蝶々結び

鯵哉

結び方を知らないだけだった。


 蝶々が飛んでいる。保健室のデスクに頬杖をつきながらそれを見ていた窓峰は、そういえば春が来たのだと思い出した。どこかで校歌を歌う声が聴こえる。新入生だろうか。

 春といえば、恋の季節。そう、発情期。


「みーさーきーちゃん」


 ぐわん、と首にかかる体重。何の香水か窓峰には興味はないが、これを嗅ぎ慣れてしまった自分がいる。

 二年三組、月岡智。平均身長より高い背と甘い顔面に、同級からも先輩後輩からも人気は高い。


「岬ちゃん」


 窓峰の視線の先を辿る。窓の外には桜が咲いていた。

 さらりと肩から落ちた窓峰の色素の薄い髪の毛を一房取って弄ぶ。月岡は何も言わない窓峰の横に座った。


「これ以上無視したら、キスするけど」

「……どうし、」


 振り向いた窓峰の頬に、月岡の唇が触れる。ぴたりと動作が止まり、窓峰は月岡の顎を掴んで離した。


「ばか」

「大丈夫だって、皆授業中だし」

「君も授業を受けてきなさい」

「いま自習中でーす」


 小生意気な返事。月岡は窓峰に肩を寄せる。目を少し伏せて笑った。

 若さのある青い笑い方だった。

 もう自分にはないそれを見て、窓峰は目を逸らす。逸らした瞬間をやはり、狙われた。

 右耳を食まれる。逃げようと腰を引いたが、既にがっちりとホールドされており、それは叶わなかった。耳朶から輪郭へと唇が移動する。


「月岡」

「はい」

「やめなさい」

「じゃあちゃんとキスしたい」


 月岡は右手で窓峰の輪郭を掴んだ。大きな手は窓峰の後頭部にも届きそうだった。

 殆ど強制的にそちらを向かされ、窓峰は少し不服そうな顔をしている。


「じゃあ、じゃない」

「つまり? しかし? よって?」

「好きな子と自室で楽しみなさい」

「大好きな岬ちゃんと保健室で? なんて贅沢なシチュエーション」

「空耳が過ぎる、鼓膜破ってあげようか」


 くすくすと楽しげに月岡が笑う。笑い事じゃないんだけど、と窓峰は口を開けば唇を塞がれた。最初は表面を滑っていたが、気付けば舌が入り込んで吸われる。

 すす、と意味ありげに腰をなぞられる。窓峰がその手を掴んで咎めるが、月岡はその手すら絡め取った。


「岬ちゃんの口のなかってさ」

「ん」

「なんでそんなに柔らかいの」


 知るか、とぼんやり思う。再度唇が重なる。偶に耳をふにふにと触られ、窓峰が身を捩った。

 肘掛けのついている回転椅子をくるりと回され、正面に向き直る。半分溶けた窓峰の顔を見て、月岡の心も半分以上溶ける。


「わー可愛い、なんでそんなに可愛いの」

「さっきからなにその質問は」

「だってさー……胸触って良い?」

「ばかたれ」


 唇を尖らせて月岡が離れる。椅子に戻って、じっと窓峰を見た。居心地悪くなって、窓峰はデスクの方へ身体を向ける。

 それを制して窓峰の顔を覗く。


「なによ」

「いや本当に可愛いなと思って」

「君ね、そんなことばっかりこれから先言ってるといつか刺されるから」

「岬ちゃんに刺されるなら本望」


 ふふ、と月岡が嬉しそうに笑う。この子はアホなんじゃないか、現文の成績はどうなんだ、と心配した窓峰。

 外で、蝶々がひらひらと飛んでいた。


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