第114話 Ray of Light(5)

(1)


『なぁ、さっきの野郎が話していたこと、お前ら信じるかぁ??』

『あ??あの浮浪者みたいな、きったないナリの客??馬鹿馬鹿しい!頭がイカれてるだけだろ』

『だよなぁー。目がだいぶイッちゃってたし、ヤバいクスリやってそうだしよ』

『アホらしアホらし!』

『オレらだって外出禁止令無視するアホだけどな!』

『別に国軍と魔女様方が頑張ってくれればいいだけでオレらまで制限されるこたあないし』

『そうだそうだ!あいつらがしっかりしてくれりゃいい!!』

『半陰陽の魔女様が本気出せばどうにかなるっしょ!なー??』

『そうだそうだ!なのに、あの客はよぉー』



 ――なーにが、半陰陽の魔女様の父親は暗黒の魔法使い、だよ!――



 安酒ばかりがカウンター奥の酒棚に並ぶ大衆酒場、男達の下卑た笑い声が響き渡る。照度の弱いガスランプの光が、天井に流れてくる煙草の煙と痛んだ古い板張りの床をぼんやり照らしていた。


 今を楽しく過ごせればいい。

 この世の面倒事など考えるのも億劫。

 酔いも手伝って男達の笑い声は騒がしさを増していく。


 ただ一人の客を除いて。


 彼は他の客達の輪から逃れるかのように、隅の角席で静かに酒を嗜んでいた。

 店主でさえ存在を忘れており、幽霊なのでは錯覚されそうな程の気配は薄い。

 だが、陰気な瞳には底の見えない昏い光が宿っていた。








 二階席まである馬蹄型の大講堂は集結した中央軍の将軍勢及び魔女勢、報道陣で満席となりつつあった。

 正面の舞台から見て一階席は上手側から中央に掛けて軍服の薄灰、中央から下手側はローブの黒で二分され、後方二階席からは各報道陣のシャッターを切る音と光が舞台まで届いてくる。

 彼らの頭上に輝くシャンデリア、椅子の手摺や脚に施された繊細な彫模様。

 壇上を覆い隠す上質な天鵞絨素材の赤いカーテンと金糸の縁取り。

 かつては王族専用の劇場だったこの場に漂う空気は、固く重々しいものだった。


「娘の様子が気になっているようだな」


 舞台に程近い二階のボックス席から、階下の魔女側席最前のヤスミンの様子を窺うシュネーヴィトヘンにヘドウィグが話しかける。遠目からでもはっきり確認できるくらい、ヤスミンは緊張に満ちた面持ちをしていた。

 シュネーヴィトヘンは軽く凭れかかっていた柵から身を離し、ヘドウィグを振り返る。ローブのフードを被っていてさえ、左半分が焼け爛れた顔は嫌でも目立ってしまう。

 意識的に右半分の美しい肌へ視線を向け、「ええ……」とぎこちなく頷く。元愛弟子のぎこちない態度をさして気にする風でもなく、ヘドウィグも階下のヤスミンに視線を送った。


「ふん、東の女狐ともあろうものが随分と丸くなったものだ!女は子を持つと変わると言うのは本当らしい」


 シュネーヴィトヘンと並んで柵に持たれていたエヴァが割って入ってきた。

 言い返そうとするシュネーヴィトヘンを遮り、ヘドウィグが代わりに応える。


「それは違うな、アイス・ヘクセ。ロッテは元来心優しい娘だ。娘との和解でささくれ立っていた心が落ち着いてきた、ただそれだけさ」

「娘だけ??半陰陽の魔女の従僕と元の鞘に収まったのもあるんじゃないのか??」

「さぁ、それはどうだかね」

「南の魔女からはそう聞いたぞ??」

「……あくまでハイリガーの見解さ」


 ウォルフィの話題が出た途端、ヘドウィグは憮然とした顔付きに変わった。

 蓮っ葉な口調が輪をかけて素っ気なくなり、これ以上は追及されたくないと言わんばかりにふいと顔を背ける。エヴァは首を傾げていたが、横を向いたヘドウィグの焼け爛れた左側を目にすると、彼女もまた顔を背けた。

 大講堂へ入る前――、別室で待機させられていた時に彼女とちょっとした口論を繰り広げていたのを思い出したからだ。





『放浪の魔女よ!何故、拒む!?この私がわざわざ貴様の元に出向いてやってまで火傷痕を治してやろうと……』

『気持ちだけは有難く受け取っておいてやるよ。そもそも治す気があったらお前さんに頼む前に自力で治している』

『ヘドウィグ様』

『アイス・ヘクセもロッテも。私の火傷痕に関してはもう触れないでおくれよ。私がこれでいいと思っているのだから、お前さん達が気に病む必要なんてないよ』

『勘違いするな!東の女狐はともかく、私はただ、その醜い顔が不快だから治せと言っているだけだ!!』

『エヴァ様、何てこと事を……!』

『あぁ、ロッテ、怒らなくてもいい。アイス・ヘクセは口ではああ言っているだけで、本心では私を慮ってくれている』

『は!そんな訳……』

『それより大講堂へ行く準備をするんだ。ポテンテ少佐が迎えに来る前に』



「そう言えば、ハイリガー様の姿をお見掛けしないわね」

 三人の空気が微妙に険悪になりつつあるのを察し、シュネーヴィトヘンがさりげなく話題を擦り替えた時だった。

「ハイリガー殿なら今朝方ゾルタールに帰還したわ。南方司令部でベックマン中将達と共にラジオ中継を拝聴するのではないかしら」


 普段より声量を落としていても、凛とした響きを持つ声は三人の耳にしっかりと届いた。揃って振り返れば、ボックス席後方の扉前に立つフリーデリーケの姿があった。


「いい加減お喋りは止めてください。貴女方がこの場にいられるのは、ギュルトナー元帥の温情によるものであること、お忘れなきよう」

「監視付きの上に隔離状態だがな」


 刺々しいが勢いに欠けるエヴァの悪態に反論も注意もせず、フリーデリーケは無言で受け流す。

 ようやく四人の間に沈黙が降りると、折良く舞台のカーテンがゆっくりと開かれていく――







(2)


 強い輝きを放つ照明を浴びる広い舞台。

 翼を広げる緑竜リントヴルムが描かれた国旗が二本。正面最奥の壁に交差に飾られ、国旗を背に演台のみが壇上に置かれている。

 無駄な物を一切排した簡素な舞台。しかし、まだ誰の姿もない舞台を見つめる人々の目には緊張と畏怖が入り混じっていた。厳密に言えば、「人の姿がない」だけだったが。


 会場中の視線が舞台に集中する理由――、幼体の緑竜が舞台にいるから。

 リヒャルトとフリーデリーケに手懐けられて以降、元帥府襲撃時に見せた凶暴性はなりを潜め、大人しく演台の隣に佇んでいる。だが、国の名を持つ聖獣を間近で見るのは、この国の者ならば少なからず驚きや動揺は妥当な反応。


 そして、上手の袖から、遂にリヒャルト、次いで灰緑のローブを羽織ったアストリッドが姿を現した。


 二階席からのカメラのシャッター音と光が急激に増えていく。

 絶えず明滅する光に怯えた緑竜は警戒も露わに、威嚇の態勢に入りかける。


「大丈夫だよ、シグムント・ゲオルグ。あの光は君や私への攻撃ではないから」


 演台に立ちシャッターの光を一身に浴びながら、リヒャルトは緑竜――、シグムント・ゲオルグと名付けたらしい――、の鼻先に手を伸ばし、そっと撫でつける。

 リヒャルトに宥められる内、シグムント・ゲオルグは次第に落ち着きを取り戻していく。アストリッドはリヒャルトの後ろに控え、彼らの様子を静観していた。


 聖獣を従える姿を見せつけることで王者の風格を知らしめる。

 アストリッドが提案した策は上手く機能したようで、緑竜を御すリヒャルトに人々が畏敬の念を送っている。あとは、この後の宣言でどこまで彼らの心を動かせるか。

 シグムント・ゲオルグの興奮が収まったところで、リヒャルトは改めて場内を見渡した。


 アイスブルーの双眸に固い決意を湛え、深く息を吸い込む。

 極限まで高まった会場の緊張はリヒャルトによって破られた。


「五十一年前の悲劇が再び繰り返されようとしている。……残念ながら、魔女と我々軍人の間には拭いきれない深い怨嗟と確執が、ある。これは何十年経とうが決して消えることは――、ないだろう」


 慎重に一言、一言を選び、重く噛み砕くように言葉を発する。


「憎しみは無理に失くさなくてもいい。許さなくてもいい。ただし――、その想いは己の中だけで終わらせ、断ち切って欲しい。次代にまで負の連鎖を受け継がせれば、また別の形で悲劇が起きるだろう。だから――、次代こそ、わだかまりなく平穏に共生し合う世界で生きられるよう、皆に協力願いたい。共通の敵暗黒の魔法使いを討ち取る為、今一時だけでいい、互いへの恨み、憎しみを一旦忘れてくれないか。これは命令ではない。懇願だ」


 波を打ったような静寂。

 報道陣の撮影の手はいつの間にか止まっていた。

 淡々と、それでいて熱を帯びたリヒャルトの声だけが反響する。

 さながら、舞台で独演する役者が重大な場面で長台詞を語るよう。

 威厳は保たれたまま、ただならぬ悲壮感を纏うリヒャルトの気迫に、誰もが気圧された。


「了解致しました!」


 少年にしては高く、少女にしては低い声が鳴り渡った。

 敬礼するアストリッドをきっかけに、各将軍、魔女、報道陣が続々と席を立ち、リヒャルトに向けて敬礼を送ったのだった。

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