第76話 空気と攻勢と

 ここ最近、オフィス内にどこか浮ついた空気が漂っている。


 春輝は、なんとなくそんな気がしていた。


 例えばそれは、とある平日。

 昼休みも半ばを過ぎた頃のことである。


「人見さん、食後にコーヒーいかがですか?」

「ん……ありがとう小桜さん、いただくよ」


 春輝は礼を言って、伊織の運んできてくれたカップを受け取った。


「砂糖は無し、ミルクのみでしたよね?」

「あぁ、うん。よく覚えてるね」

「ふふっ、人見さんの好みは忘れませんよ」


 伊織は冗談めかした調子で言いながらミルクポーションを一つ置いて、離れていく。

 他の社員にも同様の質問を投げているが、どうやら一番先に春輝へと声をかけたようだ。


「先輩。これ、お土産にいただいたんですけど一つ貰ってくれませんか?」


 伊織と入れ替わるようなタイミングで、貫奈が話しかけてきた。

 手には、カレールウのようなものが描かれた箱を持っている。

 そのパッケージを見て、春輝は眉を顰めた。


「……チョコカレー? それはカレー味のチョコなのか? それとも、チョコが入ったカレールウなのか? カレールウっぽいパッケージなだけの普通のチョコなのか?」

「さぁ?」

「なんでお前も知らないんだよ」

「やはり、一番手の名誉は先輩にお譲りすべきかと思いまして」

「そういうのは毒味っていうんだ」


 ここ最近、オフィス内にどこか浮ついた空気が漂っている。


 そして。


「桃井さん、なんか表情が柔らかくなった? 冗談なんかもよく言うようになったし」

「より自然体で人見に接してるように見えるな」

「それを言うなら、小桜さんもじゃない?」

「今のやり取りとか、新婚さん的な雰囲気あったよな」

「小桜派も桃井派も捗るなぁ……」


 恐らくその中心は、他ならぬ春輝であるようだった。


(中高生じゃねぇんだからさ……)


 外野の声に、春輝は呆れ気味の感想を抱く。


(大体、俺に浮ついた話なんて……)


 と、考えかけて。


 ──異性として、好きです


 蘇ってくるのは、貫奈の言葉で。


(少なくとも、桃井は……)


 なんとなく気まずい気持ちとなって、貫奈から少しだけ目を逸らす。。


「先輩? どうかされましたか?」


 そんな春輝を訝しんでか、貫奈が首を傾けた。


「……いや、お前が持ってきた物体の味を想像してたんだよ」


 貫奈が手にした箱へと再び目を戻し、そう誤魔化しておく。


「想像した結果、どう考えても地雷だからいらん。せめて自分で味を確かめてから来い」

「そうですか、残念です」


 特に残念そうでもない表情で、貫奈がカレールウ的サムシングを引っ込めた。


「では、代わりに……今度の休日、一緒に遊びに出掛けませんか?」

「何がどう代わりなんだよ」


 冗談だと思い、春輝は笑って返す。


「おぉ、デートのお誘いだ……!」

「桃井がついにデートに誘ったぞ……!」

「桃井派としては、感無量だな……」


 しかし、外野がザワッとしだして。


(……えっ? 俺、今、デートに誘われたの?)


 そこでようやく、春輝もその認識を持った。


(確かに、デート……なの、か……?)


 自分に対して好意を持っている女性から、遊びに誘われる。

 なるほど、それは世間一般的に『デート』と呼ばれるものなのだろう。

 流石の春輝でも、客観的な立場だったら「いやそれはデートだろ」とツッコミを入れるところである。


「まぁいいじゃないですか。最近は先輩も普通にお休み取れてるんですし、一日くらい」

「あー……うーん……」


 何と答えてよいものやらわからず、春輝は口をもにょもにょとさせる。


「ダメ……ですか?」


 けれど、貫奈が悲しげに眉根を寄せるものだから。


「いや、大丈夫! 行こうか!」


 半ば反射的に、そう答えてしまった。


(アレだ……デート、とか言うからなんか変な感じになるんだ)


 頭の中で、自分への言い訳なのか何なのかよくわからないことを考える。


(考えてみれば桃井と遊びに行くくらい、今までに何度もあったことじゃないか……まぁ、社会人になってからは初めてな気もするけど……)


 ついでに言えば、二人きりで出かけたという事例もあまり多くはない。


「ありがとうございます、楽しみです」


 先の表情から一転、貫奈の顔に笑みが咲く。


「そんじゃ、いつにする?」


 妙に気恥ずかしくて、少し早口になりながら尋ねた。


「そうですね、次の日曜なんてどうでしょう?」


 そう提案を受けて、春輝は頭の中で自身のスケジュールを確認する。

 以前であれば休日に予定が入っていることなど稀だったが──というかそもそも休日自体が稀だったのだが──今では伊織たちと何かしらの約束を交わしていることも珍しくないからだ。


(……うん、特に何もなかったはずだな)


 三人の顔を順に思い浮かべるも、該当の日に何かの約束をした記憶はなかった。


「あぁ、大丈夫だ」


 頷いて、問題ない旨を示す。


「つーか、どこに行くんだ?」


 そして、若干今更ながらに問いかけた。


「それは、これから決めようかと」

「ん……? どっか行きたいとこがあって、付き合ってほしいってことじゃないのか?」


 てっきりそう思っていた春輝は、頭の上に疑問符を浮かべる。


「違いますよ」


 そんな春輝に、貫奈はクスリと笑った。


「先輩と、出掛けたいんです」


 それから、それをふんわりとして微笑みに変えるものだから。


「そ、そうか……」


 ドギマギしてしまい、春輝はそう返すことしか出来なかった。


「さぁ、盛り上がって参りました……!」

「桃井パイセンの追い上げ、パねぇッス……!」

「小桜派、大丈夫? 息してる?」


 なお、外野は大興奮の模様であった。

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