第167話

 アメリカ合衆国、ワシントンDCに位置する超高層ビル。そこが異能研究機関ネザーの本部だった。


 過去形であることから分かる通り、今はそうじゃない。

 世界がこのような状況になってから、ホワイトハウスの動きは実に迅速だったと言える。国が魔術世界との繋がりを完全に絶っていなかったのもあり、即座に魔術学院へ応援を要請。軍とアメリカ支部は手を取って事態の収拾に当たれた。


 そして当然のように、ネザーの立て直しにも国からの援助があった。

 まずは本部の移設。蒼の根回しもあって早急に行われていたそれは、翠や緋桜がアメリカに来た頃にはすでに完了していたのだ。設備もかつてのままで、以前と変わらぬ研究と開発を行える。


 その場所はニューヨーク。アメリカ最大の都市である。

 移設の理由は様々だ。ホワイトハウスなどの近くにこんな建物は似つかわしくない、なんて意見はかなり昔からあったし、同じくニューヨークにある学院のアメリカ支部との連携もある。物流や研究員たちの暮らしなんかも考えた結果、総合的に見てワシントンよりニューヨークの方が良かった、なんて話も。


 そのあたりの細かいところは、翠も完全に把握しているわけではない。現場の最前線に立つ自分は、そんなことよりも目の前のことに集中しなくてはならないから。


 ニューヨークに佇む超高層ビルの、三十階。異能を宿したゴーレム開発のフロアにやって来た翠は、近くの研究員に声をかけた。


「進捗はどうですか」

「ゴーレムは全機稼働できる状態です。いつでも戦場へ輸送できますよ」


 このフロアは三十階から三十五階まで吹き抜けになっていて、かつてミハイルの指示で開発されたゴーレムが格納されている。

 棗市に配属されたハウンド小隊に配備されたものや、あの日、世界が夜に包まれた日に、日本支部を襲ったものと同型のゴーレムだ。

 翠が手ずから情報操作の力を込めて、絶対の防御力を誇るもの。


 屋上のヘリポートまで直通のエレベーターもあり、ゴーレムたちはそれで運ばれていく。今はまだその時ではないが、次に大規模な戦闘が起きた時は出撃させるだろう。


「可能な限りの数を用意していてください。少しでも人間の被害を減らすために、このゴーレムは必要です」

「任せてください!」


 やる気に満ちた返事。さすがは緋桜が声をかけた研究員だ。以前のネザーにいた研究員とは、その熱意を向けるベクトルが違う。

 その知識や技能を、正しいことに使える。


 あるいは、もっと前からこんな人たちばかりだったなら。


 あり得ない仮定は頭を振って追い出し、翠はフロアから離れた。エレベーターに乗り込んで五十階のボタンを押す。そこは一部の幹部たちの部屋がある階だ。

 今ではネザーの代表、顔役となってしまった彼も、そこにいる。


 五十階にたどり着いたエレベーターから降り、その最奥にある扉をノックした。中から返事はないけど、それに構わず扉を開く。


 部屋にいた緋桜は、椅子に座ってタバコを吸っていた。その視線が向けられた先は、机に置かれたとある写真。


 一度だけ、この部屋の準備を手伝った時に、見たことがある。

 黒霧緋桜、桐原愛美。そして、桃瀬桃の三人が映された写真だ。


 感情の伺えない瞳でその写真を眺める緋桜。けれど、どこか少しだけ。寂しそうにも見える。

 そんな彼を見て、翠の胸には僅かな疼痛が訪れた。理由も不明なその痛みを無視して、声をかける。


「緋桜、タバコは控えてくださいと何度言えばわかるのですか」

「ああ、悪い悪い。つい口元が寂しくてな」

「アメでも舐めていればいいではないですか」


 タバコの煙が、彼の顔を隠す。浮かべるのはいつもの軽薄な笑み。先程までの表情は微塵も感じさせない。


「報告です。ゴーレムは全機稼働可能な状態にあります。いつでも戦場に送れると」

「そいつは僥倖。数を増やすようには言っておいたか?」

「はい。抜かりありません」

「よし、明日明後日は翠も休んでいいぞ。せっかくのクリスマスだからな。葵たちと楽しんでこい」


 クリスマス。そういえば、明日はそんな日か。今までの人生に全く関係ないのないものだったから、意識していなかった。

 けれど葵は、恐らく蓮と過ごすだろう。朱音も丈瑠と一緒にいるかもしれない。


 そうなるといよいよ、クリスマスとはどのようにして過ごせばいいのか分からなくなる。


 緋桜はたしか、本部のパーティーに行くと言っていたし。さてどうしたものか。


「緋桜、あなたは一昨年のクリスマスを、どのようにして過ごしていたのですか?」


 去年ではなく一昨年のことを聞いたのは、彼の動向を知っていたから。

 妹の二重人格をどうにかするため、学院を卒業した緋桜はネザーに身を寄せていた。だから去年のクリスマスは、緋桜も楽しむ余裕なんてなかっただろう。

 しかし一昨年、まだ学院に所属している頃なら、なにか参考になるようなことがあるかもしれない。


「一昨年か……」


 酷く優しくて、寂しげな笑顔。もう戻らない在りし日の日常を思うその顔に、質問を間違えたと悟った。


 彼の視線は、やはり机の写真に向けられている。こちらを見ない。


「あの頃はあの頃で、色々大変だったからな。愛美は今よりもじゃじゃ馬だったし、桃は馬鹿みたいに暗かったし。かなり苦労したもんだ。愛美はともかく、魔女様はいつどこで逆鱗に触れて殺されるか、分かったもんじゃなかった」


 懐かしむように笑い、遠くを見つめるその目が、気に食わない。

 今ここにいるのはわたしなのに、聞いているのはわたしなのに。

 わたしを見て話してくれない。


 理解不能な苛立ちを覚えて、平坦な声で、けれど感情のままに、残酷な問いを投げた。


「あなたは、桃瀬桃のことをどう思っているのですか?」


 緋桜の目が見開かれる。その問い自体に驚いたというよりも、翠の声や表情に驚いたと言った風だ。

 いつも通り、無感動で無機質なものを意識していたはずなのに。彼には、翠の些細な変化を感じ取れる。


 今はそれが嬉しいような、苛立たしいような。複雑な感情が胸で渦巻いている。


「あなたの持つ魔女への執着は、側から見ていれば気がつきます。それは尋常なものではない。ならあなたにとって、桃瀬桃とはどう言った存在だったのですか」

「難しいことを聞くんだな」

「はぐらかさないでください」


 煙を吹かして笑う彼は、どこまでも本心を隠そうとする。

 座っている彼に大股で歩み寄り、机を挟んですぐのところまで近づく。タバコの火を消した緋桜は真剣な目をしていて、決して逸らすことなくこちらを見つめていた。


 けれど、その口から吐き出されるのは、翠が最も望まない言葉で。


「お前には関係ない」

「……っ、あなたはっ……!」


 気づいていないとでも、思っているのだろうか。翠を見る目が時折、さっきまでと同じものであることを。なにかを懐かしむような、ここにないどこか遠くを見るような、そんな目をしていることを。


 それが気に食わない。この男はいつもそうだ。最初に出会った頃から、いつも、翠の心をざわつかせる。


「わたしは……わたしには、魔女から受け継いだ力があります」

「そうだな。でも、それでもお前は、出灰翠だ。桃瀬桃の代わりなんかじゃない」


 だから関係ないと、そう言うのか。

 いや、たしかにその通りなのかもしれない。黒霧緋桜と桃瀬桃。二人の問題や関係は、二人の間で完結している。そこに出灰翠が入る余地なんて、最初からないのだ。


「そんなことは分かっています。他の誰でもない、あなたと姉さんが教えてくれた。わたしはわたしとして、未来を求めてもいいのだと」

「だったら、なにが不服だ?」


 言葉が喉の奥で詰まる。答えようとしても、声は形を持ってくれない。感情を言語化できない。


 訳もわからず泣きたくなって、翠は逃げるように部屋を後にした。

 廊下ですれ違う研究員たちが不思議そうに見て来るが、それにも構わず、同じ階の自分にあてがわれた部屋へ向かう。


 勢いよく扉を開いて、閉めたそこに背中を預けてへたり込んだ。


「どうして……」


 どうして緋桜は、あんなにも本心を押し隠すのか。

 そのことがただ悲しくて、苛立たしくて。

 涙は止まる気配を見せなかった。



 ◆



 魔術学院本部、その最下層の地下十五階よりもさらに下。魔王の心臓ラビリンスと呼ばれる迷宮は、古今東西あらゆる迷宮の祖とも言われている。この中では、なにが起きても不思議ではない。


 上下左右の感覚がめちゃくちゃになったり、地下なのに空が見えたり、草が生い茂る平原が広がっていたり、基本的にはなんでもありだ。


 そんな場所に足を踏み入れた織たちは、等間隔に蝋燭が灯された暗い道を歩いていた。


「まだいかにも迷宮って感じだな」

「壁も地面も岩で出来てるみたいですし、浅いところならこんなものなんですかね」


 先頭を歩く織と蓮は、不用意にもそこら辺の壁をペタペタと触っている。とはいえ、ちゃんと罠がないことは確認した上で、だが。

 その後ろを歩く女子二人のうち、怪盗少女から不満そうな声が届いた。


「あの、織さん」

「どうした?」

「やっぱり、私の扱いが雑だと思うんですよね」


 振り返れば、眩い光が視界に。

 ルミが異能で全身を発光させ、道を照らしているのだ。お陰で地面や先の道はよく見通せる。蝋燭の火だけでは心許なかったから、とても助かっているのだが。

 本人的には不服らしい。


「もしかして、この前のことまだ根に持ってます?」

「当然だ。下手したら一生もんのトラウマだからな、あれ」


 この前のこと、とは。先日アルカディア家に訪れた際、ジュナスと一緒にメイド服を着せられたあの事件だ。

 愛美と朱音はちゃっかり自分のスマホで写真撮ってたし、ルミはテンション上がりまくってちょっとキモかったし。


 本当に辛かった。怪盗との間に妙な友情が芽生えてしまったレベルで。


「つーか、マスターからも似たような扱い受けてるんじゃねえの?」

「まあ、その通りですけどね。でもマスターはいいんです。あの人から雑に扱われたら、それはそれで愛情を感じますから!」

「お前マジか……」


 レベルが高すぎてついていけない。そういえば初遭遇の時は、ジュナスの女装に興奮している様子だったし、やはりルミは変態なのか。


 呆れながらも足を進めていると、今度は生徒会長殿からお声がかかった。


「それで、桐生くん。今回の目的はどの辺りにあるのかな? 指輪の材料というからには魔術鉱石を求めているのだろうし、そうなるとそれなりに深いところまで潜らないとダメなんじゃないの?」

「あー、一応浅いところにあるって先生から聞いてるけど」

「兄さんの言うことを全部信用してるのかい?」

「今更ながら、あの人の浅いがどの程度かって考えてるところだよ」


 ここの存在を教えてくれたのは蒼だ。彼が言うには、指輪を作るのに丁度いい鉱石が比較的浅い場所にあるらしい。一応写真も見せてもらった。

 だが彼は人類最強。そんな人物の言う『浅い場所』の定義は、果たしてどの程度のものなのか。


 そこに考えが至らなかった過去の自分を殴りたい。


 魔王の心臓ラビリンスは地下深く潜るにつれ、当然その難易度も跳ね上がる。

 織たちが現在いる出入り口付近、一層はまだ地上と変わらぬ環境だが、五層を超えたあたりから空気中の魔力濃度が跳ね上がり、七層まで行けば並みの魔術師だと即死レベル。魔物の強さもヤバいことになり、噂によると神話の時代に存在した魔物が当時の強さのまま残っているとか。


 人類最強によって攻略されたのは五十八層まで。それでもまだ先が残っており、最奥には魔王と呼ばれる謎の存在がいる、とか言われている。


 恐らくだが、蒼も本腰を入れて攻略したわけではないのだろう。あるいは、なにかしらの理由があって途中でリタイアしたか。

 この迷宮がどれだけヤバいのかは、飛び交う噂話だけでも十分に伝わる。しかし、あの人類最強が攻略しきれないとは思えないのだ。


 きっと魔王とか呼ばれるやつに、なにかしらの秘密があるはず。


 だがまあ、今回の目的はこの迷宮の攻略ではない。鉱石の採取だ。蒼曰く浅い場所までしか潜らないし、行ったとしても十層くらいだろう。


 呑気にそんなことを考えながら、四人はひたすら迷宮内を歩き続ける。

 やがて下に繋がる階段が見えたところで、織は首を捻った。


「魔物が出てこなかったな」

「一層程度の魔物なら、織さんの魔力にビビって出てこないんだと思いますよ」

「そんなもんか」


 なんだか拍子抜けした気分だが、織は自分の魔力の異常さに自覚がある。

 なにせ賢者の石による魔力のみならず、異世界での修行で身につけた魔力もある。その上で右手には、龍神の力が宿った龍具シュトゥルムを握っているのだ。


 ビビって出てこないというルミの説明も、納得できてしまう。


「でもそれにしたって、気配すらなかったのはおかしいね。魔物の魔力も感じられなかった」

「……先に潜ってる人がいて、その人が倒したとか?」


 蓮の仮説は大いにあり得るだろう。ここに潜る許可自体は、相応の実力があれば簡単に取れる。修行と称して潜っている魔術師もいるだろうし、織たちのように採取目的のやつだって。


 ともあれ、魔物に襲われないならそれに越したことはない。先に潜ってる人とやらに感謝しながら、織は階下へ続く階段に足をかけた。


 しかしその後も、どれだけ歩こうが魔物は現れず、目的の鉱石も発見できず。

 気がつけば魔力濃度がかなり高くなり、少し息苦しくなってきた。


「今何層だ?」

「十三層ですね。さすがに不自然ですよ」


 ペカー、と全身を輝かせたままのルミが言う通り、不自然すぎる。

 なにせここは迷宮だ。それもただの迷宮ではない。古今東西あらゆる迷宮の祖と呼ばれる場所だ。


 それなのに、魔物どころか罠のひとつもないし、道はずっと洞窟のようなもの。分かれ道や広い空間などは存在しているものの、真っ直ぐ歩いていれば迷うことなく次の層に降りられる。


 もう十三層まで降りてきたのに、それがずっと続いている。逆におかしい。

 四人それぞれがどことなく嫌な予感を覚えつつ、それでも次の層に降りた。


 階段を降り切った途端、景色が変わる。洞窟の中であることには変わらないが、ルミの光がなくても十分な明るさで満たされているのだ。岩肌は淡く青い光を帯びて、それが光源になっている。


「壁一面に魔力……それで発光してるのか?」

「この岩、これだけでも十分な魔術触媒になりそうですね」

「でも、下手に触らない方がいいよ。その魔力がどんな反応を示すかも分からないからね」

「やった! これでもう光らなくて済む!」


 しげしげと壁を眺める三人と、雑な扱いから解放されて喜ぶ一人。


 この様子だと、今までの階層とはかなり違ってくるだろう。もしかしたら鉱石も見つけられる可能性が高い。

 早速探索だと意気込む織だったのだが。


 水を差すように、地響きが聞こえてきた。

 ズシン、ズシン、とゆっくりではあるが、確実にこちらへ近づいている音。


「早速お出ましか。位相接続コネクト

「初手から全力の方が良さそうだね、これは。エンジェルコード・エクシア。インストール・ラファエル」


 織はドレスを、栞は天使の力を顕現させる。蓮も聖剣を構えており、ルミは金髪を淡く光らせて耳は長く尖ったものになり、ハイエルフの力を解放していた。


 やがて四人の前に姿を表したのは、全長三メートルほどの巨体。人型ではあるが、全身を覆う脂肪と体毛、醜い顔を見れば正体はすぐに分かった。


「トロール。北欧神話に出てくる妖精の一種ですね」

「妖精ってことは、ルミのお仲間だろ」

「一緒にしないでください! 私はハイエルフとの混血! 醜悪なトロールとは全然違いますから!」

「言い合ってる暇はないよ!」


 樹のように太い腕で持った長大な鉈が、その見た目からは想像できない俊敏な動きで振り下される。

 蓮とルミが前に出て、織と栞は後ろに退がり躱した。


 前衛の二人が剣を振るうが、巨大な体には刃が通らない。全身の体毛が思いの外硬く、邪魔をしている。

 金属音を響かせて剣を弾かれ、生まれた隙に鉈が襲いかかる。


「させるかよ!」

「二人とも、一旦距離を取るんだ!」


 織の射出した鎖がトロールの腕を絡め取った。その隙に蓮とルミは後退し、栞が魔力砲撃を放つ。

 が、それを受けてもなお無傷。物理的のみならず、魔術的にも十分な防御力を誇っている。


「トロールの体毛は、その一本一本が濃密な魔力の塊とも言われている。あれを正面から破るのは、私じゃ厳しいかな」

「だったら俺に任せろ。蓮、聖剣に魔力を通せ! ルミは光を出してくれ!」

「またですか⁉︎」


 文句ひとつ言わずに聖剣を輝かせる蓮と、文句を言いつつも全身を発酵させるルミ。


 それらの光が、織の持つ銃へと収束した。

 光を、あるいは輝きを力に変える。それが輝龍シルヴィアの力であり、彼女の作った龍具が持つ力でもある。


「ドラゴニック・オーバーロード!」


 光を吸収したシュトゥルムがひとりでに分解して、織の右腕に鎧として装着された。右肩の後ろには、銃剣を構成していたパーツが翼のように浮いている。


 なおも光り輝く二人から力を受け取り、トロールへ拳を向けた。

 広がった魔法陣から、極光が迸る。

 醜悪な巨体を呑み込み、迷宮の壁を突き破って、轟音を響かせる魔力砲撃。


 それが晴れた頃には、骨の一つも残さず敵の姿が消えていた。


「ふう、こんなもんだろ」

「うわぁ……さすがにヤバいですね、異世界の魔導具……」


 ドン引きした様子のルミ。なぜだ。

 しかし、トロール一体倒しただけでは、まだ終わらない。複数の魔力反応が迫ってきているを感知して、蓮が叫ぶ。


「桐生先輩! まだ来ます!」

「よっしゃ! お前らは光ってるだけでいいぞ! 全部俺に任せとけ!」

「随分頼もしいね。光るだけなら私もできるし、お言葉に甘えて全部お願いしようかな」


 純白の翼を広げる栞は、異能で天使の力を顕現している。再現などではなく、彼女自身が正真正銘天使としてそこにいるのだ。

 ならば光と無縁なわけがなく、これでシュトゥルムの力はさらに増す。


 予想外にも相性のいい四人組だ。これなら、どれだけ魔物が来ても負ける気がしない。自信に漲る織だったのだが、なおも増え続ける魔力の反応に思わず首を傾げてしまった。


「なあ、なんか多すぎないか?」

「おや、始まる前から泣き言かい? 全部任せて大丈夫なんだろう?」


 くつくつと笑うアホ毛の生徒会長。ルミもざまあみろと言いたげに唇の端を歪めており、蓮は曖昧な苦笑い。


 やがて織たちの前に現れたのは、トロールだけでなく蛇の下半身を持つラミアや首が三つあるケルベロス、ゴーストやなんかよくわからない虫まで、想像以上の数がとてつもない勢いで迫っていた。


「ちょっ、やっぱ多いって! なんだよこの数!」

「いや、でもこいつら、なにかから逃げてきてるような……」


 蓮が呟いた直後。

 魔物たちの奥で、黒い閃光が瞬いた。


 地面に迸る稲妻は、魔物の間を縫って四人の目の前で止まって人の形を作る。刀を持ち黒い雷を纏った、ツインテールの少女が。


「葵⁉︎」

「蓮くん! 丁度いいところに! ちょっと血貰うね!」


 真っ先に驚きの声を上げた蓮に、疲労の色を濃く見せる葵が飛びついた。

 容赦なく首筋に噛み付いて、血を吸う。

 なぜかイケナイものを見ている気がした織とルミは、自然と目を逸らしていた。生徒会長殿は興味深そうにガン見していたが。


「ぷはっ。よし、充電完了!」


 元気に声を上げる吸血少女が、魔物の群れへ手を翳す。黒雷がその全てを穿ち、命中した魔物の体が瞬く間に崩壊した。


 灰色の吸血鬼と同じ力。キリの一端でもある『崩壊』の力だ。


「撃ち漏らしがいますよ」


 続けて聞こえたのは、最近耳慣れたハスキーボイス。いつの間にか背後に立っていたイブ・バレンタインのもの。


 彼女の言う通り、葵の黒雷から逃れたのだろう。耳障りな羽音を迷宮内に響かせながら、巨大な蝿が飛んできた。そいつが葵の元へ届くよりも前に、黄金の輝きを帯びた聖剣に両断される。


 葵を庇うようにして前に出た蓮が振り返ると、黒雷を消した少女は当然の疑問を投げてきた。


「みなさん、なんでこんなところにいるんですか?」

「いや、こっちのセリフだぞ、それ」

「イブさんと修行って言ってたけど、まさかこんなところで会うなんて思わなかった」

「私もだよ。結果的に蓮くんがいてくれて助かったけどさ」

「いきなり血を吸われた時は、さすがにビックリしたけどね」

「あはは、ごめんごめん」


 それについては葵も申し訳なく思ってるのか、苦笑を浮かべつつ謝罪する。


 しかし、これで納得できた。今までの階層で全く敵と出会わず、罠すらも見当たらなかったのは、葵の黒雷が全て蹂躙していたからだろう。

 文字通り、全てを崩壊せしめるあの黒い稲妻は、この迷宮であっても例外ではなかった。


「あの程度で根を上げているとは、修行の成果はどうしたのですか、織?」

「いや、ちょっと驚いただけですって。だからその鎖しまってください」


 ニッコリ笑顔でイブに詰められ、冷や汗が頬を伝う。織もイブにしごかれた一人だ。その修行の成果が出ていないとあれば、有澄曰くドSな師匠は容赦なく教え子を鎖で縛るだろう。


 実際驚いていただけで、あれくらいならどうにでもなったし。


「それで、蓮くんたちはどうしたの? こんなところ、余程のことがないと潜ってこないも思うけど」

「俺たちは桐生先輩の付き添いだよ」

「織さんが指輪作って愛美さんに贈るらしいですよ」

「そのための材料になる鉱石が、この迷宮の比較的浅いところにあると聞いたらしいからね。ところで黒霧さん。さっきの吸血、私にもしてみないかい?」

「え、遠慮しときます……」


 なぜか吸血されることを頼む栞に、葵は半ばドン引きしながら丁重に断る。

 もしやこの生徒会長もルミと同類、つまり変態なのだろうか……。


「それより、鉱石ってもしかしてこれのことですか?」


 虚空から葵が取り出したのは、綺麗に青白く輝く石だ。かなりの魔力が感じられるそれは、たしかに蒼から見せてもらった写真と同じもの。


「おお! それだよそれ! どこにあった⁉︎」

「三層くらいにありました。綺麗だったから持って帰ろうと思ってたんですけど、そういうことなら織さんに譲りますよ」

「マジか……三層か……」


 ここ、十四層なんだが。無駄に深くまで潜ってしまったじゃないか。

 いや、こうして葵から譲って貰えたのだから、無駄というわけではないのだろうが。どうにも釈然としない織である。


「それに、残ってたのは私が潰しちゃってると思いますし」

「見境ねえなオイ」

「まあ、今でこそ制御できてますけど、さっきまでは暴走寸前でしたから」


 あはは、と乾いた笑いが。上の階層が綺麗に掃除されていたのは、それが原因か。


「そうだ蓮くん。せっかくだし、もうちょっと血を貰ってもいい?」

「いいけど、もしかしてまだ深くまで潜るつもり?」

「うん。行けるところまで行こうかなって。イブさんもいてくれるし、明日の約束には間に合うようにするからさ」


 悩む様子を見せる蓮だが、イブがついてくれていることが決定打になったのだろう。

 葵の頭にポンと手を乗せ、頷いてみせた。


「分かった。でも無茶はしないで欲しい。葵の体が一番大事なんだからさ」

「えへへ、ありがと」


 織たちの目も気にせず、葵は蓮にギュッと抱きつく。

 恋人に甘えるような後輩を初めて見た織だが、いつもの織や朱音やカゲロウを叱る彼女とはイメージできない姿だ。


 あまり見ているのも悪いかと思い、三人は後輩二人に背中を向けた。

 数分も経てば血を吸い終わったのか、やたらツヤツヤな葵と、少々貧血気味は蓮が。


「よし、それじゃあ行ってきます!」


 バチッ、と火花が散るような音が鳴り、再び黒雷を纏う葵は勢いよく迷宮内を飛び去っていった。気がつけばイブの姿も消えていて、残されたのは元の四人と、葵から譲り受けた鉱石。


「とりあえず、目標達成ですね」

「なんか釈然としないけどな」


 あとはこの鉱石を、指輪に加工するのみ。

 いや、その後には更なる難関が待ち構えている。

 愛美に指輪を渡すという、ヘタレな織にとっては最大の難関が。

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