真夏に雪を降らせましょう

橘花やよい

第1話

 ぴちゃぴちゃと水が跳ねる音。子どもたちの笑い声。 森の奥にある小さな湖で、子どもが数人水浴びをしていた。小さな体で元気に動き回り、そのたびに水面が揺らぐ。


「平和だー」


「そうね」


 湖のへりに座って、足だけ水につけた少女二人は子どもたちを眺めていた。


 癖が強い栗色の髪を無造作に伸ばしている少女はルミ。その隣に座る、赤毛を短く切り揃えた少女がナツナ。二人は幼少期からこの街で暮らしてきた。


 今日は街の子どもたちが水遊びをするから、その面倒をみてほしいと大人たちから任されていた。


太陽が容赦なく輝いているが、湖の水はひんやりと気持ちがいい。


 時々子どもたちが二人の方をみて手を振ってくるので、ナツナは手を振り返した。一方のルミはぐだーっとチョコのように溶けている。


 ざぶん、と一際水が揺れた。


 大きな音と水飛沫をあげて、巨大な物体が水底から飛び出してくる。子どもはきゃあきゃあと騒いで、波にとらわれ四方に散った。


 白い巨大な物体は、真っ直ぐにルミとナツナのもとに向かっていった。そして水から飛び上がると、勢いそのままにルミに覆い被さった。ナツナがきゃっと声をあげる。


「こら、クマ。やめなさい、濡れるでしょ」


 ルミは精一杯逃げようとするが、白い巨大なシロクマはぎゅうぎゅうとルミに抱き着いていた。ルミは地面に仰け反りながら、シロクマを押し返す。


「ナツナー、助けて」


「もうずぶ濡れだから、今助けたって変わらないよ。クマの愛情受け取ってあげればいいじゃない」


 ナツナはくすくすと笑った。ルミは恨めしい思いでナツナを見つめる。そうしている間にも、クマに抱きすくめられて息が苦しくなっていく。


「クマ、離して」


「ルミ、水気持ちいいよ」


「当たり前でしょ、特別サービスでこのルミ様が魔法使ってあげてるんだから。そして早く離しなさい」


 きつく叱ると、クマはようやくルミを離した。


 ルミがずぶ濡れになってしまった服を絞っていると、その隣でクマはぶるぶると体を揺らす。するとクマの白い毛にくっついていた水が飛沫となって周囲に飛び散った。その飛沫は容赦なく隣にいたルミに降りかかる。


 その様子をみて、ナツナは声をあげて笑った。


「ねえルミ。クマ、なんて言ってたの?」


「水が冷たくて気持ちいいって。それはようございました」


「へー、よかったねクマ」


 ナツナはクマを撫でた。クマは嬉しそうに、「ナツナは撫でるのが上手」とはしゃいでいる。しかし、この声もナツナには届いていないのだろう。


 クマの声はルミにしか聞こえない。


 ルミは魔法使いなのだ。そして、真っ白い毛並みのシロクマは使い魔だった。使い魔の声は、基本的には契約をしている魔法使いにしか聞こえない。だからナツナや、子どもたちにはクマの声は聞こえない。


「ナツナは撫でるのが上手だってさ」


「えー、ほんと?ありがとうクマー」


 ナツナはより一層クマを撫で回す。


 湖で波に揺られていた子どもたちは、ようやく水から上がってルミを取り囲んだ。


「ルミ姉ちゃん、ありがとう! 水すごく冷たかった!」


「楽しかった!」


「いーえ、どういたしまして」


 ルミは水を操る魔法が得意だった。


 魔法には水魔法や火魔法、光魔法など、色々な種類があり、どの魔法を得意とするかはその魔法使いの性格などによる。ルミは一通りの魔法を使うことはできるが、一番手に馴染むのが水魔法だった。


 今日、ルミは湖に足を浸しながら、ずっと魔法で水の温度をコントロールしていた。そしてたまに水を操作して大きな波を作るなど、子どもたちを楽しませていたのだ。


 魔法を使うぶん疲労を伴うのだが、子どもたちの笑顔が可愛らしいからいいか、とルミは思う。


「さあ、そろそろ帰るよ。午後からはみんなお勉強の時間でしょ」


「えー」


 ナツナの言葉に一気に子どもたちの顔は曇る。その様子が面白くて、ルミとナツナは顔を見合わせて笑った。


 帰り道はクマの背中に子どもたちを乗せた。みんなが自分の上に乗ってはしゃいでいるのが、クマも嬉しいらしかった。時々走り出したり、揺れてみたり、跳ねてみたり。クマが動くたびに子どもたちの声があがった。


「しかし、暑いなー。こんなんじゃ溶ける」


「本当よね。ルミの魔法で涼しくできないの?」


「無茶言わないでよ。そんな大魔法を使ったら私が死んじゃうから」


 ルミはぶんぶんと首を振る。


 涼しくできるのならそれに越したことはないが、ルミの魔力ではそんな魔法を使うことはできない。


「ルミ、ボクも涼しいのがいい。ボク暑いのは嫌い。シロクマだし。雪がみたいよルミ」


「クマまで何言ってるの」


 傍によってきたクマが鼻先でルミをつつく。ぐりぐりと押されてルミは転びそうになるのを必死にこらえた。


「というか、あんたは見た目がシロクマなだけでしょ。特別暑いのが苦手なわけでもないでしょうに」


「苦手だもん。雪がみたい。降らせてよルミ」


 ルミは大きなため息をつく。


 クマは見た目こそシロクマだが、実際はこの世の生物ではない。使い魔とはもともと聖霊の一種だ。形は定まっていない。本来は姿がなく、ふわふわして、きらきらした、不思議な存在だ。


 そんな聖霊は、使い魔として魔法使いと契約を結ぶと、契約者にあわせた姿を得る。クマはシロクマの姿になった。


 だから本来、クマに暑さが苦手という特徴はないはずである。ナツナはルミとクマをみて微笑んだ。


「クマは甘えん坊さんね。なんて?」


「雪がみたいって。私の使い魔のくせに生意気な」


「雪! 僕もみたい!」


「私も!」


 クマの背中からひょっこりと覗く子どもたちが目を輝かせた。キラキラした目に見つめられて、ルミは頭を抱える。


「あのね。みんなは知らないかもしれないけど、天候を操作する魔法っていうのは――」


「魔力の消耗が激しいんだよ」


 ルミの言葉に被せるように、男の声がする。


 声の方向にみんなが顔を向けると、そこには一人の男が立っていた。隣には男の腰ほどの背丈の黒い犬が一匹寄り添っている。


「エイル兄さん!」


 子どもたちが嬉しそうな声をあげた。


 兄さんは街の本屋で働く青年だった。物知りなため、子どもにはよく慕われていた。学校の先生よりも優しいし、頭がいいし、面白いなどと、先生を泣かせる存在だった。


「兄さんどうしたの、こんなところで。本屋の店番は?」


「俺はサンダーの散歩がてら、みんなのお迎えに。おばさんたちが、みんなが湖に行ってるって話していたから、ついでに迎えに行こうと思って。店番はじいさんがしてくれているから大丈夫」


 兄さんが隣にいる犬の頭を撫でると、気持ちよさそうに一鳴きした。犬はサンダーと名付けられている。飼い主と同じで、とても賢い犬だと街のみんなに言われている。


「天気の操作ってそんなに大変なの? ルミなら何でもできちゃいそうなのに」


「いや、むりむり。私にはそんな魔力ないから」


「そうなんだ。魔法って難しいよね。私、詳しいことは何も分からないわ」


 ナツナは小難しそうに顔を歪めた。


 魔法使いというのは、素質がある人間が専門の学校に入学して訓練を積むことでなれるものだった。学校に入学しない一般の人間は魔法に対する知識を得る機会がない。ナツナとルミは友達だけれど、ナツナはあまり魔法のことを知らない。


「天候の操作はすごく魔力を消費するの。大掛かりな魔法だからね。私の魔力じゃ足りないよ」


「魔力は外からの供給ができないからね。自分の限界を超えて魔法を使おうとすると、魔法使い自身の命を削ることになるから、無理をさせちゃいけないんだ」


 兄さんの説明に子どもたちは首を傾げた。兄さんは「難しいよね」と微笑みかける。


 そもそも、魔法とは魔力と呼ばれるエネルギーを消費して発生させる特殊現象のことだ。魔力は多少なりとも全ての生き物に宿っているものだが、魔法を使えるほどの魔力を所有している存在は少ない。一定量以上の魔力をもっている者は、素質ありとして魔法使い育成のための訓練をうけることが許される。


 だが、人間は魔力を外から得ることができない。魔力はいってみれば「体力」と同じようなものだ。訓練次第で上限をある程度増やすことはできるものの、他者から譲り受けることは不可能である。そのため、魔法使いは自分の魔力で出来得る範囲の魔法しか使えない。


 唯一自分の限界以上の魔法を使う方法は、魔力の代わりに魔法使いの生命エネルギーを削ることだ。


「ルミに難しい魔法を使わせてしまうと、ルミは倒れてしまうんだ。だから無理をさせないようにね」


「ルミ姉ちゃん死んじゃうの?」


「死なないよ、自分の限界はちゃんと把握してるし。無茶はしないから」


 子どもが泣きそうな顔をしたため、ルミはあわてた。顔の前で両手を振る。


「それにしても、兄さん魔法のことまで詳しいのね。さすが街一番の物知り。何でも知ってるのね」


「何でもは言い過ぎだよ、ナツナ。俺にだって知らないことはあるから」


 兄さんは困ったように笑った。


「んーでも、やっぱり雪が見たいよ。ルミ姉ちゃん何とかならないの」


 子どもたちの中で一番のわんぱく坊主が不満そうな声をあげる。暑くてこっちが死にそうだよ、と声をあげた。その発言を聞いて、泣きそうな顔でルミを心配していた他の子どもまで「雪がみたい」と再び言いだしてしまう始末。


 クマもずっと訴えるような目でルミを見ていた。


「あんたたち、さっきの話聞いてたでしょ。無理なものは無理だからね。私が死んでもいいの?」


「それは嫌だけど、暑いのも嫌」


「なんてわがまま――」


 ルミは困りきってしまった。


 自分の限界は理解しているから、この真夏に雪を降らせるのはまず無理である。しかし子どもたちの「どうしても無理?」と期待をこめた眼差しに見つめられると、心が揺らぐ。


 元来、ルミは子どもが好きだし、お人好しだ。


 ルミは頭を抱えた。


「もし、仮に、万が一――、みんなが手伝ってくれれば、雪とまではいかないかもだけど――、多少涼しくする魔法は使える、かも」


 ついつい眼差しに負けて、そんなことを言ってしまった。


 子どもたちは間髪いれずに「ほんと?」ときらきらした目を向ける。


 もうこうなったら仕方ない、とルミは大きなため息をついた。


「できるだけ真っ平な場所に、こういう水路を作って。水の流れを作ってほしい」


 ルミは地面に小枝を使って、ぐるぐると渦巻き模様を作った。子どもたちはその模様を覗き込んで、カタツムリみたいだねと声を上げる。


「ぐるぐるの水路を作ったら、その水の中に同じ間隔でユキ草を植えていって」


 描いた渦巻き模様の上に、等間隔に丸印を作っていく。


「ユキ草って、冬に採れる草でしょ?」


「えー、そんなの絶対無理じゃん」


 ユキ草は冬の間に、綺麗に澄んだ小川の付近で採れる草だ。薄い水色の葉をして、ひんやりと冷たいのが特徴である。ユキ草で作るお茶は独特の甘みがあって、冬の名物である。また、魔法にも利用ができるため、なかなか使い勝手のいい植物だった。


「だから、もし仮に、水路を作って、ユキ草が手に入るのなら、あとは私が何とかするからさ。そこまではみんなで頑張ってよ」


「ほんと? 絶対だよ?」


「ほんとほんと」


「約束ね!」


 ユキ草の話を聞いて子供たちの顔は曇ったが、同時に彼らの心に火をつけたようだ。絶対だからね、頑張るからね、とルミに念を押している。


「ねえ、ルミ。あんなこと言って大丈夫なの?」


 ナツナがこそっとルミに顔を近づけて耳打ちした。


「まあ、この真夏に水路作るとか大変だから、子供たちも途中で放棄するでしょ。ユキ草だってこの時期は生えてないんだし」


「そうかしら」


「あの子たち結構やる時はやるよ」


「うーん、その時はその時で頑張るしかないよね。なんとかなるといいな」


 ナツナと兄さんに心配そうに見守られ、ルミは力なく笑った。

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