第5話 メリークリスマス
ピピピ、ピピピ。
枕元に置いてあるスマートフォンから響いてきたのは、五月蝿いモーニングコール。
現実と夢の狭間で揺らいでいた意識を、完全に現実へと引き戻す最悪なアラームを、寝ぼけ眼で消した。
今日はクリスマスだ。そんな認識をしてから体を起こす。いつもより体が重い。
はぁ、とため息をつくとその後には沈黙が襲ってきた。
あれやこれやと考えていると、あっという間に時間が過ぎ去りそうだったので、とりあえず地面に足を着ける。
……起きよう。
そういえば、これっぽっちも関係ないけれど『起きる』の定義って何なのだろうか。
『目を開けたら』と言う人もいれば、『体を起こしたら』という人もいる。中には『ご飯を食べたら』なんて人も。
人によって考え方は違うのは昔からそうだ。
むしろ自分の考えを押し付ける人の方が差別されやすいのかもしれない。
人の価値観をそれぞれ知る、というのは割と大切なのだろう。だからこそ、この世界には討論なんてものがあるのだ。
なら、きっといつかは『起きるの定義とは』なんて議題で討論が始まることを祈ろう。
階段を降りて、テレビをつけながらそんな事を考える。
今日一番どうでもいいことから、意識を切り離してテレビの画面を見ると、『クリスマス! 恋人達必見! イルミネーション特集! 』がやっていた。
くそぉ。せっかく忘れようとしてたのに。起きることから素晴らしい教えを得たのだぞ。僕を褒めろ。
リポーターが厚手のコートを着ながら、街ゆく人達に声をかける。
『今日の予定とかあるんですかー?』
リポーターの爽やかな声に、マイクを向けられたカップルが嬉しそうににやけながら答えていた。
幸せそうな間抜け面を全国放送で発信されている、画面の中のカップルに『ご愁傷さま』と心の中で呟いた。
どうせ、こんなイチャコラしているカップルに限ってすぐに別れるのだ。
数年後には最悪な黒歴史となっているだろう。
しかも今の時代、ネットで晒される事なんてざらにある。ネットで自分の元恋人と仲睦まじげに話す姿に羞恥心を覚えるに違いない。
そう考えると、少しは寛容な心を持てるというものだ。
冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐ。
ごくごくと、清々しい一気飲みをすると、そのままテレビの前に移動する。
テレビの画面には二時三十分の表記があった。幸い約束は四時三十分なので、まだ時間に余裕がある。
まだソファーとくっついていたいと嘆く腰を無理やり上げて、私服へとチェンジする。特にこだわりポイントもない、普段の服。
準備をするのにさほど時間もかからないまま、玄関へと足を動かした。
靴紐を結びながら、またため息を漏らす。
「さてと。行くか。」
憂鬱なまま、外への扉を開ける。外は快晴。クリスマスデート日和だ。
雨でも降っていたら中止になる確率も高かったかもしてないのに。
神様がいるなら一回はぶん殴ってやりたいと思った。……多分バチが当たるからやっぱりやめよう。
はぁ、と本日三度目のため息を合図に一歩を踏み出した。
向かう先は彼女との待ち合わせ場所、駅前。
正直、人が多い所は嫌だったのだが、昨日のLINEで『女の子は駅前の待ち合わせに憧れてるの』なんていう、意味の分からない言い訳をされてしまった。
本当に意味が分からない。
しかもそれだけではなく、『いい? 明日はデートなんだからね? 忘れないよーに!』と続けて送られてきた。
まぁデートではないと思ったのだけど、反論する気もなかった。
むしろ反論すれば、そこから長文のメールが送られてくるのだと想像すると、この時の僕の選択は間違っていなかったと思う。
十五分程で駅前につく。予想通り駅前は人で溢れかえっていた。
カップルは勿論、家族連れも割と多かったのは意外だ。
「クリスマスケーキ、如何ですかー? 」
人混みに酔いそうになりながら、遠くの方で聞こえてきた『クリスマス』というか単語。
なぜ人はクリスマスを楽しむのだろうか。
いつもならそこから妄想癖が始まる所だったが、今日は違った。
コートのポケットから手を出して目線を下げる。
雪葉との待ち合わせまで後一時間四十五分。一度スマホで時間を確認したあと、再び僕は歩き出した。
「……さっむ。人多いし、吐きそう。」
気づけば待ち合わせ時間まであと、十五分。
あたりは夕闇が襲い、駅前は煌びやかな光に包まれていた。
待ち合わせ場所は、駅前を飾る大きな木の下。
多くの人がライトアップされた木の下で和気あいあいと、楽しそうに笑い合う。
クリスマス独特の鐘の音が駅前に響き渡り、ムードを盛り上げていた。
そんな雰囲気に流されながら、足元が浮いた気持ちでいると、カツカツと音を立てながら僕の方へと走ってくる人影を発見。
「……くーん! 」
前方から、大きく手を振り上げるその姿に僕の胸がドキッと反応する。
微かに聞き取れたその声は間違いなく彼女だった。
「ごめん! 待ったよね? 」
赤と白を基調とした統一感のある服に白いイヤリングと、赤の髪飾り。髪は編み込みがしてある。
僕の為に走ってきたからか、首筋には汗の雫がキラリと輝いていた。
こんな事を僕が言っていいのか分からないけれど、今日の雪葉はあまりにも魅力だろうと思う。
雪葉の全身からほのかに甘い香りが漂って、僕の思考を完全に鈍らせる。
だから、かもしれない。これは、こればかりは認めざるを得ない。
——あぁ、これはデートだ。
「いや、待ってない。」
気のせいだろうか。なんか少し熱い気がする。耳とか顔とか。それに、なぜだか雪葉を直視できない。
「そっか。よかったぁ。」
きっと雪葉が走ってきたせいで顔が赤いから。それが僕にも移ったんだ。
僕と目を合わせると、手を胸に当てて笑う。
その笑顔が僕の心不覚にもをドキッとさせた。
飛び跳ねる心臓は、そのまま僕の体をすり抜けてしまうのでは無いかとさえ思う。
「あっ! そうだ! 」
何かを思い出したように手を叩くと、僕の方をじっと見つめる。鼓動が早くなるのを感じながら僕も雪葉と目を合わせた。
「メリークリスマス! 」
薄暗い紫色の空の下。色とりどりの光が混ざり合って彼女の頬を照らす。
彼女の飛び切りの笑顔は、この先一生忘れる事はないだろう。
並ぶ二つの背中は一昨日よりも近づいているように見えた。
街を歩き、イルミネーションを見て笑い合う。
気になるお店があったら一緒に入って、『これ可愛いね』なんて笑い合ってから店を出る。そしてたわいのない話をして二人で歩く。
今までの僕になら体験出来ない話だ。終業式のときも『お前またクリぼっちか』なんていじらてたものだ。そしてそいつに言いたい。
今、僕は、女の子とクリスマスをたのしんでいる!
少しだけ勝った気がして高笑いをしたくなる。でも隣を見ると昨日よりも大人びた雪葉がいて、笑うのはやめた。
時刻は七時過ぎ。もうそろそろこのデートも終わりが近づいていた。
辺りを見渡すと、僕達と同じか、それより少し大人のカップルが腕を組み、幸せそうに微笑んでいる。
——僕達もその一人に見えるのだろうか。
沢山の店をみて、食べ歩きして。たわいのないことかもしれないけど、僕にとっては大切な時間だった。
別れるのが名残惜しなんて初めてだ。
感じたこともないふわふわした感覚に、なんだか息が詰まりそうになる。
あぁ、でもその前に。僕にはやるべき事があるんだ。
はぁ、と息をはく。白い息は一瞬で消え、僕は意を決して立ち止まる。
「あ、あの、さ!」
数歩先を歩く雪葉がくるりと振り返った。下ろしている髪がふわっとなびき、華やかな香りが鼻を擽った。イルミネーションの明かりで雪葉の肌が照らされる。
顔が熱い。拒絶とかされたらどうしよう、なんて考えてる。
もしかして要らないと言われるかもしれない。可愛くないとガッカリされるかもしれない。
思考は嫌な方にばかり傾いて、僕の勇気を奪い取る。
「ん?」と首を傾げる雪葉をみて途端に声が出なくなった。
言葉が詰まる変わりに心臓の高鳴りは増していく。
でも言うんだ、ちゃんと。男を見せるんだ、僕!
コートのポケットに突っ込んだ手からじわりと汗を滲ませる。
震える唇でゆっくり息を吸ってから、雪葉の方を見た。
「こ、これ……」
そう言ってコートのポケットから取り出したのは、包装された袋だった。ピンク色の紙袋。それを雪葉の手に渡す。彼女の手のひらに収まった袋を見て、雪葉は一瞬驚いた顔をしてから笑った。
「開けていい?」
その質問に頷く。雪葉はバックが落ちないように、一度肩にかけてからリボンをほどいた。
心臓の音が響く。雪葉の指先が動く度に音の大きさは増していった。雪葉の反応が怖くて、目をつぶる。その間にも、心臓の高鳴りは続いていた。
「うわぁ!」
その声と同時に目を開く。雪葉の手にはリボンを付けたクマのキーホルダーがぶら下がっていた。乾いた瞳で雪葉の顔を見上げると、瞳をキラキラさせていた。
これは喜んで貰えてる……のか?
雪葉はキーホルダーを手でぎゅっと包み込んだ。胸に手をあて、顔を赤くしながら微笑んでいる。まるで幸せを噛み締めているかのように。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
急に僕と目線をあわせ、にっこり笑いかける。
僕は少し戸惑いながらも「お、おう……」と、相槌をした。情けない声で。
雪葉はキーホルダーを持ちながらくるくる回っていた。「どこにつけようかなー」なんて言いながらキーホルダーのクマと目を合わせる。
幸せそうな笑い声が耳に響いていた。
その無邪気な子供みたいな笑顔に、僕の心は和んでいく。
今日、勇気を出せて良かった。逃げないで、良かった。
今までにないくらいの幸福に満ちた感情が押し寄せてくる。
雪葉が動く度スカートは踊り、照らすライトは色を変える。
まるで世界中が今日という日を祝福している様に。
そういえば、初めてかもしれない。クリスマスがこんなにも楽しい物だと思ったのは。
雪葉は僕に色々な事を教えてくれる。思い出も感情も、全部初めてな事だらけだ。
でも、彼女と一緒なら別に嫌では無い。
そう思わせるくらいに、彼女の喜ぶ横顔が美しくて。
振り返る姿に胸を打たれる。
多分そんなに長くそうしていた訳では無い。
でもこの時、確かに僕はその笑顔をずっと見たいって思っていた。
笑顔の彼女を見ると、僕も嬉しい気持ちになる。
彼女の隣が居心地良いと感じる。
彼女の事をもっと知りたいと思う。
—— そんな永遠なんてないのに。
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