第10章(2)命の灯火

一か月後


「現在も首都圏を中心に大雨が続いています」


アナウンサーの声が響く朝日家のリビングでは頼光と高彦が並んでニュースを見ていた。


テレビ画面には「大雨特別警報」「東日本の各県 甚大な被害の危険迫る 最大級の警戒」「気象庁が最大級の警戒呼びかけ」「周囲を確認し直ちに安全確保を」と、大雨を警戒する多数のテロップが並んでいる。

    

「暴風、河川の氾濫、低い土地の浸水、土砂災害の警戒が必要です・・・」


テレビ画面を食い入るように見つめながらアナウンサーからの呼びかけを熱心に聞き入る頼光と高彦は、日本列島に3週続けて直撃する台風を目の当たりにして、年を重ねるごとに激しさを増してゆく異常気象に心底恐怖するようになっていた。


地球の異変も然ることながら、孫のことが一番心配な頼光は真剣な表情をしながら高彦に朋友の具合について訊いた。


夏子が毎日病院へ通い朋友に付き添っているのだが、朋友の意識はまだ戻っていないことを高彦から告げられた頼光は胸が痞え言葉が出ない。


朋友の一日も早い回復を心待ちにしている高彦も絶望に近い感情が重苦しく全身を支配して項垂れたまま沈黙した。



幾つかの計器が置かれた病室内で依然としてベッドに横たわり目を覚まさない朋友を見舞って、この日は朝から松島と町井が病院に来ていた。


未だに意識の戻らない朋友へ声が届いているのか、否か、分からなくても朋友に「聞こえるか?」と話しかける松島と朋友の回復を切に願いながら心配そうに見つめる町井。


楽しみにしていた夏の花火大会とお祭りも大雨で中止になったこと、担任の雨音先生が急病で欠勤して学校も何だかドタバタしていることを朋友に言い聞かせるように松島は語りかける。


更には朋友がいないと何だか明るくならなくて元気が出ないこと、朝日朋友がいないから雨ばっかり降っているじゃないかと、今の状況を高ぶる感情を抑えながら伝えた。


そんなふたりの懇篤こんとくな人柄に接した夏子は、朋友の表情を眺めると朋友が嬉しそうに微笑んでいるように見えた気がした。


「朋友には早く元気になって貰いたくて・・・俺、朋友がいないと何か、ポッカリと胸に大きな穴が空いたって言うか、兎に角、此奴がいないと駄目んです。俺・・・また来ます! 行こうか、のぞみちゃん!」


「うん」


「お邪魔しました」


「お大事になさってください」


そう言い残して頭を下げてから病室を退出する松島と町井を夏子は見送り、良い仲間を持ったねと心の中で呟きながら朋友の表情を見返した。



同日の午後


朋友の手を優しく握りしめながら結子は清らかな気を朋友の肉体に送り続けていた。夏子と同様に朋友の病室へ一日も欠かすことなく通い続けている結子は朋友を献身的に看病していた。


肉眼では見ることの出来ない世界の事情について理解力のある健彦に頼んで事務所と学校それぞれに連絡を入れて貰うことにより芸能活動を休んでいたからこそ、結子は毎日欠かさず朋友の病室に通えていたのである。


そして此の間、狐たちに憑依されていた生徒や教師たちを次々に祓い清めて学校を正常化した結子。しかしながら、更に膨大な数の狐たちが暗躍し、騒擾していることを憂いながら跳梁する魑魅魍魎たちをどのようにして相手にするのか、朋友をどうやって救うのか、結子はひとり思案していた。


そんな中、医師に呼ばれた高彦は病院に到着すると夏子とふたりで主治医と面談した。ふたりは主治医から未だに目を覚まさない朋友の容態について告げられる。朋友の現状は何とか命を繋いでいる状態であり、回復の見込みは厳しく目覚めたとしても何らかの障害が出る可能性が高いという内容であった。


夏子は話の途中から頭の中が真っ白になってしまい、医師が何を言っているのか覚えていない。そんな夏子の体を支えるように寄り添う健彦も何とか気丈を振る舞うものの深い悲哀ひあいに打たれていた。


意気消沈するふたりとは対照的に、結子は命の灯火を絶対に消させはしない揺るぎない意志を持ち続けている。


「大丈夫・・・朋友は、朋友は大丈夫だから!」


そう言い聞かせながら、結子は自らの命を分け与えるかのように朋友へ清らかな気を当て続けた。



黄昏時の渡良瀬川が炎々と燃えるような夕日を受けている頃、昏睡状態の朋友は夢路を辿るかの如く、今までに見たことも聞いたこともない場所にいた。


天と地が鏡面反射しているような幻想的な空間・・・辺り一面が真っ白でありながら、その空間は煌びやかな光を放っている。不思議と温かく穏やかな気持ちになり心地よい静寂が無限の広がりを感じさせる場所である。


「朋友、まだこっちに来るんじゃないわよ」


其処には朋友の母である照子がいた。


「母さん・・・」


「あなたには、まだ遣らなければいけないことが沢山あるんだから・・・わかったわね!」


「母さん、母さん!」


朋友は去りゆく照子の後ろ姿を見つめながら手を差し伸べても照子に朋友の手は届かない。明るい光の中へ消えてゆく照子と逆の方向からひとりの愛らしい童女が現れた。


明鏡のような澄んだ瞳、甘美かんびな幻を見ているかのような佇まい。清らかな気を全身から放ち、まるで婉美えんびな舞姿を想わせる足取りで童女が朋友に近づいた。


童女の伸ばした腕の先端にある小さくて柔らかい指が朋友の手に触れた瞬間、童女は佳麗かれいな少女の姿に変わっていた。


「結子!」


溢れんばかりの笑顔をした結子は朋友の手を取り走り出した。柔らかく温かい手の感触と清らかで甘やかな香りに包まれた朋友は晴れやかな気分になり自然と笑顔になってゆく。


降臨して来た女神を連想させる純潔な結子に先導され、導かれてゆくことに感謝の意が溢れ出て来ることを感じていた朋友の視界に今度は御神鏡が飛び込んで来た。


いつの間にか見知らぬ神社の拝殿内にいた朋友は、白無垢を身に纏い結った美髪を綿帽子わたぼうしで覆った見目麗しい花嫁姿の結子の隣に並んで立っている。


花嫁姿の結子は朋友に顔を近づけささやいた・・・綿帽子に覆われていた目元まで近くで見ることは出来なかったが、艶やかな唇の動きを窺うことは出来た。


神前で結婚式を挙げているふたりを祝福するかのように拝殿内に清らかな気が満ちて来たかと思うと、更に明るい光に包まれた朋友の前には子どもを抱いて微笑んでいる結子がいた・・・



病室でひとり朋友の手を握りしめながら朋友に清らかな気を当て続けている結子は、自身に飛び込んで来た未来の記憶を辿り、そのひとつひとつを丁寧に想い返していた。


何故なら、未来の記憶の中に朋友を救うことが出来る情報が必ずあることを直感的に理解していたからである。


人の域を超えた天稟の身体感覚を駆使して、時空間に点在する膨大な情報から一握りの解を導き出すのである。



集中力を高めた結子は未来の記憶の中にいた・・・清らかな気が空間のすべてを覆い尽くしている世界。


降り注ぐ陽光の恵み、吹き抜ける爽やかな風を浴びながら、結子は金色の稲波の上を神々から授かった生彩せいさいを放っている丸い形状をした御霊たまを手にしながら歩いている・・・



「私、知っている・・・朋友を救う方法を!」


病室で朋友の手を握り締めている結子は、未来の記憶の中に存在していた朋友の命を救う手段を見つけ出し、その方法を自身が既に知っていることに気がついた。


朋友を救うべく結子は静かに双眸を閉じて更に集中力を高める。結子が双眸を開いて柏手を打つと病室は此れまでに増して清らかな気に包まれて幻想的な空間へと変化してゆく。


其れと同時に蒼く煌めく双眸をした結子の右掌に半透明な清らかな御霊が表れる。


結子は朋友の胸に右掌を当て、その御霊を朋友の肉体へ宿した。そして、再び澄んだ双眸を閉じて神々へ意識を向けた結子は静かに双眸を開けて柏手を打つ。


そうすると次の瞬間、朋友の肉体から眩い光が放たれて全身が生気に満ちた状態になると光彩は静かに消えた。


「朋友・・・」


結子の呼びかけに答えるように朋友は静かに眼を覚まして優しい眼差しで結子を見つめた。


「よかった・・・本当に、よかった・・・」


朋友が甦ることを誰よりも信じて願い、命の灯火が明かりを取り戻すことは必定ひつじょうであると知っていた結子ではあったものの、朋友の身を案じて憂虞ゆうぐしていた結子は安堵するあまり朋友の手を握り締めながら体を震わせ涙した。

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