CHAPTER 02:シャッタード・カントリー

 フォルカロン侯爵領に入ってまもなく、景色は様相を変えた。

 永遠に続くかとおもわれた砂漠はいつのまにか消え失せ、黒土の大地と針葉樹の木立ちが取って代わったのである。

 

 前方にそびえるのは、標高三千メートルを超える峻険な山々だ。

 山というよりは、巨大な岩石というべきだろう。

 山裾は見当たらず、垂直の断崖絶壁が地表にむかって落ち込んでいるのである。

 幾重にも重なり合った崖のあいだには濃い闇がわだかまり、陽光のとどかぬ暗黒の大峡谷を形成しているのだった。


 いま、リーズマリア一行の陸運艇ランドスクーナーが通過しつつあるのは、そんな谷沿いの道路のひとつであった。

 もっとも、道路とは名ばかりで、その実態は土がむきだしの未舗装路である。

 陸運艇がかろうじて通行できる程度の幅員はあるものの、油断をすれば左手の岸壁に船体をぶつけるはめになる。

 さらに、右手はいちだんと深く切れ込み、はるか下方では急流がごおごおと渦を巻いている。ほんのわずかでも操舵を誤ったが最期、谷底に転がり落ちるはめになるということだ。


 フォルカロン侯爵領を通行するとは、このような難所を乗り越えていくことにほかならない。

 その困難な道行きは旅人から忌避され、いまではめったにこの地を訪れる者はいない。


 それは大陸じゅうを駆けめぐる交易商人や運び屋にしても同様だ。

 彼らは車両や荷物の損失を避けるために、フォルカロン侯爵領をおおきく迂回する交易ルートを構築していった。

 たとえ大幅に時間をロスすることになったとしても、安全に積み荷を運ぶことを優先したのである。


 そうした事情もあって、現在のフォルカロン侯爵領は、ほかの選帝侯領との交流がほとんどない陸の孤島と化している。

 領主であるマキシミリアン・フォルカロンがながらくおおやけの場に姿を見せていないこともあり、地域そのものが秘密のヴェールに包まれていると言っても過言ではない。


 出発にあたってハルシャから提供された地図も、いまから四百年ほどまえに測量された古いものだ。

 吸血鬼にとってはだが、人間にとって四百年という歳月はあまりに長い。

 地図上の村落や街がいまも変わらず存在しているという保証はどこにもない。戦争や自然災害によって消滅しているということもありうる。

 現在の状況がどうなっているかは、じっさいに現地に足を運んでみなければ判然としないのだ。


***


 時刻は午後三時を回ろうとしていた。


 太陽はじょじょに西に傾き、あたりには早くも夜の気配が漂いはじめている。

 陸運艇ランドスクーナーには自動操縦システムが搭載されているため、夜間でも移動に支障はない。

 問題は、辺境の夜は昼とは比較にならないほど危険な世界だということだ。


 むろん、盗賊や猛獣にも警戒は必要だ。

 だが、辺境の夜には、それらとは比較にならないほど恐ろしい存在が潜んでいる。

 なんらかの事情で塔市タワーを追放され、下界で暮らすことを余儀なくされただ。


 吸血鬼は定期的に人間の血を摂取する必要がある。

 彼らにとって人間の血はいわば免疫抑制剤であり、欠乏すれば免疫細胞の暴走によって自滅するのである。

 塔市にいたころは無償で配給された人血も、外の世界では自力で手に入れるしかない。

 そこで彼らは夜ごと人間を襲い、欲望のおもむくままに吸血行為におよぶ。

 翌朝、彼らが去ったあとに残されるのは、血を吸い尽くされた無残な死体だけなのだ。


 夜に出歩くということは、そうしたもろもろの危険をみずから誘き寄せることにほかならない。

 人々は日没とともに門扉を固く閉ざし、無駄と知ってなお自衛用の武器を握りしめながら、遠い夜明けをまんじりともせずに待つのである。


***


「このあたりで野営にしようか」


 艦橋ブリッジで舵を取っていたアゼトは誰ともなく言った。


 狭隘な谷あいを抜けたそこは、まばらに草木が生い茂った野原である。

 眼下には急流が流れ、背後には数百メートルはあろうかという険しい崖がそびえている。


 宿営地むきの土地とはいえないが、二方向を塞がれた地勢は、襲撃を防ぐという意味では好都合だった。

 なにより、東側に巨大な山脈がそびえているおかげで、夜明けを迎えてもしばらくは日差しを浴びずに済む。

 吸血鬼であるリーズマリアとセフィリアにとっては重要なことだ。


「私はこのあたりの偵察がてら、川に降りて水を汲んでくる。ヴェルフィンのもしてみたいからな」


 そう応えたのは、アゼトのすぐ後ろでレーダーを監視していたレーカだ。

 

 デミ・ブラッドローダー”ヴェスパーダ”と戦闘で大破したヴェルフィンは、戦いが終わってすぐに分解整備オーバーホールを受けた。

 場所はサイフィス侯爵領内のウォーローダー工場。じっさいの作業に当たったのは、サイフィス侯爵家に仕える技術者たちである。

 イザール侯爵のもとでネイキッド・ウォーローダーへと改修されたヴェルフィンだが、ここに至って装甲と引き換えに機動性を向上させるチューニングの弊害が目立ちはじめた。

 グレガリアスのような重装甲の敵には斬撃が、いっぽうでヴェスパーダのように攻撃力に長けた機体との戦いでは装甲の薄さが命取りになるのだ。

 ただ元通りに修理しただけでは、このさきノスフェライドやゼルカーミラの足手まといになることは避けられない。


 そこでサイフィス家の技術者たちが提案したのは、防御力と機動性を両立するあらたな改造プランだった。

 すなわち、フレームを隙間なく装甲で覆ったうえで、両脚と背中に装備した大推力のブースター・ユニットによって高い機動性を確保しようというのである。

 むろん、そのようなチューニングにはリスクがともなう。

 機体のバランスが崩れ、並みの乗り手ローディにはまともに動かすことさえできないになるのだ。

 レーカはすべて承知のうえで、ヴェルフィンの再改修を依頼したのだった。


 機体各部に経年劣化が認められたことから、改修作業はほぼすべての部品を入れ替えるかたちで進められた。

 ウォーローダーの根幹である脊柱スパイナルフレームを除いて、ヴェルフィンはまったく別の機体に生まれ変わったと言っても過言ではない。


 かくして、ヴェルフィンはあらたな姿――――ヴェルフィン重攻型へと変貌を遂げたのだった。


 レーカがカーゴ・デッキに移動してまもなく、ずんと重い音が響いた。

 ヴェルフィンが地面に降りたのだ。

 背部の安定翼つき大型ブースター・ユニットはコンパクトに折りたたまれ、一見すると大改造を経たようにはみえない。

 塗装も朱色バーミリオンレッドのままだ。これはレーカのたっての要望でもあった。

 旧型との最も顕著な相違点は、電磁投射砲レールキャノンを内蔵した新型シールドだ。電磁カタパルトは弾体の射出に炸薬を用いないため、被弾による誘爆のおそれはない。

 折りたたみ式の安定翼をそなえた大型ブースターも、盾と火器が一体化した複合兵装マルチ・コンポジット・ウェポンも、長いウォーローダーの歴史において前例のない試みであった。


「レーカのやつ、うまく乗りこなしているな」


 動き出したヴェルフィンを見つめて、アゼトは感心したように呟く。


 大幅な重量増加にもかかわらず、機体の動作は以前よりもなめらかさを増している。

 各部の駆動ユニットを高性能なものに換装した恩恵だろう。

 むろん、たんに機体のスペックが向上したばかりではない。ヴェルフィンを知り尽くしたレーカだからこそ、機体特性の変化にも柔軟に対応できるのだ。


「……そろそろリーズマリアたちが起きだすころかな」


 アゼトはひとりごちて、艦橋から艦内へと降りるハシゴに手をかける。


 夜明けとともに眠りに就き、日没に前後して目覚める。

 太陽の下で生きられない吸血鬼にとって、それが最も効率的な生活サイクルなのだ。

 リーズマリアとセフィリアも、昼間は完璧な紫外線対策が施された自室で眠り、夕暮れどきになると起床するのが常だった。

 アゼトとレーカも一晩じゅう起きていることはままあるが、それでも体内時計の食い違いはいかんともしがたい。

 日が沈みきったあとの夕食は、そんな四人がそろう貴重な一時ひとときでもあった。


 ハシゴを降りきったアゼトは、はたと動きを止めた。

 通路の奥に何者かの気配を感じたためだ。

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