三の八

 小町は、田畑を駆け抜け、川を飛び越え、指定された場所へとたどりついた。

 丸衣川まるいがわにかかる橋の下、薄暗く陰気なその場所に男はたたずんでいた。

 橋の下へとすべりこむと、小町は男の前で立ちどまる。

「おや、変身してしまったんだね」

 男は優しく微笑んでいう。小町の好みのど真ん中の美しい顔をした男。こんな状況でなければ、恋におちてしまいそうなほどの美形である。それゆえ、彼のその冷酷な笑みが際立ち、小町には嫌悪感をともなって目に映る。

「約束のものは、期待してもよさそうだね」

 その男――、楯岡晴明たておか はるあきは微笑みをくずさずにいう。

「はい」

 小町は赤と緑のアルマブレスレットを晴明にわたす。

 受け取ったブレスレットを見つめ、おやと不審そうに目をぱちくりさせてから、晴明は小町に視線をうつす。

「これは、私がもらっておくわ」

 手首の黄色のブレスレットをみせて言う小町に、晴明は眉をひそめる。

「そこまであなたを信用はしてないという意思表示と受け取ってほしいわね」

「うん」

「約束は果たしたんだから、あなたのほうこそ、約束は守ってもらえるんでしょうね」

「それは、心配しなくていいよ。このブレスレット――、正確にはこれにはまっている結晶クリスタルがあれば、問題は解消される。そうすれば、君の弟も助けることができるからね」

「期待しているわ」

「君こそ、これから大丈夫なのかな」

「学校のことを言っているのかしら。余計な心配は無用よ。こっちはこっちで、目的があって転校までしたんだから。あなたの凶暴な妹が邪魔といえば邪魔なくらいね」

「いたらない妹で、申し訳ない」

 ふんと鼻で笑うと、小町はくるりと踵をかえし、晴明に挨拶もしないで橋の下から飛び出す。人を見下したような視線を背中に感じながら。

 さて、と小町は考える。

 靴とカバンを藤林家においてきてしまった。あたりが暗くなってから、変身したままでアパートに帰るしかなさそうだ。それまで、どこかで暇をつぶさなくてはならない。覚悟のうえの行動だったとはいえ、面倒なことではあった。

 しかし、ことが順調に運びすぎた感がある。まさか、初日に藤林あぐりが家に招待してくれるとは思っていなかった。あぐりにうまく取り入り、ある程度の信頼を得るまで、数日か、ひょっとするとひと月くらいはかかるかもしれない、と計画していた。しかも、会話の流れから、うまくブレスレットを取り出させ、奪うこともできた。

 ――それにしても、あの楯岡晴明……。

 とうの小町でさえも想定外の流れで、今日、ことが成就したというのに、晴明は待ち合わせ場所に待機していた。晴明の指示は、ブレスレットを手に入れたら、あの橋の下まで持ってこいというものだった。日時の指定はなかった。ずっと、橋の下で起居していたわけはないので、なにかの方法で、小町を監視していたとみるのが順当な推測だろう。

 ――やっぱり信用できない。

 晴明の思惑に取り込まれるのは、不愉快ではあったが、弟の病気を治療するためには、ほかに打開策がなにも見いだせない状況だった。

 いつから治療をはじめるのかも、その方法も、晴明は説明しようとはしなかった。なにかしらの策謀があるのも、彼の言動から洞察できた。不安と懐疑ばかりがつのってはくるものの、一縷の望みをかけられるのは彼のほかにはいない。

 病院で苦しむ弟の顔が脳裏に浮かぶ。

 ――もうすぐ、もうすぐだからね。

 その言葉は、弟に対する祈りだったのか、彼女自身の急く心を静めるためのものだったのか。


 翌朝、小町は適当なバッグに教科書や筆記用具をつめこみ、予備の靴を履いて学校へ向かった。

 通学路の途中で、クラスの本田という女子が声をかけてきた。

 昨日、多少会話をした感じでは、この女子は藤林あぐりや楯岡紫のことをあまり快く思っていないのが言葉の端々に感じとれた。実際は、そのふたりだけではなく、クラスの生徒の大半にたいして、斜めから見た人物評を持っているような、屈折のある女子だった。

 この子は使える、と小町は考えていた。

 本田といっしょに学校までくると、校門のわきにあぐりが立っていた。両手には、自分のカバンだけでなく、小町のカバンもいっしょに持っている。かたわらには紫が、刺すような目つきでこちらをにらみ、腕を組んで立っている。

 さて、どうしたものかと、ちょっと距離をとって、あぐりの前で小町は立ちどまる。本田も、カバンをふたつ持っているクラスメイトに好奇心がそそられるのか、不思議そうな目であぐりを見、小町とともに歩みをとめる。

 つかつかと、無言で小町の前までくるあぐり。

「はい」

 と冷たくいって、小町のカバンをさしだす。カバンのふくれかたからみると、中に靴もつめてあるらしい。

「わざわざどうも」

 こちらも感情をおさえるようにして言って、小町はカバンをうけとった。

 あぐりは無言で歩き去る。紫も小町をにらみつつ振りかえって、ふたりは校門のうちへと入っていった。

 その、あぐりの背に向けて、小町は憎悪の視線を注ぎ込んだ。

 ――今日から惨苦さんくと悲傷のなかで慟哭どうこくする日々を送らせてあげるわ。

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