第13話 混沌の中で

 受付所の係員に人数を示し、冷ややかな暗闇に足を運んだ。

 どうやら雅人曰く妖怪やおばけの類が毎日無造作に入れ替わるのでいつでも楽しめるのが売りだそうだ。

 雅人を筆頭として春也、亜紀乃と狭い通路を一列で歩いていたが、俺はそこに違和感を覚えた。後ろを振り向くと亜紀乃の陰に怯える宇宙の姿がそこにはあった。


「宇宙ちゃんはおばけとか妖怪が嫌いなのですか?」

「……暗いとこ」


 亜紀乃の服にしがみ付いて離れようとしない宇宙は、目を瞑って足をふるふると震わせながら一歩ずつゆっくりと進んでいた。


「あはは、宇宙さんは暗いところは苦手だったかあ」


 悪気を見せているようには見えない雅人が、ごめんごめんと謝った。

 おばけ屋敷の内装は墓地や病院、洋館などの定番な物が区画によって区切られていた。

 妖怪など面妖な怪物たちも決して精度の低いものではなく、むしろ高いと言っても良いほどに恐ろしかった。

 その怪物が物陰から出てくる度に、宇宙が甲高い悲鳴を上げた。

 俺は未だに雅人の言葉の意味がわからないでいた。『失敗だけは絶対にしないでよね』その言葉は訳も分からず冷たく胸に刺さるだけだった。

 そして俺が答えの出ない思考に行き詰まっている折、曲がり角を曲がった先の壁が砕け、中から奇怪な怪物が飛び出してきた。

 ある程度の耐性がある春也でさえ、その瞬間だけ胸の鼓動が高鳴った。

 その一方、雅人は落ち着いた様子で、


「あ、これは当たりだね。運がいいや」と。


 しかし、後方に一人怯えていた少女は今までで一番の悲鳴を上げ、暗い中を走り出してしまった。


「春也! 宇宙さんを追いかけて! 早くしないと後悔するよ!」


 宇宙が走り出した瞬間、雅人が血相を変えて大声を出した。俺が知っている中で最も大きな声だった。


「わ……わかった」


 俺は雅人に気圧されてその後を追う。

 宇宙は俺が思っている以上に足が速かった。追いつくまでに数十秒の時間を必要とした。

 俺は走っている中、雅人のあの言葉が頭の中でぐるぐると回り続けた。

 その間、俺は言葉の意味が理解できた様な気がした。これが最初で最期の最大な機会なんだと直感でそう思った。

 徐々に近づいていく宇宙にてを伸ばしてその機会を自らので手にする。

 初めて握った少女の掌は空気の様に軽く、また綿飴の様に柔らかかった。

 俺はそれまでずっと少女から背を向けて逃げていた。信頼できる相手を信頼できなくなった様に。

 雅人に誓ったことを思い出した。『しっかりしないと』

 俺が勇気を出さなきゃダメなんだ。俺が近づかなきゃダメなんだ。……俺が信じなきゃいけないんだ。

 一度深呼吸をして最大の一歩を踏む。


「宇宙、話がある。……いいか?」


 おばけ屋敷だということを忘れさせるほどに静な時が流れた。


「…………」


 宇宙は無言だったが拒んでいる様子は見受けられなかった。


「俺は守り神の事をよく知らないし、知ろうとも思はない。……でも、お前の事だけは分かっていたい」

「…………うん」

「別にあの時のことを深く追求しようとはしない。けど、これだけは分かってほしい」


 再度、深呼吸をして本当に最後の大勝負に出る。


「俺はお前を信じたい。だからお前は俺を信じてくれ」


 俺の言葉は宇宙の胸に届いたのかどうかは直ぐにはわからない。ただの音になってしまったどうかは、俺が思っていたより早くに知ることができた。


「わ……たしは、ずっと怖かった」


 少しずつ声を大きくして宇宙は語り始めた。


「守るって約束したのに、期待してくれて……いたのにそれに答えることができ……なくて」


 俺は嗚咽が混じった宇宙の告白を黙って聞いていた。


「春也に言わなきゃいけない事がまだたくさんあるのに……本当はもっと前に謝らなきゃいけないのに……どう言えばいいのかわか…….らなくて」


 宇宙は亜紀乃から貰ったアドバイスが脳裏に浮かぶ。そして宇宙ももう一歩だけ近づこうとする。


「春也がわたしを信頼してくれているのを知って変わらなきゃって思ったんだ……だから、わたしは信じるよ……春也のこと……全部」


 その言葉を聞いて春也の握る手が強くなる。


「今すぐにとは言わない。ゆっくりでいいから知りたいんだ。知らずに後悔はしたくないんだ。……いつまでも待ってるから」


 宇宙は背を向けいた春也に涙で濡れた笑顔でこう答えた。


「うん…………!」


 成し遂げた達成感と安心感が全身を包み、心が晴れていくのが感じられるほどに清々しい気分だった。

 また大きな借りを作ってしまったと思う春也は、心の奥底から雅人に感謝していた。


「本当にすごい奴だよ……」


 宇宙に聞こえないほどの小さな声で春也はそうつぶやいた。



 お化け屋敷から二人が出てくるにはそう時間はかからなかった。もちろん二人が先行していただけあって、春也と宇宙が空の下に姿を現した後に雅人と亜紀乃が遅れてやって来たのだった。

 友人を懸命な支援によって背中を押した優しい男は、春也に近づき館内で走り出した二人を見て次のように言った。


「どうやら成功したみたいだね。春也なら出来ると信じてたよ」

「ああ、これは雅人……おまえのおかげだ。ありがとう」

「そんなお礼を言われるようなことはしてないよ……でも、本当に良かったって思ってるよ」


 謙遜をする雅人には手が繋がれていない二人の間に確かな絆があるだけは見えた。


「ありがとう、亜紀乃ちゃん。亜紀乃ちゃんのおかげで信じることができたんだ。本当にありがとう……」


 深々と頭を下げる宇宙。対して亜紀乃は少し困った様な顔をしていた。


「私は何もしてないですわ……最後に決断したのはあなたなのですから」


 宇宙の肩を抱いて頭を撫でる亜紀乃を見た春也は、いつの間に仲良くなったのかと疑問に思うのだった。

 全員が落ち着いた様子を見て雅人が一歩前へ出る。


「さて、色々あって疲れたし、今日はここまでという事でそろそろ帰りましょうか」


 雅人の提案に賛成した春也と宇宙と亜紀乃は彼の後ろを追って出口へと向かった。

 この時の宇宙の機嫌はとても良いものであったのは間違いない。数日前から抱えていた悩み事を一つ解決できたことに内心、満足していた。

 自分でも気づかないほどに顔がニヤけて歪んでいるくらいだった。

 安堵しているのも束の間、催し物の広告などが大きく描かれている巨大な看板がぐらぐらと揺れていることに気づく。

 しかし、気づくのがほんの少し遅かったせいか、確認したと同時に看板を支える支柱が外れ、大きな鉄の塊が急速に落下してくる。……春也の頭上を目掛けて。

 宇宙はその瞬間、自前の薙刀で切り裂こうかと考えたが、周りに人が大勢いるため、断念せざるをえなかった。

 結局、宇宙は瞬時に春也の背中を勢いよく押した。


「春也! 危ない!」


 突然背中を押された春也は驚いてしまい、足を滑らせ転んでしまう。


「うえぇっ!? 痛っ!」


 背中を押した宇宙は迫ってくる鉄塊を避ける事は出来ない状態だった。


「……ッ!」


 直撃すると思われたそれは宇宙の目の前に落ち、地面を抉った。

 宇宙は看板が迫ってきたと同時に薙刀を取り出し、刀身で軌道をずらし、すぐさま見えない状態に戻す。……周囲の客の誰にも見られないように。

 いくつかの悲鳴の中、一息つく宇宙を見て春也は呆然としていた。そして、はっと我に返って宇宙の元へと近寄り、肩を抱いて大声を出す。


「宇宙! 大丈夫か!? どこか怪我はしてないか!?」

「私は大丈夫だよ。春也が無事ならそれだけで安心だよ」

「そうか……無事ならよかった……」


 膝をつく春也を見て宇宙はもう一息、深い息を吐いた。

 雅人は突然のことで唖然とし、亜紀乃は轟音に腰を抜かして、動けないまであった。


「春也……行こ? 人がたくさん見てるから」

「あ、ああ……」


 立ち上がった春也は腰を抜かした亜紀乃を抱えて、雅人と共に始めの目的だった出口へと向かった。

 さすがの雅人でも理解に間に合わず柄にもなく混乱し、帰るまでほとんど口をきかなかった。

 亜紀乃を抱えた春也と宇宙と道が分かれる寸前で初めて声を出した。


「今でも信じられないよ……こんなことが起こるなんて。本当に無事で良かったよ。じゃあまた」


 特に元気がない様子でもなかったので明日にはもういつもの調子なのだろうと春也は考えていた。


「ああ……。またな」


 手を振り去って行く友人の背中を見つめ、亜紀乃を家まで送ろうと二人は歩き出した。


「すみません、こんなことまでしてもらってしまって」


 悪く思っているのか、春也の背中から詫びようとしている様子が伺える。


「いや、別にいいよ。これぐらいなんともないからさ……足の方は大丈夫か?」

「お心遣いは感謝しますわ。でももう大丈夫ですから降ろしてくれて構いませんわ」

「そう?わかった」


 春也は言われるがままに抱えていた亜紀乃を降ろす。


「それでは、私はこの辺で失礼しますわ。本日は久しぶりに大変楽しかったですわ。それではまた明日……春くん、宇宙ちゃん」

「ああ、また明日」

「うん、また明日ね」


 笑顔で手を振る亜紀乃を見て、家まで送るつもりだったことを忘れ、その場で別れてしまう。

 亜紀乃の姿が見えなくなると同時に春也と宇宙は家への一歩を踏み出した。

 帰る途中、春也は不意に宇宙に対して決して大きくなはい声で喋り出した。


「今日はその……あ、ありがとうな。色々と……助けてもらったこともそうだし、何より嬉しかった」


 春也の顔は見ようとはしてないが、宇宙は目を丸くして聞いていた。


「まだ、俺が知らないことがたくさんあると思う。それならそれでいい。けど、機会があったらまた話そう。なんだかモヤモヤしてるみたいで気持ち悪いからな」

「うん、隠す気はないよ。全部言うつもり……それまで待ってて!」


 春也の顔を見上げて笑顔で言う宇宙は以前とは全く変わり、キラキラとした宝石のようだった。

 その日の夜、結局は何も情報は得ていないので一晩中モヤモヤする夜が春也を襲ったことに宇宙が気づくはずがなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る