第10話 お年玉争奪戦・後

 『ピンポンパンポーン。えー、まるでスポ根少年漫画のような展開になってきましたが。このお話は天界にただ一つしかない秘宝、「お年玉」と言うお宝をかけた天界の住人達による熱い戦いのお話であります』

 『日華! 嘘ついちゃ駄目でしょ!』

 『いやぁ、この方が盛り上がるかなぁって』

 『もう……私達、実況解説なんだからちゃんとしないと』


 呑気な笑顔を浮かべる兄の姿に、妹は軽く頭を抱え、小さく溜息を吐き出す。

 私だけでもしっかりせねばと奮起し、夜空に浮かぶ月の色のような髪を揺らしながら、月華は気持ちを切り替えて咳払いを一つ。


 『えー。雷・雨・雲と続きました「天界お年玉争奪戦」も、いよいよ第四回戦を迎えようとしています。実況解説は、晴天の天神を務めさせていただいています。私、月華と日華でお送りします』

 『さっすが月華~、完璧な紹介だったよ~』


 ぱちぱちと気の抜けるような柏手を打つ月華の兄である日華。

 全くもって緊張感のないその様子に、縁側に場所を移した観客席エリアの茣蓙に腰を下ろしていた一行も呆れるやら、不安に駆られるやら。

 微妙な面持ちで、再び広大な日本庭園へ移った試合会場に視線をやる。


 『では、選手の紹介に参ります。第四回戦は風天神の対決です。まずは赤のたすき、凪選手!』

 「ンフフ! 悪いケド、今回ばかりは手加減なんざしないワヨ~」


 不敵な笑みを浮かべ、たすきで綺麗に袂を固定した風の天神・凪。艶やかな振り袖姿とは裏腹に、纏うオーラはハンターのようである。


 『続いて、白のたすきは疾風選手!』

 「お手柔らかにお願いしますね、凪さん」


 爽やかな笑顔が眩しい天神一のイケメンこと、凪と同じ風天神の疾風。

 ただ庭園に立つだけでも、その姿は非常に絵になる。


 『なーんか、雰囲気的には凪が有利っぽいけど……。大丈夫ー? 疾風』


 既に闘志メラメラ状態の凪を見てから、のんびりとした日華の声が疾風にかかる。

 疾風はそんな声に対し、にっこりと微笑むと。


 「大丈夫」


 下界のトップアイドルも顔負けの甘いマスクで、ひらひらと手を振って見せた。

 その姿に観客席からは__


 「余裕ね」

 「腹が立つくらいにな」


 常日頃から疾風と親しくしている雲天神の八雲と雨天神のレイを筆頭に、冷静な声が飛んだ。

 その傍らにいた少年少女達も、苦笑を浮かべてから、ふと口を開く。


 「けど、疾風兄と勝負事って似合わねぇよな」

 「面倒事とか綺麗に流す奴だからね。ある意味、いい性格してる」


 ちょいと隣の美少女と見紛いそうになる美少年雪那に視線を向け、ライが問いかける。

 雪那がさらりと、言い辛いだろう一言を放つ傍で、たどたどしく同じ雪の天神である白姫が言った。


 「そ、それに……疾風さん、優しいし……いつも、笑顔で……お、落ち着いてるもんね……っ?」

 「そうそう。なんて言うか、何気にクールなんだよな。疾風兄も」

 「それは……どうかしらね」

 「うわぁ!」

 「うひゃあぁぁ!!」


 不意に割り込んだ小さな声。

 ライと白姫の大きな悲鳴に伴い、観客席にいた五人の視線が声の主である雲母に向く。


 「き、雲母姉……びっくりした……」


 ばくばくと逸る心臓を押さえながら、まずライが口を切った。


 「……そんなに驚かせた、かしら……」

 「ちょ、ちょい……」

 「て言うか、どういう意味? 今の」


 雪那に問いかけられ、雲母はついと庭園に佇む疾風の方へ視線をやる。


 「……だって、疾風は……八雲の親友、でしょう」

 「ひぇ? そ、それは……そう、ですけど……」


 ちらりと八雲に集まる視線。当の八雲はその視線に軽く肩を竦めて息を吐き出す。

 雲母もそんな八雲を一瞥し、もう一度疾風へ視線を戻すと。


 「……類は友を呼ぶ、って……言うじゃない」

 「るいはとも……?」

 「自分とよく似た性質や考えを持った人間は、自然と同じ場所に集まるから、友達になるって事よ」


 不思議そうに首を傾げたライに、レイがすかさずその疑問を砕くように解説を入れる。

 その瞬間、実況解説である月華の声が観客席に届いた。


 『第四回戦の種目は「凧揚げ」です。丁度、唖門さん達が配っているものが今回使用する凧になります』


 月華の言葉通り、竹を骨組みにした和紙の凧が、凪と疾風に手渡される。

 凪には、紫色に染められた物。疾風には、若草色に染められた物。それぞれ、一色で染められたシンプルなデザインだ。

 しかし、その凧には凧上げに必要不可欠な糸や紐が一切見られない。


 『その特製凧を自分の能力だけでより高く、より上手くコントロールして飛ばした方が勝ちだよ。当然、先に落としちゃった方は負けね』

 「ぶつけたりはしないノネ。凧揚げって、そうやって勝負するのかと思ったケド」

 『凪って、考え方がホントに男の子だねぇ』

 「あぁ?」


 何の気なしに口走った日華に、凪の鋭い視線が投げられる。

 その瞬間、日華はざっと顔を青くして、一周してしまうんじゃないかと思うほどに勢いよく首を横に振った。

 剣呑な空気が漂う日華と凪のやり取りを遠目から一瞥して、観客席のライは雲母へ視線を戻す。


 「そんで、雲母姉。結局、その類は友をってので、疾風兄がなんなの?」

 「……ライはさっき、疾風がクールだとか言っていたわよね……」


 雲母に尋ねられ、こくりとライが頷く。


 「……じゃあ」

 「じゃあ?」

 「八雲の印象は……どうなのかしら」

 「陰険・根暗・ガリ勉・イヤミ・眼鏡・鈍感馬鹿野郎」


 躊躇なくつらつらと語るライに、少し離れた位置に腰を下ろしていた八雲は、傍に見えた歌留多の箱を素早く赤い頭に投げ付ける。

 ライが歌留多を投げ付けた八雲に早くも睨みを飛ばしている中、ライの傍らにいた雪那が溜息をこぼしながら発話した。


 「……顔に似合わず、負けず嫌い」

 「……そう」


 ぽつりと放たれた雪那の言葉に同意し、周囲にクエスチョンマークを飛ばさせる雲母。

 木槌を持ち上げる月華の姿を横目に、雲母は徐に唇を動かす。


 「八雲もそうだけれど……疾風も……親しい相手には、遠慮なく物を言うでしょう……? だから、疾風も……ああ見えて、人に負けたりするのは……」


 月華の持ち上げた木槌が金色の鐘に触れるか否か、


 『では、第四回戦……』


 観客席にいた五人は、爽やかな疾風の笑顔が一瞬だけ、


 「大嫌いなのよ」


 不敵に笑んだのを確かに見た。


 『開始!』


 開始と同時に高く宙へ凧を投げる凪と疾風。投げた凧に向かって手を翳せば、二筋の風が凧を捕らえ、高くそれを上げていく。


 『両者共に全く引けを取りません。安定した動きで、凧はぐんぐん上昇していきます』

 『ふぉんとられ~、ほんらひふふぉふぃへふぁほはふぁふぁっへ……あふっ!』

 『って、日華!? いつの間にたこ焼きなんて用意してもらったの!?』


 自由な男、日華。いつの間にやら、門番達にたこ焼きを追加注文していたらしい。

 あつあつのたこ焼きに悪戦苦闘しながら、一応解説の仕事らしいものをしている兄の姿に、実況月華は流石に苦笑しかこぼせなかった。


 「おぉ……たっけー」

 「なーんか、長引きそうねぇ」


 青空に浮く紫と草色を見上げながら、ライとレイが何の気なしに呟く。

 すると、同じように凧を見上げていた雪那がふと雲母に尋ねる。


 「……ねぇ、雲母」

 「……何かしら」


 二人は視線を凧に向けたまま、会話を交わす。


 「八雲が負けず嫌いなのは、よくわかるけどさ……疾風が誰彼構わず、勝ちに行くような負けず嫌いには見えないんだよね」

 「……そう?」

 「八雲とかアズマ相手なら話は別だけど……やっぱ、疾風が不利に見える」


 雪那の言う通り、疾風は基本的に人当たりのいい好青年だ。

 親友である八雲と何か確執があるらしいアズマを除けば、誰にでも「優しい好青年」と表現できる。

 そんな疾風が、同僚の中でも特に交流が深く、そして誰よりも敵に回すと恐ろしい凪相手に噛みつくとは到底思えない。

 観客席一同、じっと凧の操縦に集中している風天神二人に視線を集中させていると。


 「——凪さん」


 唐突に疾風が凪の名を呼んだ。呼ばれた凪は、凧に意識を向けたままそれに答えた。


 「なぁに疾風。言っとくケド、アタシにレイが使ったような手は通用しないワヨ」

 「やだな、そう言うんじゃないですよ」


 疾風も意識は凧に向けたまま、ちょっと笑う。だが、不意に爽やかな笑顔を引っ込め、真摯な面持ちで凪を一瞥する。


 「ただ、少し凪さんのお化粧が……」


 その刹那、凪の凧が宙で微かに揺れた。


 「……アタシのメイクがどうかしたワケ?」

 「ほら。さっきの歌留多取りで凪さん、雲母さんに吊り上げられていたでしょう?」


 笑顔で語る疾風に、凪の脳裏は先程の三回戦の回想作業にかかる。

 確かに鰹の一本釣りよろしく、凪は雲母の雲に勢いよく吊り上げられていた。


 「そ、それがどうかしたノ?」

 「その時、少し涙目だったり、咽込んだりしてましたよね」

 「そりゃあ、逆バンジーみたいなモンだったしネ」


 きょろきょろと凧と疾風を行き来する凪の視線。安定した高度を保っていた紫色の凧が、徐々に不安定に上下し始める。


 「あの後、凪さん……恐ろしいスピードで化粧直ししてらしたと思うんですけど」


 ここで、ふと疾風の表情に憂い気な色が差す。

 凪の灰色の瞳がそれを過敏に捉え、思わず凧から視線を完全に外してしまう。


 「な、何っ? どっか変? アタシ! パンダになってる? モンスターになっちゃってるノ? ハッ! ま、まさか化粧直しが甘くて、とぼけた顔に……?」


 だっと疾風に駆け寄り、凪はまさしく目と鼻の先まで詰め寄って問い質す。

 凪にとって、化粧と着衣の乱れは心の乱れと等しい。故に、凪は誰よりも身なりを気にする。

 健全なる精神は、麗しい肉体に宿る――と言うのが凪の持論だ。

 だから、凪は人前で気の抜けた身形を見せる事を、己で厳しく律している。

 仲間であろうとも、人前ではしたない姿は晒せない。

 化粧をしていない素顔、過度な露出、品のない服装は絶対に禁忌タブー

 ここまで身なりに気を使っている凪が、そのような禁忌を犯す事などないと思っていても、いざ他人(ひと)から訝しげな視線と言葉を向けられれば__微かな不安が生まれる。

 当惑した様子で疾風を見つめる凪。

 疾風は間近に見える灰色の瞳を真摯に見つめ返し、ふっと安心させるような笑顔を浮かべた。

 すると、


 「あっ!」

 「あら」

 「……馬鹿め」

 「…………」

 「……へぇ」

 「はわわわわ……っ」


 観客席が妙にざわつき始める。疾風に迫っていた凪も、ようやく周囲のざわめきの音に気付き、辺りを見回す。

 まず目に入ったのは驚愕していたり、呆れている観客席の面々。

 次に目に入ったのが、目を丸くした実況解説席。軽く首を傾げ、一体何事かと凪が口を開こうとした時である。


 『凪、凪! ねぇ、凪ってば大変!』

 「んなにヨ! 人の名前、そんなに連呼しなくても聞こえてるワヨ!」

 『そーじゃなくて! 凧! 凧、落ちてるよ!』

 「はっ!?」


 日華が勢いよく指を差した先に振り向く凪。美しく整備された庭園の片隅に、バンダの花のように見えた紫色。紛れもなく、凪の凧である。


 「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」


 ムンクの叫びよろしく、両頬に手を添えて少し低めの悲鳴。

 天地を突き抜けそうなその声に観客席や実況解説席が、条件反射のように耳を押さえる中で、疾風だけはにっこりと麗しい笑みを浮かべていた。


 『え、ええと……第四回戦の勝敗は、凪選手の凧が先に墜落したので……は、疾風選手の勝利とします!』


 少し耳に感じる残響感に惑いながら、実況である月華が疾風の勝利を会場に知らせる。

 突然の敗北を突き付けられた凪は愕然とした様子で、その場に膝をついた。


 「……そ、そんな……下界のバーゲン日時、場所を間違える事無く押さえ。無駄のない買い物スケジュールを組み立て、予算内でお買い得商品を幾つもゲットしてきたしっかり&ちゃっかり者のアタシが……こんな、負け方をするなんて……ッ」


 悲劇のヒロインのように打ちひしがれる凪に、疾風はそっと膝を折って、優しく手を差し伸べる。


 「すみません、凪さん。俺が、突然あんな事を言ったばかりに……凪さんの集中力を乱させてしまったんですね」


 申し訳なさそうに眉を下げ、大きな瞳を細める疾風。そして、そのまま地に着いた凪の手を優しく取り上げると、


 「ふと横目で見えた凪さんの横顔が、あんまりにもお綺麗だったもので……あの短い時間で、こんなにも美しく手直しできる凪さんのお化粧技術は本当に凄いな、と……つい。今思えば、勝負の後でお話出来る事でしたね……」


 惨痛の面持ちで、その手をきゅっと握り締める。

 あるはずがないのに、疾風と凪の周囲は何故かキラキラとしたオーラのような何かが観客席と実況解説席から見えた気がした。

 

 「……いい根性してるわね、あいつ。結婚詐欺師にでもなったら、国際指名手配犯になれるわよ」


 ぼそっとこぼしたレイの言葉に観客席一同、つい首を縦に振ってしまう。

 しかし、相手は純粋無垢な乙女ではなく、あの天界最恐の凪である。

 幾ら疾風のイケメン好青年オーラに当てられたからと言って、あの天界最恐の凪がそう易々と敗北を水に流すような事をするはずがない。

 どこか不安げな面持ちで、観客席が凪の様子を窺っていると。


 「……疾風」


 地を這うような凪の声が辺りに響く。遠目から見ている観客席から、ごくりと生唾を飲み込む音がした。

 ああ、正月早々悪鬼羅刹が神の住まう地で、嵐を起こす事になろうとは。

 思わず、観客席にいた何人かが胸中で念仏を唱えようかとした時である。


 「アンタって男は、ホンット……ホンット、どうしようもないお馬鹿さんネ……」


 ふっと小さな笑い声が凪の唇から洩れた。

 事もあろうに、凪は参ったような苦笑を疾風に向けていたのだ。


 「人って、どうしようもない感動を覚えると無意識に行動してしまうものだものネ。わかるワ。アタシもたまにどうしようもなく、目に留まった洋服や化粧品を無意識の内に買っちゃう事あるモノ。美しさと好奇心は時に罪ネ」

 「……凪さん。愚かな行動に出た俺を咎めないんですか……?」

 「いいの。いいのヨ疾風……所詮、争いからは何も生まれないワ……。欲に駆られたら、心の美しさは淀んでしまう。アンタはアタシにその事を気付かせてくれた……寧ろ、感謝しなくちゃネ」


 やおら疾風の手を借りて立ち上がり、凪は裾についた汚れを軽く払う。そして、麗しい笑みを浮かべ、凪は言った。


 「試合には負けたケド、オンナとしての心意気は守れた気がするワ。アタシ、少しは粋なオンナに近付けたカシラ」

 「凪さんは元から素敵な人ですよ」

 「……馬鹿ネ。こういう時は、黙って微笑んでちょうだいヨ」


 笑い合い、繋がったままの手で握手を交わす凪と疾風。

 穏やかな空気に包まれる二人を他所に、観客席と実況解説席は酷く冷え切った空気に包まれていた。


 「……くだらん。何の茶番を見せられているんだ」

 「……疾風って、あんな顔して意外とえぐい事するよね」

 「……ホント、詐欺師に向いてそうな根性してるわ」


 呆然と呟く観客席の声を耳にしながら、全知全能の神は少しばかり後悔の念を抱きつつ、武骨な手で髭を梳いた。


 「……存外、彼奴は歴代の風天神の誰よりも荒い風を持っておるのかもしれんのう……」



***



 『……えー。じゃあ、もう第五回戦開始で』

 『へあっ!? ま、ままま待ってくださ……っ、せっ、雪那さんっ! な、なんかもう色々と急すぎます……っ!』


 平坦な声で手元の原稿用紙を読み上げる新たな実況雪那。慌ただしい解説、白姫の声に面倒臭そうに振り向く。


 『だって、もうめんどくさい。ちゃっちゃっと終わらせた方が俺も楽』

 『だ、駄目ですよぉ……っ! い、一応これっ……真剣勝負っ、なんですからぁ~!』

 『俺、真剣とか真面目とか嫌い』

 『せ……雪那さぁん~~~っ!』

 「主等、相変わらずじゃの……」


 ある意味「静」と「動」の二人に、実況解説席の隣に腰を下ろしていた神は苦笑気味に口を開いた。

 いよいよ大詰めとなったお年玉争奪戦。試合も残すところ、後二試合。

 雪天神二人が実況解説となる第五回戦は、晴天の天神である日華と月華の兄妹対決となっている。

 やはり、二人の着物の袂も紅白のたすきで固定されている。赤が日華、白が月華。

 そんな双子の姿を見やりつつ、実況雪那はどこか煩わしそうに吐息をこぼす。


 『……俺的にはもう、月華の勝ちでいいと思う。て言うか、調子に乗る馬鹿太陽なんか見たくない』

 『えぇぇぇぇ……っ!? そっ、そんな事言わないでっが、頑張りましょうよ~っ! わ、私達……た、只でさえっ春になったら、天界にいる事少なくなっちゃうし……みんなと遊んだり、とか……な、なくなっちゃうし……っ』


 淡々とした雪那の言葉に、ふにゃりと歪む白姫の表情。雪那はそれを一瞥し、あからさまに大きな溜息をつくと。


 『……俺が泣かせたみたいになるから、泣くのやめてくれる』

 『ふぁっ!? そっ、そんなつもりはあの……っうぅ……ご、ごめんなさい……っ』

 『……ったく。やればいいんでしょ、やれば。選手の紹介だっけ?』


 言いながら、手元の原稿用紙に視線を落とす雪那。それに伴い、わたわたと白姫も自分の原稿用紙を持ち上げる。

 ちなみに、何故今回の実況解説に原稿が用意されているかと言えば、この二人が他の天神よりもMC力が低いからである。簡単に言えば、話が進まなくなるのだ。

 そんな二人を気遣い、門番二人に予め原稿を用意させた八雲は腕を組んだまま、小さく息を吐き出す。


 「……大丈夫か? あの二人」

 「まぁ、原稿を読むくらいなら大丈夫でしょ」


 その傍らで爽やかな笑みを浮かべている疾風は、何の気なしにそんな事を言う。

 そのまま咳払いを一つし、原稿を読み上げようとする実況解説を見つめていると。


 『えー……第五回戦の種目は独楽回し。実況解説は雪の天神の二人でお送りします』

 『え、あ……えっと、赤のたすきが日華さんで……し、白のたすきが月華さんですっ……! ふ、二人とも、頑張ってくださいねっ……!』


 物凄い棒読みとたどたどしい声が耳に届く。観客席の親友風雲コンビは同時に息を吐き出した。


 「…………白姫はともかく、雪那はやる気の問題だな……」

 「うーん……ノリノリで喋る雪那が想像できないのは確かだけど……。あそこまで行くかぁ」


 思わず眉根を寄せる八雲、つい苦笑をこぼしてしまう疾風。その間も棒読みと、たどたどしい実況解説の前説は続く。


 『えっと……は、はたして、この戦いの勝敗はどっどちらに傾くのでしょうか……っ』

 『両者共に、精一杯頑張ってください』

 「雪那-、顔が全然頑張ってくださいって言ってる顔じゃないよ~」


 へらっと笑みを浮かべ、平坦な雪那の声援らしい言葉にツッコミを入れるのは日華。

 その呑気な声に、雪那は麗しい尊顔を微かに歪ませ、目の前のマイクを手に取ると。


 『うるさい。すぐさま負けにするよ』

 『ひぇ……! せ、雪那さっ……そ、それ職権乱用……! て、て言うか、実況解説にそんな権限、な、ないんじゃ……!』


 キョドる白姫に指摘されるほどに、横暴な言葉を放つ雪那。雪那はマイクが拾える距離で、心底不満げに大きく舌を打った。

 マイク越しに耳に届いた雪那の舌打ちに対し、観客席にいたライは苦笑を浮かべて、つい口を開く。


 「……相変わらず、雪那兄は日華兄に辛辣だよなぁ……ぽややんだけど、いい兄ちゃんなのに」

 「あの二人は、仲良くなんて到底無理よ。自然の摂理としても」

 「……ライが八雲と仲良くなるくらい……無理ね」

 「じゃあ、永遠に無理だ」

 「今生は元より、来世でも無理だな」


 レイと雲母の言葉に、迷う事無く同意するライと八雲。こちらも、相変わらずと言った表現がピッタリである。


 『で、ではっ! あ、あのえっと……る、ルール説明に参りますねっ! え、えっと……あ、あれ、どこだっけ……』


 こちら、実況解説席。

 先程の舌打ちから、徐々に機嫌が下降している雪那をハラハラと気にしつつ、白姫は慌てて原稿用紙の文字を辿って行く。

 数秒原稿の上で迷子になりながらも、目的の箇所を見つけた白姫。たどどしい口振りながらも、なんとかそれを読み上げる。


 『だ、第五回戦は独楽回しで勝敗を決めるんですけど……一口に独楽回しと言っても、色々な遊び方がありますよね……?』


 問いかけられ、対戦者である日華と月華は頷く。


 『え、えっと……今回の独楽回しは、どちらが長く回っていられるかは勿論なんですけど……ちょ、ちょっと使う独楽が特別で……あ、あの、唖門さん、吽罫さんっ、お願いします……っ!』

 

 そう言って、視線と左手を屋敷側へ向ける。

 すると、そこから何やら大きな独楽らしき物を乗せた台車を押し進める門番二人が目に入った。

 門番二人も十二分に上背のある大柄な男性なのだが、そんな二人よりも一回りも二回りも大きな独楽らしき物に対戦者二人は思わず呆けてしまう。


 「……うひゃあ~」

 「……こ、これを回すの……? ど、どうやって、回せばいいのかしら……」


 ぐるっと目の前に現れた独楽を一周してみる二人。人一人くらいなら余裕で乗れてしまいそうなほどに大きい。


 「ちょっ、爺様っ!? アレ、何!? 何なのヨ!」


 興奮気味の凪が、観客席から実況解説席の方へ向かって行く。尋ねられた神は、そっと慌てふためく凪を一瞥し、


 「独楽じゃ。それ以外の何に見える」

 「爺様ったらボケた!? あんな馬鹿デカい独楽、か弱い乙女が回せるワケないでしょーヨ!!」

 「凪、誰がボケたと?」


 詰め寄ってくる凪に穏やかな笑みを浮かべ、ついでに凶器にも豹変する仙人杖を持ち上げる。


 「やっだ、爺様ったらっ! んもう! 全知全能、アタシ達天神を総べる覇者である爺様がボケるワケないものネ! よっ! 生涯現役っ!」


 神の微笑みの脅迫には、流石の凪も敵わない。きょるんと音が着きそうな笑顔で、すぐに前言撤回を唱えた。

 そんな中、独楽の周囲を物珍しそうに廻っていた日華と月華。

 門番達によって台車から下ろされた独楽に、取っ手や足場を見つけた日華が徐にそこへ登り始める。


 「おぉ! 台座に固定されてるから安定してるし……良い眺め~! 月華も登ってみなよ、気持ちいいよー」

 「本当に人が乗れちゃうのね……凄い。でも、回し方がわからないわ……日華、独楽には何かある?」

 「んー……座ってるとこが、回らないようにはなってるかなぁ。あ、後ね、なんかピカピカしてる!」


 言いつつ、独楽を手の平で叩いてみる日華。月華は兄の言葉に、うーんと頭を悩ませた。


 「ピカピカ……? 液晶になっているの? じゃあ、そこに何か表示されるのかしら……それとも他に何か……。ね、日華はどうやって動かすんだと思う?」

 「うーん? そうだなぁ~……」


 問いかけられ、ちょっと視線を宙に向けて考え込む事、五秒。ぱっと明るい表情で手を叩き、


 「気合で回す!」

 『おい、そこのボンクラボケ太陽。ボケ発言してないで、こっちの説明聞け』


 即座に実況解説席から冷たいツッコミを入れられた。


 『そんな馬鹿デカい独楽、能力使わなきゃ回せるわけないじゃん』

 『あ、あの……日華さんが言った、パネルって……と、特別なソーラーパネルになってるんですよ……っ』


 白姫に指摘され、ふと日華は手元のパネルを凝視してみる。よく見ても、それが本当にそうなのかはよくわからなかったが。


 『そこに太陽光エネルギーか、月光エネルギーを当てれば、独楽は回転するらしいから』

 「らしい?」

 『そう書いてある』


 手にしていた原稿を持ちあげる雪那。原稿を読み上げてはいるが、あまり内容は理解していないらしい。

 しかし、ここまで納得したような面持ちで話に耳を傾けていた日華が、不意に首を傾げて尋ねた。


 「ねぇ、雪那。独楽の動かし方はわかったけど、どうやって勝ち負けを決める? ずっと回し続けてた方が勝ち?」


 珍しくまともな質問に、雪那は持ち上げた原稿に視線を戻す。暫し書かれた文章を目でなぞり、答えらしい一文を見つけると。


 『対戦者は独楽に乗り込み、独楽を操ってぶつけ合い、先に独楽から落ちた方が負け。つまり、より長く独楽を回し続けられた方が勝ち』


 平坦な声で告げられた言葉で、日華の身体に衝撃と言う名の激しい雷が落ちた。

 そして、愕然とした様子で雪那の言葉を恐る恐る反芻する。


 「お……落ちた方が負け……? つ、つまり、相手を落とさなきゃいけないの……?」

 『だから、そう言ってる』

 『ほ……ホントだ』


 ぽつりと続く白姫の同意の声。日華に第二の衝撃が落ち、そのままふらりとその場に膝を付いて崩れる。


 「に、日華!? 大丈夫?」


 突然崩れ落ちた兄に、妹・月華は慌てて駆け寄った。

 するとどうだ、打ちひしがれていた日華が突如顔を上げ、月華の両肩を勢いよく掴んだのである。

 そして、彼は言った。


 「そんな……そんな、月華を高い所から落とすなんて馬鹿な事……僕に出来るわけないでしょ!! そんな事するくらいなら、僕はそこに座っているおじいちゃんを天界の果てから落とすよっ!!」


 実に問題発言である。

 なにせ天界の創生者である神を、抹殺しよようとも取れる言葉だったからだ。

 当然、「そこ」に鎮座していた神は呆然となり、驚きや怒りを通り越して、呆れ返るしかない。

 なんと罰当たりな男か、と神は思わず嘆息と共に頭を抱える。

 しかし、問題発言を放った日華の方は珍しく憤怒した様子で神の席の隣にある実況解説席を睨むだけ。事もあろうに、憂う神の姿など目に入っていない。


 「そんなルール、僕は絶対認めないーーーー!」

 『駄々捏ねんな。めんどくさい。ルールはルールだよ』

 「絶対やだったら、やだーーーーーーーーーーーーー!!」


 いーっと歯を見せながら、両手にある月華を強く抱える日華。

 その腕の中に居る月華も、実況解説席にいる二人も、そんな日華の姿に呆れて物も言えなくなる。

 雪那に至っては、面倒な日華の反応に思い切り眉根を寄せて、また舌を打ちそうな気配すら漂い始めた。

 暫し膠着する日華と実況解説席の睨み合い。観客席からも、少しばかりどよめきが響き始める。

 しかし、これでは勝負も何もない。ただ無駄に時間が過ぎていくだけ。

 そこで、頭を抱えていた神が、ふと頭を上げ、険しい顔つきの日華を見やる。


 「……ならば、日華よ。主は一体、どうしたいと申す?」

 「月華に怪我させる事なんて、僕は絶対したくないのっ! しかも、今日は可愛い着物も着てるんだから! それも汚したくないのっ!」


 神の問いに、日華は毅然と物申す。内容は大分と私利私欲にまみれている気がするが。

 神は日華の言葉に髭を梳きながら頷き、何気なく傍らにいた白姫の方を見やると。


 「白姫」

 「へっ、ひゃ、ひゃいっ!」

 「ちと、耳を貸してくれるか」


 皺の多い武骨な手で彼女を手招きし、その上半身を自分の方へ傾けさせた。

 神は白姫の耳元で暫く言葉を紡ぎ、話を終えると目を丸くした白姫に微笑んで見せる。


 「……あ、あの……い、いいんですか?」

 「よい。奴の我儘を通すのならば、このくらいの措置は当然じゃ。雪那にもそう告げてやれ」


 戸惑う白姫だったが、神に促されて、たどたどしい様子で隣の雪那に伝言ゲームのように神の言葉を伝えた。

 聞かされた雪那の方も、一瞬だけその表情に驚きを見せたが、微笑む神を一瞥し、すぐに驚の情を引っ込める。

 そして、短い咳払いをマイク越しに響かせ、澄んだガラスのような瞳を日華と月華に向けると。


 『……只今、主催者より日華選手の棄権が提示されました。これにより、第五回戦の独楽回しは月華選手の勝利とします』

 「え……」

 

 戸惑った月華の一声が飛び、


 「ありゃ」

 「へぇ」

 「……成程」

 「……ふぅん」

 「アララ」

 「おや」


 観客席からはどこか納得したような声が飛ぶ。

 周囲をある意味面食らわせた発言をした雪那は、何事もないような顔で手元の原稿を綺麗に整えると、徐に席から立ち上がる。

 その姿に、白姫が慌ててマイク越しに声をかけた。


 『せ、雪那さん!? ど、どこ行くんですか……っ?』

 「もう試合終わったんでしょ。じゃあ、実況の仕事も終わり」

 『えっ!? あ、わ、ちょ、ま、待って……わ、わたわたしも……っ!』


 実況解説の任に何の執着もない雪那は、さっさと観客席の方へと戻って行く。

 それに白姫も手元の原稿用紙を寄せてから、慌ただしく席を立つ。なんとも、マイペースな実況解説である。

 そんな中で、暫し呆然となっていた月華が思い出したように意識を戻し、抱きしめていた腕を緩めた日華を勢いよく見やった。


 「に、日華! い、いいの? 棄権なんて……日華、一言も言ってないのに……」


 上背のある自分を見上げる妹を、きょとんとした目で見つめ、日華はふわりと笑うと。


 「いーんだ、別に。月華の着物とか汚しちゃったり、何より怪我なんかさせたくないもん。なら、勝負しないのが一番だよね~」

 「で、でも……お願い事、叶えたかったでしょ?」

 「ああ、それ? それも別にいいよ~。どうせ優勝したら、月華と一緒に美味しいご飯食べに行こうと思ってただけだし」

 「わ、私と……? 美味しい物を沢山食べたいって言っていなかった?」

 「んー……僕が一番望む事って、月華と一緒に楽しく過ごしたいって事だからねぇ。月華と一緒にいれば、お願い事なんてずっと叶ってるようなものだよ~」


 へらへらと笑みをこぼし、日華は大きな手の平を月華の頭の上に乗せる。

 それから、よしよしと子供をあやすように頭を撫でて、日華は今日一番の笑顔を見せた。


 「だからさ、もういいんだよ月華。月華が幸せでいてくれれば、僕も幸せだから」


 月華は、兄の無垢な言葉に思わず大きな瞳を細め、困ったように笑い返す事しか出来なかった。



***



 時刻は昼を過ぎ。空を行き交う太陽は、天に見える青の上をゆっくりと西へ進んでいた。

 朝も早くから始まったお年玉争奪戦も、これで残すところ一試合のみ。雪の天神二人による対決だけである。

 短いようで長かった予選試合もこれで一段落。

 そんな最終予選を取り仕切る実況解説は、第一試合に出場していた雷の天神二人であるはずなのだが……。


 『なんで、お前が俺の隣にいるんだよ』

 『それは俺の台詞だ。何故、貴様がそこにいる』

 『知らねぇよ』


 再び大広間へと移動した実況解説席には、何故か雷の天神のライと雲の天神である八雲がいた。

 しかし、こればかりは仕方がないのである。

 ライと同じ雷天神であるアズマは、未だ付き添うウルルと同じくこの場に戻っていない。

 よって、二回戦で実況解説を担当するはずだった雲の天神二人に、ライの相方を務める為の白羽の矢が立った。

 そして、二本立ったその矢を雲母が綺麗に避け、八雲にライの相方を託したのである。基、貧乏くじを引かせたとも言う。

 何よりレイと疾風が、犬猿コンビの実況解説も面白そうだと悪乗りしたのである。


 『よりにもよってメガネクラなんざと組まされるとは……ほんっとめんどくせぇ』


 軽く舌を打って、八雲から大きく視線を逸らすライ。

 隣の八雲も、ライに視線をやる事無く、静かに眼鏡を押し上げると。


 『それも俺の台詞だ。さっさと仕事を済ませ、馬鹿が感染うつる前に帰りたいところだな。さっさと選手紹介に入れ、実況』

 『うるっせぇ! 今、やろうと思ってたんだよ! 言うなよ! お前が言ってからやったんじゃ、俺がお前の言う事聞いたみたいになるだろうが!』

 『ならば、さっさとやる事をやればいいだろう! 要領の悪い馬鹿だな、貴様は!!』

 『だぁかぁらっ! 一々、俺に指図すんなっつってんだろ!』


 実況解説席に備え付けられている金色のゴングを鳴らす前に、場外口頭喧嘩のゴングを勝手に鳴らす犬猿コンビ。

 悪乗りしてあの場所に二人を押しやったレイと疾風も、マイク越しに飛び交う二人の言い争いには、眉根を寄せるしかない。


 「物凄い、言い合ってますねぇ」

 「せめてマイクから離れてやれってのよ。て言うか、あいつら……あの状況わかってないわね」


 煩わしそうに耳を押さえ、言い争う実況解説を睨むレイ。その傍らで、淡々とした様子の雲母が静かに右手を構える。


 「…………黙らせる……?」

 「き、雲母さん! そ、それはちょっと待って! 止めるのはそっちじゃなくて……」

 「ようし! じゃあ、僕が止めてきてあげるよ!」

 「えっ? に、日華?」


 顔に似合わず、力技を行使しようとする雲母をやんわり制する月華に届いた兄の声。止める間もなく駆け出した日華は、ひょいひょいと軽い足取りで言い争う実況解説の二人の間に入っていくと。


 「ねぇ、二人ともー」

 『なんだよ!』

 『なんだ!』


 険しい二人の視線が集中するも、けろりとした顔で日華は何故か毛氈が引かれた広間の方ではなく、縁側を越えた庭園の方を指差す。

 怪訝そうな顔だった実況解説の雷雲二人も、何の気なしにその指先を追いかけ、思わず絶句。


 「うふ……うふふふふふ……勝てば、なんでもお願い事が叶うんですよね~……うふ、ふふふふ……私~、今日はがんばっちゃいますよぉ~うふふふ」

 「っ! 病人のくせして、物騒なものを……っ!」

 「だぁいじょうぶれす~、今日は~……調子もいいんですよぉ~うふ……ひっく」

 「性質の悪い酔い方しやがって……!」


 時は一月。下界では都心でも雪が降る事もしばしばあるだろう季節ではあるが……。

 流石に氷柱が人に向かって飛んでいくと言う光景は、世界一雪が降る場所とされている日本の新潟県でも見る事が出来ないだろう。


 「僕的にはね、とりあえず「あれ」、止めた方がいいと思うんだよね~」


 呑気な声が実況解説の二人に届く。その間も二人の視線は雪合戦ならぬ、氷柱合戦に釘づけだ。

 ただ、振り袖姿の少女が氷柱を投げ付けて、着物姿の少年がそれを必死に避けているので、合戦は語弊があるかもしれない。


 「二人が喧嘩始めちゃってる間にさ。緊張でガチガチだった白姫が、その辺にあったお屠蘇飲んじゃって。そしたら、突然雪那に向かって勝負れすー! って、能力で作った氷柱持って、向かって行っちゃってさ」


 困ったように苦笑し、呆然としている二人の間から日華も庭園で命がけの勝負を始めている雪の天神達を見やる。


 「せっつなさぁ~ん、じんじょーにしょーぶれすぅ……うぃっく」


 鋭利な剣と化した氷柱を手にした白姫が、完全に据わった目で雪那を見つめる。いや、睨む。

 能力で生み出した水分量の多い雪を外気で融かし、それを氷柱に再構築すると言う雪の擬人の扱う能力でも高等技術に入る技を使い、無限とも呼べる氷柱の嵐を雪那にぶつけるその様は、普段の気弱な白姫からは想像もつかない。

 止む事を知らない氷柱の暴風を必死に躱し、乱れる息を他所に、雪那はまた投げ付けられた氷柱を躱して口を開く。


 「……ったく、さぁ! あんたが病人じゃなかったら、即行で雪だるまにしてやるところだってのに……っいい加減にしろよ……!」

 「雪らるま~? うふっ……ふふふふっ、かーわいいれすよねぇ雪らるまぁ……雪那さんはぁ、きれーな雪らるまになりそうれす……うふふ」


 どこか狂気的な、しかし愛らしくも見える笑みを浮かべ、白姫は新たな氷柱を生み出す。


 「雪らるまになったらぁ……うふ、うふふふ……春も夏も秋も、ずっとずぅっと一緒にいられますよねぇ~……雪那さん、雪らるまにしちゃおっかみゃあ……うふふ」


 そして、生み出した氷柱にそっと頬ずりし、少女らしくもない官能的にも見えそうな女の表情かおで、白姫はアルビノの特徴的な赤い瞳で雪那を見据えた。

 その瞬間、雪那は元より観客席や実況解説席の背筋に、キンッと冷えた何かが伝う。

 ただ一人、そんな冷えた何かを感じていない日華が、にっこりと笑みを浮かべると。


 「ね、危ないでしょ?」


 呑気な声がまた実況解説の耳に届くか否か。

 一人は勢いよく椅子を倒して、そのまま実況解説席の長机を飛び越え、一人は同じように椅子を倒して、しかし長机を綺麗に避けてから駆け出した。


 「そう言う事は早く言え日華兄ぃぃぃぃ!!」

 「正月早々、洒落にならん事故を起こさせてたまるか!!」


 広間の端から端へ駆け、縁側に置かれていた草履を少しばかり乱暴に足を引っかけ、そこからまたダッシュで当初の種目である、雪玉福笑いとはかけ離れた氷柱合戦(語弊有)を勝手に開始している雪の天神達の元へ走る走る。


 「ちょ……ちょおおおおおっと待ったぁぁぁぁああ!!!!」


 強烈な滑り込みを見せ、雪那と白姫の間に飛び込む実況ライ。白姫の氷柱を投げる手も、思わず止まった。


 「…………て言うか……気付くの……遅い、んだけど……っ」


 ライの登場に、息を切らした雪那はなんとかいつもの悪態をつく。いつもの刺々しさがあまり感じられないのは、やはり疲労の所為だろうか。

 しかし、ライの登場に安堵を見せたのは雪那の方だけで。氷柱を止めた白姫の方は、徐々に不服そうな面持ちになっていく。


 「……むぅ……ライ君、邪魔ぁ~。私、雪那さんをたおさないと優勝れきないの~」

 「いや、これ相手を倒す大会じゃねぇから! 楽しく! 飽く迄も、正月余興から派生してるから!」


 アズマを伸した一撃を放ったライが言うと、イマイチ説得力がない気はする。

 だが、お屠蘇で酔った状態の白姫にはそんな疑問を抱かせる事はなく、ちょっと的外れな疑問を抱かせた。


 「……楽しく……正月余興~?」

 「そうっ! たから、氷柱は仕舞おうぜ!? なっ?」

 「……よきょー……楽しい……楽しい遊び……」


 ふらふらと上半身を揺らし、暫し考え込むような表情で視線を彷徨わせる白姫。そして、何かを思いついたように、ぱっと開いた花の笑顔を浮かべると。


 「じゃあ~、ここにいるみんなを氷漬けにしちゃえば……私がいちばんだぁ~」


 快晴のはずである天界にブリザードを吹かせた。

 周囲が白姫の笑顔と放った言葉に凍り付いていれば、一人納得した彼女はご機嫌な様子で両の手を広げる。


 「なぁんだ~、そういうことかぁ~、うふふ、簡単らねぇ」

 「えっ! ち、違う違う違う! 違うから白姫姉!」

 「だいじょーぶ~。みーんな、かわいくして雪らるまにしてあげるからぁ」

 「全然、大丈夫じゃねぇってばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」


 手の平に勢いよく冷気を集める白姫に、ライの悲痛な叫びがかかるが、今の白姫には柳に風。慌てふためくライの声など、ご機嫌なBGMにしか聞こえない。

 白姫は鼻歌なんて口遊みつつ、集まった冷気の塊を巨大な雪の塊へ変化させていく。誰もが、そんな白姫の姿に畏怖した__その時。


 「いーくよぉ~~~……みゃっ!」


 妙な悲鳴が聞こえ、次の瞬間には白姫は冷気を拡散させながら、前のめりに崩れていった。

 そこをすかさず両手で彼女を支えたのは、出方を窺っていた八雲。


 「……貴様と言う馬鹿は……本当に容量が悪いやり方しか出来ないな」


 呆れた溜息と共に、八雲はライと視線を合わせる。彼の手には、どこから持ってきたのか――“睡眠スプレー”なるものが見えた。

 遅れて登場するにも程があるその姿に、ライは一驚した面持ちからすぐに眉を吊り上げる。


 「うっせぇ馬鹿眼鏡! 何、自分だけカッコつけてんだ馬鹿! 阿呆!」

 「馬鹿で阿呆なのは貴様だ! 余計、被害が大きくなるところだったろうが!」

 「大体、なんでお前そんな変なスプレー持ってんだよ!」

 「どこぞの阿呆が馬鹿騒ぎをして収拾がつかなくなった時の為だ!」

 「だーれのこと言ってんだそれはァ‼」

 「貴様以外にいるわけないだろうが阿呆が!」

 「やめんか! 主等!」


 つい先程もマイク越しに言い合っていたと言うのに、飽きずに火花を散らそうとするライと八雲へ、いつの間にか傍に歩み寄って来ていた神の一声がかかった。

 神の声に思わず顔を顰める雷雲二人。それを一瞥し、神は咳払いと共に息を乱す雪那を見やると。


 「雪那。主は大丈夫か」

 「……無理……暫く動きたくない……」


 両膝に手をつき、荒い呼吸を整えようとする彼を見て頷き、神は八雲に支えられている白姫に視線を移す。

 雪那と違い、穏やかな寝息のような呼吸音を立てている。


 「……白姫も暫くは休息が必要かの」

 「メガネクラが変なスプレー吹っ掛けるから」


 訝しむようなライの視線が八雲を貫く。すると、慌てた様子で八雲が抗議した。


 「し、失礼な事を言うな! ちゃんと安全性のある品だ!」


 その傍らで何やら神が白姫の様子を窺い、徐に脈拍を計るように手を首筋に当てる。


 「……ま、この様子ならば直に目を覚ますじゃろ。ついでに、落ち着きも取り戻そうて」


 手を元に戻し、神は白姫と雪那を交互に見比べ、暫し思慮を巡らせると。


 「仕方あるまい。この試合、勝者はなしじゃ。続行するにも、両者共に準備も出来ておらなんだ」


 髭を梳きながら、第六回戦を勝者無しの引き分けとして処理した。



***



 雷・雨・雲・風・晴天・雪、六つの天候を司る天神達によるお年玉争奪戦も、いよいよ終幕へと向かう。

 天界の創生者である神に願事を一つだけ叶えてもらえると言う、ある意味金銭よりも貴重で喜ばしいお年玉を賭けた戦いを勝ち抜き、優勝のチャンスを与えられたのは選ばれし五人の天神。

 大広間の中で綺麗に一の字のように整列し、目の前で鎮座する神を静かに見つめる。


 「皆、よく頑張ってくれた。久方振りに若者の一心不乱とする姿を目にする事ができ、儂は満足じゃ」

 「……なんっか、結局ジジイに踊らされた気がするぞオイ」

 「ま。所詮若者は、齷齪あくせくと踊らされるのが仕事みたいなものよ」

 「お前は、完全に人を踊らせる側だったろうが」

 「確かに疲れもしたけど……何だかんだで楽しかったから、いいんじゃないかな」

 「そうよね……色々あったけど、私も楽しかったわ」


 激戦__一部、そう呼んでいいものか迷うものはあるが__を勝ち抜いた五人の勝者達は、神の言葉にそれぞれ多種多様な反応をして見せた。

 果たして、この五人の内誰が願事を叶えると言う幸運を手にするのだろうか。

 戦いに敗れた物達は、そんな事を考えながら、これから始まる最後の戦いを見届けようと事を見守る。


 「で? 最後は何で勝負すんだよ」


 胡坐をかき、腕組みをしつつ、ライが神に尋ねる。すると、神は楽しげに肩を揺らして笑った。


 「無論、最後まで正月に因んだ物で勝者を決めるつもりじゃ」

 「正月に因んだって……もうそこそこ、出尽くしちゃったんじゃない?」


 神の声に、怪訝そうな声を上げたのはレイ。それに続いて、八雲も考え込むような仕草をとって、口を開く。


 「そうだな……。他に何か、勝敗が決められそうな物があったか……」

 「……あ、雨と雪の種目。鞠と福笑いが残ってるんじゃ」


 軽く手を合わせ、月華があり得そうな発言をすると、疾風も納得したように頷いた。


 「その二つなら一応、勝敗はつきそうだね」

 「えぇ? けど、鞠も福笑いも最後の勝負にしてはなんか地味って言うか……」

 「話は最後まで聞けぃ!」


 勝手に雑談を始める五人に神の一喝と仙人杖が唸る。

 運悪く神の真正面に腰を下ろしていたライの頭に仙人杖が入り、足と体制を崩して頭頂から響いた痛みに声もなく悶絶。

 ちなみに、一人それを心配げに一瞥する月華以外は何の反応もしていない。

 無論、ライに天罰とも言える一撃を放った神も、穏やかな笑顔で四人の勝者達と言葉を交わし続ける。


 「幾ら儂が神と言えども、用意した品が残るかどうかなど予想はつかんじゃろうて」

 「……まぁ、そうよね」

 「では、一体……」


 顔を見合わせ、首を傾げあう勝者達。神は目の前で首を傾げる天神達をしたり顔で見やると。


 「最後の勝敗を決めるに相応しい競技じゃよ、その名も……」


 白で統一された着物の袖を靡かせながら、腰を下ろしていた座椅子の後ろから軽い音を鳴らし、片手で筒状の箱を天神達の目の前に取り出した。


 「御神籤おみくじじゃ」


 おちゃめな笑みを浮かべ、じゃらじゃらと音を鳴らすように手にした御神籤箱を振る神。

 それを目にした天神達は、気を失った白姫と、この場に戻らずのアズマとウルル以外、揃ってその場で体制を崩した。

 その中でも小刻みに震えながら何とか起き上がったのは、で神速のツッコミと評判高い雷の天神。


 「あ……アホかぁぁぁぁぁぁ!! ここまで引っ張っておいて、なんっだそのオチ! おみくじでどう勝負がつくってんだよ! クソジジイ!」


 容赦なく神に食って掛かるライ。間近に迫るライの顔に溜息をこぼし、神は仙人杖を持つ手を徐に振り上げ、


 「あがっ!!」

 「話は最後まで聞けと言うとろうが、馬鹿者が」


 三撃目となる天罰を振り下ろした。当然であるが、食って掛かったライは神の膝元に撃沈。


 「よいか? 運も実力の内と言うじゃろう。この神籤は丁度主等の人数分しか入っておらん、その中で大吉はたった一枚しか入っておらんのじゃ。当然、雪の分はそこから退いてある」


 そう言って、神は一先ず手にした御神籤箱をレイへ差し出す。

 レイは暫く渡された御神籤箱を眺めていたが、ふと笑みを浮かべて箱を振った。


 「つまり、これで大吉を引いた人間が優勝って事でいいのね?」


 小さな穴から飛び出した一本の棒を抜き取り、箱を月華に手渡す。


 「なんだか、初詣みたいですね……はい、どうぞ」


 月華も軽く箱を振り、飛び出た棒を抜き取ってから、箱を隣の八雲へ。


 「……確かにまぁ、運も実力の内とは言うが……ほら」


 渡された箱を傾け、穴から出た棒を抜き、そのまま疾風に手渡す。


 「でも、面白そうだね。こういう運任せの勝負も」


 そして、疾風も棒を引き、神の膝元で落ちていたライの元へ近寄る。


 「ライ、大丈夫?」

 「……う、ん……はっ! ってぇ……」


 軽く肩を叩かれ、弾けたように飛び起き、思い出したように痛んだ頭頂に顔を思い切り顰めた。

 疾風は苦笑を浮かべながら、頭を押さえるライに御神籤箱を差し出す。


 「てて……え? 何これ?」

 「おみくじの箱。後は、ライだけだよ」

 「みくじ……あっ! ひっでぇ! 皆して、人が倒れてる間に引いちまったのかよ!」

 「日頃の行いが悪かったからと諦めろ」

 「やかましい、メガネクラ!! 」

 「まぁまぁ。ライ、残り物には福があるって言うよ?」


 荒れるライの肩に手を置いて、疾風は微笑んで見せる。ライはそんな疾風を一瞥し、どこか納得しきれない面持ちで差し出されていた御神籤箱を振る。

 小さな穴から一番と書かれた棒が現れ、それを引き抜きながら痛む頭を押さえつつ元の場所に戻った。

 神は番号の書かれた棒を取った天神達を見渡し、ふと傍らに控えていた門番達に目配せをすると。


 「皆、番号引いたな。唖門、吽罫、籤をここに」

 「「はっ」」


 膳の上に乗せられた五枚の籤を運ぶ門番二人。籤には無作為に並んだ数字が記されている。


 「さ、書かれた番号の籤を取ってゆけ」


 棒を引いた五人はそれぞれ、手荷物番号と同じ籤に手を伸ばした。そして、全員が籤を手に取った瞬間、それを各々開いていく。


 「……あ。私、中吉」


 まず、ぽつりと口を開いたのは月華だった。書かれていた文字は、中吉。

 月華は目で書かれた内容を黙読しつつ、隣のレイの視線を感じて、つい肩を竦めて苦笑する。


 「残念、大吉じゃありませんでした」

 「あら? でも待ち人の欄は大吉じゃないの?」


 悪戯っぽく笑うレイにの視線の先には、『待ち人……真っ直ぐに待ち続けていれば、いずれ来る』の文字。

 月華は、ぽっと頬に朱を入れて、笑みを浮かべるレイに慌てて声を上げた。


 「れ、レイさん!」

 「どーれ? 私のは、っと」


 初々しい反応を見せる月華を尻目しながら、レイも自分の籤を改めて見つめ、瞬時に不服気な面持ちに。


 「……末吉ぃ?」

 「で、でも、吉じゃないですか!」

 「何よこれ~、書いてる事全部、喜んでいいのか微妙なのばっかじゃないの!」


 眉根を寄せ、末吉の籤を睨みつけるレイ。これがただの初詣で引いた籤ならば、引き直しに行きそうな様子だ。 

 一方はぶうぶうと文句を垂れ、もう一方は心なしか嬉しそうな面持ちで会話を交わす女性陣を横目で見つつ、その傍らで八雲が開いた籤の結果を思わず呟く。


 「……小吉か」

 「いいね。なんか、慎ましくて俺は好きだよ」


 不意に飛んできた疾風の声に、八雲は微かに眉根を寄せながらも、小さく息を吐き出すと。


 「……書いてある事は、戒めが多いがな」

 「そ? 恋愛の欄なんて、結構いいと思うけど」


 にこりと音が着きそうなくらいの笑顔が、嫌に不快だなんて思いつつ、指摘された恋愛の欄に視線をやる。


 「……流れに身を任せていればよろし、か。あまり何かに身を任せるのは、心許ないんだがな」

 「はは。君みたいに強固な堅物の岩は、激流くらいの勢いがないと流されなさそうだけど」

 「何か言ったか」

 「いいえ、何も。あ、ほら。俺の籤も見る?」


 疾風は誤魔化すように笑みを深めつつ、手にしていた籤を八雲に見せた。

 そこに書かれていたのは八雲とは違い、たった一文字で示される結果。


 「……吉か。また、中途半端なものを引いたな」

 「まぁ、盛り上がりには欠ける結果だけど……あ、でも、失物は出て来るみたい。やったね」

 「なんだ。何か失くしていたのか?」

 「親友の素直さとか、親友の可愛げとか。いつから失くなっちゃったかなぁ……」

 「…………お前、今ここで記憶を失くしたいのか」


 険しい顔をして、珍しく握り拳なんて作る八雲。

 年下のライよりも細いその腕で力一杯殴られようが、記憶が飛ぶ事ないだろうなと胸中で呟きつつも、疾風は冗談だよ、と一歩身を引かせた。

 そして、彼等は気付く。ここまで誰も「大吉」と唱えなかったと言う事は__残る一枚の籤に書かれている文字は一つしかない。


 「…………大吉」


 小さな声が広間に響いた。声の主は、呆然となっているライである。

 彼が開いた籤には、はっきりとした文字で「大吉」と記され、並ぶ文面も褒め殺しの一言だ。

 その中でも、冒頭に書かれていた文章が、見開かれたライの瞳に吸い込まれるように映し出される。



 第一番   大吉

 

 このみくじにあう者は

 

 めぐまれた


 よい生まれと素質

 

 益々順調に

 

 更に世の為 人の為

 

 心して努めれば

 

 幸せな一生となる



 「ライ! あんた大吉じゃない!!」

 「れ、レイ姉っ」


 暫し呆けた面持ちで籤を見つめていると、レイが勢い良くライの手元と顔を覗き込んできた。

 その声に反応して、わらわらと全員がライの元に集まってくる。


 「ウッソ、ホントに大吉引いてんじゃないのヨ!!」

 「おめでとライ!」

 「やるじゃん意外と。オメデト」

 「よかったわね…」


 飛んでくる祝いの言葉と穏やかな微笑み。戸惑った様子でそれを見渡していると、傍らからぶっきらぼうな咳払いと声が耳に届く。


 「……まぁ、運も実力の内だ。素直に祝ってやるさ。……おめでとう」

 「やったねライ。残り物に福、ちゃんとあったでしょ?」

 「おめでとうライ! 私も何だか嬉しくなっちゃうわ」


 続いてまた笑顔と喜びにあふれた声色。

 ライは暫しそれに呆然としたまま浸る事しか出来なかったが、次第に喜びが伝染し始め、足の先から頭のてっぺんまで喜びが満ちた瞬間。込み上げる喜びを爆発させるように破顔した。


 「……よっ……しゃぁぁぁぁぁあああっ!!」


 両手を勢いよく天に向かって伸ばし、喜びいっぱいに叫ぶライ。

 祝福の柏手に包まれながら、噛み締めるように突き上げた拳をガッツポーズで下ろしていると、


 「なんじゃ、ライが大吉か? 悪運こそ強いと思うておったが、こういう場でも引きが強かったんじゃの」


 長い白髪の髭をいじりながら、少し意地の悪い言葉とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべている神が徐に歩み寄ってきた。

 ライは神の姿に、ちょっと得意げな笑みを浮かべて、向き直ると。


 「ジジイ! 約束通り、優勝者の願いは叶えてくれるんだろ! 今更、そんなのナシとか聞かねぇからな俺!」

 「無論。神の名に誓って、約束を破棄するような事はせん。ただし、人様に迷惑や危害を加えるような願いは受け付けんぞ」

 「ナメンな! 迷惑はジジイに悪戯でしかかけねぇし!」


 得意げにハッキリと言い放つライであるが、それもどうかと神は思わず眉根を寄せた。

 しかし、先の言葉通り「優勝者の願いを叶える」と言う約束を果たす為、疑問を抱く己の心を押し込めながら、神はライに問いかける。


 「では、ライ。一つじゃ、願いを言うてみよ」


 神の言葉で、辺りが静寂に包まれた。そして、誰もが神の前で大きな瞳をキラキラと輝かせているライの言葉を待つ。

 ライは大きく息を吸い込み、口を切った。


 「俺さ、新しい年も変わらず楽しく過ごしてぇんだよ。馬鹿やったり、喧嘩したり、遊んだり、仕事したりさ。結局のとこ、そんな当たり前が続けば、俺はいつもと同じように好きな事して生きていけるし……だから、俺の願いは__」


 破顔の面持ちで口にしたライの願いに、周囲は一瞬驚きに包まれる。だが、すぐに顔を見合わせ、ライと同じように破顔したり、そっと顔を綻ばせる。

 こういう無邪気さが彼のいい所で。だからこそ、彼の手に大吉の籤が渡ったのかもしれない。

 穏やかな笑みを浮かべる天神達を、子を愛しむような面持ちで見つめる神は、手にしていた仙人杖を徐に掲げる。


 「あいわかった。主の願い、この天つ国の創生者である儂が叶えて進ぜよう」


 目前に豪華絢爛な金銀財宝が現れるわけでもなし、湯水のように大金が沸き出すわけでもない。

 誰かの心が大きく変化する事もなく、食欲を刺激するような甘美な香りが辺りを包む事などもなかったが。


 「笑って馬鹿やれるような一年になりゃ、それでいーんだよ。世の中平穏無事に、ってさ」


 神が仙人杖を下ろす頃には誰も彼もが、どこか満ち足りた笑顔と空気に包まれていた。



 ――数日後。

 正月休みを終えようとしていたライに、神から天神達に出されていた筆記課題の山の事を、回復したアズマとウルルに指摘されるまでは。

 確かに、笑顔で溢れていた。そんな、天界の正月。

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