第12話 ホオズキ、ごまかし

 カリカリ、カリ……


 インクを浸したペンで文字を記す音が部屋に響く。

 窓を開けていると、清涼な風が入ってくる。

 森の匂いを感じながら勉強するのが心地よかった。


「チュ」

「ん?」


 顔を上げると、窓枠に栗色のリスが乗っていた。

 あの時のリスだろう。やはりこの学校の誰かに飼われているのだ。


「腹が減ってるんなら、飼い主にもらいな」


 手元に目を落とし、勉強を続けようとする。

 するとリスはトンッと軽い音を立てて机の上に飛び乗り、おずおずと視界に入ってくる。


「……撫でて欲しいのか?」

「チュ」


 リスはつぶらな瞳でオレを見上げている。

 まったく、アレクシスといいコイツといい、オレの周りには押しの強い奴ばかりだ。


 オレは苦笑すると、リスに手を伸ばしたのだった。

 リスの茶色い頭にそっと触れると、シルクのような柔らかい手触りが返ってくる。


「お前の飼い主はお前を放っておいて何処に行ってるんだ? うん?」


 手を滑らせると、リスは気持ち良さそうに目を閉じる。

 可愛い奴だ。小さく笑みを零した。


 コンコン。

 ドアのノックの音。どうやらアレクシスが戻ってきたようだ。


「入れよ」


 振り返りもせずぞんざいに言うと、ドアが開く音がする。

 するとリスがオレの腕から肩に登り、「チュ」と鳴いた。


「え、エーファっ!?」


 アレクシスの驚く声が響いた。


「エーファって誰だよ」


 身体を捻って振り向くと、それと同時にリスがアレクシスに向かって駆け出して行った。

 そしてするするとアレクシスの身体を登り、肩の上に乗っかった。


 リスのこの慣れた様子。そして彼の叫んだ「エーファ」という名前。

 間違いない。


「エーファってぇのはこのリスの名前か」

「う……」


 彼の額を冷や汗が伝う。

 オレは面白くなって彼を問い詰めることにした。


「こんな可愛いのを飼ってるって、どうしてずっと隠してたんだ?」

「いや、違う。違うんだルノ」


 彼の言い訳が始まった。


「エーファはペットという訳ではなく、使い魔なんだ。エーファは餌も自分で獲ってこられるし、寝床も何処かに作ってるんだろう。四六時中オレの世話が必要な訳じゃない。用があるときだけ呼び出してるんだ。だから別に君にエーファの存在を隠してた訳じゃなくて、たまたま紹介する機会が無かっただけだ」


「ふーん……? ソイツはあんたに会いたがってたみたいだけどな?」


 エーファがアレクシスの顔に頬を擦りつけて「きゅうー」と鳴いている。


「いや……そうだな。最近ずっと呼び出してなかったから、寂しくて会いに来てしまったのだろう」


 アレクシスはそう言うが、エーファの人懐っこさを見るにこのリスは一日でも人に頭を撫でてもらわずには我慢できないんじゃないだろうか。やっぱりアレクシスは隠れてエーファに会っていたんじゃないかという気がした。

 でもオレに隠す意味が分からない。


「じゃあこのリスは腹が減ってる訳じゃあないんだな。良かった」


 アレクシスは人差し指の先で器用にリスの顎を撫でてやっている。

 エーファは満足げだ。


「ああ。心配ないとも」


 彼の顔をじーっと見つめてみる。

 平静を装ってリスを撫でているが、彼の身体には緊張が漲っている。

 やはり何かオレに隠し事をしている。


 そのうち見破って彼を揶揄ってやるとしよう。


 *


「なあ、使い魔ってどうやって作るんだ?」


 週明けの授業。

 ケントの隣に座ったオレは彼に尋ねた。


「使い魔? 僕は詳しくないけど、この基礎魔術学を履修した後で選べる授業の中で使役学があるそうだ。興味があるのかい?」

「いや。同室の奴が使い魔を持ってるから、聞いてみただけだ」


 ケントの前でアレクシスの話をするのは初めてで、何となく濁した言葉を使ってしまう。

 するとケントの目がキラキラと輝く。


「グロースクロイツ家の使い魔か。やっぱり、タカとかカラスなのか?」

「……」


 頭の中にあの人懐っこいリスの姿を思い浮かべ、ケントに真実を教えるのは止めておこうと思った。

 夢を壊すことはない。話の矛先を変えよう。


「そういえば半年経ったら好きな学問を修められるんだったな。ケントは何を学ぶか決めたのか?」

「いや、まだだ。いくつか絞り込んではいるけどな」


 多分だが、ケントが候補にしている授業の一つはバルト先生が担当なのではないかという気がした。


「君はどうなんだ?」

「……考えてなかった」


 まだずっと先のことだと思っていたし、日々の授業で覚えなければならないことが多すぎて考える余裕がなかった。


「そうか。まずは先輩に相談してみるといいんじゃないか? 僕とも情報交換をしていこう」

「むう」


 アレクシスに勉学の相談することを想像して唸った。

 彼ならば嬉々として相談に乗ってくれることだろう。

 それを思うと癪だった。


 そんな話をしていると、バルト教師が教室に現れ生徒たちを睥睨した。


「さーて、授業を始めるぞー」


 歓談をしていた生徒たちが静かになって前を向く。


「先週の実技テストでは全員合格で良かったな。ま、当然のことだが」

「精霊との会話ができるようになったってことは、つまり次は……」


 ケントが期待に満ちた声で呟く。


「ああ。次はいよいよ魔術の行使だ」


 バルト先生がニッと笑って言ったその言葉に、オレですらワクワクしていた。


Èstrajエストレ, Üsteウスティ, Ïstràイストラ, Osteオスティ, Àstrajアストレ。火、水、風、土、霊の五大属性を司る精霊だ。まずはこれらの精霊の助けを借りて魔術を行使するのがいいだろう」


 火水風土霊の五つが古代魔術の基本属性だ。

 その他二十一の精霊の司る属性は派生属性と呼ばれる。

 魔術を使うのに必要な知識を座学で散々頭に詰め込まされたのだから大丈夫だ。


「人によってどの精霊に"好かれやすいか"というのはある。苦手なものに最初から挑戦する必要はない。まずは自分で色々試してみて、一番好かれてると思った属性の魔術を行使すればいい」


 「色々試してみて」と言うからにはまた自習で実技の練習をする必要がありそうだ。

 毎日のように暗記テストもあるのに、本当にこの教師はスパルタだ。


「さて、もう覚えてることだとは思うがざっと説明していこうか。まずÈstrajの初級魔術。成功すれば手元を照らせるほどの小さな火を灯すことができる。触れても熱くはなく、何かを燃すことはできない」


 バルトの話していることを分かりやすくノートに取っていく。


Üsteの初級魔術。少量の水をもたらす。飲めば喉を潤すことができる」


Ïstràの初級魔術。風を起こす」


Osteの初級魔術。ごく狭い範囲の土を肥沃にする」


Àstrajの初級魔術。魂の色を調える。魔力の回復を促進させる」


 バルトは生徒たちがノートを取り終えるのを待ってるのか、そこで間を取る。

 やがて生徒たちがペンを走らせるカリカリという音が止む。


「今のを聞いただけで分かったと思うが、古代魔術というのは基本的に生活に役に立つものが多い。一流の古代魔術師ならば自給自足の生活をするくらい訳ない」


 バルト先生の言葉を聞いて疑問に思ったようにケントが口を開く。


「そうだ。土地を豊かにする魔術なんてものがあるなら何故飢饉なんてものがたびたび起こる?」


 その疑問にオレが小声で答える。


「馬鹿か。作物を育てるのにいちいち魔術師なんて雇ってたら赤字だ。今言ってたみたいに古代魔術師は食うのに困らないから、安い金では動かない」


「なるほど……」


「わざわざ作物のために古代魔術師を雇うのはお貴族様用の高級ワインのぶどうを作る農家だとか、ごく一部だ」


 将来はそういうところで働くことになるのかもしれない。

 未来に思いを馳せながら、バルト教師の声に耳を傾ける。


「対して現代魔術が得意なのは何か? 人を攻撃することだ。現代魔術ならば初級魔術で火の玉を飛ばす。それさえ覚えればもう人を攻撃できる。現代魔術は容易さと威力に長ける」


 バルト先生の言葉にこくりと頷く。

 火の玉を得意げに飛ばす現代魔術師を見たことがある。


「だから古代魔術が現代魔術に取って代わられたのは、大戦がきっかけだ」


 大戦。もう五百年以上昔の話だ。

 詳しいことは知らないが、世界を巻き込むような大きな戦があったらしい。

 オレたちにとっては御伽噺の世界だ。

 エルフの血が混ざっているバルト先生だってそんな大昔にはまだ生まれていないだろう。


「まあ古代魔術は知識と発想力と精霊の助けさえあれば思い描いたことをそのまま実現できる魔術だ。例えば落石に巻き込まれ岩に足を挟まれ動けなくなった人間がいるとする。現代魔術師ならば岩を攻撃して砕くことで助け出す。古代魔術師ならばその人の足を保護しながら岩を持ち上げ、安全な場所に置くこともできる」


 バルトは唇を三日月形にしてい薄く微笑む。


「故に、研鑽に励めよ。古代魔術は使い手の腕が問われる術だ」


 彼の言葉に、オレはごくりと唾を飲んだのだった。

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