第6話 グロキシニアの刻印、甘言

「ねえ、キミ!」

「は?」


 休日二日目。

 勉強の合間に一休みしようと、学校の庭……というか森を散歩している時だった。

 急に知らない奴に声をかけられた。ブロンドの長髪野郎だ。

 黒ローブ姿を見るに、同じ一年生のようだ。


「キミってさ、いつも眼鏡のイケメンくんと一緒にいるよね?」

「眼鏡の……イケメン……??」


 一瞬、誰の事やら分からずポカンとしてしまう。

 まさか、ケントのことか?

 彼から眼鏡を取り除いた顔を思い出そうとしてみるが、ぼんやりとした像しか浮かび上がらない。

 アイツは世間一般的にはイケメンに分類されるのか?


「ああごめんごめん、番相手のアレクシス様と比べたらそりゃあ見劣りするよね。アレクシス様、剣術もやってるから身体も逞しいし」


「剣術……」


 そういえばグロースクロイツ家は魔法騎士の大家だった。

 アレクシスもここを卒業すれば魔法騎士になるのだろう。


「正直な話――――アレクシス様とは何処まで行ったんだ?」


 ブロンドの長髪野郎が鋭く目を細める。

 好色な話をしているのに、まるで商談でもしているかのような口調だった。


「どこまで、って……?」

「まさか、何もしてない?」


 何もしてないも何も、一体何をしろと言うのだろう。


「ルノ・ボレスフォアくん、悪いことは言わない。これは千載一遇のチャンスなんだ。是非とも彼に取り入った方がいい」


 ブロンド野郎は興奮気味に早口にまくし立てる。


「同じ平民出身として、ボクは密かにキミに親近感を覚えてるんだ。そんなキミが奇跡的にグロースクロイツ家の嫡男の番になれた! キミには是非そのチャンスをものにして欲しいんだよ」


 どうやらブロンド野郎も平民出身らしい。

 彼の右手を見やると、内臓のように赤い花の刻印が見えた。


「お前は、そういう風に番相手に取り入ってるのか?」

「勿論だとも。せっかく周りは貴族様だらけなんだ。他に何がある?」


 刻印が血管のように毒々しく赤い。

 何となく恐ろしくなって、一歩後退った。


 オレと同じように汚い世界から這い上がってきて、そしてオレとは違う生き方を獲得した男なのだ。目の前の彼は。

 よくよく見れば、シャツの素材の粗末さに似つかわしくない綺麗な首飾りを付けている。ボタンを開けてはだけさせた胸板をネックレスで飾っているのだ。


「いいかい、これは善意からのアドバイスだ。キミはアレクシス様に媚び、取り入り、その心を獲得するべきだ。それがボクたちみたいなのにとっての効率的な生き方だ。そうだろう?」


「……っ!」


「キミはかつてのボクに似ている。もし"やり方"が分からないのなら、手取り足取り教えよう……」


 また一歩、後退ったその時だった。

 後ろにいた誰かにぶつかった。

 その誰かはオレの身体を受け止めるように、肩に手を置いた。


「ルノ、ここにいたのか」


 黒い手を見て、それがアレクシスだと分かった。


「アレクシス……」


 思わず振り向いて、助けを求めるような視線を彼に送ってしまった。


「ルノ、今日は学園の周りを案内すると言ったろう。行こうか」


 そんな約束をした覚えはないが、この場から離れられるなら何でもよくてコクリと頷いた。

 ブロンドの長髪野郎は何を勘違いしたのか、満面の笑みでオレたちを送り出す。


 怖い……。

 大抵の気に入らない奴にはみんな「ムカつく」という感情を抱いてきたが、恐ろしいのは初めてだった。

 オレより体格がデカい訳でもない相手を恐ろしく思うことがあるなんて、予想だにしなかった。


「今の子は友達か?」


 いくらか歩いてブロンド野郎の姿が見えなくなったところで、アレクシスが尋ねる。

 オレはぶんぶんと首を横に振った。


「そうか。もし変な奴に絡まれたらすぐオレに言うんだぞ」


 アレクシスがアレクシスが振り向いて、オレの肩に手を置く。

 オレはその手をパシンとはね除けた。


「オレはそんなに弱っちくない」


 守ってやらねばいけないほど弱いやつ、と言われたようで腹が立った。

 変な奴なんて一睨みすれば去っていく……はずだったのに。

 さっきのブロンド野郎を思い出して、自信がなくなる。

 彼に、アレクシスに助けを求めてしまった。


「てめぇ、オレと勝負しろ」

「えっ?」


 ぐっと背を伸ばして、彼の胸倉に掴みかかる。


「剣術でオレと勝負しろ、弱くないって証明してやる」


 アレクシスに勝つ。

 そうでないと、プライドを保てない気がした。


「いや、オレは何も君をけなした訳ではなく……」

「いいから!」


 彼を至近距離から睨み付ける。

 戸惑う彼の瞳に、オレの顔が写っているのが見えた。

 ちっぽけで痩せた少年の顔だ。


「……分かった。鍛錬場へ行こう」


 やがて彼は了承してくれた。


 *


「君の体格ならこの木剣がいいだろう」


 無人の鍛錬場で、アレクシスは木剣をオレに手渡す。


 アレクシスのように剣術を嗜んでいる生徒の為の場所だが、利用者は少ないようだ。魔法騎士を目指す者はごく少数なんだろう。


「訓練じゃねえからな、決闘だからな」

「ああ、分かっているとも」


 念を押すと、彼は鷹揚に頷く。

 その物腰の柔らかさに、やっぱり分かってないんじゃないかと疑った。


「容赦しねぇからな」

「それにしても君が剣術を嗜むとは知らなかった」


 世間話を続けようとする彼に向かって、剣を構える。


「あんたも構えろ!」

「ああ」


 背の高い彼が木剣を構えると、空気がピリリと締まる。

 オレより体格のいい男なんだということがよく分かる。

 でも、そんなのを恐れたりしない。


「行くぞ――――ッ!!」


 *


「はぁ……はぁ……」


 その場に膝を突き、崩れ落ちる。


 結果は惨敗だった。

 鍔迫り合いに負け、木剣を弾き飛ばされた。

 明白な敗北だった。


「なかなか筋がいい。何処で剣を学んだんだ?」

「ッ!」


 オレを助け起こそうと彼の伸ばした手を、乱暴に払った。

 そしてその場に蹲り、俯いた。

 溢れ出てきた悔し涙を見られたくなかったのだ。


 この魔術学校はオレにとって、お貴族様という異質な生物だらけの敵地だ。

 その中で唯一剣術だけは誰にも負けないと思って密かに心の支えにしてきた。

 他の奴らがどんなに偉い奴でも、剣で斬れば死ぬんだと思って。


 でも、その唯一の特技すらアレクシスは軽々と凌駕した。


 平民として生きてきたこれまでの人生に価値などなかった。

 あのブロンド野郎の言う通り、平民はせいぜい貴族に取り入るしかできない。

 つまらないプライドをさっさと捨てろとアイツは言っていたのだ。


「……すまない、そこまで負けず嫌いだとは」


 オレの涙の理由を勘違いしたアレクシスが、目の前に跪く。


「ルノ、謝るよ。機嫌を直してくれないか? 本気でやったオレが大人げなかった」


 彼に謝られるほどに、自分が惨めになってくる。

 まるで子供扱いされているみたいだ。


 貴族社会にはオレみたいな癇癪持ちなんていないだろうから、彼も戸惑ってるのだろう。

 いいさ。アレクシスなんてとことん困ればいいんだ。


 オレは頑として鍛錬場の床から動かず、その間ずっとアレクシスがオレを宥めすかしていた。

 ちょっとだけ、すっきりした。

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