第38話 出奔の夜
広場の入口に馬に曳かれた荷車が到着する。二人の兵士が頭から黒い布をかぶせられたネシーナを抱きかかえて荷台に乗ると、子どもながらに観念したのだろう彼女はすっかりおとなしくなっていた。しかし抑えきれない不安にその小さな肩は小刻みに震えていた。
まるで罪人のような扱いで我が子を連れ去ろうとする兵士にリオベルは怒りをぶつけるが、彼の立場を理解している若い兵士もまた声を荒げた。
「オングリザさん、これ以上
兵士のその一言に手も足も出せなくなったリオベルとメトアナ、肩を落とす二人に形ばかりの一礼をすると兵士は片手を上げて合図する。すると荷車はゆっくりと動き出した。
なにもできないくやしさにただ唇を噛みしめるばかりのリオベルとその場で泣き崩れるメトアナ、そんな二人を事件のもう一方の当事者でもある野の民と風の民は黙って見守るしかなかった。
荷車は広場を迂回して城門を目指す。召し上げられた奴隷は例外なく城内の収容施設にて教育されるのだ。両隣と向かいには自分を監視する兵士がいる。ネシーナは被せられた布の合間から彼らの様子をうかがっていた。
すると間もなく荷車は停車する。同時に兵士たちは揃って同じ方向を向いて起立した。彼らが仰ぐ先には隊列に護られた馬車があった。ネシーナは幼いながらも兵士の目を盗んで布の隙間から同じ方向に目を向ける。するとそこには目隠しのビロード幕をめくって顔を覗かせる少女の姿があった。しかしその幕はすぐに付き人の誰かによって閉じられてしまった。
一瞬だが垣間見ることができた少女は褐色の肌に真っ白な髪、それは他のどの民とも異なる風貌だった。
「あの子もきっと召し上げられたんだ。奴隷になるんだ」
ネシーナは見知らぬあの娘の境遇を思いつつ、再びあきらめたように顔を下に向けた。
隊列が過ぎ往くと兵士たちは再びネシーナを監視する位置に就く。同時に荷車も動き始める。遠く離れた広場からはまるで地響きのような歓声が聞こえた。祝福の子、ウルスラグナ姫のお出ましだ。しかしそんな華やかな場面には縁すらもない下級兵士の三人は後味の悪い沈んだ気持ちのまま、まだ幼い女の子とともに城内の施設を目指すのだった。
――*――
野の民と風の民の三人は帰路の道すがらリオベルとメトアナに詫びを述べながら自らの素性を語った。
野の民である彼の名はマーモス・ウングベ、彼に寄り添うのがその妻ティーナ、そして彼らと行動をともにする風の民はゲールド・バードと名乗った。
彼らは水の国の祭事節に出店することで外貨獲得を目論んでいた。折しも
「オングリザさん、お気づきになられましたか? あなたには監視の兵が付いていたことを」
オングリザ家の食卓でマーモスが口を開いた。その言葉にリオベルは忸怩たる思いで答えた。
「彼らは私が
「そんなことがあったのですか。そうなるとここも危ないかも知れませんね」
「危ないとは?」
「私たち野の民は彼らのみならずどこの民からもよい目で見られていません。何しろ神を否定する異端の民と呼ばれてますから。そんな私たちといっしょにいてはあなた方ご夫婦も異端の者と見られかねない。なにしろオングリザさんには以前から嫌疑がかけられていたのですから」
その言葉に不安を感じたメトアナが窓辺に立って外の様子をうかがう。すっかり暗くなった周囲に人の気配は感じられなかったが、しかし闇に紛れての監視は続いているかも知れない。メトアナは窓を目隠しの布で覆うと不安な顔でリオベルを見る。
「あなた、誰もいないかも知れないし、いるかも知れない。とにかくここからではわからないわ。だからせめて目隠しはしておいた方がいいと思ったの」
「よし、私が行って見て来よう。これでも連中には顔が利く」
すると野の民マーモスがリオベルの前に羽ばたき出て語気を強めた。
「いけません、それこそ彼らの思うツボです。なにしろ彼らはオングリザさんを捕えたいのですから。そして私たち野の民との内通理由をいろいろとデッチ上げるんだ。だから出てはいけません、絶対に」
「ならばどうしろと言うんだ」
「私たちが囮になります。この家の屋根にでも上って弓矢の二、三発も撃ってやりましょう。その隙にお二人はお逃げなさい。ゲールドさん、お二人の護衛をお願いできるかな?」
「承知しました。ところでオングリザさん、この家に裏口はありますか?」
やはりオングリザ家の周囲は衛兵たちに包囲されていた。変装してまで
最初はリオベルのみがターゲットとなっていたが今では同行する野の民も風の民も一蓮托生となっていた。こうなったらもう術はない、陽動と出奔、最早彼らにそれ以外の選択肢はなかった。さあ、善は急げだ、風の民のゲールドがリオベルとメトアナを促す。
「それではリオベルさん、メトアナさん、お二人は私とともに裏から出ましょう。もちろんそこも監視されてることと思います。なのでマーモスさんたちが屋根に上がって威嚇射撃を行ないます。それに紛れて私がお二人を連れ出します」
「まってくれゲールドさん、君一人で私と妻の二人を運ぶというのか」
「厳しいですがやってみます」
「しかし……」
するとリオベルの妻、メトアナが一歩下がって言った。
「私はここに残ります。だってあなたも私もここからいなくなってしまったらネシーナが帰る場所がなくなってしまうもの」
「ならば私も残る。ゲールドさん、これはこの国の問題だ、あなたたちには関係のないこと、さあ、三人でお逃げなさい」
この期に及んで議論じみた言い合いを始めるオングリザ夫婦だったが野の民マーモスは冷静だった。妻に寄り添うリオベルのうなじに青色の矢を撃ち込んだ。瞬時に眠りに落ちるリオベル、そしてそれをささえるゲールド。
寝息を立てる夫リオベルの額に軽く唇を重ねた後、メトアナはゲールドと二人の野の民に「よろしくお願いします」と言ってかまどのある調理場へと身を隠した。
「さあ、行こう、ティーナ。私たちは屋根だ」
「わかったわ。それではゲールドさん、どうかご無事で」
ゲールド・バードがリオベル・オングリザを抱きかかえて裏口を出たと同時に周囲の黒い茂みから火柱が上がった。屋根の上からウングベ夫妻が衛兵を蹴散らすために威嚇射撃をしているのだ。衛兵たちもそれに応戦する。水の民の加護である破裂玉の数発が炸裂するのが見えた。
ゲールドは力を振り絞って上空高く飛び立つ。闇に紛れてリオベル家を後にするゲールド、その背後ではひときわ大きな轟音が響く。振り返ると大きな火柱とともにオングリザ家の半分が吹き飛ばされていた。
「マーモスさん、ティーナさん。身を挺して責任を果たされたお二人のことは村の長老に必ず伝えます。そしてお二人の子どもたち、ジャヌビアとルセフィは私たちが育てます。だからどうか見守っていてください」
ゲールドは拭えぬ涙をそのままにひたすらに南を目指すのだった、彼らの故郷である村を目指して。
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