第15話「イギリスの世襲貴族」
「ところでアカちゃん先生! 今日からの新しい仲間は二人いるって言ってましたよねー。もう一人って誰なんですかー!?」
クレナお嬢の机及び椅子搬入作業が完了したのを見た、名も知らぬモブ女子の一人がアカちゃん先生に質問した。
モブのくせに、ヤジだけでやたら目立つ女子の言葉を聞いたアカちゃん先生はわかりやすくハッとした。
「ああ、そうだった。もう一人のお方も
「先程からずっと廊下に立ってらっしゃいますけど……」
「な、なんと無礼な……早くお連れしなさい!!」
「わ、わかったよ、お姉ちゃん」
「職場で『お姉ちゃん』って呼ぶな!」
アカちゃん先生の命令を受けたミズキ先生が、廊下から連れてきたのは、昨日廊下でクレナお嬢と一緒に歩いていた、あの金髪碧眼の留学生だった。
ミズキ先生に手を取られ、教卓の前に立った金髪留学生は、誰に言われるでもなく、勝手に自己紹介を始めた。
「ミ……ミナ……サン……ハ……ハジメ……マシテ……ワタシ……ノナマエハ……Roberta(ロバータ) Battenriver(バッテンリバー)……デス……アー……ウー……」
「ロバータ・バッテンリバー」と名乗ったその金髪留学生の日本語はとても拙く、そして英語訛りがひどかった。
自分の名前だけは完全にネイティブの発音で言っていて、我ながらよく聞き取れたものだと思った。
「えー、ロバータ・バッテンリバーさんはまだ来日したばかりで日本語が不慣れなので、ここからは私が説明しよう」
言葉に詰まった金髪留学生に助け船を出したのはアカちゃん先生だった。
「バッテンリバーさんはイギリスからの留学生で、聞いて驚け、世襲貴族のお嬢さんだ」
世襲貴族? 何それ?
「先生ー! 世襲貴族ってなんですかー」
俺が質問するまでもなく、やたら目立つモブ女子の一人がアカちゃん先生に質問した。
「うん、イギリスは第二次世界大戦で負けなかったから、今でも貴族がいるんだ。貴族にも世襲貴族と一代貴族の二種類あるのだが、世襲貴族とはつまり、先祖代々貴族の位を受け継いできた人たちのことで、まあ、日本で言えば大名家みたいなものかな」
なるほど、昔の日本風に言うと、華族のお嬢様ってわけか……ていうか、お嬢様多いな、この学校、さすがは超進学校ってか……
「ちなみにバッテンリバーさんのお父さんは現役のイギリス貴族院議員……ようは政治家だ。何か粗相があったら国際問題に発展するから、絶対に粗相のないようにしろよ、お前ら!」
クレナお嬢のせいでしおらしくなっていたアカちゃん先生がようやく本来の口調に戻った。
でも俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
良家のお嬢さんが見聞を広めるために海外に留学するというのはよくあることなんだろうと思う。
でも、なぜに留学先が
言うちゃあなんだが、防府市なんて日本国内の人にもほとんど知られていないようなマイナーな都市である。
防府市のことを知っている日本人なんて、山口県中部に縁故のある者か、熱狂的な競輪ファンか、競輪選手のいずれかのみのはずである。
なぜ、そんなところにイギリスの世襲貴族のお嬢さんが留学しに来たのか?
留学するにしても、東京とか大阪とか、大使館とか領事館がある都市に留学するもんじゃないのか?
なにゆえに防府?
「先生ー! なんでそんなすごいお嬢様が、こんな田舎の学校に留学してきたんですかー!?」
俺の疑問はまたしても、名も知らぬモブ女子のおかげで、解決することになりそうだった。
なんなんだ、このモブ女子三人衆……便宜上、モブ
この三人衆には俺の心が読めているとでもいうのか?
それとも「みんな考えることは一緒」ってだけか?
「その質問についてはわたくしがお答えいたしますわ!!」
モブ美の質問を聞いたクレナお嬢は、特注の豪華な席から立ち上がり、教卓の前に立っていた金髪留学生……たしか名字はバッテンリバーさんの横に並んで立った。
「こちらのロバータ
そこから、クレナお嬢のくそ長い話が始まった。
あまりに長すぎるのでかいつまんで説明するが、クレナお嬢が、ヤマダ自動車社長のお父さんとイギリスに行った時に、バッテンリバーさん……クレナお嬢風に言えば「ロバータ卿」……のお父さん(貴族院議員)と仲良くなって、バッテンリバー家の邸宅に招かれ、その時にお嬢とロバータ卿は出会って意気投合し、友達になったのだそうだ。
その後も手紙やメールでやり取りを続けた結果、ロバータ卿は留学先にこの防府ヤマダ学園を選ぶことになったらしい。
ロバータ卿が家族と話し合った結果、「まったく見知らぬ人だらけの都会に留学するよりも、友達のいる地方都市に留学した方がいいだろう」ということになったらしい。
これだけの話……たったこれだけの話なのに、クレナお嬢の話は冗長……冗長になった原因の大半は、クレナお嬢の無駄な自慢話のせい……で、話し始めてから10分ぐらい経ったのに、未だ話は終わらず、クラスメートの大半は
しかし、クレナお嬢に逆らうと最悪退学まであり得るので、さしものモブ女子三人衆も、ヤジを飛ばしたりはせず、黙って話を聞いていた。
「あ、あの、お嬢様……」
「なんですの? アカリ。まだ話は終わってない……」
「そろそろ1時間目の授業が始まるんですよ。だから、そろそろ話を終わらせていただけると助かるのでございますが……」
いろんな意味で、アカちゃん先生の敬語には違和感しかなかった。見た目的にも、生徒には乱暴な言葉づかいをするくせに、権力者にはおもねって、丁寧な言葉づかいになっていることにも……
「あら、そうですの? さすがに授業を潰してしまってはお父様に怒られてしまいますわね。とにかく、ロバータ卿はわたくしの大事なお友達。皆さんもぜひ仲良くしてあげてくださいましね」
「そ、それでバッテンリバーさんの席なのですが……」
「アカリ。ロバータ卿はまだ日本語に不慣れなのですから、英語をしゃべれるこのわたくしがサポートしてあげないといけませんのよ。ロバータ卿はわたくしの隣の席にして差し上げなさい」
クレナお嬢は、ロバータ卿を伴って自分の席に帰ってきた。
そして……
「そこのメガネのあなた。先程のわたくしの話、聞いてましたわよね。そこはロバータ卿の席ですわ。おどきなさい」
「え?」
「お・ど・き・な・さ・い!!」
「はい! どきます!! 今すぐどきます!!」
哀れ、俺の右斜め前の席の、名も知らぬメガネモブ男子は、クレナお嬢の圧力に屈して、
こうして、窓側、一番後ろの俺の席は、前にクレナお嬢、右斜め前にロバータ卿、右隣にコミュ
ていうか、クレナお嬢、ロバータ卿のことを友達だなんだと言うておきながら、ロバータ卿には特注品の机と椅子を用意することはなく、他の生徒と同じ机と椅子を使用させていた。
自分しか特注品使わんのんかい……
と思ったけど、万が一にもクレナお嬢に聞こえてしまったら、ややこしいことになるので、口には出さずにおいた。
そんな嵐のようなホームルームのあと、さすがは超進学校の防府ヤマダ学園、入学式の翌日でありながら、早くも普通の授業が始まってしまった。
ナナのために無理して入った高校だけに、特進クラスでもないのに授業の難易度はとても高く、寝不足の俺には先生たちの言葉はまったく頭に入ってこなかった。
クレナお嬢付きの爺やのそごうさんが、俺のすぐ目の前に立っていて、クレナお嬢のことを見守っているから、集中力を削がれたというのもあるが、やはり一番の原因は寝不足と頭痛だろう。
このままじゃいかんと思って、休み時間に仮眠を試みたが、
「サトシ様。いい機会だから紹介いたしますわね。こちら、わたくしのお友達のロバータ・バッテンリバー卿ですわ」
クレナお嬢に邪魔されて、一睡もすることはできなかった。
「そしてロバータ卿、こちらはわたくしのフィアンセの池川サトシ様ですわ」
「Oh(オー) fiance(フィアンセ)」
朝から頭痛に悩まされ続けていた俺には、いちいちツッコんでいる余裕はなく、黙って見守ることしかできなかった。
それにしても、目の前のお嬢様二人、とても見目麗しゅうございますな。
クレナお嬢はモデルのような長身スレンダー、ロバータ卿はグラビアアイドルみたいながっしりムッチリ体型。
改めて近くで見たロバータ卿は触ったら柔らかそうな体をしていたし、おっぱいも大きかったが、もし触ってしまったら、MI6から派遣されたボンドに、最悪暗殺されてしまうことだろう。
絶対に、触ったりしないようにしないと……いや、相手が貴族のお嬢様じゃなくても、女性の体に無断で触れてはダメなのだけれども……
それにしても、天然の金髪って生まれて初めて見たけど、やっぱり美しいなぁ……瞳も青いし、ロバータ卿はまさに日本人が思い浮かべる、西洋の美女そのもの、「イギリスの妖精」だった。
「あら、サトシ様。いくらロバータ卿がお美しいからって浮気はいけませんわよ、浮気は……」
浮気も何も、俺とクレナお嬢は、昨日初めて会ったばかりの、現状、ただの知り合いだと思うんですが……
そう思っても、頭痛が邪魔して、しゃべることはできなかった。
まあ、しゃべったところでクレナお嬢が、俺の言葉に同意してくれるとは到底思えないが……
「いやー、池川くん、モテる男は大変ですねー。うらやましいなー、この、色男!!」
隣の席から聞こえるパーラーの
「サトシ様は
俺がどんな態度を取っても、クレナお嬢はいい風に受け取ってくれるみたいだった。
恋の病って、恐ろしいのね……
「サトシ様。一緒に帰りましょう。わたくしの車に乗せてあげますわよ」
やっと放課後を迎え、早く家に帰って仮眠しようと思っていた俺の前に立ちふさがったのは、またしてもクレナお嬢だった。
帰りの時間を迎えて、すぐに席から立ち上がって帰宅しようとした俺に、逃げるスキを与えてはくれず、特注の椅子に後ろ向きに座りながら話しかけてきたのだ。
「い……一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしいし……」
「恥ずかしい? サトシ様はシャイボーイでらっしゃいますのね。そんなところも素敵ですわよ」
当たり前なのかもしれないが、俺の渾身のボケがクレナお嬢に伝わることはなかった。
「いや、俺、自転車通学だから、自転車置いて帰ると、明日の朝、困ることになるし……」
仕方がないので、俺は本当のことを言った。
「あら、自転車ぐらい、
「いや、そんな……悪いから……」
「なんだったら、明日からは毎朝、サトシ様のおうちに車でお迎えにあがってもよろしいんですのよ。そうすれば自転車なんか必要ありませんわ」
「いや、そういうわけには……」
冗談じゃないよ、このお嬢に自宅の場所を知られてしまったら、面倒なことしか起きないって……絶対知られないようにしなければ……
「お嬢様。嫌がっているものをむりやり乗せるのはよろしくありませんぞ」
クレナお嬢の押しの一手に困惑している俺を助けてくれたのは、意外にもそごうさんだった。
「でも十河……」
「
いや、さりげなくすごいこと言ってない? この、おじいさん……俺、3年間クレナお嬢と同じクラスになることが確定しているの?
「ふむ。それもそうですわね。あまり早く陥落されても面白くありませんものね」
「はい、そうです。難攻不落な城の方が落とし甲斐があるというものです、お嬢様」
「そうですわね、オホホ、オホホホホ」
俺、城になったつもりはないんだけどな……
「それではサトシ様。今日のところはこれでごきげんよう。また明日お会いしましょう」
クレナお嬢は俺に向かって手を振りながら、そごうさんとロバータ卿を引き連れて去っていった。
俺は思わずにはいられなかった。
「やっぱりこの高校は俺には分不相応だったか。今からでも遅くはないから、普通の県立高校に入学し直そうかな……」
そんなこと、思ったところで実行に移せるはずもないのだが……
「あら、サトシじゃない」
いろいろあって、今日も疲れ果てていた俺は、学校の玄関で偶然、ナナと出会った。
「今、帰りなの?」
「うん」
「そうなんだ。じゃあ一緒に帰る?」
「うん、そうしよっか」
こうして、またしても自転車を手で押しながら、ナナと会話ができる時間がやってきた。
「今日は一日どんな感じだった?」
「うん、いろいろあって気疲れしたし、寝不足でずっと頭が痛かったから大変だったよ」
「あー、また夜遅くまでパソコンでエッチなゲームしてたんでしょー?」
まったく思いもよらぬ方向から危険球が飛んできて、俺は動揺せずにはいられなかった。
「し、してないよ」
「ホントにー?」
ナナはいたずらっぽい表情で、俺の顔をのぞき込む。
「ホントに」
「ウフフ。私としても冗談で言ってるんだから、そんな本気で受け取られても……」
どうやら俺はナナには一生かなわないらしい。
そう、敵わないし、叶わない……なんて言葉遊びにはなんの意味もない……
「そういうナナはどんな一日だったの?」
「私? 私は別に、特別なことは何もない、普通の一日だったよ」
「そうなんだ」
「たださー、私の近くの席にさー、イノクマくんって、すっごいイケメンがいてさー、女子たちがそのイノクマくんに群がって大変なんだよねー」
また「イノクマ」か……昨日、サアヤさんたちと食事をした時にも聞いたその名前……いったい何者なんだ?
今まで聞いた話を総合するに、相当なイケメンらしいが……
「でもね、同じ中学だった女子に聞いたんだけどね、イノクマくんって相当なプレイボーイらしいよ」
「そ、そうなんだ……」
「うん、その女子によると、二股は当たり前。多い時には四股、五股かけてたぐらいの、まさに女の敵らしいよ」
「なんでそんな男がモテるんだ?」
「なんか『何番目でもいいから恋人にしてほしい』とか言う女子が多いんだってー。そう思わせちゃうぐらいのイケメンってことだよねー。まあ、私はイノクマくんがどんなにイケメンでも、好きになることはないけどねー……」
「う……」
ナナの「好きになることはない」という言葉は、俺の胸に突き刺さった。
だってナナがイノクマを「好きになることはない」理由が、「イノクマが男だから」っていうことを俺は知っているんだもの……そして、残念ながら、俺も男だ……今のところ……
いや、別に、ナナに好かれたいからってだけで性転換するつもりはないし、したところで、ナナにドン引きされて終わるだけだろうからしないけれども……
「サトシはさ……」
「ん? 何?」
またしても、いらんことを考えていた俺はナナの話をよく聞いていなかった。
「サトシはさ、二股かけたりとかしないよね?」
「す、するわけないじゃん……」
「そうだよね、サトシは一途だもんね。プレイボーイになんかならないよね」
「な、ならない、ならない……」
俺はナナがどうしてそんなことを聞いてきたのか、理由がさっぱりわからなかった。
ナナが意味深な話をしたのはその時だけで、それ以降はいつも通りの雑談だったから、なおのこと、ナナの「サトシは二股かけたりとかしないよね?」の真意をはかりかねた。
はかりかねたまま、自宅にたどり着いた俺は、さっきまで一緒にいたナナの言葉の頭に思い浮かべながら、自分のベッドに横になって、夕食までの時間、仮眠を取った。
仮眠の間に見た夢は、思い出すのも苦痛なほどの悪夢だった。
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