第120話 Ray of Light(11)
(1)
右、左、右、左、右、左、右、左、右、左……。
壁掛け時計の振り子の緩慢かつ規則正しい揺れ方を注視する。
右、左、右、左、右、左、右、左……。
眠気が誘発され兼ねない危険性が孕んでいても、今は誰とも会話を交わしたくない。最も、この状況で睡魔に襲われるなど有り得ないけれど。
円卓に座し、リヒャルトは揺れ動く振り子をじっと見つめていた。
アイスブルーの双眸を細め、沸々と湧き起こる怒りを抑え込みながら。
言葉もなくただ憮然と時計の振り子を眺める最上官に、円卓を囲む将軍達は顔色を窺い息を押し殺す。黙っていてさえ彼から放たれる殺気は空気を震わせ、肌を突き刺してくる。
静かに殺気立つ広い背中を、背後の壁際でフリーデリーケがさりげなく見張っていた。
彼女の視線の意味するところは周知している。
それゆえにリヒャルトの怒りは未だ収まらずに燻り続けていた。
小会議室での緊急会議と称しているものの――、実際は小会議室に軟禁、副官のフリーデリーケ及び側近の将軍達でリヒャルトがこの場から出て行かないよう見張りを行っている、といったところか。
リヒャルトの身を案じ護るためだと彼もまた充分に理解してはいる。
それでも、鎮圧部隊だけでなくアストリッドまで出動したとあれば、ただ指を咥えて見ているだけで本当にいいのだろうか。
唇から漏れそうになる溜め息を喉の奥へ流していく。
先代――、父ならどうしていただろうか。少なくとも、己と違い、起きたことに対して狼狽えることなく冷静に構えていただろう。
昏い思考の海に沈みかけるも、感傷に耽っている場合ではない。
頭を切り替えるべく、軽く目を伏せる。
ガリガリ、キィィッ。
キキキィ、キィー、キィッ。
ガガガ、ガガッ、キィキィッ。
「……何の音だ??」
耳を掻きむしりたくなるような異音に、この場に集う者全員が鼻先に皺を寄せ、不快を露わにさせた。
ちょうど、リヒャルトから見て右手側の大窓の外から聞こえてくるようだ。
「確かめて参ります」
真っ先に窓辺へと近付いていったのはフリーデリーケだった。
一歩、二歩と窓に近づけば、硝子越しに降り注ぐ日差しがダークブロンドの髪を輝かせる。窓の向こうにはくっきりと大きな黒い影が、鼻先や爪先でこつこつ窓硝子や窓枠を軽く叩いていた。
影の正体をはっきり掴むとリヒャルトもまた席を立ち、窓辺に近づいていく。
「シグムント・ゲオルグ、一体どうしたんだ」
窓を開けろと、翡翠色の細長い鼻先で硝子を小突く姿に一同、表情を引き締める。シグムント・ゲオルグはいささか興奮気味に翼をバタバタと雑に動かし、フシュ―、フシュ―と鼻息荒く吐き出している。
何か訴えでもするかのようで、隣に佇むフリーデリーケと思わず顔を見合わせる。そうしている間もシグムント・ゲオルグは、鋭利な鉤爪で窓枠の横、白く頑丈な外壁を引っ掻き続けた。
「暴動の雰囲気に当てられでもしたか……」
片手で耳元を抑え、もう片方の手で窓を開け放す。シグムント・ゲオルグを落ち着かせようと、窓の外へと伸ばした腕がぴたり、止まった。
宙で腕を止めたまま、隣に控えるフリーデリーケを振り返る。彼女も異変を察し、僅かながらに口許を引き攣らせた。
「……おそらく、この結界は、アストリッド殿が発動させたものかと」
「だろうな。ただ……、それにしては、少し脆い……気がする」
窓から身を乗り出し、周囲を見渡す。通常よりも防御結界の色が薄く、発光具合が弱いのは何故か。
王都全体を囲む薄緑を睨み、更にその上空をきつく、きつく睨む。
結界の強化に関してはエヴァやヘドウィグ、ヤスミン達がいる。だが――
「閣下!お待ちください!!」
「シグムント・ゲオルグ、君の背を貸してくれ」
引き止めようと側近達が相次いで席を立つ音も、咎めるようなフリーデリーケの視線も全て無視し、窓枠に足を掛ける。その言葉を待っていた、と言わんばかりに、鋼の鱗に覆われた背中を差し出すシグムント・ゲオルグに飛び乗った。
(2)
薄緑に包まれた世界が視界から急激に遠ざかっていく。
見えない力に引っ張られるかのようにゆっくりと背中から倒れた――、が。
「アストリッド殿!」
耳によく通るエドガーの大声が眩暈でぐるぐる回る頭にガンガンと響く。
鉄橋に背中、下手をすれば後頭部を強打し兼ねない筈なのに、身体をぶつけた衝撃も痛みも一切感じない。エドガーが咄嗟にその身を受け止めてくれたからだ。
虚空に翳した――、防御結界を発動させるために掲げた両手だけは、不思議と伸ばしたまま。
「アストリッド殿、貴女は一旦府内に下がり、怪我の手当てを!!」
エドガーはアストリッドの華奢な背中を後ろから抱え、そっと素早く立ち上がった。二人が立ち上がるのを見計らい、また何処かから石が投げ込まれる。
忌々し気に舌を鳴らすエドガーに見向きすらせず、アストリッドの両手はこれでもかと伸ばした状態が保たれている。手を下ろすことで結界の防御力が微弱ながら落ちてしまう、かもしれない。
可能性がない、などとは必ずしも言いきれはしない。
今は何としても結界を弱める訳にはいかないから。
霞む一方の視界、厳密に言えば防御結界の外側の世界は絶望しか存在しない。
王都を死守する防御結界に綻びが生じていないか。
シグムント・ゲオルグと同じ翡翠色の鱗を持ち、彼の三倍近い体長の緑竜が数十頭、結界の周囲を取り囲んでいる。他にも緑竜と同じ数だけの黒竜も。
暖炉で燃え盛る炎の色をした火竜達は黒煙混じりの鼻息と共に火炎を結界へと吐きつけ。
太陽光の反射で全身を銀色に輝かせた氷竜達は氷礫を吐き出すだけでなく、翼を大きく羽ばたかせては鋲のような形の氷柱を叩きつけてくる。
白磁の肌を、豊かな胸を惜しげもなく晒した乙女達が、百頭は超える竜達の間を優雅に羽根拡げては旋回し、唄を歌う。
蠱惑的な歌声は大気を震わせ、結界をも震わせる。
おびただしい数の異形はイザークが召喚したものに他ならない。
デモ隊は最早ただの暴徒に成り下がり、ほとんど自棄を起こす形で暴動は激化。中央軍の精鋭を招集させただけあり、鎮圧部隊の面々は混乱しながらも動きに乱れが生じない。
しかし、双方共に結界外に群れなす異形達への脅威に怯えているのは明白だった。
「……今、じ、自分がここから離れれ、ば、どうなるか……、分かりますよ、ね??」
「しかし……!」
顔面にこびりついた血糊を拭っても拭っても、割れた額からはとめどなく血が溢れ出てくる。咄嗟の応急処置で額に布を巻いても、傷口を強く抑えつけても。
「では、府内の魔女方の誰かを呼んできますよ!致命傷には程遠くとも、早いところ回復魔法で止血をしな……、って、おい!!」
今し方、二人に向かって飛ばされてきたこれが、ただの投石ならまだよかっただろう。
薄ぼんやりとしたアストリッドの視界では何が飛んできたのか、はっきりと捕えきれていない。
細長い筒状の爆薬は数本分纏めて束ねられていた。先端の導火線はチリチリ音を立て、火花がちらついてる。
エドガーの顔から血の気が一気に引いた、その時。
二人と爆薬の間を、翡翠色の大きな影が庇うように飛び出してきた。
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