第28話 メタリカ
教授が書いた5000円の教科書買わされるの納得いかないんですよー、とか小宮山さんに愚痴りながら部室のドアを開けると、あほの藤田くんが陰気な顔でPCデスクに座っていた。分厚いコートを着たままだ。
「暑くないの?」と小宮山さんが眉をひそめる。今日の小宮山さんは36歳。セントフォース所属の中堅タレントのような雰囲気だ。インスタにジム通いの報告ばっかしてそう。知らんけど。
藤田くんは「そういえば暑い」と間抜けなことを言いながらコートを脱ぐ。それを見て小宮山さんが「メタリカ」とつぶやいた。
「メタリカ?」と私。
「……メタリカ?」5秒ほど遅れて藤田くんも言った。
「いやメタリカでしょ」小宮山さんは藤田くんを指差す。
私はまじまじと藤田くんを見た。
「メタリカなの? 藤田くんって」
「メタリカなのかな? 僕って」
「メタリカって自覚はある?」
「メタリカだとは思いもよらなかった」
「メタリカの疑いをかけられたことは?」
「メタリカの気配を感じたこともないよ」
「メタリカって何なの?」
「メタリカって何だろ?」
あほのようにメタリカのキャッチボールをしている私たちを見かねて、小宮山さんが「TシャツだよTシャツ」と口を挟んだ。
藤田くんのTシャツを見る。グロテスクなイラストの上部に、たしかに「METALLICA」とあった。
バンドロゴか何かだろうか。
「ああ、メタリカか」と藤田くんが頷く。
「メタリカ知ってんの」と私。
「うん。ここにメタリカと書いてある」
「それは見ればわかるよ。メタリカって何なんだって聞いてんだよ」
「おそらく、ロックバンドか何かでは」
「それも何となく雰囲気でわかってんだよ。有名なバンドなの? 好きなの? ていうかどうでもいいよ。小宮山さんはメタリカが好きなんですか? どういうバンド? ていうかバンド? ゾンビ映画? アメコミかな?」
「バンドだよ」小宮山さんはシャープな動作でソファに腰かけた。「めちゃくちゃ有名なバンド。CDが何千万枚と売れたんだから」
「何千万枚……そんな売れる人います?」
「昔はCDがばかみたいに売れたからね。メタリカじたいはもうベテランだけどさ、最近また流行ってるよ」
「流行って……ますか?」
「おしゃれな若い女の子とか海外セレブの間で、あえてメタリカTシャツを着こなすみたいな流れあったでしょ。何年か前に」
「あったっけ」
「あったよ。メタリカというか、ヘビメタのバンTね」
「へびめた? バンティー?」
「私が言いたいのはね、そういう若くてチャラついた奴らの、いったい何人が本当にメタリカを聴いたことあるのかって話よ。YouTubeやらサブスクでいくらでも聴ける時代になっても、一向に学ぼうとしない。メタリカを知らずにメタリカを着ている。それってどうなの! 風潮として!」
ソファの上で足を組み替えて腕組みする小宮山さん。妙に熱く語っている。
「よくわからないですけど、メタリカを知らずにメタリカを着るのがおしゃれなのでは。メタリカを聴いていたら、ただのファンってことになりませんか?」と藤田くんが生意気なことを言った。
小宮山さんは顔をゆがめて黙った。
簡単に言いくるめられるなよ。
「小宮山さんはメタリカがお好きなんですね」と救いの手を差し伸べる。
「好きではない」
「好きではないんだ」
「というか聴いたことがない」
「えっ」さすがの藤田くんも、私と同じタイミングで「えっ」と発していた。
「聴いたこと……ないんかーい」と私は形ばかりのツッコミを入れる。
「でも私はメタリカを着てないからね」小宮山さんがふんぞり返った。「聴いてないし、着てない。そこに矛盾がない。藤田くんはなぜメタリカのTシャツを着てるの?」
「これ、兄貴のおさがりなので。兄貴が聴いてたのかな……」
「お兄さんのおさがりを大学生にもなって着るなよ。仲良しかよ。素朴かよ。一生そのままでいておくれよ」私はなぜか懇願している。
「メタリカ、ちょっと聴いてみようか」小宮山さんが藤田くんのPCを指差す。
藤田くんは言われるまま、デスクに座ってPCを操作した。
「じゃあ、いちばん上に出てきたエンターサンドマンという曲をかけてみますね」
enter sandman
なんじゃそりゃ? と思う間もなく音楽が再生される。
意外と静かな立ち上がりだ。しかしやがて重々しいドラムが鳴り始める。重々しいギターも参加してくる。だんだん重々しくなっていく。ていうかイントロが長い。インスト曲なのか? と思った瞬間に歌が始まる。
おじさんの声だ。
おじさんが、張り切って歌っている。
私たちは深刻な表情で聞き入り、微動だにしない。見えないサンドマンに首を押さえ付けられでもいるみたいに。
やがて音楽の再生が終了した。
沈黙。
「よし」と小宮山さんが頷いた。「藤田くん、それ着てよし!」
「はい」と藤田くんが微笑んだ。
いやいや。何のお許しだ?
何の微笑みだ?
ていうかこれはいったい、何の時間だったんだ?
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