第106話 怒ってないから―2
ジリオ本人が口を開くよりも早く、割れんばかりの大歓声が“狭間”をびりびりと揺らす。
『っしゃあ! さすが、オレたちの恩主さまだぜ!』
『やったね、ジリオーっ!』
『慈悲深き主に栄光あれ! いや、これからは――我らも御力にならねばの!』
先頭の三人の特に嬉しそうな笑顔を見、ジリオはやっと声を上げる。
「わ……わたしが、天界に……? そんな道理が、まかり通るわけが……!」
「そこを通せちまうのが、神様ってもんだろ?」
エッドが気楽に言うと、ジリオは反射的に顔を険しくする。しかし、あの鬼神のような覇気を向けてくることはなかった。
歓声が落ち着くのを待ち、天使が事務的な口調で言い足す。
「もちろん、理由はあります。あなた方はもとより、我々の保護対象なのです」
「保護対象?」
首を傾げたエッドに、天使は小さくうなずく。
「かの大戦以降、送られてくる魂の数が妙に減っているのです。冥府にも姿を見せていない戦士たちの魂の回収は、我々の悲願でした」
「もしかして、あの“聖宝”と同じ……?」
苦労の末にやっと決着をつけたひと振りの細剣を思い出し、エッドは訊く。
「ええ、おそらくは。しかし遺憾ながら、天界は現世のお出来事に干渉できません。なにか、邪の者が手引きしているのは感じておりますが……」
エッドの背筋を、冷たいものが駆ける。鮮やかな緋色が記憶に浮かんだが、打ち消すように頭をふった。
せっかく心置きなく旅立とうとしている者たちに、憂いの種を蒔いてはならない。
「ともあれ、そういうことですから。さあ皆様、ここからはチャッチャと参りましょう! もう回収受付が大渋滞となることは、必須なんですから……」
うんざりとした顔の天使が手を打ち鳴らすのを合図に、ほかの“狭間”にいる聖術師たちの姿が薄れはじめる。
『それじゃジリオ、また“あっち”で会おうね! ぜったいだよ!』
『もう迷子になんじゃねーぞ、大将?』
『皆が揃ったら、宴でも開こうではないか。待っておるぞ』
それぞれに挨拶をし、聖術師たちの姿は音もなく消えた。
「……あのさ。これって、もしかして」
ふたたび降りた静寂の中、ふとエッドは天使にふり向く。
銀色の瞳がそこで待ち受けていた。
「どうしました? ジリオさまの魂がもともと回収対象であったのなら、自分は結局“死に損”だったのではないか――というお顔をしていますね」
「君、やっぱ完全に心読んでるよな!?」
度肝を抜かれているエッドに、天使はお馴染みとなったため息をついた。
「……そこに関しましては、むしろ
「え? ――うわ!」
ばさりと重い羽音を立て、少女の背から純白の羽が現れる。
思わず退がりながら、エッドは唖然として言った。
「なんだよ、急に」
「いえ、ここが“出しどころ”かと……」
「そんな機会を窺ってたのか? 最初から出しとけばいいじゃないか」
「肩が凝るんですよ、これ」
エッドの指摘に憮然とした顔で答えつつ、天使は続けた。
「邪法により作られし武具が、力のみによって破壊された場合――我々より先に動くのは冥府です」
「!」
「聖術師たちの魂をとり込んだあの剣にさえ、呪いとも呼べる強大な力が宿っていた……。この力を、冥府の使者が見逃すはずがありません」
忌々しそうに顔を歪めていた天使だったが、片目だけでちらとエッドを見る。
「その運命を救ったのは、間違いなくあなた方です」
「俺たちが?」
「はい。メリエールさまが時間をかけて内側から魂たちの穢れをとり払い――あなたさまは『核』となっている騎士の魂を、わたくしの管理する“狭間”までお連れになってくれた」
少し考えたのち、天使は小声で言い加える。
「これはあまり、肯定してはいけない立場なのですが……」
「なんだ?」
「わたくし個人としては、あの闇術師さまたちもご賞賛されるべきだと思っています」
天使が“破壊の使徒”たちを褒めるなど、推奨されることではないのだろう。大きな羽を器用に曲げて口元を隠し、呟いた。
「“加重魔術”の成功率は、決して高くない――“逆流”の危険もあった中、あの場でよく迷いなく唱えられたものです。剣の破壊には必要な力でした」
仲間への嬉しい言葉に、エッドの口から自然と牙が覗く。
天使は見なかったフリをし、あらぬ方角を見上げた。
背後から、ためらいがちな低い声がかかる。
「亡者」
「エッドだ。“魔物”に対する見方が少しでも変わったなら、そう呼んでくれると嬉しい」
「……」
所在なさげに立っていた聖術騎士は、エッドの申し立てを真剣に吟味する。
「……いや。やはり、貴様はどこからどう見ても“亡者”そのものだ」
「そりゃ、間違いじゃないけど。で、どうしたんだ騎士様?」
少々の当て擦りを込めながらそう訊くと、ジリオは鎧に覆われた腕を組んで言った。
「その……世話になった。恩に着る」
「仁王立ちでそう言われたのは、はじめてだな」
想い人が頑固なのは、祖先を越えてこの師から受け継いだものなのかもしれない。
エッドはひとりほくそ笑み、手を挙げて気軽に言った。
「べつに、いいって。俺がやりたくて、勝手にやっただけだ」
「ふん。では、こちらも勝手にさせてもらおう」
小さな声で吐き捨てるも、その口の端に笑みが浮かんでいるのを見てエッドは心中で驚いた――きっと魔物の中では、自分がはじめて目にしたに違いない。
そんな思いに耽っていると、尖った声がエッドの耳を打つ。
「それでは、“微笑ましい”ご挨拶もお済みになったところで……わたくしは、本来の業務に戻らせていただきたいのですが?」
「そうだな。俺も、そろそろ現世に帰るとするよ」
「……その件ですが」
事務的な口調が一段と冷たくなるのを、エッドは聞き逃さなかった。不吉な傾向である。
しかし、慌てたりはしなかった。
どこかでこうなることは予想はしていたのだ。
「どうした? 君らしく、はっきり言ってくれ」
「……。本当に、率直にお申し上げても?」
口調に反し、天使の顔にはわずかな躊躇が浮かんでいる。
「ああ」
エッドがもう一度うなずいてみせると、しばらく間をおいてやっと返答があった。
「このまま現世のお身体にお戻りになっても――あなたさまはもう、あちらで“起きあがる”ことは出来ません」
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