第71話 Sullen Girl(12)
(1)
大勢の人で埋め尽くされた通りを、道の両端に立ち並ぶ屋台ごと蹴倒す勢いで逃げ惑う群衆の様子を、シュネーヴィトヘンは遥か上空より眺めていた。彼女の傍らには氷の鱗を白銀に輝かせる氷竜が浮遊し、開いた口、または大きく広げた翼の羽ばたきから生み出される雹を地上へと降らせている。
笛の音と異変に気付いた者が現れ次第、幻想生物を操作して足止めし、ついでに祭りを殺戮の場に、とイザークからは命じられていた。だが、シュネーヴィトヘンが召喚したのは雹を降らせる以外にこれといった攻撃力を持たない氷竜だった。
豆粒よりも小さく見える程遠目に、群衆の中に紛れて自身の娘が祭りに遊びに来ていたのを目撃してしまった以上、凄惨な破壊行動などにどうして出られようか。
アストリッドの力を持ってしても、逃げ惑う群衆を掻き分けて子供達の後を追う、もしくは笛の演奏者の居場所――、あの廃屋を突き止めた上で辿り着くまでには時間を要するだろう。ならば、攻撃せずとも混乱を引き起こし、しばし足止めたさせるだけでも問題はない、筈。
娘と手を繋いで歩く、かつての恋人であり娘の父親である男に一抹の羨望を覚えながら、胸中でそう言い訳を繰り返し、太陽光の照り返しを直に受けるのに耐え続ける。氷竜の影に隠れる形とはいえ、初夏の強い日差しに自慢の白い肌が長時間晒されるのは正直堪えるものがある。氷竜の巨体から漂う冷気を浴び、紫外線で火照った肌を冷やそうと今一歩氷竜の傍に身を寄せようとした、が。
「まさか、お前さんだったとはな……」
色気を含んだ少し嗄れ気味の声。
風に靡かせる長い銀髪は光の加減で一層輝きを放っている。
「あら、ヘドウィグ様。ご機嫌麗しゅう。リュヒェムでお会いして以来ですね」
努めて冷ややかに、形式的な挨拶をするシュネーヴィトヘンに、同じくヘドウィグも青紫の双眸で冷たく見返した。
「ロッテ。すでに周知しているだろうが、お前さんはリントヴルム全域で指名手配を掛けられているし、娘の身柄も今や国軍の掌中だ。大人しく投降するべき……」
「余計なお世話よ」
シュネーヴィトヘンは手に握るワンズの先端をヘドウィグに翳す――、ではなく。あろうことか、自身の隣で浮遊する氷竜へと翳した。
白銀の巨体は蒸発し、溶け損なった鱗が四方八方へと散らばっていく。
地上へ向けて落下する鱗が建物や群衆に被害を及ぼさないようヘドウィグは、ワンズの先端を眼下へ掲げて防御結界を発動させた。薄緑色に発光する光が大通りだけでなく、街全体を包み込む。
「ロッテ!何処へ行く気だ!?」
全身から虹色の光を発光させ、下半身がすでに消失しかかっているシュネーヴィトヘンに叫ぶ。急いでほとんど消えかかっている氷竜の影を回り込み、宙を浮遊しながらシュネーヴィトヘンの元まで飛び込んでいく。
近づいてくるヘドウィグを牽制しようにもシュネーヴィトヘンの身体は首元まで消えている。詠唱する間もなく、ヘドウィグも光の中へと吸い込まれるように消えていく。
二人が消えた上空からは氷竜の一部だった氷の鱗が降り注ぎ、薄緑色に光る防御壁にぶつかっては粉々に砕け散っていく。
防御壁の光を浴び、雪結晶を思わせる氷の破片はきらきら輝いてはあちこちに飛散する。
よく晴れた極寒の真冬の朝に発生する細氷のような美しさに、恐怖と混乱に見舞われていた群衆は束の間状況を忘れ、思わず見入っていた。
白髪隻眼の大男と、彼と同じ色の瞳を持つ少女以外は。
(2)
季節外れの雹が降りしきる中、元帥府へと急ぐウォルフィにしっかり手を繋がれ、ヤスミンもまた押し寄せる不安、迫り来る恐怖に苛まれていた。
少しでも気を抜いたりすれば周囲の人々同様、取り乱してしまう。
けれど、ここで取り乱せばウォルフィに迷惑を掛ける――、否、すでに十分迷惑を掛けているので、これ以上掛ける訳にはいかない。
竦みそうになる足を、ウォルフィに気づかれないように空いている方の手で軽く叩いては小走りで彼の速い歩調に必死でついていく。
ウォルフィは言うと、時折ヤスミンの様子を気にしながらも、上空へと度々視線を向けては様子を窺っていた。
「……どうやら、あの竜は――、というより、竜を操作する者は雹を降らせる以外は攻撃を仕掛けてこなさそうだ。何らかの牽制、もしくは群衆の恐怖心を煽り、あわよくば暴動でも引き起こそうとしたのかもしれない」
「でも……、一体、何のために??そもそも……」
氷竜ということは北の魔女アイス・ヘクセの仕業かもしれないし、と、口に仕掛けたが――、結局、言えなかった。
大型の幻想生物の召喚・操作魔法となると、これまでの経緯からシュネーヴィトヘンの可能性が高く、ウォルフィは彼女の仕業と疑っているに違いないから。
ヤスミンとしては母が氷竜を操作している可能性を否定したい反面、母の名を聞いた時の父の反応を目にするのが怖かった。
幸い(と言うと、語弊はあるが)にも、悠長に会話を続ける状況ではないため、不自然に会話が途切れたところでウォルフィは気にも留めないでくれた。
そのことに幾らか安堵していると、喧騒や悲鳴、怒号に紛れつつ前方より誰かがウォルフィに呼びかける声が近づいてきた。声に気付いたウォルフィはその場で足を止める。程なくして、声の主――、若い将校が二人の傍へと息せき切って駆け寄ってきた。
「シュライバー元少尉、ですよね?!」
「あぁ、そうだ」
我先にと押し合う群衆の流れの中でも軍人の姿とあれば、人々は示し合わせたように、道の往来で立ち止まる三人を器用に避けて横を通り抜けて行く。
「半陰陽の魔女殿は近くにおりませんか?!」
「アストリッドなら……」
そう言い掛けて、ウォルフィははたと口を噤む。
「……今、訳有って俺と行動を別にしているが、アストリッドに何用だ??」
「はっ!実は……」
若い将校から聞かされた緊急事態――、中央外れの児童養護施設に慰問中のリヒャルト一行が、何者か、それも魔法の使い手による襲撃に見舞われた――、という報せだった。苦虫を噛みつぶした渋面で舌打ちを鳴らすウォルフィと共に、報せを聞いてしまったヤスミンの白い顔から血の気が一気に失われていく。
確か、その児童養護施設には、リヒャルトだけでなくフリーデリーケも一緒に――
『ルドルフ、いい加減にして頂戴』
今朝方、ベッドから起床しようとするフリーデリーケに絡みつくように、ルドルフが彼女の腕を抱え込んで頑なに離そうとしなかったのを思い出す。普段からフリーデリーケが仕事に向かおうとすると足元に纏わりついたりするのだが、今日に限っては絶対行かせてなるものか、とばかりに、しつこく支度の邪魔を繰り返していた。
あれは動物特有の勘で、飼い主の身に及ぶ危険を察知していたのかもしれない。ヤスミンにとって、フリーデリーケはもはや年の離れた姉のような存在であり、大切だと感じる者の一人。
(……また、私の大事な人が、奪われちゃうの……??……)
フリーデリーケから元帥府へと緊急連絡が入った、とのことから、まだ最悪の事態には発展していないのがせめてもの救いではある――、が。ウォルフィが若い将校に何やら指示を出しているが、内容がまるっきり耳を素通りして頭に入ってこない。
指示を受けた将校が、アストリッドが向かった方向――、入り口の大門の方向へと駆け去っていく後ろ姿で、何となく理解できたような、そうでもないような……。
「……安心しろ。ヤスミン……のことは、何があっても俺が守り抜く」
ヤスミンの顔色の悪さを、身に迫る恐怖によるもの(あながち間違いでもないが)だと受け取ったウォルフィは、静かに、かつ、力強い言葉を投げ掛けた。父の言葉に内心嬉しく思ったが、ヤスミンは力無く首を横に振る。
信用されていないのか、と、ウォルフィの右眼が悲しげに揺らぐ。
「違うの……。パ……、ウォルフィさんを信じていないとかじゃなくて……」
「…………」
「力がある筈なのに、力が及ばない……。大事な人達が危険に巻き込まれても、何にもできない、自分が、心底憎いの……」
「そんなことは……」
「そんなこと、あるよ!例え、試験に合格できても、全くの役立たずじゃ意味ないじゃない!!」
「ヤスミン、落ち着け……」
「でも、でも……、試験のためとはいえ、この一か月で随分色んな魔法が使えるようになったの……、だから……」
「お前、何を……、まさか……!」
止め立てようとしたウォルフィの手を力一杯振りほどくと、ヤスミンは詠唱する。ゴゴゥと勢い良く音を立て、渦を巻いた虹色の光がヤスミンの身体を包み込むべく地面から虚空へと立ち上る。
「……パパ!私を止めないで!!フリーデリーケさんを、元帥閣下を、助けたいだけなの!!」
「無茶だ!!」
光と共に消えていくヤスミンの手を、ウォルフィは辛うじてきつく握り締めた。
再度振り払おうとするヤスミンだったが、痛いくらいがっちりと握り締められた大きな掌を引き離すには到底至らず。
数瞬後には父娘共々、この場から跡形もなく姿を消し去っていた。
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