第67話「曖昧模糊(あいまいもこ)」
いろいろあった7月4日の夜、サアヤさんがラインで何度も執拗に謝罪してきて、最初はめんどくさいから既読スルーしていたけど、さすがにうざったくなって、「別に怒ってないから、もう謝らなくていいですよ」と送らざるを得なくなった。
さしもの俺も、付き合ってもいないくせに嫉妬してくるサアヤさんにはうんざりしかけていたが、何度既読スルーされてもめげることなく「ごめんなさい」と謝罪し続けるサアヤさんに対して、怒りの感情を抱くことはできなかった、やっぱり俺って、お人好しなのかなぁ……
ひょっとして、今頃サアヤさんはスマホの画面を見ながら、「ウフフ、やっぱりサトシくんって、チョロい男ね……」とか思って、ほくそ笑んでいるのかもしれない? いや、あのサアヤさんに限って、そんな裏の顔があるとは到底思えないな。
まあ、今日はアウティングをするわけにはいかないという事情があったから仕方がないにせよ、明日からは自分の言いたいことは我慢せずに言えるようになろう、そうしよう。
嫌なことは嫌だときちんと言えるようにならないと、これから先、命がいくらあっても足りないかもね……
7月5日と6日は特に何もなく、無事に迎えた7日の七夕、ナナの誕生日。
もちろん、「襲撃」が空振りに終わらないよう、福原さんに「二人きりでしたい、大事な話があるから、部活を休んで、家にいてほしい」というラインを事前に送って、アポを取っておくように頼んでおいた。
俺は子供の頃に母親を亡くしているが、ナナはナナで中学生の時にお父さんを病気で亡くしており、当然、お母さんが働いているので、平日の夕方は家にいるのはナナだけだった。
俺の家と同じようにナナの家も、家人在宅時は玄関に鍵がかかっておらず、簡単に侵入することができた。
そして、サングラスをかけた俺と福原さんは速やかにナナの部屋の前に移動し、わざと「バタン」と大きな音を立てて、ドアを開けた。
「
「パーン! パーン!! パーン!!!」
もちろんこの「パーン!」というのは銃声などではなく、ただのクラッカーの音である。
「何!? 何!? 何!?」
俺と福原さんの「襲撃」に、ナナは驚き、大きな声をあげて、耳をふさいだ。
「ナナ!」
「ナナちゃん!」
「お誕生日、おめでとーう!!」
クラッカーを鳴らし終えた俺と福原さんはいったん廊下に出てサングラスを外し、事前に用意しておいたバースデーケーキが乗った皿を二人で持ちながら、再びナナの部屋に入っていった。
「もうー! なんなのよ、ビックリするじゃない!!」
「またまた、嬉しいくせに……」
「もう……」
ナナは一瞬怒った素振りを見せたが、福原さんの言葉を聞いてすぐに機嫌を直した。
俺と福原さんはバースデーケーキを、ナナの部屋にある丸テーブルの上に置いた。
「はい、ナナちゃん、これ、誕生日プレゼントだよ」
福原さんが例の「エッチなしたぎ」をプレゼントしたので、俺も「これは俺からのプレゼントね」と言いながら、18禁百合エロ漫画と百合エロ同人の詰め合わせの入った袋をナナに渡した。
福原さんは「エッチなしたぎ」を綺麗にラッピングしていたが、俺は中身が見えない黒いビニール袋に入れただけで、特に何も飾ってはいなかった。
「あ、ありがとう……何が入ってるのかな? 開けてもいい?」
「いや! ここで開けるのはちょっと……あとで一人の時に開けてくれないかな……」
「そ、そうだね……あとで開けて、あとで……」
「ん?」
ナナは不思議そうな表情をしたが、福原さんが「あとで開けて」と言ったからか、プレゼントの入った袋を開けることはなく、脇に置いた。
「とりあえず、ケーキ食べようよ、ケーキ」
福原さんのその言葉で、俺たち3人はテーブルの前に座って、俺が家から持ってきたナイフを使って、福原さんがケーキを3つに切り分けた。
「うーん、おいしいー!」
もちろん主役のナナがそれを真っ先に食べて、ご満悦そうな表情を浮かべた。
「よかった、ナナちゃんに喜んでもらえて」
このケーキを用意したのは福原さんであって、俺は一切関与していない。
でも、最低でも3000円ぐらいはしそうなケーキで、「福原さんって、お金持ってんだな」と思いながら、そのケーキを食べた。
「どう? 池川くん、おいしい?」
「うん、おいしいよ。福原さん、いいケーキ、買ったんだね」
「うん、そうだよ、高かったんだからねー、味わって食べてよねー」
アウティングをしなかったのが功を奏したのか、7月4日のあの一件以降、俺は福原さんに気に入られたらしく、ともすれば、お邪魔虫と言えなくもない俺を、ナナの誕生日パーティー……と呼ぶにはあまりに小規模だが……に招待してくれて、一緒に誕生日を祝うことを許可してくれたのである。
福原さんいわく「ナナちゃんの幼なじみは、私にとっても幼なじみみたいなもんだから仲良くしようよ」ということらしい。
どうも、福原さんは百合漫画にいがちな、邪心いっさいなしの「朗らか主人公」のような性格をしているみたいだった。
決してどっかの誰かみたいに、「自分の好きな人に近づく異性は誰であろうと許さない」というタイプではなかった。
福原さんとちゃんと話すようになってから、まだ一週間も経っていないが、俺の福原さんに対する好感度は急上昇していた。
そして、福原さんのことを知れば知るほど、「俺よりも福原さんの方がナナの恋人にふさわしいよな」と思って、白旗上げざるを得ないのであった……それぐらい、福原さんの人柄は、少なくとも俺よりは、はるかによかった。
「ところでセイラちゃんに聞いたんだけど……」
ケーキを食べ終えたナナが、ティッシュで口元を拭いてから、俺に話しかけてきた。
「サトシにもついにカノジョができたんだってね、おめでとう。我がことのように嬉しいよ」
「あ?」
ナナにそう言われても、俺には心当たりがいっさいなくて、戸惑うことしかできなかった。
「あれ? 言っちゃダメだった? ほら、この間、ナナちゃんの誕生日プレゼント一緒に買いに行った時に、池川くんのカノジョに見つかって、やきもち焼かれたじゃんか」
ああ、なんだ、サアヤさんのことか……福原さんはいい人だけど、この作品に出てくる女子たちはどうも、思い込みや勘違いが激しくて困る……
でも、その思い込みや勘違いを「別にいっか」などと思って、正そうとせず放置する俺にも問題があったのだ。
幸い、ナナとは長い付き合いで、福原さんは見た目に反して人懐っこい性格なので、何も遠慮すること必要はない。
今日から俺は、「違うことは違う」とはっきり言える男に生まれ変わってやるのだ……
「いや、違うよ。その人……名前はサアヤさんっていうんだけど、サアヤさんはカノジョじゃないよ。付き合ってない」
「え? そうなの!?」
俺の言葉を聞いた福原さんは驚きの表情を浮かべ、ケーキを食べる手も止めてしまった。
「うん、そうだよ。多分、サアヤさんは俺のことを好きなんだと思うけど、正式に告白されてはいないし、付き合ってもいない」
「そ、そうなんだ……付き合ってもないのに、あんなにやきもち焼いてくるの? ヤバくない? 付き合ってもないのに『カノジョヅラ』するとか、ストーカーじゃん、ストーカー……」
福原さんの言葉を聞いて、俺は改めて思った。「やっぱり第三者の目から見ると、サアヤさんの言動は異常に映るのか」と……
「え? ストーカー? サトシにストーカー?」
福原さんは俺の代わりに、7月4日のあの一件のことをナナに簡潔に伝えた。
「ふーん……サトシ、ひょっとしてサアヤ先輩のせいで迷惑
普段、キツいことを言われたりもするが、やはりナナは根本的には幼なじみ思いの優しい女子なのだ。
「いや、迷惑かと言われると存外そうでもなく……」
「でもサトシ、怖くないの? 付き合ってもない人に、カノジョヅラされるだなんて……」
「いや……今まで一度も、サアヤさんのことを怖いと思ったことはないかな」
俺は目を閉じて腕組みしながら、考えてみたが、たしかにサアヤさんに対して「恐怖」の感情を抱いた記憶はなかった。
「じゃあ、池川くんはあのサアヤさんって人のこと好きなの?」
「わからない」
福原さんの問いには正直に答えたのだが、ナナはその答えでは納得してくれないみたいだった。
「わからないって……向こうはあんなに『好き好き』アピールしてくるのに、そんな
「うん、それは友達にも散々言われてるけど、でも告白されてないのにふるってのも、自意識過剰のヤバい奴じゃん」
「じゃあ、サトシはサアヤ先輩に告白されたら付き合うの? そういうつもりはあるの?」
「わからない……」
俺がやっぱり、どっちつかずの煮え切らない態度を続けるものだから、ナナは呆れ顔になった。
「あのねえ……サトシのそういう優柔不断なとこ、よくないよ」
「わかっちゃいるけど、優柔不断だからこそ、ふったあとに『やっぱ好きでした、付き合ってください』とかなりそうで怖い……」
「サトシ……」
ナナの心底呆れきった表情とともに、サアヤさんの話は終了し、あとはナナと福原さんのガールズトークに相づちを打っているだけで時は過ぎゆき、時刻は福原さんの門限である夜7時を迎えようとしていた。
福原さんの家が正確にどこにあるのか、俺が知るわけもないが、俺やナナの家の近所にあるらしく、福原さんは門限ギリギリまでナナとのガールズトークを続けていた。
「さすがにそろそろ帰らないと怒られるなぁ、それじゃあ、また明日ね、ナナちゃん」
福原さんはスマホで時間を見て、ナナの部屋を出ようとしていた。
「ん? 明日? 明日は土曜日だから休みなんじゃないの?」
今年の7月7日は金曜日だった。
「休みだから、セイラちゃんに勉強教えてもらおうと思ってるのよ。ほら、来週は期末テストじゃない」
「あっ、そうだった……」
さすがに期末テストのことを忘れてはいないが、今週はいろいろあったので、勉強ははかどっていなかった。
文系科目はそれでも高得点を取る自信があるが、理系科目の方はまったく自信がなく、まだ一年生一学期の期末テストでありながら、赤点の恐怖に怯えていた。
「何よ、サトシ。まさかテストのこと忘れてたの?」
「いや、さすがに忘れてはいないけど、最近いろいろあったから、あんまり勉強できてなくて……」
「じゃあ明日と明後日、池川くんも私たちと一緒に勉強する?」
「え? いいの?」
理系科目赤点の危機にある俺にとって、福原さんの誘いは渡りに船だったが……
「いいよ、いいよ。池川くんにはいろいろ迷惑かけちゃったみたいだから、罪滅ぼしに勉強教えてあげるよ。ねっ、ナナちゃん、いいよね?」
「え? ああ……うん……いいけど……」
ナナの表情はとてもじゃないが、「いいけど」の表情には見えなかった。
やはり、ナナとしては恋人の福原さんと二人きりで勉強会をして、あわよくば18禁百合漫画みたいなことをしたいとか思っていたのではなかろうか?
「じゃあ決まりね。勉強会は明日の昼の1時からだから、遅れないように来てね、池川くん。それじゃあ」
しかし、福原さんはカノジョのナナに対しても強引であるらしく、ナナは断れず、俺は辞退できぬまま、福原さんはさっさと自宅に帰ってしまい、この週末の3人での勉強会開催が確定してしまったのであった。
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