2:二日目

二日目:瑠璃蜘蛛-1

 次の日、寒くて目を覚ますと、すでに周りは明るくなりかけていた。

「あら、おはよう、シャシャ」

 声を掛けられて顔を上げると、瑠璃蜘蛛が側で座っていた。

 周囲は荒々しい岩場で、普段の楼閣の天井が見えるはずなので、一体どこにきてしまったのかと混乱しそうだったが、そのころに瑠璃蜘蛛が声をかけてくれたのは、よかったかもしれない。

 私は昨日のことを思い出した。どうやら、追っ手は、私達を見つけることができなかったらしい。そうわかってから、初めて岩の冷たさが身にしみて、私は身震いした。

 あらためてひょこりと顔をあげて周りを見てみても、岩だらけの砂の大地はどこともわからなかった。天幕を張っていた場所からは、そう遠くはないはずだろうけれど、皆目場所がわからない。

「こ、ここは?」

「昨日無我夢中で走ってきたからわからないわ。でも、道から外れてしまったようね」

 瑠璃蜘蛛が、冷静にそんなことをいう。

 私も、もっと混乱しても良かったと思うのだが、瑠璃蜘蛛のそんな様子を見ていると気が抜けてしまった。なんだろう、この人は。表情が豊かだった夕映えのねえさまの側にいたせいだろうか、まるで感情が伺えなくて、反応に困ってしまう。それなのに、彼女の持つ空気自体は、けしてとげとげしいものではなく、むしろほのぼのとした温かみを感じるぐらいなのだから、不思議な人だ。

「そろそろ、あの人も起こしてみようかしら」

 そういって、瑠璃蜘蛛は、少しはなれたところで剣を抱いたまま眠っている殿様のほうに足を運んだ。彼女が肩をさわって起こすまでもなく、殿様は自然に目をさまし、一瞬、瑠璃蜘蛛に鋭い視線を浴びせた。

 昨夜のことがあってか、殿様はまだ殺気立っているような気がする。

「起こしてしまったわね。まあ、どの道起こすつもりだったんだけど」

「何だ」

 殿様は、ぶっきらぼうに言った。

「いいえ、昨夜、ずいぶん遅くまで警戒していたようだけれど。動けるかしら」

「動ける?」

 いきなりそういわれて、殿様はきょとんとした。

「私もこの子も、ここがどこだかイマイチわからないの。でも、ここにいても仕方がないから、人のいるところにいかなければね」

「元の場所に戻ればいいだろう。昨日まっすぐ走ってきたはずだ。適当に行けば王都に戻れるだろう」

 殿様は、酒のせいで頭が痛いのか、額を押さえながらそういった。

「それが、そういうわけにはいかないわ」

 瑠璃蜘蛛は、少し息をついて続けた。

「襲撃がどうなったかはわからないんだけれど、、それほど敵の数も多くなかったようだから、撃退しているのではないかと思うの」

「それじゃあ、なおさらいいじゃねえか」

「だからダメなのよ。巡礼はきっちりと日程を組んで行われるわ。今日は二日目。昨日の夜襲撃があったなら予定を早めて、真夜中に町に移動していると思うわ。戻ったとしても、天幕はもうなくなっていると思うの」

 前にもこういうことがあったそうだからね、と瑠璃蜘蛛は付け加えた。

「それにね、私は乙女だし、この子も夕映えねえさんの侍女だわ。十日目までに神殿に行き着くことが出来なければ、お役目を果たさなかったという理由でお叱りをうけることになっているの。王都に戻るということは、お役目を放棄したとみなされてしまう」

「それで、なんだよ」

 殿様は、どうやら自分でもっていたらしい酒を取り出して、口に含みながら、鬱陶しそうに言った。

「あなたは夕映えねえさんの護衛だったわね。私とこの子を連れて本隊を追いかけてくれないかしら」

 唐突な瑠璃蜘蛛の言葉に、驚いたのは私だけではなかったらしい。黙りこんだ殿様に、瑠璃蜘蛛は言った。

「あなたもここにいても仕方がないでしょう? 一緒に神殿にいきましょう?」

 殿様は、仮面で表情が読みづらかったが、はっきりと困惑しているのがわかった。しばらく、無言に陥った殿様だったが、やがて、ふと思いついたように口をひらいた。

「行くといって、どこに行くつもりだ。神殿が西にあるのは知っているが、道はしっかりわかるのか?」

「太陽の方向から考えると、多分北のほうに逃げてきたのではないかと思うわ。ほら、あそこに町があるようだから、今日はあそこまで向かいましょう。それで地理関係がわかるはずよ」

 瑠璃蜘蛛はそういって北西を指差した。確かにそこに小さな町が見えている。殿様は、やや鬱陶しそうにしていたが、異論を挟むことはなかった。

「わかったよ。好きなようにしろよ」

 殿様はけだるげにそういうと、深くため息をついた。

 瑠璃蜘蛛の言うとおり、向こうにかすかに見えている町を目指して歩いていった。

 昼までには十分その町につくことができたが、そこでわかったのは、その町は本来巡礼のルートになっているものとは違うということだった。

 女神の神殿に巡礼するには二つの道がある。ひとつは南の宿場町を通るコース。こちらは、比較的安全で開けており、にぎやかで人通りが多かった。ここを通ると、いく先々で歓迎されるので、一行にも気が楽だった。

 もうひとつは北の宿場町を通るコースである。こちらは、どちらかというとさびしい道を通ることになり、それほど人通りも多くない。神殿には南路と同じく十日ほどで着くことができるが、最近はほとんど通られていない道だった。

 殿様が昨夜北の岩場を目指して逃げた為、私達は北路の町に程近い場所まできてしまったということだった。

 こうなると、いまさら南路に赴くのは難しい。それだけでも時間がかかるし、第一、私達は本隊から遅れているのだから、ますます遅れていってしまう。夜の間に本隊が出発しているのなら、今頃は一日目の宿の町についている頃だったが、そこにこの町から行こうとすると丸一日かかってしまう。

「仕方がないわ。北路を通りましょう」

 いとも簡単に瑠璃蜘蛛はそういう。私はそんな彼女に驚いた。

「いいのですか。そんなに簡単に決めてしまって」

「仕方がないわ。こういう事態だもの。それに、北の道のほうが本来の巡礼の道なのよ。南のほうが楽だし、安全な道だから、後になってそう変えられたの。だから、間違った方法ではないわ、きっと」

 瑠璃蜘蛛が、ほんの少し楽しそうな様子だったのは、私の気のせいでもないと思う。続けて、瑠璃蜘蛛は、北路も南路も道程は自分の頭の中に入っているから大丈夫だといった。

 今日は、とりあえずこの町にとまったほうがいいと瑠璃蜘蛛は言う。そもそもの道程でも、ここで一晩とまる予定であるらしい。

 その間に、旅の支度を整えるといって、瑠璃蜘蛛は、私と殿様を門の近くで待つように言うと、買い物に行ってしまった。

 私は、彼女の行動力にあきれていた。

 私の知っている乙女は夕映えのねえさまだけだ。妓女もせいぜい紅楼にいるものたちぐらいだったけれど、彼女達は、自分の身の回りの世話を私のような侍女に焼かせることが多かった。夕映えのねえさまは、裁縫もあまり得意でなかったし、家事や雑事に向いているとは思えなかった。おそらく、こういう風にいきなり町に放り出されてしまうと、どうやって買い物をしたらいいのかすらわからなくて、おろおろしているだろう。彼女達は隔絶された世界で生きているから、こういう世の中の常識的なことにはまったく無知だった。そういう意味では、深窓の令嬢と対して変わらない世間知らずな娘達なのだ。

 そう考えると、瑠璃蜘蛛は、そのあたりが何か俗世慣れしていて、しっかりしているようだった。彼女自身は、どちらかというと妓女や乙女の中でも、かなり浮世離れした印象の持ち主ではあったが、下働きでもしていたのだろうか。

 瑠璃蜘蛛の言うとおり、私は門のところで待っていた。

 華やかだった祭りの日の王都と違って、この町は落ち着いた印象だった。

 市が開かれていて、商人たちが呼び込んでいるのも、どこかおっとりとして日常的な印象だった。私はあまりそういうところに触れたことはないので、なんとなく興味深かった。

 街をみていると、ふと夕映えのねえさまのことが気がかりになった。瑠璃蜘蛛は、本隊は無事だろうから大丈夫だと慰めてくれたけれど、とても心配だった。ねえさまは怪我をしていないだろうか。私の心に、昨日のはしゃいだ様子のねえさまのすがたが思い浮かんだ。そして、少し寂しくなった。

 一方で、一緒に待っているようにといわれた殿様だったが、彼は瑠璃蜘蛛が買い物にいくのと同時に、どこかにふらふらいってしまっていた。私はそっちのほうが都合が良かった。殿様と二人っきりずっと一緒だと思うと、暗い気分になってしまう。

 どれだけそうしていただろうか。ふらりと殿様が戻ってきた。その時には、すでに殿様は新しい酒瓶を抱えていた。すでにかなり飲んでいるらしく、例のとおり、顔色が悪かった。

 思えば、日の光の下で殿様の姿を見るのは初めてだったが、あの紅楼でともし火に照らされて、どこか淫靡な気配をただよわせていた彼と違い、ずいぶん貧相に見えた。相変わらず仮面で目元を、口元を絹の布でかくしていたが、その布の下でひねくれた笑みを浮かべているのは想像がついた。

「ふふん、あの女はまだ戻ってないのかよ」

 殿様は、私を見ると開口一番そういった。

「まあ、お前にとっては良かったよな。俺は酒を買うぐらいの金しかもってきてないが、あの女、結構金をもってきているようじゃないか。良かったな、あの女が一緒にいて」

 酒のにおいがして、私が顔をしかめたのがわかったのだろうか。殿様は、ふふんとあざ笑った。

「つくづくかわいくねえ餓鬼だな。お前は。夕映えの側にいるときから、俺のことが嫌いだったろう? ええ? 言わなくてもわかるぜ。お前の目をみていればな!」

 殿様は、絡むような口調になると、私をじっと見た。私は恐くなって彼から目をそらす。それをみて、殿様はくすくすと笑い出した。

「お前を見ていると、あることを思い出すぜ」

 殿様が笑いを収めてつぶやいた。

「昔、俺を怖いといって逃げた娘のことをな。お前と同じ目をしていたよ。お前、俺が怖いんだろう」

 私が思わずぞっとしたのを感づいてか、殿様は笑った。

「せいぜい、怖がるがいいぜ。今からも、俺のせいでお前らもひでえ目にあうだろうからよ」

 そういうのをきいて、私はむっとして彼をにらんだ。

「どういう意味ですか」

「昨夜のは、夜盗なんかじゃない。俺を殺しにきた連中だ。もしかしたら、今も後をつけてきているかもしれない」

 殿様はそういって、酒を口に含むと、あははははと笑い出す。

「色んなやつが俺を殺そうとしているんだろ。王都からでりゃそうなるのはわかってたんだ。昨日は誰の仕業かな。あの堅物のオヤジの仕業かもしれねえしな」

 殿様の言った人物が誰であるか、ぴんときて、私はふと呟いた。 

「あのおじさん」

 殿様は、にやりとしたようだった。

「ふん、あの日の夜、立ち聞きしてたのかよ。いやな奴だ。そうかもな、俺にとうとう愛想をつかしたのかもな。……あいつが一言死ねといえば死んでやるのに、回りくどいことしやがって」

「あのおじさんは、そんなことをしないと思います。だって、あのひと、泣いていました」

 私がそういうと、「ああ、知ってるよ」と、 殿様は、冷たく言った。

「お前みたいな餓鬼にはわからねえよ」

 殿様はそう私を突き放すと、急に黙り込んだ。強気な言葉と裏腹に殿様は一瞬苦しげな表情をしたような気がした。

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