくらちゃんこちらへと手招きする。2人共近くにいて欲しいらしい。彼女もまた、友人を失いかけたという恐怖に囚われてしまっているようである。





そんな風呂上り。完全にエーリカと同じ待遇を受けたさくら達は外へ出ようとする。と、見張りをしていたマーサの声が聞こえてきた。


「シベル、お帰りなさい。盗賊達はどうなったの?」


どうやら竜崎と後処理をしていたシベルが帰ってきたようである。続いて彼の声も聞こえてきた。


「あぁ。今公爵様の兵士達が王都の牢へと運んでいる。あの調子だと余罪はゴロゴロとあるだろうし、暫く尋問漬けだな」


「…彼らの傷は?」


「全員、至るところに擦過傷等を負っているのは言うまでもなく。1人は腕や肋骨の一部を粉砕骨折、2人は顔面傷まみれでチアノーゼ状態。もう一人は全身に渡る凍傷。あの魔術士は…喉内部の大火傷、足に大穴、腕と顔面を大きく骨折だ。しかも先生、仕留め際に魔術使用を封印する呪いを付与していたらしい」


淀みなく答えるシベル。勿論治療は施した、と彼は説明を締めた。それを聞いたマーサははぁ、と息を吐いた。


「先生、かなりお怒りね…。私達も昔、さくらさん達と似た目にあったけど…それと同じぐらいかしら…」


そんなことが彼女達にもあったのか…! しかも口ぶりから、その時も竜崎が救出したらしい。さくら達は思わず耳をそばだたせ、続きを聞こうとする。すると、聞こえてきたのはシベルの震え声だった。


「いや…あの時の比ではなかった…。あそこまでキレていた先生を見たのは初めてかもしれない…」


その異様さに、さくら達はそっとシベル達の様子を覗いてみる。すると、獣人であるシベルの尾が股下に入らんばかりに丸まっていた。


「お前達が帰った瞬間だ…。声や表情こそ普段通りだったが、盗賊達を睨む目が恐ろしかった…。もしかしたら俺に盗賊確保の手伝いを頼んだのも、先生だけでは彼らを殺しかねないからだったのかもしれん…」


あの強面のシベルが完全に怯えている。さくら達はただ黙りこくるしかなった。






贅を凝らした食事が済み、あてがわれた寝室へと向かうさくら達。やっぱり食事中もメストにべったりだったエーリカだが、どうやら眠る場所も手配したらしく、さくらメストエーリカ、そしてマーサとタマの4人+一匹で寝ることとなった。しかも部屋の外と窓の外ではこれまた女召使達が寝ずの警備をしてくれるらしい。


正直、さくらとしてもその申し出は嬉しかった。ほんの少し、1人で寝るのは怖かったのだ。



と、その部屋へと案内される途中。廊下の向こうから誰かの会話が聞こえてくる。少し覗いてみると、そこにいたのは先程ハルム達の護衛としてついてきた、そして盗賊確保を手伝っていた兵士達であった。どうやら他の兵士にさっきまでの事を説明しているらしい。


「本当なんだって!あのリュウザキ様の暴れよう、何度か付近の魔物討伐にお呼びしたことがあって見たけど、その時と全く違っていた。なんていうか…情け容赦なしというか…」


「あぁ…言っちゃ悪いが、『教師』がしていい戦い方ではなかった…。娘を汚された『親』みたいな暴れっぷりといえばいいのか…」


「それにリュウザキ様、帰り際に上位精霊を全種呼んで小屋を完全に消滅させたんだ。本当にその場から小屋が掻き消えたんだよ! あの時のお顔…。そう、理性で抑えられていた怒りをぶつけるかのような…」


ここでもまた、竜崎の話である。さくら達はバレぬようその場を後にする。だが、さくらとメストの顔はどこか蒼白であった。





「どうしよう…」


寝室のベッドの上で、さくらは思わずそう漏らす。竜崎を完全に怒らせてしまったのかもしれない…。そう考えてしまったのだ。それはメストとエーリカも心同じらしく、部屋には沈鬱な空気が流れていた。


「3人共、大丈夫ですよ。リュウザキ先生が怒っている相手は卑劣な盗賊達なのですから。そう沈み込まないでくださいな」


察したマーサはさくら達を励ます。タマもさくら達の身体に擦り寄る。しかし、彼女達の心は晴れない。と、そんな時だった。


コンコン

「リュウザキだ。入っても大丈夫かい?」


本人が来てしまった。ビクッと肩を竦めるさくら達に代わり、マーサが扉を開け彼を中に招待した。


「ごめんね寝る前に。ちょっと状況説明書とかを書いていて遅くなっちゃった。皆気分は悪くない?もし何かあったらマーサになんでも相談してね。彼女はシスターだから、人の話を聞くプロでもあるんだよ」


勿論、私でもシベルでも、ナディ達でもいいよ。彼はそう言ったが、さくら達は俯き気味。すると竜崎は彼女達と同じ目線となるまで身体を降ろした。


「3人共、よく頑張ったね。よく耐えた。怖かったでしょう。大丈夫、もう私達が傍にいるからね」


―安心して寝とけ。あんな馬鹿盗賊共に心を乱される必要はないからな―


ふんわりと包み込むような口調の竜崎とニアロン。彼らからは怒りという概念すらも感じられない。


「…あの、竜崎さん…!」


意を決し、さくらは顔を上げる。そして、あのことを聞いてしまった。


「怒って…ないんですか…?」



聞かないわけにはいかなかった。聞いて、答えを貰わなければ、いつまでたっても心が重たいままなのだ。もし叱られるならば甘んじて…。


「怒られたいの?」


「えっ いや…その…」


まさかの問い返しに困惑するさくら。それをふふっと笑った竜崎は、慈愛が籠った顔でにっこり微笑んだ。


「怒らないさ。悪いのはあの盗賊達、さくらさん達は被害者だもの。しかも、元はと言えば怪我した人達を助けた延長線上の出来事。寧ろお礼を言わなきゃね。有難う、すぐに助けに行ってくれて」


「でも…」


思わず食い下がってしまうさくら。どんな過程があったとはいえ、結果的に竜崎に迷惑をかけたのは事実。ただ許されるだけでは気持ちが収まらない。


―清人―

「…わかった。じゃあ…」


ニアロンの促しに、竜崎はスッと両手をさくらとメストの頭の上に。エーリカにはニアロンが。すると―。


ぺしんっ

「「「あうっ」」」


降りてきた手はさくら達の頭を軽く叩く。少し痛い程度のお仕置きの後、竜崎達の手は優しく力強く彼女達の頭を撫でた。


「皆、君達がいなくなって心の底から心配したんだ。私も正直、生きた心地はしなかったよ。これからはどんな時も戦闘後は暫く気を抜かないように、そして無茶をしないように。皆を悲しませないようにしてね」


わしゃわしゃと撫でくる竜崎の手からは、彼が心の底より安堵していることがありありと感じ取れた。


さくらはそれを全身で受け止めながら、しっかりと頷くのであった。

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