第17話 スミレ、思いを馳せる

「エーファ、自分がどういうことをしたのか分かっているのか?」


 栗色の毛をしたリスは「きゅ?」と首を傾げる。

 そのつぶらな瞳は本当に自分の仕出かしたことを理解していないようだった。


「顔が割れたせいでルノを陰から見守ることが出来なくなってしまっただろう」


 オレことアレクシス・グロースクロイツは、ルノが出かけていった後の自室で自分の使い魔を叱りつけているところだった。


「今度は勝手にオレに会いに来てはいけない。視覚共有を解除した後にいくらオレが『自由にしていい』と言ったからといって、監視対象そのものに会いに行ったりしてもいけない」


 エーファがちょくちょくルノに接触していたらしいことを叱る。

 魔術師と使い魔は特別な絆で結ばれる。

 それは言葉を使わずとも意志の疎通を可能にする。

 だがだからといって、使い魔が何処で何をしているかまで逐一把握することはできない。


「分かったか?」

「チュッ!」


 エーファは曇りなき眼で返事をした。

 本当に分かっているのか不安になる。


「……いや、オレが悪かったな」


 溜息を吐いて首を横に振る。

 ただのリスであるエーファに物の道理など分かる筈がなかった。

 エーファはただ腹いっぱい食べて、暖かい所で寝られて、人に可愛がってもらえればそれで満足なのだ。

 そんな彼女に諜報を頼んだオレの方が無謀だったのだろう。


 苦笑しながら、ルノが去った後のベッドを見やった。


 彼に殴られてもいい、それくらいの気持ちで昨晩は思い切って彼の身体に腕を伸ばした。

 だがその手は受け入れられた。

 オレの腕の中で眠りに落ちる彼の顔を見た時の喜びといったら――!

 今思い出しても口端が吊り上がってしまう。


 そのままルノの寝顔を穴が空くほど見つめて愛でた。

 今朝、不覚にもルノより先に起きることができなかったのは、その夜更かしのせいだろう。


 傷だらけの肌を目にした瞬間は、思わずたじろいでしまった。

 しかし今では確信できる。彼を愛せるのはオレしかいないと。


 あの彼の傷跡。

 生傷の状態ならば魔術で治せば傷跡は残らない。

 しかし一度自然治癒して跡が残ってしまえば、もう消すことはできない。


 だからしょっちゅう傷が絶えない傭兵などは、わざわざ魔術で傷を治したりしない。

 そんなことをすれば儲けは吹っ飛んでいってしまうのだろう。

 だから必然的に身体に傷跡を残っている人間は『そういう稼業』の人間なのだと目される。


 翻ってルノの姿を思い出すと、顔や手など目立つ場所に傷跡があった覚えはない。

 きっとルノがそういう場所に傷を作る度に、誰かが金を払って魔術師に診せていたのだろう。

 彼の口ぶりからすれば、彼の母親だろうか。


 ルノの為に金を貯めていたというくらいだから、ルノが傭兵を辞めて普通の人として暮らすようになった時のことを常に考えていたのだろう。その時のことを考えれば、目立つ場所に傷があるというのは確かに暮らし辛そうだ。


 そうした彼を取り巻く環境自体がもう愛おしくて堪らなかった。


 傭兵として辛く厳しい幼少期を歩んだものの、その中でルノは確かに愛されていたのだろう。

 しかし愛されていたが故にルノはそこから切り離され、たった一人でこの学園に来ることになった。

 ルノはこの学園の中で異物であり、他の全ては敵だ。

 きっとそんな風に思っているのだろう。


 だからこそそんな彼の刺々しさが愛おしかったし、彼にはオレが必要だと思えた。


 彼を一目見た時、彼の中に生傷のような痛々しさを感じたのは間違いではなかった。

 彼のトラウマはまさにこの学園に入学させられた時に出来たばかりなのだから。


「ヂュッ!?」


 突然、エーファが飛び上がって窓枠からオレの肩へと飛び乗ってきた。


 見れば窓枠に黒羽の鷹が留まったところだった。

 それがエーファを狙って狩りにきた野性の鷹でないことは明白だった。

 何故ならその嘴には一通の手紙が咥えられていたからだ。


「クエルトゥ、久しぶりだな」


 オレは手紙を受け取りながら彼の頭を撫でてやる。


 この黒い鷹は父の使い魔なのだ。

 実家からの手紙を運んできてくれたのだろう。


 オレは顔を綻ばせながら手紙を開く。

 インクの香りと共に見慣れた父の文字が目に飛び込んでくる。


 そしてその内容にオレは瞠目することとなったのだ。


「な……ッ!?」


 * * *


「大体さぁ、なんだあのバルトっていう教師は」


 大教室へと向かっていると、ぼやきが聞こえた。

 褐色肌の黒ローブの生徒が廊下で他数人と会話している。


「ことあるごとに古代魔術が現代魔術に劣ってるみたいなこと言いやがって」


 オレはバルト先生の講義からはむしろ逆の印象を受け取ったのだが、そんな風に思う奴もいるようだった。


「現代魔術なんて脳無しの扱う技だ。的を攻撃することしかできない。弓矢と一緒だ。古代魔術と同列に語ることすら烏滸がましい」


 肌の色からして名家出身らしい彼は不満たらたらにそう漏らす。

 なるほど。貴族の奴らにとって現代魔術とはそういう忌々しいものらしい。


「そもそも! 『全なる一』へと到達すれば古代魔術は文字通り万能となる! そうすれば現代魔術なんて……」


 通りすがりざまに耳慣れない単語が聞こえてきた。

 『全なる一』とは一体なんだろう?


「『全なる一』?」


 大教室に入ると、既に着席していたケントに尋ねてみた。


「ああ、それは古代魔術の深奥とされる概念のことだね。昔はどの古代魔術師もそれを研究していて、それに到達するのが目標だったらしい」


「目標? 古代魔術を使って金を儲けて、死なない程度に生きられればそれでいいんじゃねえか?」


 何やらご大層なものらしく、オレは鼻の頭に皺を寄せる。

 オレだったら頼まれたってそんなよく分からないもの研究したりしない。


「何でも『全なる一』に到達すれば古代魔術全体が上のステップに上がり、全ての人間は死を克服し、誰も飢えることなく、永遠に幸せに暮らしていけるらしい」


 予想していたよりもずっと胡散臭い内容に、オレは眉根の皺を深めた。

 とんだ眉唾物じゃないか。


「それは御伽噺の類か?」


「多分ね。でもまだ本気で研究している人もいる。そもそも貴族たちが南の大陸を発見しようと躍起になっていたのだって、南になら失われた深奥へ至る秘法があるんじゃないかと思っていたからだ。南の大陸の人はとっくに『全なる一』へ到達してるんじゃないかとすら思っていた」


「なら、目論見が外れて大いに落胆しただろうな当時の貴族たちは」


「みたいだね」


 ケントが肩を竦めて答えたのと同時に、バルト先生が教室に入ってきた。


「さて、始めるぞー」


 いつものぞんざいな掛け声と共に講義が始まった。


「今日の午後は実技テストだ。覚えてるな? 五つの基本属性の中から一つを選んで、その属性の初級魔術を成功させてもらう」


 バルト先生の言葉にうんうんと頷く。


 オレは霊属性の精霊と相性がいいと分かったので、霊属性の初級魔術を使えばそれでいい。

 今回は流石に精霊がお節介を焼いて他の奴に魔術をかけに行ったりしないだろう。しないよな?


「ん……?」


 ふと、窓の外を見ると黒羽の鷹が飛んでいくのが見えた。


 この森にはああいう鳥も住んでいるのか。

 それとも誰かの使い魔だろうか。


 なんとなく、その鷹がアレクシスに似ていると思ったのだった。

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