第164話 迎撃、戦闘前夜その3

 ラーゲ草原、草原からバレイロス平原まで望める未開の森林の浅い茂みでじっと腕組みをして仁王立ちするセージ・ニコラーエフはいた。

 彼の傍らには護衛の黒騎兵が二人立ち、一人は携帯用の小振りな望遠鏡を覗き込んで完成したばかりの丘のキャンプからカモフラージュされた手前の平野の塹壕帯、それからバレイロス平原へと視線をぐるりと移していく。

 バレイロス平原、上空。

 一つの鳥に似た影はゆっくりと大きく旋回して地上を監視する。

 セージの先妻、ハーピーのラーラだ。

 弓も届かない高空から地上を監視していたラーラは南から街道を外れて北上してくる三騎の影を見つけて、その動きの不自然さを訝しんで追撃される様子もない事から安全性はあると判断して三騎目掛けて降下して行った。

 左右に僅かに揺れるように駆ける馬はどう見ても人に手綱を握られているように見えないが、その背には確かにエッソス家の兵士が乗っているようにも見える。

 低空を滑空して近付き、後ろを走る二騎の兵士はロープで不自然な態勢のまま固定されており、首が無くなってるのに気付いた。

 馬の鞍に頭一つ入りそうな革袋が吊るされていて嫌な予感がぎる。


(男爵様は使者とは困難な任務だと仰っていたけれど・・・)


 先頭の一騎は自力で馬にしがみ付いている様子だが、手綱を操ってはいない。

 並走するように飛翔してラーラが声を掛けた。


「兵隊さんっ、兵隊さん? 大丈夫ですか?」


「う・・・ぅぅ・・・」


 上の空でラーラを力無く見つめ、弱々しく口を開く。


「お・・・奥方殿・・・」


(大変、もう力尽きる寸前だわ・・・)


 ラーラは先頭の騎馬の前に躍り出ると、馬に向かって人語と鳥語で語りかけた。


「みんな、私について来なさい! キューキュッ、チチチチチ!」


 馬は言葉こそ話せないものの高い知性を持つ動物であり、すぐにラーラの意図を理解して真っ直ぐに追走を始める。

 ラーラは規則的に左右に身体を揺らすように三騎を先導して低空を飛び続けた。





 再びセージが潜む森の茂みの中。

 望遠鏡で監視し続ける黒騎兵がセージを振り向く。


「総隊長、上空に偵察に出ていた奥方殿が使者達の馬を先導して低空を戻ってきます」


「ラーラが?」


 セージが屈んだ姿勢の黒騎兵が振り向き望遠鏡を差し出し右手で受け取ると、遠く街道の南に望遠鏡を向け、ラーラが騎馬を先導して丘の上のキャンプに向かっているのを確認した。


「ラーラ・・・。何かあったのか」


 踵を返して背後の茂みに隠した馬の元へ大股に歩いて行くセージ。


「ゼルジュ、監視を続けろ。エバンズ、着いてこい」


「「了解」」


 セージは黒い大きな馬に跨がる。配下のエバンズも続いて茶色の馬に跨がり、彼等は手綱を操って丘を目指した。





 丘の上のキャンプには、黒騎兵が五人待機していた。

 セージが兵を伴ってキャンプに向かってくるのを見つけて整列した時、同時にハーピーに先導されてキャンプに上がってくる三騎の騎馬にも気付き訝しむ。

 やがて双方がキャンプに入ると、二名の兵士が既に殺されていることを受け、黒騎兵達は協力して待機場に使うテントに使者の兵達を運び込んで地面にそっと横たえた。

 唯一の生き残りも胸当てブレストアーマーを大きく切り裂かれて胸に致命傷を負った兵士が残念そうに黒騎兵達に見守られる中、酷く傷付いた表情で見下ろしてくれるセージとラーラを見上げて震える唇で弱々しく声を上げる。


「せ、セージ殿・・・奥方殿・・・」


「誰にやられた」


 低く、力強い声で静かに問いかけるセージ。

 エッソス家の兵士は左手の革手袋レザーガードを脱ぐと手指を、左手の人差し指に嵌められた赤いガラス玉の装飾を施された指輪を見せて、セージはガラス玉の中に刻まれた細かな魔法陣を見てすぐに気付いた。


 遠き音アプレイザルの鑑定オブファーサウンド


 離れた場所の音を取り出し、内容を聞き取る魔法だ。


「貴様・・・」


「交渉は・・・始めから、期待されて、おりませんでした。・・・御領主様は・・・」


 虚な目で虚空を見つめ、セージの手を強く握りしめる。


「ファーレン・・・ベイルン、の、・・・目的は・・・、エッソス領コラキア、一帯の、・・・支配と・・・、姫様の・・・利用・・・」


 激しく咳き込み、吐血を吐くが、誰も止めようとはしない。

 風前の灯火で伝え残そうと力を振り絞る戦士の声を、一語一句聴き逃すまいとじっと聞き入っていた。


「ベイルン伯、は・・・、王家に、入り込む、ために・・・アニ、アス、を、・・・利用・・・しようと・・・しています・・・。ゴホッゴホッ!! ・・・金髪、褐色肌であれば・・・血筋は・・・問わんのです・・・。ゴッカハッ!」


「もういいわ! もう良いじゃない、楽にさせてあげて!」


 苦しむ兵士を見てラーラが悲痛な声を上げるが、セージは何も言わず右手を上げて合図に気付いた黒騎兵が一人立ち上がって彼女の両肩を抱いて外へと引っ張って行った。


「ちょっと! 何をするの!? セージ! やめて!? もう酷いことを続けないで!!」


「知ったふうな口を効くな。使命を全うさせろ」


「もう十分苦しんだわ! 終わらせてあげて!?」引っ張る黒騎兵の顔を睨み上げる「離しなさい、何をするの!? 苦しんでいるのよ!? あなた達に心は無いの!? 離しなさい!!」


 黒騎兵は聞く耳を持たずにラーラをテントの外に連れ出してしまった。

 セージ達が瀕死の兵士に視線を戻すと、兵士は虚な目でセージの顔を探しながら声のした方をなんとなく見上げて続ける。


「ベイルン伯は・・・権力を、得るために、我らが御領主を、足蹴にしようとしているのです・・・。サーラーナの巫女は・・・王権争いで・・・命を奪われる、と・・・」


「何が言いたい」


「アニアスは・・・確かに・・・第一王女・・・。伯爵は、気付いてしまった・・・。セージ・・・アニアスを・・・・・・」


 呼吸が浅くなり、遠くなると声も吐息が漏れるように小さくなり聞き取れなくなっていく。

 重く感じているはずの右手も掻きむしるように宙を泳がせてセージの腕を掴んで登るように無い力で全力で引っ張って最後の力を振り絞って言った。


「ノアキア男爵閣下に、長く使えてきた!! ファーレン・ベイルンは敵だ!! 姫様をずっと隠してきた! 今更! 今更政争の道具になど!! させてはならない!! セージ・ニコラーエフ!!」


 セージの腕を掴む腕が急激に力が抜けていく。

 しがみ付いていられなくなり、徐々に腕が落ちて行った。


「セージ・・・姫様を・・・渡してはならない・・・姫・・・さまを・・・・・・」


 遂に力尽き、腕が地に落ちると虚な目が完全に光を失い、瞳孔が大きく開いていく。

 セージがベテランの兵士の目に右手を添えて瞼を閉じさせると、見守っていた黒騎兵達は静かに黙祷をして死者を弔った。

 セージが息を引き取った兵士を地に静かに寝かせると、ゆるりと立ち上がって宣言する。


「ファーレン・ベイルンは敵だ。敵兵が如何程いようと、叩き潰せ。力を手放さぬ者共は容赦するな、ブチ殺せ」


「「「「「我らの敵を討て!」」」」」


「ノアキア男爵は恩人だ」


「「「「「応!」」」」」


「権力に溺れたクズを忘れるな」


 黒騎兵の一人が一歩前に出て声を荒らげる。


「ナターリア皇女を忘れない!」


 セージは鋭く兵士を睨みつけるようにして低い声で絞り出すように言った。


「権力に溺れた王侯貴族はクソだ。クソに引導を渡せ」


「「「「「叩き潰します!!」」」」」


 ナターリア皇女の名を出した兵士の右肩をセージが力強く右手で掴んだ後、宥めるように二度叩き、命を奪われた兵士達に背を向けると彼に従ってテントを後にする。

 テントから離れた場所で、人の死を直視して衝撃を受けて怯えるハーピーにセージはそっと歩み寄ってそのか弱い肩を抱き締め、その耳元にそっと囁きかかけた。


「戦闘は避けられない。町に戻ってくれ」

「私が邪魔?」

「そうだ」

「あの兵隊さんは死んだのでしょう?」

「そうだ」

「あなたを置いていけというの?」

「俺も理不尽に人の命を奪わなきゃならん。これは戦争なんだ」

「あなたも死ぬかもしれないのよ!?」

「黙って行かせても殺される者は出てくる。魔物であるお前や娘達がどうなるかわからん」

「どうしても戦闘を避けられないの?」

「奴らの目的が領土の獲得とアニアスである以上、どんな屁理屈を唱えてでも攻撃をやめやしない。・・・俺がアニアスを救わなければ、こんな戦にはならなかったかも知れないがな」


 ラーラもまた、大きな翼をセージの背中に回してギュッと抱き締める。


「もう私ではあなたの力になれないのね」


「あとは敵を待つだけだ」


「戻って来てくれるわよね?」


「当然だろう」


 ラーラを抱き締める力を緩めると、僅か身体を離して唇を重ねるセージ。

 しばらく互いに舌を絡ませてから見つめ合い、セージが優しく囁いた。


「娘達を頼むぞ」

「レナ達もね」

「そうだな」

「待ってるわ。アニアスも」

「わかっている。必ず戻る」

「きっとよ・・・」


 もう一度力を込めて抱き合うと、ラーラはさっと身を離して踵を返し大きくはばたきながら駆け出して大空へと舞い上がって行った。

 離れて見守っていた黒騎兵達に向き直って声を上げる。


「南の森に隠れる本隊が本命だが、遠慮をする必要はない。容赦はするな。戦闘準備だ!」


「「「「「応さ!!」」」」」


 黒騎兵達は右手の拳で三度胸を叩き、黒騎兵式の敬礼をして応える。

 敵を待ち伏せるため、それぞれの配置に身を隠し、セージは連れて来た兵と共に馬に跨ると森の待機場へと戻るために手綱を操り駆けて行った。




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