第50話 Every Single Night(9)

(1)


 朱塗りの間から飛び出してみたものの、ロミーを追い掛けるタイミングが少しばかり遅れただけで見失ってしまった。

 城内の何処かに隠れているのか、黒い森の中に身を潜ませているか――、考えたくはないが、森の外、ゾルタールの街中まで出て行ってしまったか。いずれにせよ、探し出すのにひと苦労もふた苦労もしそうな状況に、ヤスミンは頭を抱えそうになった。

 他の弟子仲間達に頼み込み、ロミーの捜索を手伝ってもらうべきだろうが、ロミーが更に叱られる事態になり兼ねない。そうかと言って、ヤスミン一人での捜索は城内だけに絞ったとしてもすぐに日が暮れてしまう。

 むぅーと頬を膨らませ、螺旋階段の途中の踊り場でぽつんと立ち尽くし、一人考え込んでいると。


「ヤスミンちゃん、また目が据わってるぜ??」

「……だ・れ・が、目つき悪いってぇ??……」


 失礼極まりない発言どころか、ヤスミンの地雷を平気で踏み抜く人物など、奴を置いて他にはいない。

 考え事に耽っていたせいで全く気付いていなかったが、エドガーの気配をすぐ隣に感じ、キッと睨み上げる。


「お、やっと気付いたな。さっきから声掛けてんのに全然気づいてくれなかったからさ」

「だからって目つき悪いとか言うなぁ!!」

「あぁ、悪い悪い。お詫びと言っちゃなんだけど、あのチビッ子探すの手伝ってやっから、それで勘弁してくれよ」

「ふぇ?!」


 エドガーからの意外な申し出にさっきまでの怒りは何処へやら、ヤスミンは目を丸くする。口調とは裏腹に、黒縁眼鏡のレンズ越しからヤスミンを見据えるエドガーの濃緑の瞳は、いつになく真剣であった。


「……准尉、暇なの??」

「あのなぁ、何でそうなるんだよ。別に暇じゃねぇよ。護衛対象にあちこち動き回られたあげく、万が一でも危険な目に遭わせる訳にゃいかんだろ??」

「森の外に出るつもりはないんだけど……」

「外に出なくたって、いつどこで危険が迫ってくるかなんて分かんねーじゃんか??ギュルトナー元帥直々に、魔女の国家資格とやらを受験しろとか言われてるんだろ??俺、あんたら魔女のことも魔法に関してもよく知らねぇけど、今回の試験は国にとってかなり重要事項ってことだけは理解した。昨今の物騒なご時勢、試験を妨害したり、受験予定者に危害加えてくる輩が出ないとは限らないよな??」

「まぁ、言われてみればそうよね……。って……、ちょっ、なんで准尉が知ってるのよ?!もしやストーカー?!」

「アホか!!朱塗りの間の扉の前で待機させてたのはどこの誰だっつーの!!」

「あっ、そっか。ごめん、忘れてた……って、だったら、ロミーが話盗み聞きしてたの、何で止めなかったのよ!?さては一緒になって聞いてたんでしょ?!」

「バレたか」

「バレたか、じゃないわよ!!この、軽薄不良軍人!!」


 ちょっとでも見直しかけた自分が馬鹿だった。

 ヤスミンは怒る気力も失せ、代わりに、はぁ、と盛大に溜め息をついてみせる。


「悪かったよ」

「過ぎたことは仕方ないわよ。それに一緒に探してくれる、って言ってくれただけ、反省してるってことだし」

 バツが悪そうに謝罪するエドガーからツンと顔を背けてはいるものの、ヤスミンはもう怒ってはいなかった。

「で、まずはどこから探すんだ??」

「そうねぇ……、森の中を探そうと思うわ」

「了解!」

 真面目に敬礼してみせるエドガーに対し、ヤスミンはつい笑いが込み上げてしまい、ぷっと噴き出した。

「お前なぁ、人が真面目に……」

「うっ……、ごめん……。真面目にしてる准尉に慣れなくて、つい……」


 ぷくく……と、必死に笑いを堪えるヤスミンに呆れつつ、「善は急げじゃないけど、さっさと行くなら行こうぜ」と、エドガーはヤスミンの背を軽く叩いて先を急ぐよう促したのだった。






(2)


 一方、朱塗りの間に残されたハイリガー、アストリッド、ウォルフィは、ロミーの捜索をヤスミンに任せてみたものの、皆一様に一抹の不安を抱え、自分達も捜索に乗り出すべきかどうか迷っていた。


 イザークに唆されて『契約』を交わし、コブーレアでの連続殺人を犯したあげく、イザークの手で一度は消し炭状態にされた凄惨な過去。そのせいで幼児退行しているとはいえ、何がきっかけで全ての記憶を取り戻してしまうかは定かではない。


「マドンナ様、やっぱり自分もロミーの捜索手伝ってきます!!ウォルフィも付いてきてくれますよね??」

 ウォルフィは凭れていた壁から背を離し、椅子から立ち上がったアストリッドの傍へと無言で近づいていく。

「じゃあ、アタシはここでロミーが戻ってくるのを待ち続けた方がいいわね」

「はい、お願いします」

「あぁん、本当は皆と一緒に行きたいのは山々なのよねぇ……。ひたすら待ち続けるだけって、歯痒いわぁー。でも、仕方ないわよねぇ」

 寂しそうにくすんと鼻を鳴らし、立派な身体をくねらせて嘆くハイリガーにアストリッドは苦笑を浮かべる。

「じゃあ、ウォルフィ!早速行きま……」

「その前に、あんた達に聞きたいことがある」


 思いつめたように口元を引き攣らせるウォルフィの、不審と猜疑に満ちた強い視線に絡めとられ、二人は思わず言葉を失う。今から彼が尋ねようとしているのは、もしかして――


 室内に不穏な空気が流れる中、突然、ドンドンドン!と、扉を乱暴に叩く音と「失礼します!!」と切羽詰まった男の声が同時に室内に飛び込んでくる。

 何事かと三人が顔を見合わせるのと、口から泡でも噴き出し兼ねない様子で軍服姿の男が飛び込んできた。


「ハ、ハイリガー殿っ、に!緊急連絡です!!街の入り口の大門より……!!突如として現れた屍人の大群が押し寄せ、街中に向かって突き進んでいます!!し、至急、討伐のご協力を願いたく……」

「何ですってぇ?!どういうことよ!?守衛の憲兵達は何をやっていたのよ!!」

「はっ!申し訳ありません!!」

「……ったく、次から次へと、一体何なのよ!!」

 苛立ち紛れに、バン!!と長テーブルの天板を思い切り叩きながら、ハイリガーは立ち上がる。

「アスちゃん。悪いけれど、ロミーの捜索はヤスミン達に任せて貴女達はアタシを手伝って頂戴」

「了解です」

「……ウォル君も。話の続きは、また後でいくらでも聞いてあげるから……」

「…………御意…………」


 緊急事態が発生した以上は気持ちを切り替えなければならない。

 不信感は拭えずとも、ウォルフィは協力の旨を示すように返事をした。


「あぁ、それと、そこの貴方。屍人の討伐はアタシとアスちゃん、ウォル君、南方軍の精鋭部隊で片付けるから、残りの人達で住民達を速やかに避難させなさい。何なら、この居城を開放して避難所代わりに使ってもらって結構だから」

「はっ!了解!!」

 ハイリガーに命を下されるや否や、使いの者は即座に場を辞し、来た時と同じ慌ただしさで走り去っていく。

「さっ、アタシ達も行くわよ」

「はい!!」


 言うやいなや三人の身体は虹色に発光、数秒後には朱塗りの間から消えていた。







(3)



 白地に赤や黄色の小花模様が散りばめられた壁紙が張られた室内にて、二人の女が不穏な空気を互いに漂わせている。

 淡い桃色のローブドレスを纏うナスターシャと、給仕用の質素な黒ワンピースに身を包むシュネーヴィトヘン。二人の足元には魔法陣が描かれており、それぞれが中心に立って詠唱している。


「さすがですわね、リザ様。幻想生物の召喚と遠隔操作にかけては、貴女の右に出る者などおりませんでしょうに」

「…………」

「でも、てっきり竜やゴーレムを召喚すると思っておりましたのに、まさか屍人の大群だとは何とも意外ですわ」

「……何か問題でもある訳??殺戮が目的でなくちょっかい出す程度であれば、殺傷能力の低い屍人で充分だと思うけれど」

「えぇ、勿論です。あんな見た目がおどろおどろしくて、強烈な死臭を漂わせる屍人が、それも大群で押し寄せるなんて……、私だったら到底耐えられませんもの」


 ナスターシャは大袈裟なまでに首をふるふると横に振り、肩に両腕を回して自らを抱きしめてみせる。屍人に対する拒絶反応を露骨に示す様に。白々しい、と、シュネーヴィトヘンは蔑んだ視線を送りつける。か弱い女を演じたところで、東西南北の魔女の中で一番強かな性分の癖に、と。

 現に今でさえ、幼気な少女の精神を容赦なく蝕むため、幻惑術を発動させている最中なのだから。


「そういう貴女こそ、治癒回復魔法の名手だとばかり思っていたけど、まさか幻惑術を駆使できるなんてね」

「奥の手は簡単に見せるものでありませんわ」


 自らのこととなると、急に素っ気ない反応に変わるのもまた、この女の小賢しさと言うべきか。


『貴女は優れた美貌を持っているのに、上手く利用する術を知らないのね。私だったら、最大の武器として大いに利用して、今以上にのし上がってみせるのに』

『使える物は使わなければ、勿体ないですわ』


 この宮殿に匿われている間、何度となくナスターシャに言われた言葉達。


(……余計なお世話だわ!)


 かつて南部の旧研究所で、魔女狩りで捕縛した数多くの同胞殺しに協力していたことに対し、ナスターシャは罪悪感の欠片すらも抱いていない。それどころか、『我が身の安全が保障されるのなら手を汚すことくらい何てことありませんわ。同胞とは言っても、私と何の関わりもない赤の他人ですもの』と笑いながら話すくらいである。

 シュネーヴィトヘンもスラウゼンの大虐殺を含め大勢の命を奪っているが、何でもない世間話をするような調子で、犯した罪を笑顔で語れる神経は持ち合わせていない。この女と自分は何もかもが違う次元で生きていると悟ってからは、シュネーヴィトヘンはナスターシャとは余り言葉を交わす気になれないでいる。


 これ以上、腹の探り合いじみた、くだらないお喋りに付き合う気にもなれず、会話が途切れたのを幸いに、シュネーヴィトヘンは引き続き詠唱に集中した。

 一方で、ナスターシャが例の少女だけでなく娘にまで幻惑術の餌食にしようと企んでいないか、注意深く動向を観察していた。

 

 あの子まで毒牙に掛けるつもりならば。

 シュネーヴィトヘンの右手に掲げた、指揮棒型のワンズを握る手に自然と力が込められていく。

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