第68話 Sullen Girl(9)
(1)
黒い外套を纏い、馬に跨って歩く若い女性を先頭に、ビール樽を積んだ馬車が何台も後に続く。
国内で名の知れた複数のブルワリーから祭り用に取り寄せた樽は、通常のものと比べて倍近くの大きさを誇っている。当然、馬車も大型で、馬車を引く馬の数も二頭ではなく四~六頭引きである。
巨大なビール樽を運ぶ馬車の後には、何十人ものレーダーホーゼン姿の少年とディアンドル姿の少女の一団、更に後には大太鼓やフルート、バイオリン、クラリネット等を演奏する楽団が続いていた。
祭りが開始される午前一〇時、彼らは王都の入り口に当たる城門を出発点に、近代的な建物群が連なる街の大通りを通って河の上の鉄橋を越え、元帥府が建つ丘の麓(軍用施設がある場所とは反対側)まで行進する。その後、一時間程休憩し、今度は元来た道を戻って出発点だった城門前まで再び行進を始める。
大掛かりなパレードが通る道の両脇にはビール売りを始め、様々な屋台が軒を並べている。
屋台で買ったビールを飲み、食事やつまみをたらふく頬張りながら酔いに任せて陽気になった人々は、通り過ぎるパレードに歓声(時には野次)を送り、楽隊の演奏に合わせて軽妙な踊りを踊ってみせたり。
また、屋台はパレードが行進する大通り以外――、例えば、街の広場にも立ち並び、飲食する屋台以外にも移動遊園地が設けられ、特に子供達や若い恋人達で賑わっている。
誰もかもが、この世の憂い事など何一つない、と言いたげに楽しく過ごしていた。白髪隻眼の大男と、彼と並んで歩く、薄茶の髪を長く伸ばした少女――、の、二人以外は。
『寝物語』を聞かされた翌日、「ある条件の下であれば、ウォルフィと一緒に祭りに出掛けてもいい」と、ヤスミンはフリーデリーケに伝えた。
試験勉強に集中する為にもいつまでもぐずぐずと悩む訳にもいかず、ウォルフィとちゃんと向き合うべきかもしれない、と、結論に達したから。
腹を括ったお蔭か、試験までの残り約二週間の間で驚く程勉強が捗り、当日も落ち着いて試験に臨むことが出来た。しかし、この約一か月間避け続けてきた父と会うのは、試験に臨む以上の緊張を強いられ、昨夜は余りよく眠れずにいた。
我が儘を言えば、フリーデリーケにも付いてきて欲しいところだったが、彼女には職務があるので甘える訳にもいかず。待ち合わせ場所に指定された鉄橋の前で彼を待つ間も、いっそのこと逃げ出して約束をすっぽかしてしまおうか、と、あらぬ考えが何度となく頭の中を駆け巡ったりもした。
勿論、今現在も人込みの中で距離をやや離しつつ彼の隣を歩くことから、逃げ出しはしなかったのだと伺えるが。
「あー!!ここにもヴルスト売ってるー!!」
遥か前方より、少年にしては高く、少女にしては低めの声が騒々しく叫んでいる。途端に、それまで無表情を保っていたウォルフィの眉間に深い皺が刻まれる。
あからさまに不快を示す彼の様子を知ってか知らずか、声の主――、アストリッドのはしゃぎようは益々加速していく。
そう、ヤスミンが出した条件とは、「アストリッドも同伴で」というものだった。
腹を括ったものの、ウォルフィと二人きりになるのにはまだ少し抵抗があり、また、話だけでなく実際にこの目を持ってして彼とアストリッドとの関係性を見極めたかったのだ。
「ほらほらー!ウォルフィとヤスミンさんの分も買いましたから!!早く来てくださいよー!!」
二人を手招きするアストリッドに、ウォルフィはさも面倒くさそうにしながらも歩みを速めようと――、して、無言でヤスミンに手を差し出してきた。
「……人混みが増えてきた分、はぐれやすいかもしれない。あと、あの馬鹿が早く来いと煩い」
突然のウォルフィの行動に戸惑うも、ヤスミンは怖々と差し出された手を――、というより、指先を、怖々と遠慮がちに緩く握った。
「少し走るぞ」
「…………はい…………」
辛うじて返事をすると、ヤスミンはウォルフィと共にアストリッドの元まで小走りで向かう。
「二人共遅いですよー??折角の、焼き立ての熱々ヴルストが冷めちゃうじゃないですかぁ!!」
ウォルフィとヤスミンがアストリッドの元へ辿り着くなり、アストリッドは頬をぷぅっ!と膨らませてみせた。あざとさ全開の表情・仕草だというのに、女の子のヤスミンですら「か、可愛い……」と一瞬見惚れてしまう。
こんな愛らしくも美しい魔女と四半世紀以上も共に過ごして、本当に心を動かされたりはしないのだろうか。
隣に立つウォルフィをそっと横目で盗み見る。ウォルフィは白けた風の仏頂面で、冷め切った眼差しをアストリッドに送りつけていた。
「ちょっ、ウォルフィ。何でそんな冷たい目で見るんですか」
「…………」
アストリッドを可愛いと微塵も思ってないどころか、可愛い子ぶる姿に嫌悪すらしてそうである。
ツンデレにありがちな照れ隠しと言う訳でもなさそうであり、フリーデリーケの話への真実味が増した気がして、ヤスミンは少しだけ、ほんの少しだけ、安心感を覚えていた。
現在のウォルフィがアストリッド第一なのは、契約上だけでなく、これまで二人で乗り越えてきた幾多の困難や試練によって築き上げられたもの。例え娘のヤスミンで在れ、入り込む余地などないのは充分納得している。
ただし、(アストリッドの心身に性別の概念はないけれど)その絆に所謂恋愛感情的なものが介在していたら――、生まれてこの方抱いたことのない、怒りにも哀しみにも似た、嫉妬も入り混じった複雑で醜い感情――、が、心の底から沸々と煮え滾ってくる。
だが、二人の間に介在するのは少なくとも恋愛感情ではないのだろう、と、(希望的観測ではありつつ)ヤスミンは結論付けた。
(あれこれと考えるだけ不毛よね……。折角のお祭りなんだから、楽しまないと……!)
ヤスミンは、アストリッドから焼き立てのヴルストを挟んだブレートヒェンを受け取ると、「ありがとうございます!わぁ、美味しそうー、いっただきまーす!!」と、勢い良く齧りついた。
ふわっと柔らかい白パンとカリッと歯ごたえを感じるヴルストの食感。
濃厚な肉汁がじゅわりと口の中に拡がり、黒胡椒とマスタードが肉の脂っぽさを引き締めてくれる。ちょうど腹時計が鳴りそうだった分、余計に美味しく感じられた。
「あの、出来れば入り口の城門まで歩きたいなぁー、って思ってるんですけど……」
「俺は構わないが……」
「え、自分も構いませんよー??自分はあくまで『お付き』ですし、今日一日はヤスミンさんの要望なら何でも聞くつもりです。ねぇ、ウォルフィ??」
「叶えられる範囲、に限るがな」
「もう!一言多い!!」
「あんたにだけは言われたくない。それはそうと……」
ウォルフィは手を繋いだ状態で、初めてヤスミンに向き合った。
ヤスミンと同じく、どこか居心地悪そうに視線を泳がせながら、ではあるが。
今し方言いかけた言葉の続きを言いあぐねているのか、二の句を中々告げずにいる。一体、何がそんなに彼を躊躇わせているのか、ヤスミンも自然と肩に力が入る。アストリッドはあえて話に口を挟まず、黙って二人を見守っている。
大勢の人々が行き交う往来で立ち止まる三人を、人々は邪魔臭そうにしながら横を通り過ぎて行く。
「…………ヤスミン…………、が、立ち寄りたい店があれば、遠慮なく言ってくれればいい」
「…………はい…………」
どうやら、名前を呼ぶことに酷く躊躇いを感じていただけのようだった。
口にこそ出してないが、『なんじゃそりゃ』と言いたげな顔してアストリッドは呆れ返り、ヤスミンもまた脱力感に襲われる。
そんな三人の耳に、石畳の道を馬が闊歩する音、心臓に直接響く重たい音を立てて転がる馬車の車輪音、大勢の少年少女の規則正しい歩行音、荘厳な管楽器や大太鼓の演奏が届く。それらの音の群れは徐々にこちらへと近づきつつあった。
「もうすぐパレードが通るのかしら??だったら、ちょっとここで一旦立ち止まって、パレード見物したいです」
「分かった。そうしよう」
まだぎこちなさは到底拭えないが、ヤスミンが本来持つ明るさが少しずつ現れ始めた矢先――、突然、奇妙な笛の音が流れ始めた。
えらく調子外れで甲高く、不快さを齎す独特の笛の音は楽隊が演奏するものとは明らかに違うのに。周囲の人々の様子を見るに、ほとんどの人がこの音に気付いていなそうだった。
もしかしたら、自分にしか聴こえない幻聴なのか、と思い、頭を軽くぶるぶると振ってみせるが、やはり変わらず奇妙で不気味な音が止む気配はない。
ヤスミンを気遣わしげに見下ろすウォルフィを見上げ、「あの……、何か、変な音が、聴こえるんです。気持ちの悪い、笛の音が」と、打ち明けた。
「……ヤスミン……、も、か」
「『も』ってことは、…………パ、……ウォルフィさん、にも聴こえるんですか??」
名前に言い換えられ、ウォルフィの隻眼の奥が微かに揺れたが、それもほんの一瞬。
「……あぁ。俺達に聴こえるなら、アストリッドにも当然聴こえているだろう」
ウォルフィは、ヤスミンとは反対側の隣に立つアストリッドを見るよう、視線でヤスミンに促した。アストリッドの顔からは笑顔が消え、厳しい表情に切り替わっている。更に言えば、アストリッドの厳しい表情の理由は笛の音だけではなかった。
鳶色の瞳が睨みつける視線の先を探る。パレードの進行方向と逆行するように、年端もいかない子供達が列をなし、城門の方向へと向かっているではないか。
「アストリッド」
「どうせ、あれの仕業に決まっていますよ。『魔笛事件』の再現を謀ろうなんて、また随分と悪趣味な……。おそらく自分達みたいに魔力を持つ者でない限り、普通の大人にはこの音は聞こえないし、子供達の姿も目に留まらないように操作しているんでしょう。ウォルフィ、ここは自分に任せて、ひとまずはヤスミンさんを安全な場所へ――、そうですね……、元帥府へ避難させてあげください。ヤスミンさん、折角楽しみにしていた祭りでしょうが、どうやらイザークが邪魔しに来たみたいですから速やかにウォルフィと避難してください」
「は、はい……」
ヤスミンはコクコクと何度も頷いてみせる。
ウォルフィの手を握りしめる自らの手が震える。
すると骨張った手がぎゅっと、痛くならない程度に強く握り返してきた。
緊迫する彼らとは裏腹に、通りがかったパレードの行進は群衆の熱狂を誘う。
この熱狂が冷めて我に返った時、傍に居た筈の我が子が消えていたと知ったら。
「熱狂が冷め止まない内に子供達を必ず取り返さないと……」
子供達の後を追うべく、アストリッドは城門の方向へと一人向かっていった。
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