入ってますよ
1、コン コン、コン
俺は走る。
今は、何も考えられず、ただ我武者羅に走る。
暗い廊下を闇雲に走り、たった一つ出口を求め疾走。
玉のように吹き出る汗が、頬を伝い首筋へ流れ服へと染み込む。
世の社会システムを怨み、神が定めた人の生を、ひたすら呪う。
一筋の灯りを見つけ、そこが救いのセーフハウスだと信じて、一目散で駆けた。
まるで光を求め炎へ飛び込む蛾のように、俺は光の中へ飛び込む。
部屋の入り口に近い、"ある"個室に入ると、もうそれ以上何も考えずに、本能にしたがう。
そして――――――――――――ズボンを下ろした。
ぶぶっ〜、ぶりぶりぶりぶりぶりぶり!
「あっ、ああ〜……間に合ったぁ〜」
トイレの個室に駆け込み、解放感と高揚感からくる幸福感を、ただ噛みしめる。
総合病院で警備員をしている俺は、夜回りの最中、唐突に襲ってきた便意に逆らうことができず、自分でも驚くほどの瞬足を覚醒させトイレに駆け込んだ。
最近、腹の調子が悪いけど、何かに当ったかな?
しかし、夜の病院は不気味だ。
気のせいだとしても、何か、不吉な気配だけを感じとった気になる。
病院と言えば学校に次ぐ、会談話の宝庫。
今、何か"こと"が起きたら逃げられないな……。
あまり長いをしたくないと踏み、トイレペーパーを掴み、いそいそと尻を拭いていると、ドアの足下の隙間から黒い影が見えた。
誰か来た。
当直の看護師か?
それとも入院患者か?
ゆっくり、ゆっくりと、影は這いずるように動き、俺がはいる個室の前で止まる。
そして――――――――。
コン、コン、コン。
ノックに対して返答する。
「入ってますよ」
次のノックは強めだった。
ドン、ドン、ドン。
「だから、入ってますって」
ふさけんなよ。隣が空いてるだろ?
何なんだ? ガキのイタズラか?
すると、今度はトイレの入り口側、個室の中から見て左の壁からノックが聞こえた。
ドンドンドン。
「な、なんだよ? やめろよ!」
すると、
"ドン"
俺は音のする方へ素早く振り向く。
今度は右の側面から強いノックが聞こえた。
正面から側面に移動した、にしては異様だった。
なぜなら、足下の隙間に影はとどまったままだからだ。
何がどうなっているのか? 俺は息を飲み息を押し殺して、動向を見守る。
しばらく沈黙が続いた。
不気味な静寂の後、ドアの隙間から見える影が、水をこぼしたように広がり個室を囲む。
正面のドアと左右の壁が、同時に激しくノックされた。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン――――――――――――――――――――――――――――――
身動きが取れず、逃げられない状況で、俺は恐怖に耐えられず、頭を抱えてうずくまるように、身をかがめて叫ぶ。
「やめろぉぉぉおおおおお!!」
こちらの懇願が届いたのか、ノックは止み、いつの間にか眼下の影は消えていた。
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