第9話 糸繰草、必ず手に入れる
迷子になったような気持ちで、森を彷徨い歩いていた。
部屋に戻る気分になれなかった。
かといって精霊との交信を試みる気持ちにもなれない。
こんなに心が乱れた状態で精霊が応えてくれる訳がない。
無駄な時間の過ごし方をしていると思う。
焦りに胸の内を締め付けられるが、どうしようもできない。
アレクシスはオレのことなんてどうとも思ってないかもしれない。
その
彼と顔を合わせるのを躊躇わせるのか。
自分で自分が分からなかった。
アレクシスのことなんて、何とも思ってなかったはずなのに。
「……?」
森の中の何かと目が合った。
木の枝にいる小さなリスだ。
こちらを見つめている。
自然のリスにしては、何かがおかしい気がした。
「ッ!」
近づこうとすると、リスは一声鳴いて逃げていってしまった。
一体何だったのだろう。
* * *
「エーファ、ありがとう」
一目散に駆けてきた栗色のリスに、黄薔薇の刻印が刻まれた黒い手を差し出す。
リスは腕を伝って白いローブを駆け上がり、オレの肩の上に腰を落ち着ける。
リスのエーファはオレの使い魔だ。
この学園に入学する前からの付き合いで、今では視覚共有も可能になった。
エーファに頼んで、ルノの居場所を探らせていたのだ。
「ルノは散歩でもしているのか?」
肩のエーファに尋ねると、彼女は小首を傾げた。
エーファと視覚共有して見たルノは、精霊との会話を試みている様子もなかった。
たまには散歩したくなる気分の時ぐらいあるだろうが、少し気にかかる。
使い魔でルノの姿を探すのは、これが初めてではない。
これまでもルノの姿が見えない時は何度かエーファに助けてもらった。
オレが番に選んでしまったせいで、ルノは注目を集めてしまっただろう。
だからルノが変な輩に絡まれたり、危害を加えられたりしないように彼を守る義務がオレにはある。
その為のエーファだ。監視している訳ではない。
さて、ルノに声をかけるべきだろうか。
艶やかな黒髪を横で結んだ彼の姿を思い浮かべる。
最初は手負いの野良猫のようにオレを警戒していたルノも、最近では緩んだ表情も見せてくれるようになった。
彼が新しい表情を見せてくれる度に心が浮き立つ。
こんなのは初めてだ。
オレに牙を剥き出すのも、突き刺すように睨み付けてくるのも、何処か心細そうな表情で心を鷲掴みにしてくるのも彼だけだ。
彼は感情を押し隠してるつもりだろうが、オレからすれば彼ほど感情を曝け出してくれる存在は他にいない。
迸るような彼の激情をこの身だけに受けたい。その為ならばオレは手段を選ばないだろう。
初めて彼の瞳を見た瞬間、その内側にまだ乾ききってない生傷のような痛々しさを感じた。
その直感に従って正解だった。
ルノはオレが幸せにしてやらなければ。
ルノにはオレがいなければ駄目なんだ。
「エーファ、自由にしてていいぞ」
肩のリスに声をかけると、彼女は高い声で一鳴きして木の枝に飛び移り森の中に消えていく。
オレもルノの元に行くとしよう。
* * *
「ルノ、どうしたんだ」
小道をあてどもなく歩いていると、声が。
振り向くとアレクシスがそこにいた。
顔を合わせたくないと思っていた筈なのに、彼の顔を見た瞬間、自分が彼を待ち望んでいたことを悟った。
「あ……その」
何を言えばいいか分からず、しどろもどろになる。
「オレのことが好きか?」なんて直球に聞くことは間違っても出来ない。
もし違った場合、酷い痛手を負うことになる。
「ルノ?」
異変を感じ取ったのか、彼が駆け寄って来る。
「どうした、何かあったのか?」
彼はオレのことを本気で心配している。
オレは彼からの好意が最初から無かったのかもしれないことを思い悩んでいたというのに。
結局、彼がいくら悪ぶろうと彼の本性はこれなのだ。
何処にも瑕疵の無い完璧な善人。完璧な優等生だ。
彼がオレに合わせて悪ぶるのすら、彼の善性から生まれた行為だろう。
オレのことが好きなんじゃない。オレのことを哀れんでいるんだ。
「お前の……お前のせいだ!」
大声で叫んで彼を睨み付ける。
オレの唐突な八つ当たりに彼は目を丸くしている。
「落ち着け。話を聞かせてくれないか」
彼がオレの肩に手を置いて、穏やかに尋ねる。
「赤毛の奴が言ってた。あんたがオレを選んだのは、赤毛の奴とその番の仲を引き裂きたくなかったからだろうって」
「ああ……アンリに会ったのか?」
あの赤毛の奴の名はアンリと言うらしい。
「アンリは上級生のジュリアンと入学前から懇意にしていたんだ。二人とも本好きでな、よく馬が合ったらしい」
「そんな話はどうでもいい」
彼の口から語られる、オレの知らない話にイライラする。
「それで、君はその話を聞いて不安になったのか?」
「う……」
「オレが君を選んだのに理由なんか無かったんじゃないかと思ったのか?」
彼はオレの頭の中を見透かしているかのようだった。
オレの頭の中を的確に言葉にする。
「大丈夫だ。安心しろ」
ぎゅっ……と彼の腕がオレの身体を包み込む。
「オレは確かに君に惚れて、君を選んだ」
惚れた。
オレの身体を抱き締める彼の腕の温かみをこの身に感じていても尚、自分の耳に届いた言葉が疑わしかった。本当に彼はいま、オレに惚れたと言ったのか?
「オレは君への恋心だけで、あらかじめ決まっていた話も放り出して君を選んでしまうような悪い男だ。この学園にオレより君好みの男は他にいないと断言しよう」
くい、と彼の指がオレの顎を掬い上げる。
いつだったか彼の胸倉を掴んだ時のように、彼の琥珀色の瞳にオレの顔が映し出されている。
「あ……」
唇と唇が触れた。
彼の黒い唇が柔らかくオレの口を食んでいる。
「何しやがるッ!」
咄嗟に彼の身体を突き飛ばした。
胸を強打された彼は咳き込んでいる。
「自惚れんな、何がオレ好みの男だ! オレはあんたなんか嫌いだッ! あんただけじゃなく全ての人間が嫌いなんだ。幸せに生きてきたあんたには分からない感覚だろうがな」
すぐ好きだとか何とか意味不明なことを言うのは、彼が貴族として幸福な生活を送ってきたからだろう。
オレはそうじゃない。こんなにも嫌な性格をしている。
せっかく彼に好意を伝えられたというのに。
「確かに、オレには理解できない感覚だ」
「……ッ!」
彼のその言葉が最後通告のように聞こえた。
オレは背を向けて走り出そうとする。
「だが、それでもオレは君のことが好きだ」
その言葉に、ピタリと止まる。
「……馬鹿なのか?」
吐き捨てるように言うと、オレは駆け出した。
アイツは馬鹿だ。そうに違いない。
人は普通、自分と同質なものを好きになる。
共感するところがあるから相手のことを好きになるのだろう。
オレと似ている奴なんかいない。
だからオレは誰も好きにならない。
なのに……どうして彼の言葉がこんなにも嬉しいんだ?
胸の鼓動が逸っているのは、駆けているせいなどではなかった。
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