辺境幻想雑貨店 羅針度(らしぃど)
渡来亜輝彦
不可思議な水たまりのお話
【A】古い海のみずたまり
雨が降っていた。
仕事終わりの夕暮れ。今日は定時上がり。まだ暗くなくてよかったけれど、こんなに雨に降られるならいっそのこと仕事をして雨が収まってから帰ればよかった。
慌てて折り畳み傘を広げると、帰り道を急いだ。
「ついてないなあ」
雨は強く降っていて、いつのまにか道には水たまりができている。それを靴で踏んでしまうと、仕事用の靴に水がしみた。
「ちぇっ、なんだよ」
文句を言って立ち止まる。ふと見ると雨で視界が悪いせいか、周りの風景がいつもと違って見える。
いつもの帰り道のはずが、夕闇の中に見慣れぬ店が建っている。
(こんな店あったかな?)
雑貨店、らしい。らしいというのは、エスニックな置物がちらちらと見えたからだ。あまり雑貨に興味がないから、今までわからなかったのだろう。
と、不意に足元でばしゃっと音がした。何かが水の中に潜り込んで行くのが見える。
「なんだろう?」
改めてそれをみる。やはりただの水たまり。何がいるわけでもない。
思わずしゃがみこんで覗き込む。水面は雨粒で波紋ができてよく見えない。
「へえ、お客さん、お目が高いですね」
不意にそんな声をかけられて、少し驚いて振り返る。
そこには、黒い傘をさした男が立っていた。思わず驚いたのは、男のいでたちが不思議だったからだ。まるでアラビアンナイトかなにかから出てきたようなターバンを巻いて、王様みたいなキラキラのターバン飾りが雨の中でもよく光る。一方、服はというと紫色にゼブラ柄のスーツで、チンピラにしては妙に品のある、けれどヘンテコな服装だった。
「いやあ、その水たまりにご興味ありますんで? お客さんなら、特別に安くしときますよ?」
「や、安くって?」
「そうだなあ、とりま、三十万円ぐらいでどうです?」
軽い口調で彼はいう。
「さ、三十万?」
「おやあ、お気に召しません。十分安いと思うんですけどねえ。水たまりとしちゃ破格ですよ、ハカク」
「い、いや、ちょっと見てただけで。大体これ売り物なんですか?」
「売り物なんですよ」
男はにやっと笑う。十分胡散臭い。
「私はあそこの店の店主でねえ、世にも珍しいものを取り扱ってるんで」
「あ、ああ、雑貨屋さん」
そう、と男は細い目を笑わせる。
よくよく見ると、そこには看板がある。「ふぁんしーしょっぷ 羅針度」。羅針盤? いや、ちゃんとよこに”らしいど”とひらがなで振ってある。どこがファンシーショップやねん、と突っ込んでしまいそうな胡散臭い商品が並んでいるけれど、多分そうなのだ。
「この水たまりは、俺の相棒の採ってきたもんでしてね。モノによって入ってるものが違うんですよ。これは、古い古い水たまりなんですけども。まあ、御覧なさい」
そう勧められて中を覗き込む。
「モノによっては結構な深さがあるんですがね、こいつは浅瀬なもんで」
「浅瀬?」
じっと見ていると、海老のようなものが水たまりの中すいっと横切る。海老、と思ったが、よく見ると海老にしては変だ。
なんだか触角のようなものがあるけれど。こんな生き物、図鑑でしかみたことがない。というより、図鑑にしかいない。
「これ、まさか」
「アノマロカリスとかいう奴らしいんですけどね」
「やっぱり!」
カンブリア爆発とか言う言葉が脳裏をよぎる。しかし、そんなに詳しくは知らない。ただ、こういう奇妙な海老みたいなやつが、大昔にいて、そしてこいつは当時の捕食者の頂点だったときいた。
「他にも、ピカイアとかハルゲキニアとかオドントフリグスもいますし、他の時代の何かだって案内できる。まあ今の売れ筋はこいつかなあ。あ、でっかくなる奴もいますが、こいつはそこまででかくならないし、オススメですよ。それに、水たまりごと買っていただけりゃ、でかくなっても平気。たまに餌やってもらうだけで飼いやすいですし。まあ、三十万はちょっと手が出ないでしょうし、負けて二十五万円とかどうです? どうです、血統書ついたペット飼うよりよほど安いですよ。あ、ローンききますんで。保証会社どこがいいです?」
そういわれ、うっかりその気になりそうなところで、ふと別の声が聞こえた。
「何やってんの? またお客さんに、ふっかけて」
そちらを見ると金髪の大男がのそのそと歩いてきた。顎髭がライオンか何かを連想させるが、意外に顔は穏やかだ。こちらはやたらと可愛い水玉模様の傘をさしていたが、どうも服がどこかの軍服っぽい。腕に黒い竜の腕輪をしているが、そのオシャレさがどうも彼とはそぐわない。
「ふっかけてねーよ。ちゃんとした商売だ」
「大体、水たまりごとって、素人の人は困るでしょ? 放置すると時代進んでシーラカンスわくし、そのまま放置するのただの水たまりに戻っちゃう。おまけに、庭がないと場所も困るし。板間に水たまり置くのも邪魔だよう」
大男はそういうと、笑いかけてきた。
「飼うんだったら個別がいいんじゃないかな。専用の水を調整できる水槽と当面の餌のセットで五千円。お手頃だよ」
「ちっ、お前はそーやって安い方に誘導する」
「いーじゃん。大切なのは常連さん増やすことだよー」
店主は不機嫌に言い捨てたが、いつものやり取りなのかあまり気にしていない様子だ。
けれど、ここまできいて、なんとなく引けない気持ちになっていた。興味はあるし、五千円ならそれでいいか。そういうと、金髪の男はまいどあり、とえへへと笑う。
「あと、リアルなやつは飼育が難しいから、こっちの水たまりで育った奴の方がいいかな。こっちはハザマの環境に適応しちゃって、ちょっとふぁんたじーっぽくなってるから、飼いやすくてお手頃」
そういって、大男は別の水たまりをのぞき込むと、素早く網で掬い取り、金魚すくいにつかうようなビニール袋に水と一緒に入れてくれる。
そこにいるのは、親指大の小さなアノマロカリスに似た生き物だが、体色が透けていて虹色に輝いている。どこか幻めいていて、これが不思議な夢の中だと思うほどだ。
「なお、追加購入とか、水槽の増設とかもお待ちしてますんで」
帰る時に、店主がすかさず声をかけてくる。
不思議なお店だったなあ、と思いながら振り返る。金髪の大男がそういえば黒い竜の形の腕輪をしていたが、見ているとそれが欠伸をした。小さな羽の生えたトカゲみたいなそれは、のっそりと彼の襟のところに上ってきていて、なにやら会話をしているように見えた。
天気の良い日、会社からの帰り道にその店を探したが、どうしても見つからない。
あれは不思議な夢だったのかとも思うのだが、家の水槽では虹色のアノマロカリスのような生き物が泳ぎ回って、あの時の不思議な店の存在を思い出させてくれる。
仕事終わりの夜にそれを眺めていると、なんとなく不思議な気持ちになって、生まれる前の海のことでも考えそうになるほどだ。
「雨の日にまたあのあたりに行ってみるか」
いっそのこと、ローンを組んで水たまりごと購入しても良かったかなあ。そんな風に思いながら、今日も水槽をのぞいてみる。
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