第96話 Burn the witch(5)

(1)


 焼け焦げて枝を細らせた木々を、朧に輝く月が照らしだす。

 木々と同じく煤に塗れた地面には鉄杭が間隔を空けて打たれ、間を通るロープに『Eintritt verboten(立ち入り禁止)』の黄色い標識が吊り下げられていた。

 真夜中の静寂に包まれる闇の中、辺り一帯に銃声が鳴り渡れば、ロープで囲った黒い地面に青白い光弾が飛来する。光弾は低く軌道を描き、落下と同時に地中へ吸収されていく。

 間を置くことなく銃声は続き、その度に光弾が飛んでは地面に落下していく。五度か六度程繰り返された後、銃声は止んだ。


 立ち入り禁止区域から少し離れた場所――、かつて児童養護施設だった建物の入り口に当たる、背の低い鉄柵。

 その門扉前に立つウォルフィは、苦渋に満ちた顔付きで魔法銃のトリガーから指を離す。彼の傍にはアストリッド、エヴァ、ヘドウィグ、女体化から元の姿に戻ったハイリガーが、光弾が地中に吸収される様子を見守っていた。。


「水属性の光弾ですら糧にするのか?!あ奴は!」

「分かりません。吸収するからと言って糧にしているか、こちらの狙い通り奴の生命力を削いでいるかは……」


 掘り返してみなければ何とも、と頭を振るアストリッドに全員が肩を落とす。

 エヴァは立ち入り禁止区域――、黒水晶モリオンが埋められた場所を忌々しげに睨み据えると間髪入れず低く詠唱した。


 空気の冷え込みが一段と厳しさを増していく。

 瞬時に足元の地面には霜が降り始める。

 今にも空から雪が降り出しそうな冷たい空気に、エヴァ以外は身を震わせた。

 エヴァは左腕を伸ばし、透き通った青い光に包まれた掌を正面に翳す。

 痩せて筋張った掌から放射される光の渦は徐々に大きくなる。

 青い光はエヴァ二人分程の大きさとなったところで宙へ放り投げられ――、光の中からぬめった鱗と九つの頭と翼を持つ水蛇ハイドラが出現した。


 水蛇ハイドラは巨体をくねらせ闇に覆われた宙を泳ぐ。九つ分の頭が鎌首をもたげ、シューシューと不穏な音を発しながら。

 恐ろしくも悍ましい姿の中唯一、蒼玉サファイアを思わせる眸は爬虫類独特の無機質さを湛えている。

 だが、美しい青に獰猛さと冷酷さが宿った瞬間、ロープで囲われた地面に向けて一斉に、大きく裂けた口から青い粘液を吐き出した。


「何だ、貴様らのその目は!はっ、私が氷魔法しか使えないと思っていたのか?!生憎、水属性の魔法――、水属性の幻想生物ならば召喚できるのでな!水蛇よ!どんどん毒を吐き散らせ!!」


 エヴァが指を差して命令すれば、九つの顏は軽く頭を揺らす。

 命令に反応してか毒を吐き出す速度も毒の量も増した、気がする。

 地面は猛毒の粘液に塗れ、激しい雨後のようにどろどろとぬかるんでいく。

 泥濘の範囲は拡がっていき、ロープ外にまで到達しそうだ。


「ここまででいい!」


 遂にロープ外まで猛毒による泥濘が拡がりかけたところでエヴァは再び詠唱した。蒼く発光させた左手を上空へ掲げると――、水蛇の巨体は見る見る内に縮んでいき、泥濘に向かって飛び込んでいく。そして、先程のウォルフィが撃った光弾と同じく地面に吸収されていった。


「暗黒の魔法使いよ、地中でも水蛇の猛毒を浴びていろ!」


 地中に向かって叫ぶエヴァと入れ替わるように、今度はアストリッド、ハイリガー、ヘドウィグが一歩前に進み、それぞれが両掌を正面に翳した。

 ハイリガーとヘドウィグが詠唱する間に、アストリッドの両掌は薄緑色に光り輝き始める。光は徐々に大きくなり、ハイリガーとヘドウィグの詠唱が終わると同時に投げ放つ。続いて、後の二人からも薄緑の光が投げ放たれる。

 三つの薄緑の閃光はロープに沿って三層の防御壁へと形を変える。ふぅと軽く息を吐き、アストリッドは仲間達に向き直り、次いで、門扉の内側を振り返る。


「今夜のところはこれでいいでしょう。と、いう訳で、引き続き警備をお願いしますねー」

「……は、はっ!」


 門扉の内側で魔女達の動きの一部始終を見ていた警備兵達は慌てて我に返り、敬礼する。大魔女達の力を目の当たりにし、茫然自失状態に陥っていたようだ。


「さあ、施設の中に戻ろう」

「はいはーい」

「返事は一回でいい」

「あぁ、うちの従僕は本っ当に口煩いんだからー」


 ヘドウィグに促され、ウォルフィの小言を受け流しつつアストリッド達は施設内に足を踏み入れた。

 ブランコや滑り台などの遊具、砂場が設けられた運動場を通り過ぎ、玄関を潜る。灯りが点されていない、暗く長い板張りの廊下を歩きながら、「そう言えば」と思い出したようにエヴァが口を開いた。


「半陰陽の魔女に南の魔女。貴様ら、あの噂を知っているか??」

「噂??」

「何だ、知らないのか?!東の女狐についてだぞ?!」


 思わず顔を見合わせるアストリッドとハイリガーを、エヴァは立ち止まって呆れたように見返した。ウォルフィの鉄面皮が僅かに強張りを見せる。その僅かな変化をヘドウィグは見逃さなかった。


「アイス・ヘクセよ。余計なことをアストリッド達に吹き込もうとしないでおくれ」

「何だと?!」

「刑務所内の一部で流れていただけの、あくまで憶測の範疇でしかない信憑性の薄い噂だ。別にお前さん達は知らなくてもいい話だ」

「でも、気になります。教えてください」


 明らかに話を終わらせたがっているヘドウィグに、アストリッドは不信も露わに食い下がった。

 二十六年前、ウォルフィとシュネーヴィトヘン、もといリーゼロッテの件から、彼女がこのような態度に出る時は嘘をついている、という疑念がどうしても浮かんでしまうから。


「まぁまぁ、アスちゃん落ち着いて!ヘドウィグちゃんが隠したがるのは何か理由があるからじゃないのぉ??」

「マドンナ様」

 珍しくアストリッドではなくヘドウィグの肩を持つハイリガーを、アストリッドは不満げに見上げた。エヴァもまた同様に。

「アストリッドの言う通りだ。この女が嘘を吐くと後々ろくでもないことが必ず起こる」

 ウォルフィもアストリッドに同調し、ヘドウィグを睨み下ろす。

 冷たい怒りを交えた視線をヘドウィグは鼻先で嘲笑った。

「今更お前さんに嘘をついたところで何の意味があるんだい」

「…………」

「あぁん、もう!二人共、仲間割れしないの!!アスちゃんもウォル君も、どうしても知りたかったら元帥にでも聞いてみればいいじゃない!!そうすればどんな噂なのか、噂の真偽の程も分かるでしょお!?」


 睨み合うウォルフィとヘドウィグに堪りかね、ハイリガーは二人の間に割り込んで仲裁に入った。互いにふん、と鼻を鳴らして二人は徐に顔を背け合った。


「半陰陽の魔女よ、貴様の従僕と放浪の魔女は何だってあのように険悪なんだ??」

「えーっとですねぇ、話せばものすごーく話が長くなります……」


 事情を知らないエヴァの問いにどう答えるべきか。

 参ったなぁ、と、アストリッドは苦笑いするしかなかった。





(2)


 数日後。


 金網越しに向かい合うヤスミンとロミーは互いに一言も喋らず、かれこれ一〇分以上沈黙し続けていた。

 白と灰水色の囚人服姿のロミーは椅子に浅く腰掛け、所在なげに足をぶらぶらさせ。対するヤスミンは、俯くロミーから目を逸らすことなくじっと見つめている。

 ロミーは、自らが行ったヤスミンへの仕打ちに対する罪悪感ゆえか、余計に唇をきつく引き結んでいた。ヤスミンもまた、下手に話し掛けることでロミーを萎縮させたりしやしないかと、言葉が上手く口をついて出てこない。


 ハイリガーの付き添いの元、ロミーが収監された刑務所へと足を運び、「アタシは外で待ってるから」と気を利かせて面会は二人きりにさせてくれたのに。

 何からどう話せばいいのか、上手く話を切り出す切欠が掴めない。


 断られる覚悟の上で面会を申し出だっただけに、言葉を交わせなくても顔を見せてくれただけでも充分だと、今日のところはそれで良しとすべきかもしれない。

 ただし、どうしてもこの言葉だけは伝えたい。

 ずっと言い出すタイミングを見計らっているのに、上手く切り出すことができずにいるけれど。


(でも、早くしなきゃ、面会時間が終わってしまう)


 ごくり、と唾を飲み下し、覚悟を決める。

 ロミーにもその音が聞こえたのか、俯かせていた顔を上げ、窺うようにちらりとヤスミンに怯え混じりの視線を送った。


「ロミー、あのね……」

「…………ごめんね…………」

「え……」


 ヤスミンが話を切り出すのとロミーが重い口を開いたのはほぼ同時だった。

 絞り出すような、か細い声での謝罪にヤスミンは思わず口を噤む。

 ロミーは目を泳がせながらもヤスミンを上目遣いで見返してくる。


「あたし……、ヤスミンが羨ましくて、羨ましくて……。だからって、あんな……」

「ロミー、いいの」

「よくないっ!」


 声を張り上げ、興奮気味に立ち上がったロミーを監視役の看守が抑え込もうとする。だが、看守の腕が我が身に掴みかかるよりも速く、すとんと椅子に腰を落とした。

 二人の間に再び沈黙が降りる。天井の隅に取り付けられた換気扇が回る音だけが室内に虚しく響く。


「……本当に、ごめん……」

「ロミー」

「…………ごめんね…………、ヤスミン……。ごめん……、ごめん、なさい……」

「ロミー……、あのね……」

「……ごめん……」

「いいから聞いて!」


 何度となく繰り返されるロミーの謝罪を遮ると、ヤスミンは弱々しく笑いかける。


「あの時、ロミーに言われたこともされたことも凄くショックで傷付いてないって言ったら嘘になる。でも、私達は魔力が強いせいでああなってしまっただけで、友達同士の大喧嘩みたいなものだと思うことにしたの。まぁ……、巻き込まれたゲッペルス少尉や止めてくれたママには悪い事しちゃったなぁ、って感じだけど」


 あはは、気まずげに大きく笑うヤスミンを、ロミーは薄茶のつぶらな瞳を何度もぱちくりと瞬かせ、凝視した。


「だからね、ロミーさえ良ければ、仲直りしてくれないかなーって」

「…………」

「ダメかな??」


 ロミーはヤスミンを凝視したまま、金縛りにあったかのように固まってしまった。八の字に下がった眉がぴくぴくと神経質に痙攣し、口元も引き攣っている。

 今すぐは無理かぁ、と、若干気落ちしかけたヤスミンの耳に、消え入りそうな、小さな小さな声が届く。 


「……本当??」

「…………」

 思わず聞き返せば、再び俯いてしまったロミーが小さく頷いてみせる。

 途端にヤスミンを支配していた緊張感は安堵で緩んでいく。

「ありがとう、ロミー」


 席から立ち上がり、金網に近付こうとしたヤスミンだったが、無情にも「時間終了だ」と看守が告げてきた。名残惜しさはあるものの、早く退室しろ、とそれとなく目線で訴えてくる看守に従い、扉へとヤスミンは歩き出す。


「あ、ヤスミン……。そ、そう言えば……。東の魔女様のことだけど……」

「え、何?!」


 ロミーが遠慮がちに口にした、母の話題。

 ヤスミンは勢いよく振り返ったが、振り返った時にはロミーは看守に追い出される形で面会室を出た直後だった。

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