第59話 乾杯と泥酔と

 その日は特にトラブルもなく、定時を少し過ぎた頃に業務を終えて。


「お疲れ様です」

「お疲れ」


 大衆居酒屋にて、春輝はビールの注がれたグラスを貫奈と打ち合わせた。


「悪いな、オシャレなバーとかじゃなくて」

「誰も先輩にそんなの期待してませんよ」

「ふっ、まぁそりゃそうか」


 グラスを傾けながら、そんな軽口を交わす。


「……で。何か、相談事か?」


 一杯目を飲み干したところで、春輝は表情を改めてそう尋ねた。


「相談事、というわけではないのですが……そうですね、お話したいことはあります」


 果たして、貫奈の顔に再び緊張感が宿る。


「とはいえ、まずはもう一杯いっときましょう」


 かと思えば、表情を緩めて春輝のグラスにビールを注いだ。


「ん……サンキュ。そんじゃ、お前も」


 同じく空になっていた貫奈のグラスに、今度は春輝がビールを注ぐ。


「ありがとうございます」


 社会人になってからグッと機会は減ったが、彼女と飲むのも初めてではない。

 この程度で酔いが回らないことは知っていた。

 もちろん、春輝も同じくである。


「ほらほら先輩、ペースが遅いですよ? もっと、ググイッといきましょう」

「お、おぅ……」


 とはいえ、普段はここまでのペースで飲むわけではなかった。


(酔った勢いで言いたいタイプのやつか……? 愚痴とか……?)


 どんどんグラスを空けていく貫奈の姿に、そう思う。


(ならまぁ、付き合ってやるか……)


 心中で溜め息一つ、春輝も手にしたグラスの中身を飲み干した。



   ◆   ◆   ◆



 それから、小一時間程の後。


「それで、先ぱぁい。小桜さんとは、どこまで行ってるんスかぁ?」

「どこにも行ってねぇよ……」


 だいぶ目がトロンとなってきた貫奈によって、春輝は問い詰められていた。


「いやいやぁ、そんなことはないでしょー?」

「逆に、なんで俺と小桜さんの間に何かあるって思うんだよ……」

「そんなの、見りゃわかりますよー」

「説明になってないだろ……」

「じゃあ、女の勘です!」

「ますます説明になってない……」


 というか、『絡まれていた』というのが正確な表現かもしれない。


(こいつ、こんな酔い方する奴だったか……?)


 正直なところ、若干辟易気味の春輝であった。


「おっとぅ? 今、『こいつ、こんな酔い方する奴だったか?』とか思いましたねぇ?」

「い、いや、別にそんなことは……」


 へべれけ気味に見えて、やけに鋭いところもあるので尚更である。


「私はですねぇ、これで結構お酒好きなんですよぉ」


 春輝の言い訳を聞く気もないらしく、貫奈はまた喋り始めた。


「知ってるよ……よく飲みに誘ってくれるし」

「……はぁ」


 かと思えば、今度は重い溜め息を吐く。


「本当に、お酒を飲みたいからって理由で先輩を誘っていると思ってるんですか?」

「他に理由なんてあんのか……?」

「ヒントです。実は私は、先輩以外を飲みに誘うことはほとんどありません」

「お前、結構人見知りだもんなぁ……学生時代よりは全然マシになったけどさ」

「はぁぁぁ……」


 先程以上に、滅茶苦茶重い溜め息を吐かれた。


「まぁ、その話は一旦置いておくとしまして」


 貫奈は両手で、『置いといて』のジェスチャー。


「お酒を飲み始めた頃から、先輩の前では下手な酔い方しないようにしてるんですよ」

「そうなのか……?」


 その理由もよくわからず、春輝は首を傾ける。


「だってそんな女、嫌でしょう?」

「別にそんなことは………………あー」


 ない、と口にしかけて言い淀んだ。

 思い出すのは、アルコールが含まれるチョコレートを食べた時の伊織の姿である。

 ちょっと、『嫌じゃない』とは言い切り難かった。


「……今、私以外の女性の姿を思い浮かべましたね?」


 またも鋭い貫奈の指摘に、ギクリと顔が強張る。


「まさか、小桜さんじゃないですよねぇ? 流石に未成年酔わすのはマズいですよぉ?」

「いや飲ませたわけじゃねぇよ」


 重ねて図星を突かれ、反射的に釈明の言葉が口を衝いて出た。


「……でも、小桜さんが酔った場には居合わせたんですねぇ?」


 完全なる墓穴である。


「ん、まぁ、その……」


 もにょもにょと言いながら、間をもたせるためにビールを一気に呷った。


(……やべ。俺も結構酔いが回ってきてるかも)


 頭がクラクラしてきたことで、ようやく自身の状態を自覚する。

 ここまで貫奈のハイペースに付き合っているがゆえに、春輝の酒量もかなりのものとなっていた。


「……なーんちゃって!」


 とそこで、眉根を寄せていた貫奈の表情がへにゃっと緩む。


「じょーだんですよ、じょーだん! 私は、先輩のことを信じていますから! 小桜さんともただの同僚関係で、なーんにも怪しいところなんてないですよね!」

「お、おぅ! その通りだ!」


 なぜ急に手の平が返ったのかは不明だが、この機会を逃すまいと春輝は大きく頷いた。


「ささっ! 今日はとことん飲もうじゃないですか!」

「だな!」


 これで誤魔化されてくれるならと、春輝は雑に注がれたビールをグイッと呷る。


「流石先輩、いい飲みっぷりですねぇ!」

「まぁな!」

「では、もう一杯! 余裕ですよね!?」

「当然だな!」

「次はちょっと気分を変えて、ハイボールでもいっちゃいますか!」

「あぁ、どんどん来い!」


 普段であればそろそろ自重する段階だが、貫奈に乗せられる形で杯を重ねていく。


「あれ……? ところでお前、なんか俺に話があるんじゃなかったっけ……?」


 かなり働きの怪しくなってきた頭に、ふと当初の目的を思い出した。


「まぁいいじゃないですか、そんなことは!」

「んんっ……? そうか……? まぁ、お前がそう言うなら……」


 普段であれば、春輝とて流石にここまであっさり引き下がりはしなかっただろう。

 だが思考がフワフワする酔っぱらい状態では、「まぁいっか」としか思わなかった。

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