魔術学校の貴公子の彼が平民のオレに一目惚れしたんだが

野良猫のらん

第1話 黄薔薇の刻印、一目惚れ

 その昔はエルフの集落があったという深い森の中。

 鬱蒼と茂る木立の間に、その学び舎はあった。


 特徴的な古代エルフ様式のアーチ型の木造天井の下、黒いローブを羽織った同じような年代の青年ばかりが歩いている。

 うら若い男ばかりが凝縮されている。

 そのような光景を見るのは初めてのことで、それはオレに「気持ち悪い」という感想をもたらした。


 ここは『古イルス魔術学校』。

 魔術を学びたい少年・青年の集まる全寮制の魔術学校。

 そう、ここには同年代の男子しかいない。

 娯楽も女っけものないこの深い森の奥でひたすら魔術の精進に励めということだ。


「あの、君……大ホールって何処なのか分かるか?」


 おずおずとした声がかかる。

 見ると、周りと同じように黒いローブを纏った青年だった。

 栗色の短髪で、眼鏡をかけている。

 オレと同じく新入生なのだろう。


「他の奴らと同じ方向に行けば辿り着くだろ」


 肩を竦めて渋々答える。


「そっか。君も分かんなくて適当に後をついてきてたのか」


 どうやらこの青年も流されるままに他の新入生と同じ方向に歩いていたが、不安になって近くにいたオレに尋ねた、といったところらしい。

 お仲間がいて安堵したといった風に彼は胸を撫で下ろした。


「なあ君、平民出身だろ?」


 栗毛の青年はそのまま話を続ける。

 オレは答える代わりに眉間にぎゅっと皺を寄せた。


 見れば青年の方はローブの下に上質そうなシャツを羽織っていたし、眼鏡も高く売れそうな素材で出来ている。

 こいつは貴族出身なんだろう。


「平民だとここに入学するのは大変だったろう? 凄いな君は」


 キラキラとした視線に嫌気がして、視線を逸らす。

 人間は誰しも自分と世間話をするのを好むだろうと信じて疑わないその態度が気に食わなかった。


「……」

「緊張してるのかい? まあこれから"刻印の儀"だからな」


 眼鏡の同級生はオレの態度に構わず話し続ける。

 きっと彼もどこか不安なのだろう。だから喋らずにはいられないのだ。


「"刻印の儀"で上級生に選ばれ、これから一年間、その上級生と自分とペアを組んで共同生活を送ることになる。まさに運命の瞬間と言っても過言ではない!」


 古イルス魔術学校では上級生と下級生が二人一組のペアを組んで生活を送るという謎の慣習がある。正直、面倒なだけの下らない風習だと思う。

 第一相手は男なんだ。誰に選ばれようがどうだっていいだろうに。

 ……誰にも選ばれないかもしれない、という恐れはあっても。


「それを思うと緊張しても仕方がない。僕だって胸がバクバクしてる」


 この眼鏡と分かり合うことはない、そう悟ってそっぽを向いた。


「ところで何故"刻印の儀"というのか知っているか?」

「どうでもいい」


 お前との会話は望んでない、そう伝わるように被せるようにして答えた。


「あ……すまない」


 自分が勝手に喋り続けていたことに気づいたのか、気落ちしたような声が聞こえた。

 これだから他人との会話は苦手なんだ。


「この先が大ホールみたいだな」


 開け放たれた大扉の先に黒ローブの新入生が次々入っていくのが見える。

 刻印の儀が行われる大ホールに無事辿り着いたようだ。

 下らない儀式に参加するのは憂鬱でしかないが、これに出席しなければ入学は認められないのだから仕方ない。

 オレは意を決して大ホールに足を踏み入れた。


 古い木の香りがする大ホールに、黒ローブの新入生がズラリと横一直線に並ばせられる。

 その前に白いローブの青年たちが並び、こちらを品定めするように見つめている。


「上級生だ……」


 隣の眼鏡が呟く。


 古イルス魔術学校では二年間魔術を学ぶ。

 一年生は黒いローブ。二年生は白いローブを纏う決まりになっている。

 つまりオレたちの前にいる彼らは上級生、ペア相手になるかもしれない奴らだ。


「これより刻印の儀を執り行う」


 白髪の教師とみられる男の声が大ホールに響き渡る。

 声を張り上げたわけじゃない。精霊が音を運んでいるのだろう。


「アレクシス・グロースクロイツ、前へ」


 上級生の列の中から、自身に満ちた不敵な笑みを浮かべた男が前に進み出た。

 彼の紫檀のような黒い肌に視線を奪われる。


 グロースクロイツ家。

 オレでも名前を知っている大貴族だ。

 貴族の中でもごく少数しかいない、貴さの証とされる黒い肌を持つのが特徴だ。


 刻印の儀では成績上位者から順にペア相手を選ぶ権利があるらしい。

 だから一番最初に名を呼ばれた彼は、上級生の中で最も優秀な成績を収めたのだろう。


「グロースクロイツ家の嫡男だ。ああいう大貴族の人は家同士の結びつきを強める為に、事前に親同士が話し合ってペア相手を決めてるんだよ。まるで婚姻だな」


 隣の眼鏡が呟く。

 つまりああいう大貴族の人間とは、どんな奇跡が起きようと縁がないということだ。


 あのアレクシスとかいう男も、既に決まっている相手をわざわざ大勢の前で選ぶ振りをしなければいけないから大変だな。

 いや、それとも大貴族の家に生まれれば、そういったことを苦痛だと思う思考回路すら無いものなのか。


 まあどの道、オレには関係のないことだ。

 オレがあの男に選ばれることは絶対にないのだし。


 むしろ……刻印の儀の間、誰にも選ばれず残り続けることになるのだろうと思うと憂鬱で仕方がなかった。

 もしかしたら最後の一人まで残り続けることになるかもしれない。

 オレなんかを選ぶやつはいない。


「……」


 黒肌の上級生アレクシスはわざとらしく下級生の黒ローブたちを見回す。

 そして、不意にオレと目が合った。


「……?」


 その瞬間、彼の琥珀色の瞳が見開かれ──ニヤリと口端が吊り上がったように見えた。


 そして彼はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 オレの方に近づいてくる……?


「君だ。君をオレのつがいにしよう」


 彼は、アレクシスはオレの目の前に立って言い放った。


「え……っ」


 聞き間違いじゃないだろうか。

 彼は一体何を言い出したのだろう。

 頭が理解することを拒んでいた。


「君を選ぶと言ったんだ」


 彼は手の甲を包むようにして、オレの手を取る。

 オレの白い手と重なると、彼の肌の黒さが際立った。


「いや、困る……っ」


 彼とオレは全然違う人間だ。

 家柄も生い立ちも恐らく成績も、雲泥の差がある。

 何一つ混じり合うところなどないだろう。

 隣の眼鏡ですら分かり合えないと思ったのに。


 正真正銘、"違う生き物"なんだ。

 そんな相手との共同生活なんて、想像するだけで御免だ。


 いやそもそも事前に協議して決めたペア相手がいるんじゃないのか?

 何を考えてるんだコイツは。


「上級生からの誘いを拒否する権限はない」


 彼は笑みを浮かべると、オレの手を握った自分の手の上に接吻を落とした。

 彼の掌から伝わるように、自分の手の甲が熱くなる。


 どうして刻印の儀と言うか知っているか。

 眼鏡の言葉が頭を過る。


 そのくらいのことは知っている。

 ペアになった二人の手の甲には、共通の刻印が捺されるからだ。

 それは一年間の間、ずっと消えることはない――――。


 やがて彼とオレの手の甲には、同じ一本の黄色い薔薇の刻印が刻まれていた。


「一輪の薔薇の花言葉は、『一目惚れ』だ」


 黒肌の彼はオレに低く囁いた。

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