第40話 Shadow Boxer(14)

(1)


 ――時、同じ頃。東部スラウゼン――


 東方司令部と隣接する、シュネーヴィトヘンの居城の城門前にて。

 城門を護る憲兵に、開襟襟の軍服姿の男が中に通すよう声をかけていた。憲兵は酷く恐縮した面持ちで敬礼した後、鉄の門扉を開放する。そうされるのが当然だと言わんばかりの堂々たる態度で、男――、東方軍最高司令官ヨハン・ギュルトナーは門を潜っていく。

 城の中庭はそう広いものではなく、ヤドリギの成るオークの樹々が整然と植えられているのみ。花壇や彫像の類は一切設置されていない。いつ見ても華やぎに欠ける庭だと思いながら、ヨハンは庭の端を渡っていき城の玄関に辿り着く。

 ここでも、門番を務める憲兵はいとも簡単にヨハンを城内へと通してくれる。彼らには自分とシュネーヴィトヘンはただならぬ関係だと邪推されているだろう。しかし、最上官への不名誉な噂をわざわざ流す程、愚かな者達ではない。

 自分は現元帥リヒャルトの実兄であり、東方軍を国内最強の防衛部隊に押し上げた国の功労者なのだから。下手な真似をすれば己の首が飛ぶことくらい誰もが承知している。

 城内に入ったヨハンは玄関ホールを抜け、右手に位置する階段を昇っていく。主が留守の為か各照明は消されており、石造りで窓の少ない構造によって昼日中の明るい時間帯でも城内は薄暗く、陰気な雰囲気が醸し出されている。

 最上階の四階まで上がったヨハンは廊下を曲がり、突き当りの一室――、シュネーヴィトヘンの私室を目指した。

 ところが、いざ扉を開けようと、錆びついてはいるが精緻な金細工が施された把手に手を掛けると、たちまち全身に電流が流れるような衝撃を受ける。


「……くっ!あの女狐めが!!結界なんぞを張りおって!!」

「私がいない間、不逞な輩に入り込まれたくないからよ」


 背後から聞こえた、刺々しい女の声。

 驚いて振り返ると、この部屋、否、この城の主シュネーヴィトヘンが、冷たい無表情でヨハンをじっと見つめていたのだった。 


「これはこれはロッテ殿。随分とお早いご帰還ですね」

「こんな昼日中から仕事を抜け出し、私の居城に、それも留守だと言うのに私室に何の用かしら??」

「ロッテ殿こそ、そのお姿は一体どうなされたのですか??」


 ヨハンはシュネーヴィトヘンの質問に答えず、平然と反問を投げ掛ける。

 確かに彼の言う通り、シュネーヴィトヘンが纏う白いコートは土埃や泥が付着し、所々汚れているし、ドレスの裾もほつれて破れている箇所がある。長い黒髪は乱れて艶を失い、細く白い首には赤い痣がくっきりと残されていた。


「そのご様子からして、アイス・ヘクセ殿を討ち取ることもヘドウィグ殿からマリアの魔法書を奪うことも失敗されたようですね。もしかして、一人尻尾を巻いて逃走を図った……」

「勘違いしないで頂戴、少将。私は好き好んでここに戻ってきた訳じゃないわ。ヘドウィグ様の手で強制的に転移させられたのよ」

「はっはっはっはっ!!!!」


 ヨハンは口を大きく拡げて哄笑した。

 笑い声は石壁によって反響し、薄暗い廊下中に響き渡る。


血塗れの白雪姫ブルーティヒ・シュネーヴィトヘンともあろう御方が、何と情けない失態を!!これでは半陰陽の魔女が見事アイス・ヘクセを討ち取った場合、失態を犯した貴女は軍法会議に掛けられることとなるでしょう!!元々、貴女は軍部から要注意人物として警戒されている。これを機に東部国境防衛の任を解かれ、もしかしたら投獄されるかもしれませんなぁ!!」

「…………」

「貴女一人が全ての責任を負うのであれば構わないのです。問題は、貴女と私の協力関係までもが調べ上げられでもしたら!!私の計画が台無しになるだけでなく、私までもが罪に問われてしまうではないか!!何てことを仕出かしてくれたんだ!!」

「…………」


 ヨハンは徐々に言葉を荒げ、唾を飛ばしてシュネーヴィトヘンを恫喝した。沸々と込み上げる怒りで、濁ったアイスブルーの瞳が血走っている。

 シュネーヴィトヘンは黙ったまま、ヨハンの恫喝に耳を傾ける――、振りをしつつ、天井に何者かの気配を感じ取っていた。


「そこにいるのは誰……??」


 言うやいなや、シュネーヴィトヘンは一言短く唱えると、天井に向けて赤い光弾を放った。光弾が天井に直撃するよりも半瞬早く、真上から光の速さで人が落ちてきてシュネーヴィトヘンの真横に着地、長い廊下を疾走していく。


「貴様、何者だ?!」


 突然登場した闖入者をヨハンとシュネーヴィトヘンは追い掛けるが、鍛え上げられた脚力を前に簡単に追いつくことが出来ない。

 身体の曲線にぴったりと添った黒革のボディスーツの後ろ姿や、目深に被った黒革のキャスケット帽から飛び出す一本に纏めた黒髪。キャスケットのせいで顔は見えないが、間違いなく女だろう。

 ヨハンは手にした拳銃を発砲しようとするが、女はすでに銃弾の射程圏外にいるため、断念する。代わってシュネーヴィトヘンがワンズを掲げて詠唱する。

 ワンズの先端から真っ赤な稲妻が走り、女に襲い掛かる。女はボディスーツのベルトにいくつか提げた小型のホルスターからダガーを取り出すと、薄緑色の光を放射し防御結界を発動、赤い稲妻から身を護った。


「あの女、もしや……!」


 女は防御結界の中から、二人に向けてダガーを数本投げつける。けれど、ダガーは二人の横を通過、遥か後方の突き当りの壁に全て突き刺さった。

 何だ、下手くそめ、と、ヨハンは口の中で小さく呟いたが、後方の壁を見たシュネーヴィトヘンが慄いた様子で「少将!床に伏せて!!」と叫ぶ。

 訳も分からず言われるがままシュネーヴィトヘンと床に伏せた直後、ダガーが刺さった壁から廊下全体に渡り、強烈な輝きを放つ閃光の渦が駆け抜けた。光の渦が頭上を通り越し、視界を遮られた二人は固く目を閉じる。その間にも、女は転移魔法を使って退却していた。


「おのれぇ!!リヒャルトめがぁ!!視察ではなく密偵なんぞを送り付けよってぇえ!!!!」

 光の渦が完全に消失したのを確認し、起き上がるなりヨハンは額に幾筋もの血管を浮き立たせて怒り狂った。そんなヨハンを、シュネーヴィトヘンは醒めた目で眺めていた、が。

「何をするの!?」

 理性を失い、箍が外れたヨハンはいきなりシュネーヴィトヘンを押し倒し、ドレスの胸元を引き裂いた。

「小娘が!!今すぐ私と従僕契約を結んで力を与えろ!!」

「従僕程度の魔力で元帥に太刀打ちできると思っているの?!嫌よ!!止めて!!」


 恐怖と嫌悪に駆られ、詠唱する余裕どころか、かつて囲われていた資産家の老人に初めて抱かれた時を思い出し、強い眩暈と吐き気に襲われる。

 結局、強大な魔力を手に入れたところで、美しいだけが取り柄の無力な少女の頃と何ら変わっていないではないか。

 もう誰からも蹂躙されたくない、搾取されるばかりの人生は真っ平だ。

 力さえあれば誰もが自分を怖れ敬い、危害を加えてくる事など二度とないだろう。自分を守るために力と権力が欲しかった。ただそれだけなのに。


「私に触らないで!!汚らわしい!!」


 ドレスの裾を捲られ、太股を弄られそうになったところで我に返り、詠唱する。

 ヨハンの背中付近に幼児程の大きさの、凶暴な顔付きのドワーフが出現。手にしていたナイフを背中に突き立てる。悲鳴を上げて背中を起こしたヨハンを押し返し、破かれた胸元を押さえて立ち上がる。


「うっ……」


 堪え切れず、しゃがみ込んで嘔吐する。

 その後ろでは、ヨハンが切りつけてくるドワーフを必死で振り払おうともがいている。


(早く逃げなくては……。でも、何処に??)


『僕が連れて行ってあげますよ、美しき白雪姫』


 吐瀉物で汚れた口元を拭い、ふらつく足取りで再び立ち上がったシュネーヴィトヘンの目の前が虹色に輝き始める。その光の中から、白い顔がぼぅと浮き出てくる。

 白い顔は薄ら笑いを浮かべて手を差し伸べ、シュネーヴィトヘンは恐る恐る、その手を握り返した。光は更に輝きを増し、シュネーヴィトヘンは白い顔と一緒に光の中へ姿を消したのだった。





(2)


 元帥の執務室の壁には隠し扉があり、その中には六帖程の広さを持つ私室へと繋がっている。万が一の事態に備えて身を隠すためで、隠し部屋について知るのは、元帥本人とごく僅かな側近のみ。とはいえ、普段は仮眠室的な用途で使用されており、室内には簡易式のベッドと机、椅子が置かれている。

 隠し部屋の中、机に置かれた水晶玉に映し出される光景に、リヒャルトは終始息を飲んで眺め続けていた。彼の後ろには、つい先程までシュネーヴィトヘンの居城に潜入していた密偵『イーディケ』が壁を背に控えている。

 黒革のキャスケットも被ったままなので相変わらず素顔は見えない。


「イーディケ、これで全部なのか??」

「はい」 


 イーディケがシュネーヴィトヘンの居城で目の辺りにした出来事全て、思念として水晶に送り込み、具現化した映像を見せられたリヒャルトは一際大きく肩で息をついた。

 仮にも、軍人として高い功績を持ち、実の兄でもあるヨハンの実態及び、反逆の意志を知ってしまったことに、少なからず動揺を禁じ得ないでいる。


「元帥。シュネーヴィトヘン殿が戻っていたとはいえ、騒動を引き起こしてしまったことについて如何様にもご処分下さい」


 イーディケは床に膝をつき、リヒャルトの背中に向けて深々と頭を垂れる。その際、被っていたキャスケットを長い黒髪の鬘ごと取り外した。

 押し潰されたダークブロンドの短髪が露わとなり、切れ上がった群青の瞳を伏せたイーディケ、もとい、フリーデリーケをリヒャルトは振り返る。


「……暗器は全て回収したのか??」

「はい、勿論抜かりなく」

 フリーデリーケはホルスターの中から、ボロボロになったダガーを一本取り出してみせる。

「ならば良い。君の正体を悟られない限り、処分は特になしだ」

「はっ……」

「だから顔を上げなさい」


 フリーデリーケは顔を上げ、リヒャルトのアイスブルーの瞳を見上げた。

 どことなく不安げな彼女に、リヒャルトは苦笑を浮かべてみせる。


「君はよくやってくれたよ。感謝している。とりあえず私は執務室に戻るから、ここで着替えるといい。あぁ、何なら、ゆっくり休んでいってくれても……」

「いえ、通常の仕事に早く戻らねばなりません。着替えたらすぐにここを退出致します」


 『密偵の魔女イーディケ』から『元帥の副官ポテンテ少佐』の顔に戻ったフリーデリーケに、「うむ……、分かったよ。では、着替えの邪魔になってはいけないから、私は早々に退出しよう」と、リヒャルトは慌てた様子で部屋から出て行った。

 リヒャルトが出て行くと、フリーデリーケはボディスーツのジッパーを下げて徐に脱ぎ捨てた。裸になった彼女のどちらの手首にも、羽の生えた緑竜の刺青は、ない。

 フリーデリーケはリヒャルトに匹敵するだけの魔力を持ちつつ、魔女の国家資格をあえて取得していない。その方が正体を探られにくく、密偵として動く場合に都合が良いからだ。

 

 幼き頃、二人の魔女に両親共々命を救われて以来、フリーデリーケは自身も魔女になりたい、と密かに夢見ていた。

 しかし、成長するに従い、魔女と人間達との間に残る軋轢等の現実を知るにつれ、あえて士官学校へ入学した。魔女となるよりも軍人として出世し、その上で只人と魔女が共生しやすい国作りを目指そうと。

 厳しい訓練の合間に人知れず独学で多くの魔法書を読み焦り、少しずつ魔力を身に付けていた矢先に出会ったのが、士官学校で三学年上に在籍していたリヒャルトだった。


『軍事と魔法の調和だけでなく、魔力を持つ者と普通の人間が互いに認め合い、共生し合う。僕はこの国にはそんな未来が訪れて欲しいと、願っているんだよ』

 

 十七年前から抱く若く青い理想を、二人は今も変わらずにずっと掲げ続けている。この理想を叶える為であれば、フリーデリーケは生涯リヒャルトの影となり支えていく、と、固く心に誓っていた。

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