第44話

 白昼堂々。

 魔術世界では縁遠い言葉だ。神秘は秘匿されるべきものであり、だからこそ殆どの魔術師は人目を忍んで、夜に活動を行う。裏の魔術師はその限りでもないが、それだって学院の隠蔽工作が及ぶ範囲だ。


 しかし、それは既に過去の話。あの戦いがあった日から、世界は変わってしまった。


「悪い黒霧! 一体そっち行った!」

「任せて!」


 白昼堂々、である。

 人目の多い街中で、三対の黒い翼をはためかせた黒霧葵が、同じ色の刀を振るっていた。

 あの二人が消えた時から、まるで置き土産のように残ったこの翼は、葵の魔力と異能の精度を増幅してくれている。

 それでも何故か、あの戦いの時のような力は出ないのだが。


 対峙しているのは豹やチーターにも似た、ネコ科を思わせる魔物たち。その見た目に違わぬ俊敏な動きで地を蹴り、葵たちを翻弄する。共に戦っている糸井蓮の言葉に力強い声を返し、肉薄してきた魔物を一刀のもと斬り伏せた。


 しかし、まだいる。数が多い。この一ヶ月間、ここだけでなく様々な街で、昼間から魔物の出現が相次いでいた。その度に対応に追われていたが、今回はそのどれよりも数が多かった。幸いにしてやつの眷属でもなければ、石持ちでもない。

 葵はともかく、蓮にやつの眷属や石持ちの相手はキツイだろう。葵としても、周りの人達を庇いながらだとかなり苦戦する。しかしそうでないのなら、二人でも十分。


 だがやはり、数の差は覆せない。二人が相手していた魔物の何匹かが、頭の向きを変えて駆け出す。向かう先には、逃げ惑う人々が。

 魔術師でもなんでもない、ただの一般人。この街に住まう人達だ。

 悲鳴を上げながら逃げられるのならまだいい。混乱が広がるとしても、自衛しようと言う意思があるのに変わりないから。

 しかし、中にはいるのだ。スマホのカメラを構えて、葵たちと魔物を撮影しようなんて考えるバカが。


「ははっ、これ絶対バズるだろ!」

「通知止まんなくなるやつだべ!」


 少し離れた位置に立つ若い男二人組が、逃げる人たちと追う魔物を呑気に撮影していた。

 その二人に気づいたのだろう。数多の鋭い眼光が、スマホのカメラ越しに突き刺さる。


「ひっ……」

「な、なにビビってんだよ……あんなん見せかけだけだって……本当に死ぬわけ……」


 数匹の魔物が狙いを変えるのと同時に、葵は小さく舌打ちした。未だに逃げ惑う人々を追う魔物もいる。距離の離れた両者を同時に対処するのは難しい。

 だが葵には、どちらかを見捨てるなどという選択肢はなかった。男二人組の方は放っておきたいのが本心だが、そうもいかない。

 なら、どちらも助けようとするはずだ。


「糸井くん!」

「ああ!」


 別方面の魔物を対処していた蓮が、徐に腕を伸ばす。か細く、それでいて鋼鉄よりも強靭な糸が、今にも男二人に襲いかかろうとしている魔物を搦め捕った。

 その隙に、葵はもう片方を処理する。


「雷纒!」


 青白い稲妻へと変貌した三対の翼をはためかせ、葵自身も一筋のいかづちと化し魔物の身体を貫いた。その勢いをそのままに、糸で雁字搦めにされた魔物へ肉薄する。

 刀は鎌へと変形させ、バチッ! と男たちの耳に音が届いた頃には、魔物の首が落ちていた。


「命が惜しかったらそんなことしてないで、さっさと逃げなさい」


 腰が抜けてへたり込んだ二人に対し、恐怖を与えるよう高圧的な言葉を。

 礼の一言もなく慌てて逃げていく男たち。周りを見渡せば、人は殆どいない。残っているのは葵と蓮、そして二人を睨み威嚇している数匹の魔物のみ。


 周りに人がいないなら大丈夫か。

 目の前で唸りを上げる魔物を見据え、葵は術式を構成する。魔物の頭上に広がる魔法陣から、雷の腕が出現した。


帝釈天・剛腕招雷インドラ!」


 かつて葵が顕現させて巨人の、その一欠片。豪腕が残りの魔物を捻り潰し、余波による電撃が辺りに撒き散らされる。周囲にある信号機などの電気系統は死に絶え、先ほどまで逃げ惑っていた人々がいれば確実に巻き添えを食らっていたであろう一撃。


 葵がただの魔物に手こずっていた理由だ。本来なら纏いを使っての魔術で一層できるはずだったが、辺りにいた一般人を守ろうとすれば、どうしても大技を避けなければならなかった。

 いくらかつてよりも力が出ないとは言え、ただそれだけの理由でこの程度の魔物に手こずるはずがない。


「お疲れ、黒霧。怪我、ないか?」

「あ、うん……糸井くんも、ありがと」


 全ての魔物を片付けた後、蓮が葵に駆け寄った。しかし案じるようなその一言に、葵は気まずげに返すのみだ。


 どう接したらいいのか分からない。彼は、かつて自分の中にいた一人に、好意を寄せていた。その彼女を奪った自分に、果たして彼の友達でいる資格があるのかどうか。


「じゃあ、帰ろっか……後は学院がどうにかしてくれるだろうし」

「あ、ああ、そうだな」


 未練も後悔も託された。そのうちの一つが、彼とのことだ。でも、だからと言って。今の葵には、糸井蓮とどう向き合えばいいのか。それが分からなかった。

 蓮だけじゃない。今はまだ眠ったままの、織と愛美も同じだ。あの日に言葉を交わしたけれど。彼らが目を覚まして、改めて向き合うことになれば。

 かつての自分、あの二人と親しくしていた人達と、今の自分はどう向き合えばいいのか。


 それでも、だ。


 異能で学院に転移した矢先、葵はなにかに気づいたようにハッとした。

 この学院の情報は、特にこの一ヶ月間、あの二人に関しては、敷地内にいる限りリアルタイムで閲覧できるようにしていた。

 だから、すぐに気づいた。


「ごめん、糸井くん……私行かなきゃ!」

「え、黒霧⁉︎」


 それでも。

 あの二人が目を覚ましたと知れば、会いたい気持ちは抑えられなかった。



 ◆



 ふぅ、と一息。話を次に移す前に、学院長室に集った一同は有澄の淹れてくれた紅茶で一服していた。

 あの日のこと、過去のことは教えてもらった。ならば次は、今の状況を踏まえてこの先どうするのか。未来の話をしなければならない。早く知りたいと気が急いてしまう。


 力を、手に入れたのだ。

 その経緯はどうあれ、あれだけ渇望した力を。両親の死の真実を知るための、未来を取り戻すための。家族を、守るための力を。


 時間は限られているが、全くないわけではない。なにも焦る必要はないのだ。

 隣に座っている二人をチラと見やる。マグカップを両手に持ってちびちびと紅茶を飲む朱音と、そんな娘の姿を微笑を浮かべて見ながら、有澄が出してくれたクッキーを摘む愛美。


「このクッキー、美味しいね」

「そうね」

「ふふっ、ありがとうございます。おかし作りは得意なんですよ」

「母さん、有澄さんに教えてもらったら?」

「遠慮しておくわ。上達できるビジョンが全く見えないもの」


 愛美も朱音も、本当はつらいはずなのに。

 唯一の親友を亡くして、朱音に至ってはそれが三度目の経験だ。泣き叫びたいほどの衝動に駆られてもおかしくないのに、二人はとても穏やかな表情でこの時間に浸っていて。


 それはきっと、桐原愛美という少女の、どうしようもなく強い部分。

 娘として、転生者としてそんな在り方を受け継いだ朱音も同じく。


 俺なんて、気を抜けばすぐ泣いてしまいそうなのに。無力な自分に対する行き場のない怒りと悲しみに、押し潰されてしまいそうなのに。

 羨ましいよなぁ、と。口の中で、形を持たない言葉を吐く。


「父さん、どうかした?」

「……いや、なんでもない」


 見上げてくる朱音にそう言ってかぶりを振れば、キョトンと小首を傾げる。可愛かったのでとりあえず頭を撫でれば、気持ちよさそうに目を細めてくれた。

 やっぱり俺の娘可愛すぎでは? 天使の生まれ変わりとかじゃなかろうか。


 そんな朱音を、織だけでなくこの場の全員が温かい目で見つめる。その視線に気づき、さすがに恥ずかしかったのだろうか。ほんのり頬を赤らめて、居心地悪そうに身をよじった。うむ、そんな娘もまた可愛い。


 そんな平和で穏やかな時間が流れる学院長室の扉が、突然大きな音を立てて開かれた。


「織さん! 愛美さん!」


 現れたのは、ツインテールの少女。織たちと同じ風紀委員の後輩。けれど、その中にいた二人はもういなくて。そこにいるのは、織たちが知らない少女だ。

 それでも彼女、黒霧葵は織と愛美の姿を見ると、安心したように脱力してその場にへたり込んでしまった。


「よかった……本当に目を覚ましたんですね……」


 瞳に滲んだ雫が溢れて落ちる。微苦笑を浮かべながら、そんな後輩に歩み寄る愛美が、優しく声をかけた。


「ごめんなさい。あなたにも、心配をかけたわね」

「そんな……私だって……あの二人のこと……」

「いいのよ。あなたはなにも悪くないんだから。だから泣かないの。お姉ちゃん、なんでしょ?」

「はい……はい……!」


 しゃがんで目線を合わせれば、葵は感極まったように愛美に抱きついた。困ったように眉根を寄せているが、それを受け入れた愛美の口元には笑みが。


 一ヶ月。その時間を、改めて実感させられる。それほどの間、織と愛美は眠っていたのだ。娘と後輩に泣かれるほど心配をかけてしまったのだ。


 惜しむらくは。この場に、あの二人と桃がいないことか。



 ◆



 泣き止んだ葵は恥ずかしそうに顔を赤らめて、急によそよそしくなってしまった。

 それも当然かと思う。今の葵にとって、織と愛美は少し接し難い相手だと思うから。二人だけではなく、かつての黒霧葵が親しくしていた人物の全員が。

 それでもソファで愛美の隣をキープして、組んだ腕を離そうとしないのだが。それに対抗しようと朱音も愛美にくっ付き出す始末。

 ソファが狭くなったので、織は向かい側のソファに追いやられた。悲しくなんてない。


「そうか。今回は、やつの眷属でも石持ちでもなかったか」

「はい。正直、今の私だと石持ちの相手は厳しいので、かなり助かりました」

「うん。どちらにせよ、よくやってくれよ。ありがとう葵」


 どうやら葵は、先程まで魔物の討伐に駆り出されていたらしい。昼でも関係なく街中に出現するというのは本当らしい。

 その報告を受けた蒼は、なにやら考える素ぶりを見せる。


「やっぱり、考えてたあれをお願いするしかないかな」

「あれ?」

「ああ。君たちが目を覚ましたら、二人にお願いしたいことがあったんだ。本部の方から命令が降りててね。ギリギリまで迷ってたんだけど、どうも状況は僕たちを待ってくれないらしい」


 なにやら厄介ごとの予感がするものの、蒼がそのお願いとやらを言い出す気配はない。


「その前に、話の続きをしようか。これから先の話、とは言ったけど。その前に、現状の確認からだ。まずは、今の日本支部についてね」

「色々と変わってる、とは朱音から聞いてるけど」

「この感じだと、先生が新しい学院長ってとこか?」

「その通り。嫌で嫌で仕方なかったんだけど、まあ、南雲を殺したのは僕だしね。その責任は取らないとダメってことだ」


 あの戦いでグレイの一派に寝返った南雲仁。その彼を蒼が手にかけたのは、あの日いた魔術師の全員が目撃している。ならば本部に話が行くのも当然で、代理の学院長として蒼が選ばれたらしい。

 実力的にも申し分ないだろうが、本部としても苦渋の決断だったようだ。

 なにせ、人類最強という学院の持つ最大の戦力を、肩書きで縛ることになってしまうのだから。


「でも、僕が学院長になったからって日本支部の在り方を変えたわけじゃない。いきなり日常が変化すれば、戸惑ってしまうのが人間だ。それは魔術師も同じ。だから、南雲が残したものはそのまま使わせてもらってるよ」

「変わったのは、日本支部の方針ですね。生徒の子たちには、より実戦を想定したものを学んでもらってます」

「そのために、何人か教師として新しく雇ってる。龍とルーク。それから、朱音とサーニャもね」

「え、朱音も?」


 自分の娘に視線を向ければ、にっこり笑顔で頷かれた。親の自分たちは生徒なのに? そういえば、医務室に来た時に書類を持っていたか。あれはこの部屋に入ると同時に蒼に渡していたから、なにかしら仕事の書類だったのだろう。

 いや、自分の娘が教師になってることのインパクトがデカかったが、それより問題はサーニャの方だ。


 サーニャは吸血鬼。つまり、魔物の一種だ。未だ卵とはいえ、魔術師である学院の生徒が、果たしてそれを容易に受け入れたのか。


「朱音に関しては、あの日その実力を殆どの人たちが間近に見てた。サーニャはちょっと一悶着あったけど、葵と緋桜が周りを説得してくれてね。それでも煩い一部の教師は、僕が黙らせたよ」

「黙らせたってなんだよ……」


 一体なにをしたのか。大人の話し合い、とやらだろうか。怖くて聞けない。


「じゃあ緋桜は? こいつ、魔術の腕は立つから、そういう教師を雇うんだったら他より打って付けだと思うけど」

「お、なんだ愛美。昔みたいに俺から色々教わりたくなったか?」

「あんたから教わったことなんてセクハラ上司のあしらい方くらいよ」


 言葉の通り適当に緋桜をあしらう愛美だが、彼女の言うことは最もだ。

 龍やルーク、朱音にサーニャと、たしかに彼ら彼女らの実力は相当なものだ。現在の日本支部における戦力的な支柱とも言えるだろう。ただし、強すぎる。

 生徒との実力があまりにも乖離しすぎていて、教わる側はやる前からモチベーションが下がってしまう。相当教えることに向いているのならまだしも、母親と同じく変に不器用な朱音がそういうのに向いているとは思えない。一度会った印象で言うなら、龍は向いてそうだが。サーニャに至っては人外だ。生徒も腰が引けてしまうだろう。ルークは会ったことすらないから分からない。


「愛美が言いたいことはよく分かるよ。たしかに、緋桜なら二年前まで学院にいたし、実力的にもまだ生徒たちに近い」

「だけど、俺にも俺の仕事があってな。一応表向きは、まだネザーの所属ってことになってるんだ」


 異能研究機関ネザー。あの戦いの時にも、その影がチラついていた。

 南雲が持っていたピアスに、やつ自身の言葉がある。ネザーはグレイと協力体制を築いている。それは間違いないだろう。


 織たちが以前壊滅させた、関西支部の例もある。規模の大きい組織であるが故に、一枚岩というわけではなさそうだ。


「南雲が持ってたあのピアス。それについて、緋桜には調べてもらってるんだ」

「異能を魂ごと摘出する、あの魔導具か……」

「今のところは、なんの手がかりも得られてないけどな」


 やれやれと肩を竦める緋桜。相手は異能研究機関だ。一筋縄でいかないのは分かりきっている事実。

 特に緋桜の場合、学院との繋がりがあるから、向こうも余計に警戒してしまうだろう。


「まあ、教師に関してはそんな感じだ。朱音は歳も近い、というか歳下だから、案外可愛がられてるし、サーニャも受け入れてくれる生徒が出始めてる。そもそも、三年生はその辺気にしてないしね。龍とルークも問題ない。転生者ってのは、元々弱いやつらがなるものだからね」

「次に生徒の方ですが、三年生を始めとした何人か腕の立つ生徒には、出来る限り魔物討伐をしてもらってます。必ず二人以上のチームを組んで、ですが」


 人が足りないのは、日本支部が以前より抱えていた問題点だ。学院を拠点として活動するフリーの魔術師もいるが、それでも他の支部と比べればかなり少ない。

 その分、日本は他よりも国土が狭い。だから人手が少なくとも、決定的に足りないことはなかったのだが。

 それもあの戦いの日からは変わってしまった。


 夜だけでなく、昼にも魔物が出没するようになってしまったのだ。挙句その中には、これまでより余程強い個体も紛れている。

 グレイの眷属であるだけでも、普通の魔術師にとっては脅威だ。その上で、賢者の石を埋め込まれた個体まで出てきた。

 手が足りなくなるのも当然だろう。


「とまあ、こういう感じの学院の現状を踏まえた上で、これからの話をさせてもらおうか」


 ついに話の本題だ。

 これから、望まない形で力を手に入れた自分たちが、なにをするべきか。それを決めるための話し合い。

 いや、蒼の中ではもう決まっているのだろう。賢者の石を持つ織と愛美に、どう動いてもらうのかは。本部からの命令、と先ほども言っていた。


「世界は変わってしまった。今まで秘匿され続けていた魔術が表に出てしまった。学院全体の方針としては、しばらくの間はその対処に当たる他ない。昼間に出没する魔物から一般人を守ったり、各国、特に日本とは国のお偉いさんと決め事をしたりね。後者の方は、まあ、僕よりももっと上の、本部の老人どもが決めることだ。君たちにはほとんど関係ない。ただ前者の方は、僕たち現場がどうにかするしかない」

「イギリスほどの魔術大国になると、昔から学院と国の中枢が深く結びついてたりしてるんですけどね。日本はその辺り、最近希薄になっているので。それに、対処すべきは魔物だけではありません」

「全世界の裏の魔術師に、グレイが量産した賢者の石を流してるんだ」

「はぁ⁉︎ いや、それってかなりマズイじゃないっすか!」


 つい声を上げて驚いてしまったのは、無理もないだろう。

 つまり、悪巧みしてる連中が、それを実現させて余りある力を手に入れたのだ。おまけに対抗できる力を持つだけの魔術師は、世界的に見ても少ない。

 本部や各支部にも一人くらいはいるだろうが、たった一人や二人だけで対応できるほど、あの石の力は甘くない。

 それこそ蒼たち転生者や、サーニャのような吸血鬼。もしくは、同じ力を持った者じゃないと。


「……私たちに、そいつらの駆除をして回れ、ってことね?」


 愛美の発した言葉に、蒼はため息を吐きながらも頷いた。

 蒼本人は気がすすまない、とその顔に書いてある。


「上からの命令でね。現在の賢者の石保有者が、ってさ。たしかに論理的にはそれが正しい。同じ力どころか、オリジナルを持つ君たちなら、力を得た裏の連中を効率よく倒せるからね。でも、君たちは今日目覚めたばかりで、学院の生徒であることには変わらない」


 それは、年長者としての気遣い。師としての優しさ。

 織も愛美も、蒼の言う通り今日目覚めたばかりで、空白の一ヶ月を埋める権利を有している。家族と、後輩と、友人と。

 それら全てをかなぐり捨てて、再び戦場へ向かえというのだ。


 小鳥遊蒼にとって、弟子の二人は守るべき対象でもある。出来るなら、そんな二人を戦場へ向かわせたくはない。

 この一ヶ月、毎日生気のない顔で過ごしていた二人の娘を知っているから。

 心配して何度も見舞いに訪れては、目覚める気配もなくまともな情報すら映し出されないことに落胆した二人の後輩を見ていたから。


 なにより、命を懸けて二人を救った、魔女がいたから。


 だけど、蒼は知っているのだ。この二人がどんな答えを出すのかを。


「それ聞いて、俺らが断ると思ってるんですか」

「だとしたら、私たちもバカにされたものよね。私たちにしか出来ないことがあって、そこへ行けと命じられた。断る理由なんてどこにもないわ」


 行きたくない。そういう気持ちがあることは否定しない。織も愛美も、まだこの学院でやりたいことが沢山ある。家族と離れたくはない。こんなことになってしまった後輩も心配だ。友人達には、逆にまた心配させてしまうかもしれない。


 それでも、行かなければならない。戦わなくてはならない。

 この力を受け継いだ以上、その使命を果たさなければならない。


「いいのか愛美?」

「口説いわよ緋桜。あんたが何を心配してるのかは分かるけど、私だって昔とは違うの。あの頃みたいに、自分を見失ったりはしない。だって、今の私には織がいるもの」


 昔の愛美に何があったのか、織は知らない。それは恋仲になった今でも、まだ彼女の口から語られていない過去だ。

 けれど、その言葉に込められた愛情だけは、しっかりと織の元に届いていて。


 顔が熱くなる。無防備にも無邪気にも思えるその信頼が、どこか誇らしくもあり、照れ臭くもあった。

 眠っていたとは言え一ヶ月ぶりだからだろうか。こんな愛美への耐性がなくなってる。

 桐原愛美とはそういう人物なのだと、改めて思い知らされた気分だ。


「だから、いつまでも先輩ヅラしないでくれる? いい加減鬱陶しいわよ」

「何言ってんだ、お前はいつまでも俺の可愛い後輩だよ」

「……お兄ちゃん?」

「いや、待て葵、変な意味はないぞ? だからそんな目で見るな頼む死にたくなるから」


 緋桜としてはいつものノリで発したセリフだったのだろうが、妹からは軽蔑の眼差しが。なんとなく哀れに思えてしまうが、自業自得だろう。どうやら葵が微妙に距離を取ってるのは本当らしい。


 ともあれ、決まりだ。

 この先やるべきこと、やらなければならないことは見えた。ならば後は、それを実行するのみ。


「すまない、二人とも。本来なら僕の仕事なんだろうけど、こんな役職に納まっちゃったからね」

「いや、俺たちがやるべきことですよ。あいつから受け継いだこの力を持つ、俺たちが」

「朱音と離れ離れになるのは寂しいけど、なにも今生の別れってわけでもないし。隙を見て帰ってくるわ」


 心配そうに見上げる娘の頭を、愛美は優しく撫でる。朱音とはもっと普通の平和な日常を送りたかった。そういう世界を、この子にもっと知ってもらいたかった。それは織も愛美も、等しく持つ願いだった。

 だが、世界がこうなってしまった以上、そうも言っていられない。


 未来を、世界を。なにより、家族を守るため。そのために、この力を使おう。

 復讐なんてものより、彼女はそれを望んでいるだろうから。



 ◆



 細かい取り決めはまた後日、ということで、その場は解散となった。

 朱音はまだ学院で仕事が残っているらしく、織は愛美と二人で、一ヶ月ぶりの我が家へ戻ることになったのだが。

 その前に。


「行きたい場所ってどこかと思えば……」

「まあそう言うなよ。お前も、気になってはいただろ?」


 二人が訪れたのは、織の実家。旧桐生探偵事務所だ。術者である魔女が死んでも、辺りに張り巡らされた結界は作動していたようで。事務所の周囲には魔物どころか、人の気配すらない。


 最後に訪れたのは、愛美が怪盗の二人に攫われた時だった。

 まさしくその時に、あの二人は気になることを言っていた。


 織の両親が殺された真実。それに繋がる、賢者の石の正体。

 ここには、それが隠されていると。


「たしかに、結局ジュナスが私を攫った理由も、イマイチ釈然としないものだったわね」

「あいつらは、ここに賢者の石に関するなんらかのデータ、ようは資料があるって言ってた。そのために愛美を攫ったんだろうが……」


 なぜ、愛美なのか。ジュナスたちは愛美が鍵だと言っていたらしいが、それもおかしな話だ。その資料は、織の両親が作成したものだろう。怪盗がどこでその存在を知ったのかはさておき、ならば愛美が鍵になるのはおかしい。

 当然のように、織の両親がその資料を作成したのは死ぬ前。しかし織が愛美と出会ったのは、両親が死んだその日。愛美はおろか、桃ですら織の両親を知らなかった。

 だと言うのに、何故愛美が鍵になるのか。そもそも、鍵とはどう言った意味なのか。

 その疑問も、両親が遺した資料を読めば解ける、気がする。


「それで、その資料がどこにあるとか、あいつら言ってなかったか?」

「その辺は聞いてないわね。どこかに魔術的な仕掛けがあるんじゃないの?」


 事務所の中を捜索する二人だが、それらしき仕掛けは見当たらない。そもそも、魔術的なものならば桃が既に気づいているだろうし、誰も住まずに物の少ないこの事務所は、探す場所すら少ないのだ。


 二階の事務所に続いて、三階、四階の部屋も捜索するが、それらしきものはカケラも見当たらなかった。


「ねえ、本当にここにあるの?」

「そこは怪盗を信じるしかないだろ……一応一階も見てみるか」

「一階って、ずっと空きテナントなのよね?」

「俺が生まれた頃からな」

「いかにも、って感じじゃない」


 この事務所の一階は、織が覚えてる限りでは一度も誰かが入ったことはなかった。物心つく前から、それこそ生まれた頃から、ずっと空いたままになっていたのだ。

 愛美の言う通り、いかにも何かありますよ、と言わんばかりである。


 事務所を出て階段を降りれば、当然のごとく一階の鍵は閉まっていた。が、愛美が扉をバッサリ斬り捨てた。もしもここに資料があって、この後もここで保存しておかなければならないことを考えれば、後で扉は直しといた方がいいかもしれない。

 以前までならいざ知らず、今の織ならそれくらいは容易にこなせる。


 果たして足を踏み入れた先。空き家となっていた一階には。


「……なんもねぇな」

「なにもないわね」


 なにもなかった。

 いやはや、見事なまでに。文字通り、なにもないのだ。それらしき資料や仕掛けなんて置く場所もないほどに、なにもなかった。


「完全無欠の空き家じゃない」

「なんだその言葉選びは……」


 空き家に完全無欠もクソもないだろう。呆れながらも、一応壁とかをコンコンとノックしていく。あるとすれば、どこかに隠し扉があるくらいだろうから。

 あまり期待していなかったのだが、ある一箇所で織は動きを止めた。そこだけ、他の場所と音が違うのだ。コンクリートを敷き詰めたような音ではなく、中が空洞となっている音。どうやらビンゴらしい。


「愛美、ここ」

「どきなさい」


 問答無用で壁を斬る愛美。もし仕掛けとかあったら申し訳ないなぁ、とか思いつつ、真っ二つに切断された壁の向こうに、小さな空間が現れた。

 そこに置いてあったのは正方形の、箱のような魔導具だ。織がそれを取り出そうと手を伸ばした瞬間、魔力を検知した。

 魔導具が作動して、箱の側面に魔法陣が広がる。反射的に手を引っ込めて、織は驚愕した。


『あー、ゴホン。これを聞いていると言うことは、俺と冴子は死んでるのかな? できれば、織が聞いていることを願いたいところだが』

「父さん……?」


 プロジェクターのように魔法陣から投影された、ひとりの男の姿。優しい目つきに、黒いシルクハット。

 見間違うはずもない。織が尊敬し、憧れていた父、桐生凪の姿が映し出されていた。


「この人が、織のお父さん?」

「ああ……そうだけど、なんで……」


 驚愕よりも困惑が勝り始める織を他所に、映像の中の凪は言葉を発する。


『こいつが開かれたってことは、キリの人間を五人、この場に集めたんだろう。そうしないと開かない仕掛けになってるからな。そうじゃなきゃ、俺の面目が立たない』


 苦笑する映像の父に、織は心の中で謝り倒した。ごめんなさい仕掛けとかフル無視しました。多分その仕掛けごと、愛美がバッサリ斬り捨てちゃいました。


 と、ひとつ聞き覚えのある単語が。

 キリの人間。

 確かに今、凪はそういった。以前、葵が幻想魔眼についての情報を視ようとした時にも出てきた言葉だ。それが、どうしてここにも。


『まあ、仕掛けのことはいい。俺がこの映像を遺しているのは、次代のキリの人間、俺の息子や、一徹さんのとこの娘に、ちょいと厄介ごとを託すためだ。織は会ったことないだろうが、愛美ちゃんはこれがまた随分可愛い子でなぁ。あっ、ちょっと待って冴子さんそんな目向けないで』


 流れ込んでくる情報が、まるで濁流のように押し寄せる。

 父さんは、オヤジさんのことはおろか、愛美のことまで知っていた? 隣に視線で問うも、当の本人は首を横に振っている。


 一体どういうことだ。俺たちの知らないところで、親たちはどういう関係だったんだ?


『キリの人間が五人も揃うとなれば、織とその愛美ちゃんはいるだろうな。これは間違いない。なんなら既にデキてるまである。俺の千里眼は誤魔化せないぞ』

「……ねえ織、あなたにこんなこと言うのもなんだけど……この人、バカなの?」

「……頼れる父親ではあったよ」


 それ以上の言及は避けた。バカなのかと聞かれ、実際に記憶を掘り起こしてみれば、否定できる要素がなかったから。


『ああ、織には教えてなかったか。俺も異能持ちでな。勝手に千里眼とか呼んでるが、別になんでも見通せるわけじゃない。別の時間軸、いわゆる並行世界を覗くことが出来るってだけだ。現実の世界は、過去も未来も見えやしない。お前の未来視と違ってな』


 だから、この映像を遺したのだと。どの時間軸、並行世界でも、自分たちが生きている未来は見えなかったから。映像の中の凪はそう言う。

 そこで、この時間軸は違うと楽観視しないのが、魔術師であり探偵である桐生凪だ。あらゆる人物、あらゆる場所で、あらゆる可能性を考慮に入れて推理を立てる。なるほど、織の知っているそのスタイルは、この異能があったからか。


『さて、前置きがこれ以上長くなると、冴子がまた怒るからな。本題に入ろうと思う』


 いよいよか。本当に前置き長かったよこのクソ親父。お陰で身内の恥を晒してしまった気分だ。

 胸の内で毒を吐き、身構える。


『俺たちキリの人間とはなんなのか。そして、そのキリの人間のみが十全に使えると言う賢者の石、幻想魔眼。位相とレコードレス。これらについての真実全てを、この世界の真相を、ここに記録する』



 ◆



 そうして語り出された事実に、二人は驚愕して、困惑して。

 けれどなにより、覚悟した。これから必然的に訪れる、過酷な未来を。


「最初から、全部繋がってたってことか」

「賢者の石も、幻想魔眼も、レコードレスも。全部、ひとつに集約されるのね」


 キリの人間。そう呼ばれる一族が、太古の昔から目指してきたある目的に。


 その全てを語った映像は、しかしまだ終わらない。映し出された凪に先ほどまでの真剣な、ともすれば剣呑ともとれる目つきは既になく。そこにいるのは、優しい一人の父親としての彼だ。


『ここからの言葉は、ここに織がいると信じて残す。多分、いや確実にいるだろうな。どの時間軸を見ても、お前と愛美ちゃんは一緒にここへ来ていた』


 それは、一種の異能じみたなにか。彼ら本人には自覚のない、既存の理論では説明のつかないもの。

 織や愛美、蒼たちが有するカリスマや、一徹のいう家族の絆のような。目に見えないけど、そこにたしかに存在しているもの。

 もしかしたらそれを、運命の赤い糸、なんて呼ぶのかもしれないけれど。

 ここにいる二人には、理解できないものだ。


『いいか、織。なにがあろうと、お前らしくあれ。ただ真っ直ぐに。バカで愚かと言われようと、それでも真っ直ぐ、目指す未来に向けて、自分の信じた道を突き進め。大丈夫、そうすればどうにかなる。父さんが保証してやる』


 映像越しに優しい笑顔を向けられて、鼻の奥がツンとした。いつかの日々には、毎日のように見ていた、けれど今では見ることも叶わないと思っていた、その笑顔。

 織にとってそれは、自分を包み込む太陽のようで。暗闇を照らす月のようで。

 手には届かない、大きな存在で。


 ああ、ダメだ。こんなの、ダメだろ。我慢できない。

 なんで。なんでその笑顔を、もっと見ていることができなかったんだ。こんなもの遺されたって、なにも嬉しくない。

 もっと一緒にいたかった。色んなことを学んで、普通の家族のようにもっと遊んで、そしていつか、その背中に追いつきたかったのに。隣に並びたかったのに。


「なんでだよ、父さん……なんでッ……!」


 両親も、魔女も。織にとって大きすぎるその背中は、追いつくことすら許さずに消えてしまう。みんないなくなって、隣に並ぶことすら叶わない。


 決壊した感情が、涙として溢れ出した。堪えることなんて出来ずに、大粒の雫が流れて止まらない。


 おもむろに、魔導具の上面が開いた。そこに入っていたのは、映像の中の凪も被っている黒いシルクハットだ。


『そいつをやる。だから顔を上げろ。前を向け。過去を振り返るな。今を大切にして、その弱さを抱えたまま未来を求めろ。そしたら自ずと、道は開ける。父さんの息子なら、それくらいできるだろう?』


 できる、できるさ。やってやる。例え無理でも、困難な道でも。到底不可能なことでも。全て、成し遂げてやる。

 そのための、この力だ。


 だけど、今だけは。

 涙の止まらない織を、柔らかな温もりが包み込んだ。まるで赤子をあやすように、静かに涙を零す愛美が、優しく織を抱きしめている。


「あなたの強さの源が、わかった気がするわ。こんな素敵な父親がいたんだもの。その背中を見て育ったなら、当然よね」

「でも……もういないんだよ……父さんも、母さんも……桃だって、もういないんだ……」

「ええ。だから、今だけは。少しだけ泣きましょう。私たちの戦いを始める、その前に。今だけは……」


 その温もりに甘えるように、縋るように。華奢な身体を、強く抱きしめた。


 泣くのは、これが最後だ。この一時だけだ。

 ここを出たその時から、強くあらねばならない。桐生朱音の親として。桐生凪の息子として。桐原愛美の、家族として。


 だからせめて。ここで涙を枯らしてしまおう。この先、泣いてしまわぬように。

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