一の十五

 あぐりは、頬がふれている体育館の床の冷たさが、なぜだか心地よく感じられた。不思議と涙はでてこない。

「フフフ、観念したか」

 カシンはつぶやくと、トンと床を蹴り、空中に浮かびあがった。

 カシンは腕を空にのばす。その手のひらの上に、氷の塊がひとつ形成された。その氷塊は、しだいに大きく、そして、先端が鋭くとがってきて、一塊のつららのような形状になってきた。しかも、三メートルはあろうかというほど、巨大に――。

 あぐりは、その光景を、うすく開いた目で見ていた。光を失い、絶望だけが満たす目で――。

 その時、不意に、今朝みた夢の、母の微笑みが脳裏をよぎった。

 ――お母さん。

 あぐりは、目を見開いた。

 ――いやだよ、終わりたくないよ……。

 高校生活、まだ、やりたいことは、いっぱいある。それに、なにより、自分を守って命を失った母のために、あぐりは、立ちあがろうと決意した。

 瞳が光をとりもどす。

「ハハハハッ、これで終わりだっ」

 カシンが腕をふり、よろよろと立ち上がりかけたあぐりめがけて、巨大なつららが撃ちだされた。

「負けないッ!」

 あぐりが立ち上がり防御体勢をとった直後、氷塊があぐりに激突し、くだけ散った。

 轟音――。

 くだけて飛散する氷塊は、蒸気と氷片の煙幕を作り出し、皆の視界を奪った。

 そして静寂――。

 居合わせた全員が、戦いの終焉をさとった。

 直後、薄らぎかけた煙幕のなかから、あぐりが上空に飛び出した。

「なにッ!?」

 驚愕したカシンの頭部に、あぐりは回転蹴りをみまった。

 その衝撃で落ちていくカシンを、あぐりは追う。

 床に激突し、跳ねたカシンの体を、あぐりは壁にむけて蹴りとばし、壁から跳ねかえったところを上空に蹴り上げた。

 カシンは、体育館の天井に激突するかにみえた瞬間、くるりと回転して天井に着地するように、とまった。そのままふわりと空中に浮かぶと、

「なめるなよ、小娘ッ」

 カシンが叫び、その周囲に、多数のつららを生成した。さきほどのものよりも、サイズは小さいものの、膨大な数量であった。

「しゃっ」

 カシンが腕を連続してふり、つららを数個とばす。

 あぐりは、それを、右に跳び、左に跳ねてかわす。

 カシンはあぐりにめがけ、さらにいくつものつららを射出する。

 あぐりはそれらもすべて、かわしきったが、狙いは徐々に正確になってきている。

「それ!それ!それッ!」

 あぐりは、走って、襲いくるつららの群れをかわすが、すぐに、壁に追い込まれる。が、そのまま、勢いをつけて、壁を走りあがり、キャットウォークの側面を横向きに駆け抜ける。その直後、直後につららが壁に、手すりに激突し、くだけ散る。

 あぐりは、壁を走りながら、体育館をぐるりと半周して、カシンの背後に回り込んだ。

 つららを撃ちつくして、ふりむいたカシンが、次のつららを生成するをあたえず、あぐりは、壁を蹴り、カシンに向かって、跳躍した。跳びながら体を弓なりにそらせ、両手を組み、カシンの頭頂部めがけて、撃ちおろした。

 体をのけぞらせて落ちていくカシンを追いこし、先に着地したあぐりは、腰を落とし拳にアルマをまとわせる。そして、落ちてくるカシンめがけ、飛び上がり、アルマパンチを喰らわせたっ!

「ぐおおおおおっ!」

 うめいたカシンは、腹部に入ったパンチの衝撃で、体がふたつに折れるかと思われるほど曲がり、その状態のまま上空に打ちあげられ、天井に巨大な穴をあけ、さらに飛んでいく。

 体育館の屋根より、数十メートルの上空で、カシンはブレーキをかけたように、とまる。

 あぐりは、渾身の力をこめてジャンプし、天井にあいた大穴を抜け、カシンの横を飛び抜け、天空に舞い上がる。

 それを追って振り返ったカシンの目にうつったのは、真紅の夕日を背にピンク色に光り輝く少女の姿――。


 あぐりは、太陽の化身に思われるほど、美しく、まぶしく、膨大な生命力を放出していた。


 全身にアルマエネルギーをまとわせたあぐりは、カシンめがけて体ごとぶつかっていく。

 カシンは、その突進をかわすことができない。引きさかれんばかりの衝撃が全身に走り、苦痛で顔がゆがむ。

「うおおおおおおおっっっ!!!!!」あぐりが咆える。

「ぐわぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」カシンが叫ぶ。

 あぐりの咆哮とカシンの叫声が重なり、たがいの体がもつれあい、ピンク色の閃光につつまれたふたりが、体育館の中へと、流れていったッ!

 床に激突した閃光は、そのまま床をくだき、地を穿ち、巨大なクレーターを形作った。爆音は空気を揺らし、窓のガラスを振動させ、ところどころでヒビが入った。体育館全体が崩壊しないのは、カシンの張った結界が作用しているのか。

 飛び散る残骸は、体育館の片隅にいる者たちにも襲ってきたが、アオイの結界がすべてをふせいだ。

 体育館内は、塵芥じんかいでつつまれる。

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