第2話
「どこから話せばいいのか……」
シダークレー子爵は少し黙り、
「私の家が落ちぶれてしまったのは、私の曽祖父の代です。ですからすでに百年前のことですが、いまだに再建復興できていませんのは、そういう才が無いようで、ですが、いつか、子爵家を復権できれば。とは思っています。どうすればいいのかまるで分りません。友達と呼べる人や、相談できる親しい人もいませんのでね。
それがよくなかったのだと、今では思います。
先ほど男爵に話して、もし私がその話が出る前に知り合っていたならば相談に乗ったのにと言われましたから。
というのも、卿は、」
「サミュエルで結構。ガルシアと呼ばれるのも、ましてや卿と呼ばれることは好まないのでね」
シダークレー子爵が顔をゆがめる。
「……さすがに、いきなりは……」
言い渋るシダークレー子爵に、
「なれないと、サミュエルは本当に不機嫌で相手をしてくれなくなりますよ。私だって、呼んでいるんですから、呼んであげたほうが、サミュエルはうれしいんですよ」
エレノアは楽しげにくすくすと笑い声をあげた。
シダークレー子爵は気まずそうに返事をし、「では、サ、ミュエル、さん」と切り出した。
「アリーチョ・サルバトーリという商人をご存知ですか?」
「最近いろいろな商売に手を広げている西にある町から来た商人でしたね?」
「そうです。出生は別の国のようですが、楚国との国境に近い街に根を下ろし、楚国との貿易をほぼ独占状態で成り上がった商人です。
国としても彼の貿易手腕や、財産などに魅力を感じてはいるけれど、彼は帰化していないので貴族にはなれない。だが、サルバトーリは貴族称号は欲しい。だが、気化したくない。
そこで考えたのが、」
「あなたのような貴族に接触したと?」
「そうです。
先ほども言いましたが、私には相談できる友人も、いろんなことを知っている人もいません。したがって、サルバトーリが家にやってきて、
「一人娘のソフィアが一目ぼれをした。ぜひ、お付き合いできないだろうか?」
と、多額の資金をちらつかされた日には、頷くしかなく。ですが、二人だけで会おうと約束した日が近づくにしたがって、間違っている。と思い、断るためにその日は出掛けました」
「断る?」
「ええ、いろいろ考えたのですが、私を見て一目ぼれをしてくれそうな要素はないだろうし、もし、仮に本当であっても、私には、彼女を幸せにする力は無いのです」
「資金なら、彼女の父親にあるでしょう?」
「そうですが、それは、サルバトーリのものであって、私のものではありません。食事に誘っても、私の
「なるほど。それで、それはいつでした?」
「最初のデートですか? えっと、四月六日です。確か、央都の噴水公園で花市の一番がたった時でした。
サルバトーリの家に迎えに行き、公園をドライブするというものでした。それも、サルバトーリの申し出で、私としては憂鬱でした。
さて、サルバトーリの屋敷に着き、少し待っていると、侍女と二人でソフィアが出てきました。侍女は不愛想な女で、馬車に乗ろうとするソフィアの手を支えることもしませんでしたから、私が手を携え乗せました。「行ってらっしゃいませ」すら言わず屋敷に入っていくので、よほど愛想の悪い女で、たぶん、雇われて日の浅い女なのだろうと思いました。
ソフィアはというと、顔をベールで隠していて、うつむき気味でした。まるで、私が断ろうとしているのを察してでもいるかのような、そんな不幸が漂ってきました。
「いい天気ですね? 揺れは大丈夫ですか?」
と聞きますと、彼女は頷いたり、首を振ったりするだけで、声を出そうとはしませんでした。
花の市は、一番市だけあってあまり色とりどりの花はなかったけれど、それでも、かわいらしい花があって、それを一束買い、ソフィアに手渡しました。
「まぁ」
彼女の声はとても奥ゆかしく、優しい声でした。
「私は、あなたに言わなければいけないことがあるのだよ」
そう切り出して、この交際はあまり好ましくないと思われることを言いますと、
「その通りだと、思います」
と細い声で答えました。
ですからてっきり、もう断ったことは承認してくれたのだと思いましたら、再びサルバトーリから、今度は遠方にドライブに行ってみないかと、近場では騒々しくてお互いを知れなかっただけだろう。と言われ、よくよくはっきりと断らなければいけないのかと、気を重くしまして、その日も出かけました」
「行かない。ということはなさらなかった?」
サミュエルの言葉に、シダークレー子爵は頷き、
「考えもしません。それは失礼にあたるでしょうからね。でも、そうすればよかったのかもしれませんね」
「その日は、最初の日から三日ほど後ですから、九日ですか? 十日だったかしら? でも、その日、私の考えはがらりと変わってしまったんです。
馬車は央都のはずれへと向かって走ります。二人で並んで、ずっと黙っていたのですが、下町へ行くと道が悪く、彼女の体が私の寄りかかってきたり、椅子の上で飛び跳ねたりしましてね、そのつど、ごめんなさいとか、どうしましょう。という彼女の声に、とうとう我慢できなくなり、私は笑ってしまいましてね。
「道が悪いのだからしようがないですよ。そんなに謝らなくてもいいですよ」
と言いましたら、
「でも、私、本当に重たいんですもの」
と言いましてね、ベールの奥でも解るほど顔を赤めていて、
「そんなことはないですよ。確かに、羽ほど軽くはないけれど、それでも、あなたが乗ってきたからと言って私がどうにかなるほど、さすがにひ弱ではないですよ。すぐに折れそうなほど細い腕ですけどね」
と言いましたら、彼女はころころと笑い、
「そんなことはありませんわ。あの人より、ずっとずっとたくましいですわ」
というので、誰と比べているのかと聞きますよ、
「あ、サル、お父様です」
と答えました。
サルバトーリはいわゆる成金太りで、でっぷりとした腹、無駄についている二重顎の脂ぎった男です。確かに、あれの腕よりは一応筋肉質だろうと笑いますと、
「内緒にしてくださいませね?」
と、言われまして」
「かわいいと思ってしまったのですね?」
サミュエルの言葉にシダークレー子爵は頷き、顔を赤くした。
「私は貧しいうえに、人見知りですので、女性と話すことなどほとんどないのですが、ソフィアと話すことはとても楽しく、それに彼女は実に才媛だったのですよ。
政治などの話しができるわけではなく、そう、他愛もないことですが、ちゃんと会話をしてくれたんです。
世の女性がどのような会話を好むのか解りませんが、私が日曜学校を開いていて、普段は家にこもって古い本を書き直している作業をしていることを話しますと、本をよく読むといい、同じ本の話で盛り上がりました。
彼女も、ザッカリーチェの「バラと宝石」が好きで、あの中にある、バラばかり植えた公園に行ってみたいというのが二人の夢になるほどでした。
ですが、私たちの会話が盛り上がり、親密になればなるほど、ソフィアはひどく憂鬱になっていき、六月の二日、とうとう泣きだし、
「どうか、どうか、もう、お誘いにならないでください」
と泣くのです。訳を聞くけれど、訳は言えないというのです。
その日以降、誘いに行っても、ソフィア様は行きたくないと言っていると門前払い。
そのうちにです、十三日です。新聞に、ソフィア・サルバトーリ、カスタゴ伯爵と婚約という記事が出たのです。
私は慌ててソフィアに面会をしに行きましたが、いつも通り門前払い。だが、出かけようとしていたところを捕まえますと、それがどうでしょう。ソフィアではなかったのです」
ん? 三人が同時に首を傾げた。
「私も驚きましたが、出かけようとして出てきた人は間違いなくソフィアらしいのです。ですが、私が毎日会ってドライブしていた相手ではなかったのです。
サルバトーリに話しを聞きましたが、娘は伯爵と婚約したんだ、悪いうわさを流せば、貧乏貴族のあなたなぞ、伯爵の力で央都にすら、いいや、この国にすら住めないようにしますぞ。と言われ、私は追い払われたのです。
ですが、私は、サルバトーリの屋敷から出てくる「ソフィア」とデートを重ねてきていたのです。ソフィアでなければいったい誰なのか? なぜ、わたしは騙されていたのか?
侮辱されたと思っていたけれど、サルバトーリの家の前でほぼふた月、彼女が出てくるのを待っていたのですが、結局現れず。
彼女はいったい誰で、なぜこんな仕打ちをしたのか? 私はいったい誰と会っていたのか?
という話しなのです」
シダークレー子爵は言い終って肩を落とした。
ロバートが黙ってサミュエルのほうを見た。サミュエルは黙ったまま中空を見つめていた。
「まぁ。そうだね」
しばらくしてサミュエルが言った。
「なぜと言えば、ソフィア嬢の身代わりだろうと察しが付く。なんせ、ソフィア嬢は有名な遊び人だ。もし、ソフィア嬢本人と結婚をしようと考えていたのならば、僕や、ロバートは全力を持ってそれを辞めるよう説得するよ。そんな人と結婚しようというカスタゴ伯爵というのもなかなかの人物で、ある意味お似合いだと思うが、毒蛇と毒蛇が同じ家にいてお互いが無事でいられるかどうか。まぁ、そんなことはどうでもいい。
急を要するのは、そのソフィア嬢の身代わりの娘さんがどこにいるかだね。
急に会わなくなったのは、ソフィア嬢が、子爵よりも身分のある伯爵と結婚するからに他ならない。つまり、身代わりは用済みだ。
用の済んだ身代わりはどうする? 暇を出すか? 暇を出したならばいいのだが、」
「いいのだがとは? どういうことだい? サミュエル?」とロバート
「サルバトーリ氏が、子爵にやったことと同じことを他の貴族にもしていたとしたら? ということだよ」
「同じこと? 替え玉を使って結婚相手を探していたとしたらって事かい?」
「そうさ。あの親子なら考えれないわけじゃない。本命は多分、カスタゴ伯爵クラスだろう。だが、彼らが見向きをしなかった場合に、その下、男爵、子爵と降りてくる。とりあえず貴族称号が手に入ればいいのさ。貴族夫人となった娘ともども、サルバトーリは社交界に出張ってきて、そのうち、自分が未亡人と結婚でもすればなおよしだ。
そういうことを考えれば、シダークレー子爵と会っていた彼女以外にも数名いたとしよう。彼女たちはどこへ行く? あのままあの屋敷で働いていて、子爵のように家に押し掛けてくる人が居たとして、使用人とデートさせられていたと大騒ぎにでもなれば、いや、……それはソフィア嬢の性格を知らない、子爵のような人にしか通用しないか」
「世間に疎い僕だけが引っ掛かったのでしょうかね」
シダークレー子爵は肩を落とし自嘲気味に笑った。
「そう悲観に暮れている暇は無いよ。万が一ってことがないわけじゃない。ソフィア嬢の結婚を知り激高したものが居てもおかしくはない」
「その人がソフィアだと知らないのならば私のように、」
「いや、ソフィア嬢自ら相手をしていたとしたら?」
「同時に何人ともお付き合いをするんですの?」
エレノアの非難めいた声にサミュエルは口の端を上げ、
「これが駆け引きというものだよ。と言われるよ。バカバカしいがよくある話だ。二股、三股なんぞかわいいくらいだ。身がきれいな結婚なんて貴族では珍しいものなんだよ」
サミュエルはそういって中空を見つめる。
「さて、そうなると、……ソフィア自身が相手をしていた人が居た。何人? 毎日交代であれば七人。日に二回会う人もいたかもしれないが、とりあえず七人として、彼女との交際を本気にしたものが何人いたか。
もし、……彼女との交際を本気にしたとして、伯爵との結婚を知った時にはどうするか? 抗議しに行くだろう。子爵と同じく。そして、彼女に詰め寄る。
彼女はどうする? 子爵もそうだが、まとわりつく、自分の出世を邪魔するものを嫌悪するだろう。そうした時、どうする?」
「身代わりになった人を差し出す。ってこと?」
エレノアはそういって言葉を切った。それに返事するようにサミュエルは頷いた。
「それが、私の会っていたソフィアなのだろうか?」
「解らないが、もしそうだとして。たまたま、身代わりのソフィアが外出する。憤慨している相手が、身代わりを誘拐なんぞして、ソフィアでないと解ったら、」
シダークレー子爵が慌てて立ち上がった。
「それは、大変だ」
勢いよく立ち上がった割には元気のない声だった。普段こういった局面に対峙していない所為でどう反応していいのか解らないのだろう。エレノアがやさしく座るよう促し、ブランデーを与えた。
「とにかく、まずはサルバトーリに話しを聞かなくては何も進まないだろうね」
「しかし、彼は会ってはくれませんよ」
「君はね。普段は気分が悪いことだけど、使える時には進んで使うとしよう」
サミュエルは微笑んだ。
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