四日目:乙女の矜持-2


「誰だ!」

 殿様は、そういいながら剣を抜いた。影は、そのまま殿様めがけて突撃してくる。殿様はそれを避けて走り出した。周りできゃあと悲鳴が起こり、私は、何が起きたのか、把握できなかった。

 殿様は、人気のない砂漠の方に走り出していく。私は、彼の姿が消えそうになる時に、ようやくはっと気がついて慌てて二人を追いかけていった。

 銀の光が、真昼の太陽に当てられて、ぎらぎらと輝いていた。

 甲高い金属の音が鳴る中、殿様は、男と相対していた。相手もまだ若い男だったように思う。殿様より年上には見えたが、まだ青年といってもよさそうだった。

「てめえ、誰だ! 俺を殺しにきたのか?」

「用事はわかっているんだろう、王子サマよ」

 男は、あざ笑いながらそういった。

「だったら、大人しく死んでくれよな!」

 男の剣が鋭く殿様を突きかける。それをさけつつ、殿様は攻撃を仕掛けていた。

 と、男の蹴りが、殿様の足を捕らえる。それで殿様の体がかしいだ所を、男が右手で殿様の左手をつかんだ。と、急に、殿様が、悲鳴を上げて、相手を振りほどいて後ろに逃げた。特に何もされていないのに、殿様が痛がったのが不思議だった。そのまま、左腕をかばいながら、殿様は相手をにらみつけている。

 男はにやりとした。

「へえ、こないだ怪我したっていう噂は本当か。王子サマも楽じゃねーな。遊んでばかりいるせいか、手当てもしてもらえねえのか。かわいそうに」

「ちっ、いちいちうるせえやつだ」

 殿様は、そっと左腕に手を添えながら吐き捨てる。

「そんなに色々喋るあんたは、刺客としては向いてねえよ。廃業しちまいな」

 男は肩をすくめた。

「ふん、王族の癖に口の悪いやつだな、あんた。そんなんだから、母親にも命を狙われるんだな。ま、あんたとは血のつながりはねえらしいがよ」

 母親、という単語に、殿様が大きく反応し、きらりと殺意を瞳にきらめかせた。

「てめえ、あの女、……母上に頼まれたんだな!」

「今頃わかったか。もしかしなくても、巡礼中のあんたの命を狙うように仕向けてるのは、全部あの女狐の仕業さ。一番、あんたが死んで喜ぶのは、あの女だからな!」

 殿様は、思わず、立ち上がる。明らかに先ほどまでと態度が違っていた。

「それで、俺の後をつけてきたのか?」

「まさか。俺はただの伝令さ。神殿から王都に戻る途中で、念のため北路を通れって言われてるんだよ」

 刺客はそういってせせら笑う。

「お前が生きているなら、全員北路を通らせるんだったよな。見込み違いもいいところだったぜ」

「なんだと」

「特に、あんたの後見人のアルシールが、必死になって南路を探し回っていたから、てっきりあんたも遅れて南路に向かったんだと思っていたんでな。だから、他のやつは、お前の死体を捜して南路をさまよっているよ」

 殿様は、目を見開いた。

「まさか……」

「あのオヤジ、お前が死んだと思って半狂乱になっているらしいじゃないか。いよいよ覚悟して、私費で葬式の手配までしてるとさ。お前みたいなどこの馬の骨かもわからない若造によくやるぜ。ああ、一応王子サマだったんだっけ」

「だ、黙れ……!」

 殿様は、刀を振りかぶって切りかかるが、相手は難なくよけて殿様の左腕をつかんで引き倒した。その弾みで、顔を隠していた布がはがれ、殿様の口元が見えた。

 殿様は立ち上がろうとしたが、刺客に左腕を足で踏み込まれ、再び悲鳴を上げて悶絶した。そのまま刺客に足でぐりぐりと踏み込まれ、殿様の苦しげな呻きが聞こえてくる。

「なんだ、ふらふらじゃねえか。残念だな、あんたはやんごとない身分のわりにはそこそこ強いっていううわさだったのに。酒の飲みすぎか?」

「ちきしょう……!」

 殿様の手ががたがた震えているのがわかった。刺客は刀をもてあそびつつ、殿様を見下す。

「仕方ないよな。酒色にふけった罰だよな? かわいそうだが、死んでもらうぜ」

 刺客の口元が裂けるように広がる。 

「お前だって死にたいみたいなこと言ってたんだろ? だったらここで死んでおけばいいだろう。あのオヤジだって、お前がいないほうが楽なんだよ」

「っ……!」

 殿様が、歯を噛み締めたのがわかった。男は、剣を振りかぶる。 

「お前みたいな屑はな、死んだほうが世のためなんだよ!」

 その言葉を聞いた時、殿様の目が一瞬ギラリと光ったような気がした。

 男が剣を振り下ろした瞬間だった。すばやく殿様が剣を握りなおして跳ね上げた。

 きらりと砂漠のじりじりした太陽の光が散って、次の瞬間、彼の剣は相手の喉を正確に貫いていた。

 私は悲鳴をあげたかもしれない。あげていなかったかもしれない。ただ、その瞬間の記憶が、私から抜け落ちていた。

 気がつくと男は、倒れていた。そして、殿様は返り血を避けて、相手から離れ、砂の上に立っていた。

 はあはあと殿様の荒い息遣いが聞こえていた。私は、その異常な光景に身がすくんでしまっていた。

「畜生。反射的にやっちまった」

 殿様が、そうぽつりと呟いたのが聞こえたような気がする。

 殿様は、我に返ったのか、剣の血をぬぐい、すっと鞘に収めた。そして、私のほうを一瞥した。私は、体がすくんで声も出なかった。

 殿様は、苦笑した。

「軽蔑したけりゃしろよ。人殺しで悪かったな」

 殿様は、体をひきずるようにして歩き出す。私も、そこにいるわけには行かず、そろそろと歩き出した。

 そうだ、瑠璃蜘蛛との約束の場所にいかなくちゃ。私は、そう思って彼の後に続く。おそらく、殿様もそこに向かっているはずだった。

 気まずい沈黙が続く。殿様の足取りは、傍目から見てもわかるほど重い。それは、いつものように酔っているからではない。第一、今日は殿様は、酒をほとんど飲んでいなかったじゃないか。

「だ、だいじょうぶ、ですか?」

 私はようやくそう声をかけた。殿様の荒い息遣いが聞こえる。殿様は、質問には答えなかった。

 広場はもうすぐだ。もうすぐ。

 そう思いながら、動揺したまま足をすすめていると、ふと、

「シャシャ、ここにいたの?」

 後ろからそんな声が聞こえた。

 私が振り返ると、私を探していたらしい瑠璃蜘蛛が、息を切らせて立っていた。

「遅いから心配になって探しにきたのよ」

 相変わらず反応が薄いが、いくらか安堵した様子の彼女に、私は思わず抱きついた。

「どうしたの?」

 瑠璃蜘蛛は、歩みを止めた殿様の方を見やる。

「何かあったの?」

「なんでも、ねえよ」

 殿様は、苦しげにそう吐き捨てた。 

「ねえさま、あの、私たち、刺客に襲われたの」

 私が、そっと彼女に告げる。その声は、震えていて、うまく彼女に伝わったかどうか不安になるほどだった。

「刺客?」

 瑠璃蜘蛛は、そうききなおしたが、不意に殿様がそこに座り込んでしまったので、彼女は私をはなして殿様のほうに駆け寄った。

「どうしたの?」

「なんでも、ない……」

 そういいながら、殿様の額には脂汗が浮き出していた。

 口先でなんでもないといいながら、とてもそうは見えない状況に、緊張が走った。殿様は、左腕をかばうようにして呻いていた。私は瑠璃蜘蛛のそばに立ち、二人の様子を見ていた。

 瑠璃蜘蛛は、しゃがみこみ心配そうに彼に尋ねた。

「なんでもないわけないわ。怪我をしたの?」

「な、なんでもねえといっているだろう」

 殿様は、そういって突っぱねようとしていたが、瑠璃蜘蛛は殿様の左腕に触れた。殿様が短い呻きをもらす。本当は瑠璃蜘蛛の手を払いのけたかったようだが、今の彼にはそんな元気はなさそうだった。

「シャシャ、手伝って……」

「さ、触るな。なんでもないから」

 拒否する殿様を気にせず、無理に手をとり、瑠璃蜘蛛は私に殿様の手を固定させた。殿様の腕は燃えるように熱くなっていた。

 瑠璃蜘蛛は、黄金の腕輪に目を留めそれに触れた。途端、殿様が悲鳴を上げた。瑠璃蜘蛛は優しくそれをはずし、中にまかれている汚れた布をはずした。

 そこに深い切り傷があった。血は止まっているが傷口は膿んでおり、周りがはれ上がって熱をもっていた。それはあの宴の夜、刺客に襲われてついた傷に違いない。

 先ほど、刺客に集中的に攻撃されたこともあるのだろうか。殿様は、酷く痛そうにしている。

 瑠璃蜘蛛は、はっとして彼を見た。

「どうして何も言わなかったの?」

「ふ、言ったところで……、何になるって言うんだ」

 殿様は、見せたことのないようなあきらめたような表情を浮かべていた。

「どうせ、あいつらの刃には毒が塗ってあるんだよ。多少手当てしたところでどうにもならねえ。まあ、ここにきて効果がでてきたぐらいだとしたら、弱い毒だったみたいだけどな」

 殿様は荒い息で苦しげにつぶやいた。

「もっと即効性のやつを塗ってくればいいものを。へへ、おかげで、四日近く苦しんだぜ」

「旅の間、ずっとこうだったのね? 随分前から、高熱を出していたはずよ?」

 殿様は答えず、笑い出した。

「ふふふ、俺がここで古傷で死んだら、あいつの思うとおりじゃないか。そんな理由で死ぬなら、あいつも責任を問われることはないんだ」

 殿様が吐き捨てるように言った。

「……俺が何かしでかしたら、あいつが責任を取ることになっている。でも、直接俺を殺した所で、あいつは王族を殺した罪をかぶるだけだ。あいつが俺を殺して死ぬようなことだけは、ダメなんだ」

 殿様の声は、弱弱しかった。

「でも、旅先で暗殺されたなら、旅先で怪我をして怪我が悪化して死んだなら、それなら、別に誰が責任を取ることもなくなる。ただの事故として処理される。そうだよ、これは事故なんだ。俺が暗殺されても、全部事故や病死で済まされるんだ」

 殿様の声が、少し低くなり、自分を納得させるような口調になった。

「あなたは、死ぬつもりでこの旅に出たの?」

「あいつが、……あいつが、この旅の間に俺を殺す気があるのなら、素直に殺されてやろうと思った……」

 瑠璃蜘蛛の問いに、殿様は、初めて本音らしいものを漏らした。そして、自嘲的に笑った。

「でも、俺を狙ったのは結局、俺の継母だったらしいぜ。あいつは、俺を探して南路をさまよっているとよ。馬鹿正直なやつだ。俺が、このまま闇に葬られたほうが、あいつにとっては都合がいいのに……」

 殿様は、大きくため息をついた。

「ちっ、馬鹿馬鹿しい。まったく……」

 不意に殿様が苦しげに唸った。

「熱が上がっているわ」

 瑠璃蜘蛛が殿様を抱えあげて、私のほうをきっとみた。

「シャシャ、手伝って。宿に運ぶわ」

「俺のことは、もうほうっておいてくれ」

 瑠璃蜘蛛の言葉に間髪入れず、殿様が言った。

「これで、俺が死んでも自業自得だってこと、よくわかっただろう。ほうっておいてくれ」

「そうはいかないわ。だって、あなたが死んであげてもいいと思った人は、刺客の雇い主ではなかったんでしょう? 誤解だとわかったのなら、話は変わってくるではないの?」

「どの道手遅れだよ。それに、こんな所で俺にかまっていると、巡礼が遅れる。お前だって、それは困るだろ。だったら、ほうっていけよ」

 殿様は苦しげに息をつきつつ、右手で傷口を覆った。ふと彼は顔を上げ、左手の中指からつけている銀の指輪をはずし、瑠璃蜘蛛に押し付けた。

「それでも、俺をおいていけないというなら、王都に使いを飛ばせ。コレをもって俺が死に掛けているっていったら、誰か飛んでくるからよ」

「使いを?」

 瑠璃蜘蛛は怪訝そうに眉をひそめる。

「そうだ。これを役人にでも渡せば、後見人であるあいつに連絡が行く。そうすりゃ、俺を誰かが迎えに来る」

「本当に?」

「ああ、だから、いいだろう。気にせず、いっちまえば……」

 吐き捨てるようにいいかけた殿様は、急に驚いたように口をつぐんだ。

「どうしたの?」

 殿様は私を見て苦笑した。その額に、急にだらだらと冷や汗が流れはじめていた。突然、顔が真っ青になり、殿様の目から生気が掻き消えた。

「……へへ、みろよ。俺の、言った、とおり……」

 と、殿様は、いきなり苦しげにうめきながら、胸の辺りを押さえて倒れこんだ。

「どうしたの!?」

 瑠璃蜘蛛が慌てて彼を抱き起こす。殿様は、何かいったようだったが、ろれつが回らない様子で何をいったのかわからなかった。息がしづらいのか、喘ぎながら胸を押さえている。指がふるえだしていた。

「あ、さっきの……」

 私は、ふと殿様が林檎をかじっていたのを思い出した。あれは自分が露天商からもらったものだった。

「ねえさま、さっき林檎を……」

 私は説明しようとしたが、慌ててうまくいかない。

 しかし、瑠璃蜘蛛は、事態に気づいたらしかった。彼女は、殿様の目元をおおっている仮面の留め金を外して、取り払った。殿様の顔色は、蒼白になっていた。唇はすでに色を失くし、死相すら漂っているように見えた。

「しっかりして!」

 瑠璃蜘蛛は、自分が持っていた水を慌てて殿様に飲ませ、殿様の口に指を入れて食べたものを吐かせた。殿様は、ひとしきり吐いた後、何か言ったようだったが、相変わらず呂律が回らなくて、正確には、何を言っているのかわからない。ただ、もう助からないから、楽にしてくれ、というような意味のことを、うわごとのように口にしているらしかった。

「そんなこといわないで。大丈夫よ。お願いだから、気を確かにもって」

 そして、瑠璃蜘蛛は、吐き気が止まらないらしい殿様の背をさすりながら、私に目を走らせた。彼女が焦っているのをみたのは、後にも先にもこのときだけだったと思う。

「シャシャ、お願い。お医者様を呼んできて! 早く!」

 その言葉を聞いて、はじめて私は我に返り、中心街の方に駆けていった。

 どこをどうしたのか、覚えていないが、人に尋ねまわり、私がどうにか医者を一人捕まえてつれて戻ってきたとき、殿様はすでに正体がなかった。

 いつも身に着けている顔の布も仮面も取り払われた彼は、青い顔をした貧弱な青年でしかなく、生気がなくて、まるで死んでいるようだった。

 私は恐くなった。

 私が食べようとした林檎を代わりに殿様が食べたのだ。

 先ほどの、殿様の苦笑を私は思い出した。殿様は知っていたのだろうか、あれに毒が仕込まれていたのを。知っていたなら、どうして……。

 色んな思いが交錯する中、殿様は戸板に乗せられて宿まで運ばれていった。

 ほとんど死体のようにしか見えない殿様の、そばにつきそう瑠璃蜘蛛は、もういつもの冷たくそっけない無表情だった。まるで人形のようで、何の感情も感じられない。その光景は、なんだか異常な光景に思えた。

 そして、そんな彼女のその手に、殿様の銀の指輪と仮面が握られていた。


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