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いつものように授業をサボろうと屋上に向かうと、先客がいた。そんなこと初めてで、扉を開けたまま少しフリーズしてしまった。
「君、誰?」
急に話しかけられて戸惑う。
風がスカートを弄ぶが、今時珍しく膝丈のそれは、捲り上がることは無くバサバサと音を立てた。
「……小泉」
「ふーん」
ってそれだけかよ!なんて心でつっこむ。
違うクラスなのか全然見ない顔のその子は、フェンスの向こうに目線を戻した。
何故かその仕草が儚くて、消えてしまいそうに思えてならなかった。
そのまま会話は無く、俺はベンチで寝て、起きた時にはその子は居なくなっていた。
「なぁ、」
「どしたん?」
「黒髪で、関西弁で、眼鏡かけてて、膝丈のスカート履いとる女子知らない?多分違うクラスだと思うんだけど」
「小泉が女の子の話をするなんて珍しいな。名前は?」
「聞けなかったからわかんない」
「なんやそれ。何があったん?」
親友にあったことを全て話した。
彼は割と顔が広いからわかるかと思ったが結局分からずじまいだった。
それからというもの、屋上に行くたびにその姿を見ることはなく、忘れかけていたある日。
「ふぁ………」
「毎回大っきな欠伸やね〜〜」
「あ、今日はいるんだ」
「小泉、私のこと覚えてくれとったん?」
「小泉ってなに。いきなり呼び捨てかよ」
「小泉は小泉やろ。君の名前で間違えないんやろ?」
「間違えてはないけど」
「なら小泉でええやん!」
「あーもうわかったわかった。じゃあ君は?」
「ん?」
「君の、名前!俺知らないんだけど」
「知りたい?」
「なんだよ…めんどいな……」
「何やねん!おもろくないなぁ」
「あーもう!はいはい、知りたいです知りたいでーす」
「しゃーなしやな。教えたろ!私のこと、天使ちゃんって呼んでええよ!」
「…は?」
「だーかーらー!天使ちゃん!おわかり!?」
「なんで天使?」
「私な、夏になったら天使になれんねん」
「なんだそれ、付き合ってられないわ。俺寝るから話しかけてくんなよ!」
そのまま、本当に黙り込んだ自称天使ちゃんはいつものようにフェンスの向こう側を眺めていた。
それから親友に自称天使ちゃんを知ってる人がいないか捜索を手伝ってもらうと、自称天使ちゃんはほとんど学校には来ておらず、名前も噂で様々やからようわからんという結果に。ただ、あの子と会える日はいつも雨の降らない金曜日だった。
「やっほー!小泉!」
「おう」
「今日は寝ないんか?」
「君、いつもここから何見てんの?」
「私のこと無視すんなや!」
「何見てんの?」
「……なんも見とらん」
「は?」
「ここで街を見下ろして風に当たるとな、空を飛んどるみたいなんよ」
「ふーん」
「小泉は変わっとるな」
「何が?」
「私と話しよる」
「普通のことじゃん」
「私の事、全然聞いてこんやん。過度に干渉とか詮索してこんやん。やから、変わっとるな〜〜って」
「まぁ俺が干渉されるの嫌だからな。自分がされて嫌な事は人にやるなっていうじゃん」
「小泉は小泉やな」
くふふと笑った彼女に釣られて俺も笑う。
なんか、教室より居心地がいいのはきっと彼女のおかげなのだろうなんて思った。
「小泉」
「ん?」
「小泉に、私の秘密教えちゃる」
「何で?秘密は誰にも言わないから秘密なんじゃないの?」
「なら、秘密を共有してくれん?」
「俺でいいの?」
「小泉がええねん」
そう言って彼女は俺に背を向け、何かし始めたと思ったら、徐に上のセーラー服を脱いだ。
「ちょっ!!何してんの!?」
「やましいことちゃうもん」
「はぁ!?」
咄嗟に彼女から目を背ける。
色白な肩とキャミソールが脳内で再生され、ドギマギする。なんなんだよ本当。
「小泉?」
「なに」
「背中、見てくれん?」
はぁ………と長めのため息をついて、これはやましいことじゃないと心で何回も唱えて、彼女の方を向いた。
「っ……」
「見た?」
目の前には、色白で華奢な背中に不自然に浮き出る出っ張りと、痛々しく散りばめられた痣があった。
「これ……」
「翼、へし折られたみたいやろ?」
「……触っても、いい?」
「どーぞ」
いつもの口調で話す彼女になんだかただならない何かを感じたのは気のせいではないと思う。この背中を見て、誰にやられた?なんて野暮な事は聞けなかった。
この時俺は、彼女は本当に天使なのかもしれないと思った。
「このことは、私と小泉の秘密やからな」
「……おう」
「小指出して!」
おずおずと手を出すと、俺のより小さな手が小指を絡め取った。
「ゆーびきーりげんまん、嘘つーいたーらはーりせーんぼーんのーーます、ゆーびきった!!」
「指切りなんて何年ぶりだろ」
「破ったらほんまに針千本飲ましたるから!」
「君が言うとほんまにそうされそうで嫌だな…」
「秘密を共有している小泉にはこれをやろう!」
「何?これ」
「私のケータイの番号」
「ほうほう」
「反応、うっす!小泉だけやで?私の番号知っとるの。とりあえず登録しとって!」
「わかったわかった」
「じゃあ、私戻るわ」
「はーい」
ここでいつものようにベンチに寝転がる。
目は閉じて手だけ出入り口のほうに振って、ドアが閉まる音を確認してから眠りについた。
登録した番号から電話がかかってきたのは、背中を見たあの日から数字後の夜だった。
『やりたいことがあるから学校の門の前に10時集合!着替え持ってきて!遅れたらあかんから!』
大きな声に思わず顔をしかめてケータイを離す。すると、こっちの返事を聞かずに切れてしまった。
とりあえず言われた通りに着替えを鞄に詰めて、間に合うように家を出た。
「小泉〜〜!早いなぁ、着くん」
「何すんの、夜の学校で」
「内緒!というか新鮮やね?小泉の私服」
「君はいつまで制服のままなの?」
「制服が好きなんです〜〜。さ、入ろか」
小泉先に行け!なんて押されて、とりあえずどうにか門を越える。
私を受け止めてよ!とよじ登る彼女の手伝いをして、2人とも夜の学校に入った。
「ここ!」
「プール?」
「そう!入ってみたかってん!」
「鍵は?」
「じゃーん!水泳部の友達に言って借りた!」
ここで、初めて俺は天使ちゃんに友達がいることを知った。
「入るで!」
「おい!走んなよ、転ぶぞ!」
きゃははと子供のようにプールに向かって走り出す彼女はいつもより幼く見えた。
夏になろうとしている季節の境目。
プールには新しい水が張ってあって綺麗だった。
「小泉!水面キラキラしとる!」
「足元に空があるみたいだね」
思ったより綺麗な水面を眺めていると、バシャンと大きく水面が揺れた。
「おい!何してるんだよ!」
「入っちゃった〜〜」
くふふと笑った彼女は、空を見上げる姿勢でぷかぷかと浮いている。
「空、真っ黒やね」
「当たり前だろ。夜なんだから」
「夜は透明度が高過ぎるからあんなに深い黒なんやで。私の身体はいずれ透明度が増して、空と同じになるんよ」
「小難しい事よう考えるな」
「.なぁ、小泉」
「ん?」
「私な、ほんまは天使やなくて人魚かもしらんわ」
「なんだそれ」
天使ちゃんなんでしょ?なんて笑って返すと、くふふと笑い声が帰ってきた。
---いきたないなぁ…---
小さな声で、でも確かに聞こえた。
「ん?」
「何でもない」
「独り言か?」
「まぁ、そんなところや。小瀧も浮かんだら?気持ちええよ?」
「俺はいいや」
「小泉は相変わらずつまらんやっちゃ」
「何とでも言ってろ」
ふと、ポケットのスマホが鳴った。画面には母親の文字。
「やばっ!家抜け出したのバレた!」
「あほやな〜〜!」
「笑ってる場合じゃない。君はいつまで入ってるの?もう11時だよ?君も親が心配するでしょ」
「あー、そうやね。そろそろ上がる」
彼女は少し悲しそうに、プールから上がった。
「家まで送る」
「嫌や」
「なんで!?心配だろ」
「嫌ったら嫌!」
「はぁ……本当に家まで送らなくていいの?」
「いつもこんくらいの時間やから大丈夫」
「気をつけて帰れよ」
「わかっとる」
「ならせめて電話繋いどく?」
「充電の無駄遣いや」
「あほなの!?」
「あほでもなんでもええから、はよ帰らんと小瀧の親も心配するやろ」
「本当に気をつけるんだよ!!」
「もう、わかったって!」
お互いに手を振って、別れた。
俺は、この日を一生後悔する事になる。
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