第65話 好意と連携と

 変化といえば。


 家での生活にも少し変化が生じているように、春輝は感じていた。


「はぁ……定時間際の障害はマジでやめてほしいよなぁ……」


 例えばそれは、そんなボヤキと共に帰っていた日のことである。


「って、俺がそんな感想持つ日がまた来るなんてな」


 思わず、苦笑が漏れた。

残業が常態化していた頃は、結局帰るのは終電か夜明け。

 いつ障害が発生しようが、あまり関係なかったのだが。


「すっかり、今の日常に慣れちまってるってことか」


 定時帰りが多くなった日々に。


 迎えてくれる人がいる家に。


「ただいまー」


 そんなことを考えながら、玄関の扉を開ける。


『おかえりなさーい』


 いつもであればすぐに三人が出迎えてくれるのだが、今日は声だけだった。


「……?」


 不思議に思いながらも、声の聞こえた方……リビングへと向かう。


 扉を開けた瞬間、少し甘い匂いが鼻に届いた。


『ようこそ、癒やしの空間へ』


 そして部屋の中へと目を向けてみれば、そんな言葉と共に両手をこちらに向けて広げる三人の姿が。


「えっ、と……これは……?」


 イマイチ意図が掴めず、春輝の声には多分に戸惑いが含まれていた。


「今日、定時間際で障害が発生してましたよね? きっと帰って来る頃にはお疲れだろうと思いまして、準備していたんです。疲労に効くっていうアロマも焚いてみました」

「そ、そう……?」


 伊織の言葉で動機は理解出来たが、何をするつもりなのかは結局よくわからない。

 三人の表情から、アロマを焚いて終わりということではなさそうだが。


「というわけで、こちらへ」


 と、伊織は正座の姿勢で自らの膝ポンポンと叩く。


 これについては、これまでの経験から膝枕を促しているのだろうとすぐにわかった。


「あー……うん、ありがとう」


 例によって伊織は断られることを想定していなそうな表情で、春輝は苦笑気味に頷く。


「さぁ、ハル兄」


 トトトッと小走りで寄ってきた白亜が、春輝の手を取って引いた。

 どうやら、エスコートしてくれるらしい。

 といっても、伊織のところまで数歩程度しかないのだが。


「ははっ、了解」


 フンスと鼻息も荒く、やる気満々な白亜の表情に思わず微笑みがこぼれる。


「はい春輝クン、上着はここで脱いでね」

「ん、あぁ、どうも」


 更に、露華が手ずから上着を脱がしてくれた。


(なんか、至れり尽くせりって感じだな……)


 内心では、ちょっと苦笑気味。


「ささっ、どうぞ」


 再び自らの膝を叩く伊織の表情は、妙にやる気に満ち溢れて見える。


「それじゃ、失礼して」


 そう言ってから、春輝は仰向けに寝転がって伊織の腿の辺りに後頭部を乗せた。


(最初の頃に比べれば、随分抵抗感も少なくなってるよなぁ……)


 などと、妙な感慨深さを覚えていた春輝であったが。


「あ、すみません。今回は、そうじゃなくて」

「ん……?」


 頭上からの声に、困惑することとなる。


「こう……横向きになっていただけますか?」

「んんっ……?」


 伊織が春輝の頭に手を当てそっと力を込めるので、促される形で身体を九十度横に向けた。


「んんんっ……!?」


 そして、その『ヤバさ』を実感する。


(いや、これは……これは、流石にダメじゃないか……!?)


 後頭部越なら、まだ自身の髪というクッションもあった。

 しかし現在、伊織の腿と接触しているのは頬。

 その柔らかさが、肌にダイレクトに伝わってきた。

 もちろんスカート越しではあるのだが、逆に言えば布一枚を間に挟んでいるだけなのである。


 そして、視界も大変なことになっている。

 その大半を占めるのが、スカート。


(人生において、ここまで至近距離でスカートを見たことがあったろうか……いや、ない)


 なぜか思考も反語気味になろうというものである。

 この体制では伊織の顔を見上げることも難しく、それが余計に妙な背徳感を覚える原因となっている気がした。


「あのさ、流石にこれは……」


 と、起き上がろうとするも。


「あっ、動かないでくださいね。危ないですから」

「危ない……!?」


 伊織の警告に、思わず動きを止めてしまった。


「ハル兄、始めるから」

「な、何を……?」


 次いで聞こえてきた白亜の声に、ちょっとビクッとなる。


 直後、目の前に白亜が座るのが見えた。


「こしょこしょ~」


 そんな白亜の声と同時に、耳の穴にくすぐったい感覚が生じる。

 覚えのある感触。

 恐らくは、耳かきのフワフワした部分のそれだと思われる。


「では、ここからが本番」


 白亜の声に、どこか緊張感が混じったような気がした。

 今度は、耳の中に硬い感触の何かが入ってくる。

 流れ的に、今度は耳かきの匙の方なのだろう。


「ほんじゃ、ウチもやっちゃうよ~」


 背後、すぐ傍から露華の声。


「おぉ……お客さん、凝ってますねぇ」


 かと思えば、肩が揉まれ始めた。


「ロカ姉、危ないから動かさないようにね?」

「わかってるっての。ウチのマッサージテクを信頼しなよ」

「そのテクが発揮された場面をあんまり見たことないから、信頼に足るソースがない」

「ま、帰ってきたお父さんにやってたのがほとんどだからねー。お父さんも帰るの遅い人だったし、おこちゃまの白亜は大体寝ちゃってたもんなー」

「むぅ……今ならわたしだって、こうして参加出来るし」


 春輝越しに言い合いをするのは、出来れば勘弁願いところであった。

 特に、白亜にはデリケートな部分を任せているのだから尚更である。


「こら二人とも、ちゃんと集中しないと危ないでしょ」


 そんな春輝の心を代弁するかのように、伊織が嗜めてくれた。


『はーい』


 二人も素直に返事して、その後は黙って手元に集中してくれたようだ。


 そのまま、しばらくこの状態が続く……のかと思いきや。


「春輝さん、今日もお仕事頑張って偉かったですねぇ」


 いつかのように、伊織が子供に対するような口調となって頭を撫でてきた。


(これは……ちょっと、前より恥ずかしいな……)


 二人きりだった以前とは違って、今はすぐ傍に露華と白亜もいるのだ。

 頭を動かすわけにもいかず、二人がどんな表情を浮かべているのかはわからない。


(……つーか)


 ふと、己の状態を客観視してみる。


 前方に白亜、後方に露華、そして頭上に伊織。


(なんかこれ、観察されてる実験動物みたいだよな……)


 三方から覗き込まれている様にそう思うって、苦笑が漏れた。


(ま、これもこの子たちなりの好意の表し方……って、ことなんだろう)


 そう思って、受け入れることにする。


 これが、家での変化。

 以前よりも、こういったコミュニケーションが増えているのである。

 特に肌の接触を伴うものがやけに多い気がするのは、春輝の気のせいなのだろうか。


(好意……か)


 自身の思考に含まれていた単語から、ふと連想する。


 ──異性として、好きです


 貫奈の、『告白』。


(喜ぶ……べき、なんだろうな……)


 しかし、未だ春輝にその実感は生まれていなかった。


 明日にでも、「実はあれは冗談でしたー!」なんて言われるような気がして。


 それはきっと、貫奈に対して失礼なのだろうけれど。


(俺は、あいつのこと……どう、思ってんだろうな……)


 ぼんやりと考えるも、答えが出ることはなかった。



   ◆   ◆   ◆



 そして、これは視界の問題で仕方ないことではあるのだが。


「………………」

「………………」


 露華と白亜が何かを探るような目で見つめてきていることにも、春輝が気付くことはなかった。

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