第38話 Shadow Boxer(12)


 虹色の光の中から、アストリッド、ウォルフィ、ヘドウィグは降り積もった雪の上に身を投げ出された。


「あぅ……!!」

  柔らかい雪の上とはいえ、傷口が塞いだばかりで全身を強く打ちつけられ、アストリッドは堪らずに呻き声を発した。その声にウォルフィはすぐに飛び起きるようにして立ち上がると、傷口を両手で押さえ込むアストリッドの傍へ駆け寄った。

「アストリッド」

 胎児のように身体を丸め、痛みと寒さで酷く身体を震わせている。カチカチと歯を鳴らし、その僅かな振動ですら傷口に響くのか、絶えず苦し気に眉間を顰めている。血の気が失せた顔中に脂汗を流す主を、ウォルフィはなるべく身体を揺らさないよう、慎重な手つきで抱きかかえた。

「……いっ、痛ぁ……!!」

 普段であれば、「煩い。いちいち騒ぐな」と一蹴してやるが、今のアストリッドにそんなことを言える筈もなく。アストリッドを抱えたウォルフィは、傍で二人の様子を窺っていたヘドウィグをちらりと見返す。


「……すまないな。本来なら、中央のリヒャルトの元まで転移させたかったが……。防御魔法と触手を発動させながらの転移、となると、流石に長距離移動は無理だった」

「……いや、あの場から撤退できただけでも充分だ。あんたのお蔭でアストリッドも俺も助かったし、感謝している」


 まさかウォルフィから、素直に礼のようなものを述べられるとは思わなかったらしい。ヘドウィグは思わず目を丸くする。

 彼女の表情の意味を汲み取ったウォルフィは、一瞬気まずそうに眉根を寄せるも特に咎めはしなかった。


「氷漬けの街並みからして……、まだここはリュヒェムの中か」

「あぁ、そうだ」

「地下室も含めて二回も宮殿で爆発が起きた以上、北方軍もそろそろ異変に気付いて出張ってくる頃だろう。そうなると、奴らが拘束されるか、あるいは……。俺達に濡れ衣を着せて捜索を開始するか……。どちらに転ぶにしろ、余り長居は出来ない」


 しかし、疲弊しきっているヘドウィグや衰弱したアストリッドを考えると、僅かな時間でも休ませてやるべきかもしれない。


「あんたの体力を回復させなければ中央への転移もままならない。少しばかり休んだ方がいいだろう」

「正直なところ、そうしてもらえると非常に助かる」

「……分かった。じゃあ適当に、この辺りの家に入るぞ」


 ウォルフィはヘドウィグを従えて雪の中を歩き始め、通りに連なった氷漬けの家々の内の一軒に入った。氷の扉を開けて玄関を潜り、すぐ目の前の廊下を渡る。

 右側の扉を開くと、扉から見て正面奥には暖炉があり、部屋の中央にはL字型の長椅子が二脚、ローテーブルを挟んで対になるような形で置かれていた。それらも全て氷漬けではあったが。

  部屋に入ると、ヘドウィグはローブを脱いで長椅子の上に敷くも、ウォルフィはもう一つの長椅子に腰を下ろした。 背を曲げ、自らの膝に突っ伏す形で休むヘドウィグを尻目にウォルフィは、ヘドウィグがローブを敷いてくれた方の長椅子にアストリッドを寝かせ、自身が着ていたコートを身体に掛けてやる。

 依然、アストリッドは苦悶の表情を浮かべては不規則で荒い呼吸を繰り返している。青白かった顔色が、今度は熟れた林檎のように真っ赤に変わっている。

 床に膝をつき、汗ばんだ額に掌を当てるも余りの熱さに、ウォルフィはすぐに手を離してしまう。これは一刻も早くこの地から離れ、安静にできる場所に戻らねば。

 ヘドウィグも同じ想いを抱いたのだろう。珍しく縋るような目(傍からはほとんどそうは見えないが)で彼女に視線を送るウォルフィに、こう告げた。


「……ハイリガーに、転移魔法でゾルタールに移動させてくれるよう、思念で救援を依頼しよう」

「元帥ではなくて、か??」

「昼間のこの時間帯だとリヒャルトは公務の最中だ。気付いたとしてもすぐに対応するのは難しいだろう??」 

「しかし……」

「その代わり、お前さん達がゾルタールに移動次第、私が中央に戻って事の顛末全てリヒャルトに伝えよう。さすれば、アストリッドに処罰が下されることはないと思う。それに……」


 ヘドウィグは一旦口を閉ざすも、言い淀みつつ再び言葉を続ける。


「こう言っては何だが……、リヒャルトは、アストリッドに限っては甘いところがある……」

「……知っている……」

「ならば話は早い。私は外へ出て、ハイリガーに救援を送る。お前さんはアストリッドの容態を見ながら、そこでじっと待っていろ」


 ヘドウィグは長椅子から立ち上がり、部屋を出て行こうとした――、と、見せ掛け、またこちらへ戻ってきた、かと思うと。一言呟き、掌から淡黄色の光が放たれる。彼女の掌に、硝子製の黒い小瓶が握られていた。


「これは……」

 見るからに怪しげな薬を手渡され、不信感も露わにウォルフィはヘドウィグに尋ねる。

「こいつは私が作っている『悪魔の薬』の一種だ。幻覚作用をもたらし、意識を朦朧とさせる……」

「そんな危険な薬をアストリッドに飲ませろと??ふざけるな!」

  当然ウォルフィは激怒し、小瓶を床に叩きつけようとしたので、寸でのところでヘドウィグが抑えにかかる。

「最後まで話を聞け!確かに危険な薬だが、ごくごく少量であれば痛み止めと鎮静効果をもたらす薬だ。少しでもアストリッドの苦しみを取り除いてやりたい、と、思ってのこと……」

「本当に、飲ませても問題ないだろうな??」

「あぁ。ほんの一口だけならな」


  ウォルフィはまだ疑わしげにヘドウィグを見上げていたが、ふっと顔を逸らす。


「……あんたを信じよう……」


  顔を背けたままぽつりと漏らしたウォルフィの言葉を聞き、ヘドウィグは今度こそ部屋を出て行った。

 ヘドウィグが姿を消すと、ウォルフィは小瓶のコルクを抜いてアストリッドの口元に宛がった。アストリッドは、嫌々をするように顔を左右に振って薬を飲むのを拒否する。痛みと熱で半ば意識を失いかけているせいなのか。正常な判断が出来ず、拒絶反応を示すばかり。


  どうしたものか、と小瓶を握ったまま、考えること数分。

 ウォルフィは全身の力を抜くべく、ふぅーと大きく息を吐き出した。


「……文句なら、後で幾らでも聞いてやる……」


  観念したように呟き、アストリッドの頭を左手で支えながら小瓶の薬をほんの一口だけ口に含む。下唇を右の親指で軽くこじ開けると、顔を近づけ――、唇を重ね合わせると共に薬を咥内へ流し込んだ。

 すぐに唇を離し、薬が肺や気管支に入らないよう、そっとアストリッドの頭を動かして嚥下させる。

  唇に付着した薬を指先で拭うと、ふと嫌な予感が脳裏を掠めた。外で救援の思念を送るヘドウィグの様子を身に行こうと思い立ったからだ。

 たった一、二分程度でもアストリッドを一人にさせるのは忍びなかったが、部屋と廊下を抜け、急いで玄関の扉を開ける。

  家の前か近くの通りにいる筈のヘドウィグの姿はなく、曇天の空から氷漬けの街並みにちらちらと雪が舞い落ちる様が目に飛び込んできたのみであった。


「……くそっ!あの女!!」


  図らずも嫌な予感が的中してしまい、怒りに任せて足元に積もった雪を蹴り飛ばす。しかし、ただ怒りの感情をまき散らしたところで状況が好転する訳ではない。

 再びウォルフィは家の中に戻り、アストリッドのいる応接室へと駆け込んだ。

 すると、アストリッドが横たわる長椅子の下から、虹色の光が煌々と光り輝いている。ハイリガーが救援に応え、転移魔法を発動させてくれたのか。


 意外に早くリュヒェムから脱出できることに安堵する。一方で、去るなら去るで一言告げてほしいものだ、と、心中でヘドウィグに毒づきつつウォルフィも光の中へ入り、アストリッドの手に手を重ねたのだった。

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