お手伝い
さて。
三人分といっても別にやることは変わらないが、俺や後輩はともかく百瀬が食べるとなると、少し急ぎで作らなければならない。
あまり夕飯が遅くなると、夜に寝る時間に差し支える。現在、小学四年生になる四つ子の姉妹を育てている姉の手伝いをしているときに、散々叩き込まれたことだ。
一時期は姉貴の家に毎日家事ヘルプに入ってたからな……。
作るメニューはすでに決まっている。開化丼と味噌汁。胡麻和えと煮浸し。材料とメニューが決まっている以上、あとはいかに効率よく動くかだ。
鍋にたっぷりの水を張り、味噌汁の具としては少し多すぎるぐらいザクザクと切った長ネギを入れて火にかける。時間がないときの長ネギは便利だ。すぐに火が通るし、玉ねぎと同じユリ科仲間なので加熱すると玉ねぎに似た甘みが出る。これは沸くまで放置するとして、この隙に胡麻和えを──と思ったところでピンポンとチャイムが鳴った。
「お、来たか」
同じマンションなだけあって来るのが早い。飯はまだ完成してないが、どうせすぐできるしテレビでもつけて待っていてもらえばいいだろう。そんなことを考えながら、玄関の鍵を開けた俺は──
「どもーっす!先輩、来ましたよー」
「こんばんわ!おじゃまします!」
スーツから一転してジャージ姿へと早変わりした後輩と、その隣でなぜかエプロンを装備した百瀬の姿を見た瞬間、全てを悟った。
いや、全てというのは些か言い過ぎかもしれないがそれでも大体のことは悟った。主に百瀬のきらきらとした、見るからに期待とやる気に満ちた眼差しとかで。案の定、へらっと笑った後輩が悪びれもせずに言ってくる。
「すんません先輩。なんかモモの奴、先輩が飯ご馳走してくれるって言ったら自分も手伝うってきかなくて」
「…………………」
殴りたいなこいつ。
割と素直にそう思った。
そんな俺の思いには気付かず、ラフな兄とは対照的に、綺麗に結った頭にエプロンとお揃いの三角巾までつけた百瀬は、とても張り切った顔つきで胸を張った。
「モモね、保育園のクッキングではんばーぐつくったことあるんだよ!だからね、ごはん手伝ってあげる!」
「………………そうか」
「あっ、でも先輩のお邪魔をする気は毛頭ないんで。もし迷惑になるようだったら、遠慮なく言ってくれれば俺がちゃんとこいつに言い聞かせて──って怖ぁ!?え、なに!?なんでそんな明らかに過去、ダース単位で人を始末してそうな目つきで突然俺のこと睨むんですか先輩!?」
「いや、なんで人を殴るのは犯罪なのかを考えてた」
「なんで!?俺ちゃんと遠慮して気遣いできるところ見せたはずなのに、なんでアンタそんな怖いこと言うの!?」
「お前の気遣いは千年遅い」
というか、こんな断られる可能性など考えたこともないような期待に満ちた顔をした子供を前にして「いや邪魔だから手伝いはいらないよ」と言える大人がいると思うのか。世の中は広いので探せばそりゃいるだろうが、今この場でそんなことを言ったら間違いなく俺が悪人である。
本気で遠慮をする気があるなら、せめてうちに来る前に百瀬に言い聞かせておくべきだった。エプロンと三角巾まで装備させた後で「やっぱりお手伝いしちゃ駄目」というのは人の所業ではない。
幸い、今日のメインは開化丼というかなり卵を使うメニューだったので、卵を割るという比較的リスクの低い任務を百瀬に任せることになった。ちなみに、ここでいうリスクとは怪我をするリスクのことであって、ミスをする可能性に対するものではない。
大人は存外気づかないが、子供の小さな手だと卵を割るだけでも結構難題なのだ。
「いいか百瀬。うちには子供用包丁がないから、切る仕事は俺がやる。代わりに、お前には卵を四つ割って混ぜてもらいたい」
「え〜、四つも!?そんなに割るなんてすっごい大変なじゃん!わたしにできるかなー」
思わせぶりに首なんぞ傾げているが、ここで言う『できるかな?』は『そのような重要な任務を我に任せらるとは腕が鳴るわ』という意味であって、別に本当に嫌がっているわけではない。大人の各位に置かれては履き違えないようにご注意いただきたい。
「そうだ。卵とじにするから、ちゃんと割れないと困るぞ。あと、割ったら白身と黄身がまざって綺麗な黄色になるまでしっかり混ぜてほしい。卵の殻が入らないように気をつけてな。できるか?」
俺が尋ねると、百瀬は重要な任務に気が引き締まりつつも、己の実力を披露する機会を与えられたことに対する喜びを隠しきれない表情で──つまり、緩む頬を抑えきれずにニンマリと頷いた。その様子を見ていた後輩が、感心したようにぼやく。
「……前もちらっと思ったんですけど、先輩って独身のくせに子供の相手するのがむちゃくちゃうまいですよね。子育ての星から来たんすか?」
「独身独身てうるせーよ。確かに俺自身は子育てしたことないけど、近くに住んでる姉貴のところが四つ子の姉妹でな……その手伝いをさせられてたから、まあそれなりに」
「うわぁ」
そう言うと、後輩はあからさまに慄いた。
「四つ子ってまたすごいですね。俺なんかモモ一人で手一杯だってのに、その四倍かぁ……」
「ああ、違うぞ足立。四つ子の赤ん坊を育てる時の難易度は四倍じゃなく『四乗』だ」
今でこそ小学校に入って少し落ち着いたとはいえ、姉妹が生まれたての頃は本当に凄まじかった。誰かが寝ていれば誰かが泣いてて、誰かがミルクを飲んでいれば誰かが吐いている。あの頃の姉は四六時中、誰かを抱っこしていたように思う。運悪く出産が旦那さんの単身赴任と重なってしまったので、うちの家族が総動員でヘルプに入らねば、真面目にあの一家はヤバかったかもしれない。
我が家で一番でかいボウルに卵を入れて百瀬に託していると、ちょうど味噌汁の出汁が沸いたところだった。煮えた長ネギごと出汁をすくい、目分量でざぱざぱとフライパンに移す。
「先輩何してるんすかそれ?」
「味噌汁用の出汁を多めに作って、丼のタレに使うんだよ。いちいち別で出汁取るの面倒だし、具をネギか長ネギにしておけばどっちにも使えるだろ」
「わー、生活IQが高いっつか、なんか先輩ってお母さんの知恵袋みたいですね」
「やかましい」
丁寧に作るなら出汁は別々に作って具材もそれぞれの鍋で煮るべきだろうが、ここは小料理屋ではなく普通の一般家庭だし、俺は料理人でもなんでもない。素人が多少凝ったところで大して味は変わらないのだから、楽な方を選ぶ。
味噌汁の火を止め乾燥ワカメを追加し、代わりにフライパンの方に醤油と味醂、砂糖と酒を加えてから火をつける。親子丼ならこれだけでいいが、今回は豚を使った開化丼なので、獣臭さを抑えるためにチューブの生姜も少々。あとはタレが再び沸騰したら豚コマと卵を入れて完成だ。
小鍋でお湯を沸かし、その間にほうれん草を洗っておく。付け合わせがブロッコリーとかなら味噌汁の出汁を沸かす時に一緒に煮込んでしまうが、ほうれん草はシュウ酸が含まれているのでいつも別茹でだ。葉物だからすぐ火が通るし。
「おい足立。お前暇なら胡麻和え混ぜてろ」
「うぅえ!?お、俺は料理なんてできないですよ先輩!」
「まぜるだけだ。誰でもできる。お前の妹だって卵混ぜてんだろうが」
卵割りの任務を任された百瀬は「もー!たまご四こもまぜるなんて!大変だよもー!」とぎゃいぎゃい言いながら一生懸命混ぜている。兄の五百倍くらい偉い。
「えー……つってもマジで俺大したことできないっすよ。カップ麺のお湯注ぐのが俺の限界で」
「いや本当にこれ混ぜるだけだから。いいからやれ」
白ごまと醤油と砂糖で和え衣を作り、茹で上がったほうれん草の水気をぎゅっと絞ってからザクザクと切る。茹で加減を確認するため、余った根っこをパクリと口に放り込むと、後輩が「あ」と声をあげた。
「根っこ食った」
「ちゃんと洗って泥落としたから大丈夫。ここに栄養があるんだよ」
言いながらもしゃもしゃと根っこを食らう。うむ。しっかり茹だっている。俺は和え衣とほうれん草の入った器を後輩に渡した。
「それ混ぜとけ。混ぜるだけでいいから。終わったら百瀬の方を手伝ってやれ。俺はもう一品作る」
「先輩が超人すぎる……」
それほどでもない。最後の一品は白菜と厚揚げの煮浸しだ。練り物はそれ自体から出汁が出るので、出汁は使わず白菜の水分で煮込むので水すら殆ど必要ない。醤油味醂砂糖と水で作った浸し地を沸かし、沸騰したら細切りにした厚揚げとざく切りの白菜を入れる。めんつゆを使うともっと早いらしいが、俺はめんつゆがあまり好きではないのだ。あれを使うと全部同じ味になるので。
「せんぱーい。できましたー」
「おじちゃーん、卵まぜたよ!きいろキレイ?こんくらいのきいろでいい?」
「よーしよし。偉いぞ百瀬。うん、このくらいでちょうどいい。あと俺はおじちゃんじゃなくてお兄ちゃんな」
ムラなく綺麗に混ざった卵液の入ったボウルを受け取りながら教えてやると、子供は不思議そうな顔をした。
「おにいちゃん?でもおにいちゃんはちーちゃんだよ。おじちゃんはちーちゃんじゃないでしょ」
しまった。そういえばこの子には本物の兄がいたのだった。それも俺と同年代の。思わず言葉に詰まると、本物の兄が横からしれっと言ってくる。
「まあ、確かに先輩はお兄ちゃんじゃないですね」
「だったらせめて『透さん』とかな……」
正直、まだおじさん呼びは遠慮したい。同じマンションということで、なんかこの兄妹たちとは今後もちょくちょく会う機会もありそうだし、下手に定着する前にここらでびしっと呼び名を修正しておきたい。
百瀬はうーんと短い腕を組んで難しそうな顔をした。
「じゃあ、とおるくん?」
「なんで君づけ」
「だって、マミ先生が言ってたよ。おともだちには『くん』か『ちゃん』をつけて呼ばないとダメって。だからちーちゃんも『ちゃん』なんだよ」
大真面目な顔でよくわからない謎の理論を展開する妹の隣で、兄がククッと笑った。
「保育園の先生が言ってるんじゃしょうがないっすね。せーんぱい、ここは一つ大人になりましょうよ」
「……じゃあ、透君で」
ちゃん付けやおじさんよりはまだそっちの方がいい。苦渋の選択の末に不承不承そう告げると、百瀬ははぁい、といい子の返事をした。
開化丼の具はすでに煮えているので、あとは卵でとじれば完成だ。さっと卵に熱を通している間に、他の料理の盛り付けをする。最後に開化丼をフライパンごとドーンとテーブルに出せば、夕食準備は完了だ。
『いただきます』
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