第7話 嘘つき。
時計の針が動く音が部屋に響く。その音に二人のシャーペンを走らせる音が絡み合う。
こんな時間をもう二時間も過ごしていた。今の時間を確認しようと時計に目をやると、十二時過ぎなのを教えてくれた。
幸いというか、嬉しいことにというか。今までの時間僕は割と集中して過ごし、なんと数学の課題を半分も終わらせていた。とは言っても今までの問題は全て基礎問題で、後半からは応用問題に入る。
僕はあまり頭を柔軟に動かすことができない。なので色々と考えるこの応用問題が一番苦手なのだ。
一応、応用問題に手を出してみるがこれっぽっちも分からずに、二時間持っていたシャーペンを机の上に置いた。
僕以上に集中していた雪葉もその音で我に帰り、時計を見る。そしてもう一度自分の問題を見て、机にシャーペンを置いた。
ふぅ、とため息を着くと、僕の方を見てにっこり笑う。
「お昼にしよっか。」
その言葉に僕は賛成の意を示す。「ちょっと待っててね」と言われ、僕は大人しくそれに従った。そういえばまだゲームをログインしていないことに気づき、スマホの電源を入れる。
適当にゲームをしながら待っていること十数分。階段を上がる音がして、僕はスマホを床に置いた。音が大きくなってきた頃、僕は立ち上がって雪葉と階段を繋ぐ扉を開く。ガチャと、音を鳴らしながら開けると、目の前には料理ののったお盆を持っている雪葉がいた。
「ナイスタイミング! 」
と、雪葉は笑う。「そりゃよかった」なんて適当に返し、雪葉が部屋に入るのを扉を抑えて待った。
雪葉が部屋に入って、教材が片付いたテーブルにお盆を置いたのを確認してから扉を閉める。
雪葉の目の前に座ると、雪葉はお盆から昼飯をとった。
いい香りがするなと思っていたが、その正体はチャーハンだった。卵が絡んだご飯は、油がキラキラと輝き、色とりどりの具材の匂いが混ざり合って、食欲をそそる。
すると、チャーハンの横にもう一つ器を置いた。不思議に思って何が入っているのか覗いて見るとそこには、お茶が入っていた。
驚いて雪葉の方を向くと、雪葉は少し怒っているように見える。
「永遠くん、本当は炭酸苦手でしょ」
その言葉に体が動く。なぜバレたんだ。
「見れば分かるよ。永遠くん、一回しか飲んでなかったし。私に嘘ついてもお見通しなんだから。」
雪葉の方をあまり見られない。『苦手』なんて言って雪葉の手を煩わせてしまいたくなかったのだ。すると雪葉は僕の方をじっと見ながら少し目を細めた。
「——嘘つき。」
その言葉に耐えきれなくなり、僕は本当のことを話す。
雪葉はそれを静かに聞いていた。最後に「ごめん」ともう一度謝ると、雪葉はため息をした後、優しく微笑んだ。
「分かってる。永遠くんのことだからどうせ優しいから、つい、嘘ついたんだろうなって。でもこれからは隠し事なしだからね?」
僕は彼女の怒った顔に反省し、分かったと返事をした。
僕の顔に反省の二文字が書いてあったのか、雪葉はニコッと笑みを零す。
「それじゃあ食べよっか。」
それから二人で手を合わせてから、一緒にチャーハンを頬張る。
ごま油の香ばしい香りが鼻から抜けていく。具材達も、きちんと食感を残していて食べていて飽きない食感だ。
この味なら、料理屋でも出せるレベルだなと雪葉を称えながらパクパクと食べ進める。
食欲が満たされていくのを感じながら、僕はあっという間に完食した。
ふと、彼女との出会いを思い返してみると、一つの疑問が浮かんだ。
前々からずっと思っていたが、どうして雪葉は僕のことをなんでも分かってしまうのだろうか。
雪葉と出会ったのはまだ数日前のはずなのに。
そんなモヤモヤを残しながら僕はもう一度手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
お昼を食べ終わり、また勉強を始める。驚くことに、僕は課題の半分を片付けることに成功した。分からないところは全部雪葉が教えてくれたのだ。
聞くと、雪葉が通っているのは進学校らしい。
僕よりも頭のいい雪葉には、僕の課題なんてすぐに解けてしまうのだ。
そのせいか。雪葉がずる賢いのは。そんなことを考えると少し笑ってしまう。
ただ、そんな彼女に付き合う僕も相当頭が悪いのだな、なんて思いながら一緒に時を過ごす。
再び時計を見た時にはもう六時を回っていた。
こんなに集中して勉強したのは初めてだ。課題をまとめて、バックの中にしまう。
「もうそろそろ帰ろうかな」
僕が立ち上がると、「なら送るね」と言って雪葉も立ち上がった。流石に女の子にそんなことをさせられないので断ったけど。
『送る』としつこい彼女を何度も断る。すると「そういう時だけ意地っ張りなんだから。」と少しご機嫌斜めのようだ。
「じゃあ玄関までは!」
まぁ、そこまでならと、僕もお願いする。すると少しだけ機嫌が戻ったのか、今度は笑顔で「うん! 」と答えた。
「じゃあ、お邪魔しました」
靴を履き、コートを羽織る。課題が入ったバックを肩にかけて、雪葉の方を向いた。
「気を付けてね。家に着いたらちゃんと連絡するんだよ。」
その言い方がまるでお母さんみたいで少し笑う。「あ、笑った!」と雪葉が指を指したので咳払いをした。なんか少し恥ずかしい。
「笑ってない」
と言っても「嘘だぁー、顔赤いよ?」なんてからかってくる。
毎日のように彼女が作るこの意地悪な笑みが僕は案外気に入ってしまった。
「いいから帰るね」と、ドアを開ける。外は闇が覆い、寒気が襲ってきた。肩を震わせながら吐いた息が、街灯に照らされ白くなる。
雪葉と僕を区切るドアを閉めようとしたとき、雪葉が「永遠くん!」と僕を呼び止めた。雪葉の方を見ると、
「また明日ね!」
と、ピースしていた。釣られて僕もピース。
普段こんなことはしないから恥ずかしかったけれど、『また明日』という言葉がはがゆくて、でも少し嬉しくて。
帰り道は自転車を漕ぎながら『明日はなんの話をしよう』なんて浮かれ気分だった。
心がふわふわしていて、こんな感覚は今まで味わったことがない。心に抱くそれがなんなのか、分かるのはもう少し先の話になりそうだ。
夜はいつもより早めに布団に入った。気が付くと今日、そして今までの雪葉を思い返していた。
こんな子には、今まで会ったことがない。振り回されながらも僕の隣に居てくれる彼女が少しだけ心地よいと思った。
はやく明日にならないか、なんて子供じみたことを思ったのはいつぶりだろう。
他の人とは違う雪葉の笑顔を思い浮かべながら僕は夢の世界に入っていった。
✿
時計が進む。カチッという音と共に二十七日を迎えた。
今、私はここにいるのだろうか。ちゃんと永遠くんが知っている『雪葉』なのだろうか。
もしかしたらもう私はここにはいないのかもしれない。
そんなことを考えていると、誰かが私に問う。それに私は微笑んだ。
「もちろん。この未来は変えられない。私はそれを受け入れてきた。それに……そう望んだのは貴方でしょ?」
また声がする。私は頷いた。この夜の景色はずっと私の中に残っている。だから怖くない。きっと永遠くんはなんのことか、分からないだろう。
「でも、そうだな。たまには少し意地悪しようかな。」
それは初めての抗い。これで結末が変わるわけじゃないし、私はこの結末を受け入れている。
でももし、彼が何かを変えてくれるのなら。
「桜、二人でみたいな。」
窓の外から光が差し込む。月光は私の顔を窓に反射させた。
願い事とは裏腹に希望の無い瞳。自分自身を見つめながら、少しだけ笑みを零した。
そして、微笑んでいる自分の姿を見て安堵のため息を漏らす。
大丈夫、私はまだ笑えてる。希望が無くても、未来が無くても、まだ笑顔を見せる事は、出来る。
こんな癖、付けたくて付けたわけじゃない。
私が、私という小さな世界で生き残る為に身に付けた、言わば戦利品だ。
こんな小さな事が戦ってきた証だなんて、どうにも笑えてくるけれど。
夜の闇にポツリと浮かぶ白い月。
昔、月には二匹の兎が餅つきをしているなんて言われていたけれど、今もその兎達は仲良くしているのだろうか。
兎は寂しいと死んでしまうと言うから、仲良くしていなければ、朽ち果てているかもしれない。
最初に一匹が死んで、それを悲しみ、自分自身すらも恨んだもう一匹が後を追う。
そんな事を想像した私は、どうか死ぬのは一匹だけであって欲しいと思った。
そして、その一匹は……。
ふと、頭に浮かんだのは見た事も無い情景。
満開の桜の下で、彼と共に笑い合うことが出来たのなら、どれだけ幸せだろう。
——けれど、私は知っている。
そんな浮かれた願いを、神様が許してはくれない事を。
空がこの世界よりも遥か先まで続いているとしても。
別の世界で、もう一度君に会えたとしても。
桜が咲く時に私は君の隣に居ないと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます