第8話・裏話

「カードゲーム、あんなにいた女子が来なくなりましたね……」

 虚無、といった表情で、もともと喫煙室の常連だった男性社員がそう言いました。

 せっかく借りた会議室も、わたくしとこずえさん、あとはカードゲーム仲間の男性社員数人のみで、あとはがらんとしています。

「わたくしの歌に引かれたんでしょうね……」

 わたくしはわりとどうでも良かったのですが、表面上だけは残念そうに言いました。

 わたくしはもうこずえさんしか愛せない。こずえさんに手を出したらわたくしが許さない。

 たしかそんな事を言って(発言内容すらもうあまり覚えてないのですが)わたくしは女子社員の告白を拒絶しました。

 おそらくその女子社員は律儀りちぎに皆さんに伝えてくださったのでしょう。もう軽い挨拶あいさつや世間話以外でわたくしに話しかけてきたり、近寄ってくる女はいませんでした。完全にわたくしがこずえさんのものだと認知し、そっと見守る姿勢に入ったのでしょう。

「まあ、結局は出会い目的でカードゲームをしていた、ということなのでしょう」

 わたくしは出会い目的でカードゲームをするやからが嫌いでした。カードゲームをエサに異性に近寄る者は男女問わず嫌いです。

 だから、こずえさんには責任を感じてほしくないのですが、こずえさんは女子社員にカードゲームを教えた自分に対して気まずく思っていらっしゃるようでした。なんとお優しい方なのか。

「しっかし、まさか能登原さんがマジで社長の彼女になってしまうとは……」

 男性社員がそうつぶやきました。そうですね、わたくしも自分で驚いています。こんなにもこずえさんに溺れてしまうなど、過去の自分には想像もできなかったでしょう。

「社長、どうします? 会議室使う意味なくなりましたし、また喫煙室に戻ります?」

「いえ、こずえさんに副流煙を吸わせるのはちょっと」

「ハハッ、大事にされてるなあ、能登原さん」

「か、からかわないでください……」

 照れて頬を染めているこずえさん、可愛らしい。もう可愛らしい以外の語彙ごいが浮かばない。

「そうだ、こないだ言ってたレアカード、見せてよ。たしか『悪魔の証明』と『神殺しのニーチェ』引いたんでしょ?」

「うっそ、マジすか!? ホント能登原さん持ってるなあ」

「えっ、『神殺しのニーチェ』なんてわたくしも持っていませんよ? ちょっと見せていただいても?」

「あ、はい」

 気づけばカードゲームの話題に戻って盛り上がる、この空間がわたくしは、大好きでした。

「能登原さん、神の指でも持ってるんじゃないの?」

「あ、じゃあ今度からカードパック引く時、能登原さんにスマホタップしてもらおうかな」

「それで外れても文句言わないでくださいよ?」

 こずえさんはこの頃になるともう、男性社員に対しても冗談めいた軽口が言えるようになっていました。それはそれとして、わたくしもこずえさんにカードパックを引いてもらえないか、あとでお願いしてみよう。

「じゃあそろそろ昼休みも終わるし、解散しますか~」

「お疲れ様でした、また明日」

「能登原さん、明日は日曜日だから会社来ちゃダメだよ」

「あ、そうでした」

 ハハハ、と笑いながら、わたくしたちはゴミを片付けて会議室を出ました。

 いつもどおりに、わたくしとこずえさんが並んで総務部へ向かっていく、それはもはや毎日の習慣となっていました。

「こずえさん、明日はご予定ありますか?」

「社長、会社では名字で呼んでください」

「もういい加減いいと思うんですけどねえ……」

 事務的な口調で返すこずえさんに、わたくしは思わず笑ってしまいました。

 わたくしたちの仲は、すでに会社内では公認となっているというのに、どれだけ真面目な女性なのか。ますます好感が持てます。

「仕事とプライベートの線引きはきっちりしておきたいので」

「わかりました。能登原さん、明日はご予定ありますか?」

 わたくしは名前を名字に変えただけの、同じ内容の質問を繰り返しました。

「予定……はないですね」

「お花見デートとか、いかがでしょうか」

「デート……デートですか……」

 こずえさんは反復するようにつぶやきました。嫌がっているというふうではなさそうです。

「プライベートでは外に出たがらない社長が珍しいですね」

「ええ、本当は能登原さんを家の中で独占したいのですが、いかんせんわたくしの家の庭に桜はないもので」

「ど、独占って……」

 こずえさんはわたくしの言葉に赤面しておりました。本当に、可愛い。いますぐにわたくしの家に閉じ込めて独り占めしてしまいたい。

 しかし、今は我慢のときです。こずえさんが桜をお好きなのは調査済みでしたが、そろそろ桜の花も散ってしまう。最近はどの部署も業務が立て込んでいて、総務部もなかなか時間が取れない様子でしたので、今までデートに誘えませんでした。やっと仕事が落ち着いてきた、今しか花見をするタイミングがない。

「それに、たまにはふたりで散歩などするのもいいかな、と思いまして。……いかが、でしょうか?」

 わたくしはとどめを刺すように小首をかしげました。女性がわたくしの所作の中で「可愛い」と褒めてくださるものです。

 こずえさんもドキッとしてくださったようでした。それは純粋に嬉しいことです。

「お弁当、作りますか?」

「作ってくださるんですか?」

 こずえさんの一言に、今度はわたくしが目を輝かせる番でした。こずえさんの愛妻弁当! いえ、まだ結婚しておりませんでした、失礼いたしました。こずえさんの将来愛妻弁当になる予定の弁当! これでテンションの上がらないわたくしはおりません。

 そんなわたくしを見て、こずえさんもまた可愛いと思っているようでした。お互いに少し気恥ずかしくなりました。

「では、場所と日時はのちほどLIMEライムでお伝えします。当日お迎えに上がりますね」

 わたくしはそう言い残して、こずえさんを今日も総務部の部屋に無事送り届けて立ち去るのでした。

 こずえさんがどんなお弁当を作ってくれるのか、心が弾むような気持ちで社長室に戻りました。

 その日の業務はとても好調でした。


 ***


 お花見デート当日。

 わたくしはLIMEでお伝えした時間きっかりに、こずえさんの暮らすアパートの前に車を停めました。

 こずえさんと一緒に来たのは、都内のぼう公園。それなりに広くて、目的地までは少し歩くと秘書の方が言っていたのを思い出しました。

 天気の良い日曜日。人がわんさかいました。家族連れや、わたくしたちのようなカップルと思わしき方々まで、行楽こうらくを楽しんでおりました。

「行きましょうか」

 車を駐車場に置いて、助手席を降りたこずえさんの手に、自分の指を絡めました。恋人繋ぎ……と言うんでしたっけ。そういう手のつなぎ方をすると女性はときめく、と秘書の方にアドバイスいただきました。本当にありがとうございます。おかげさまでこずえさんの顔は真っ赤です。

「こちらです」

 わたくしは気付かないふりをしてこずえさんと一緒にゆっくり歩きました。

 今日の目的のひとつ、こずえさんと散歩するというのはうまくいきました。なるべく彼女のペースに合わせて歩幅ほはばを小さめに、ゆっくりと。

 やがてレンガを敷き詰めた小道の両脇に花壇が見えてきました。チューリップにムスカリ、菜の花やネモフィラなどが咲き誇っていて、その隙間を埋めるように芝桜が咲いているので土の部分が見えないほど見事なものでした。

「きれいですね」

 とこずえさんはすでに感心しきりでした。

「そうですね。でもまだ主役が登場していませんよ」

 わたくしは繋いだ手とは反対の手で口元を押さえて笑いました。

 まだまだ、このくらいで満足していただいては困ります。

 やがて、わたくしたちは目的地に到着しました。

「――着きました」

「……わぁ……!」

 秘書の方から教えていただいたその場所はたしかに美しい場所でした。何本もの桜が並び、桜の花びらが舞い散る光景は日本人ならば誰もが心を揺さぶられるものでございましょう。

「秘書の方に教えていただいたんですが、ここは穴場らしいですよ」

 わたくしはこずえさんにそう言いました。この日は運良く行楽客もいませんでした。

 なにより、桜の木でさえぎられて、外部の人間からわたくしたちが見えないのが素晴らしい。

 おあつらえむきに置かれていたベンチに、わたくしとこずえさんは座りました。

「お口に合うといいのですが……」

 こずえさんはショルダーバッグから取り出したお弁当を、おずおずとひざに置きました。

 お弁当箱のふたを開けると、唐揚げや卵焼き、おにぎりなどが入っていました。ブロッコリーやにんじんなどの彩りも添えてあって、とても美味しそうに見えました。

「美味しそうですね」

 わたくしがそう言うと、こずえさんは何故かいぶかしげな顔をしました。その意味は理解できませんでしたが、イヤというわけではなさそうなので、まあいいでしょう。

 本当に、美味しそうだと思いましたし、わたくしはとても嬉しかったのです。

「食べてもいいですか?」

「どうぞ。そのために作ったので」

 こずえさんから渡された割り箸を割って、わたくしは唐揚げに箸を伸ばしました。

「――美味しい。これ、手作りなんですか?」

「まあ、自分で作れる料理なので」

 こずえさんはそっけなく答えましたが、その実とても嬉しそうでした。わたくしもさらに嬉しかったのです。わたくしのためだけに、早起きしてお弁当を作ってくださったこずえさんを想像するだけで、愛おしく思えました。

「……こずえさん、あーんしてください」

「え?」

 わたくしが唐揚げをこずえさんの前に持ってくると、彼女は動揺した顔をしていました。

「わ、私が食べるんですか?」

「ふふ、一度こういうのやってみたかったんですよね」

 女性にされたことがなかったわけではなかったのですが、わたくしからするのは正真正銘初めてです。

「……」

 こずえさんは動揺を隠せないまま、ためらいがちに口を開けてくださいました。

 その開いた隙間に、唐揚げをそっと入れました。

 こずえさんが小さい口をもぐもぐさせている様子は小動物のようでした――ああ、いえ、動物と一緒にされたらこずえさんがご気分を悪くされるでしょうか。

「美味しいですか?」

「……美味しいです」

 こずえさんは照れ隠しのように無表情で答えました。顔が赤かったのでバレバレなんですが。

「でも、こういうのって普通逆っていうか……女性が男性に食べさせるものでは……」

「え? やってくださるんですか?」

 わたくしはその言葉を待っておりました。わざとらしく目を細めて、わたくしは笑いました。

「是非お願いいたします」

 わたくしは口を開けて、こずえさんの餌付えづけを待ちました。

 こずえさんの手が震えているのがわかりました。緊張しているのでしょう。落とさないように気をつけながら卵焼きを箸でつまみ、わたくしの口の中に入れました。

 こずえさんと今ここに一緒にいられる幸せを噛みしめるように、ゆっくり卵焼きを咀嚼そしゃくして、飲み込みました。なぜかこずえさんもゴクリとつばを飲み込むのが見えました。

「……やっぱり、こういうのはいいですね」

 わたくしは幸せを笑顔で表現しました。

「……率直に言っていいですか」

「なんです?」

 わたくしは首をかしげました。

「ひな鳥にご飯をあげる親鳥の気分でした」

「……ふっ、くくっ」

 このわたくしをひな鳥扱いできるなんて、こずえさんか家族くらいのものでしょう。わたくしは心底おかしく笑いました。

「手厳しいですね、こずえさんは」

「もともとはこういう性格なんです」

「ふふ、隠さなくなったのは嬉しいですよ」

 わたくしは目を細めて笑いました。本当のこずえさんを知っているのはわたくしだけという優越感がありました。

「スバルさんのおかげですよ」と彼女は穏やかに微笑みました。

「スバルさんは自分をいつわったりしないじゃないですか。カードゲームとか自分の趣味を包み隠さないっていうか……それでも社員の皆さんから愛されてて、私はそんな社長がまぶしく感じたんです」

 そんなことはない。わたくしだって隠し事はしますし、今まで偽ってきたこともあります。歌のこととか、こずえさんのことを密かに調べていたりとか。

「わたくしもこずえさんのおかげで救われましたよ」

 自分の思っていることを隠し続け、わたくしはこずえさんにそう言って微笑みました。

「こずえさんだけはわたくしに幻滅しないと信じていたから、わたくしの本当に好きな歌を歌うことが出来たんです」

 宴会場での静けさと女性たちの引いた顔を思い出しました。でもこずえさんが「かっこいい」と言ってくれたので何も問題はありません。

「わたくしがああいった歌を歌うと、女性はみんな離れていきました。みんな勝手に勘違いして集まってきたくせに、『イメージと違う』と去っていくのです」

 それで女性不信になりかけたこともありました。女性とは表面上だけ笑顔を取りつくろって、心のなかでは軽蔑けいべつして過ごしていた時期もありました。

「スバルさん……」

「でも、こずえさんは『かっこいい』と言ってくれましたよね」

 悲しそうな顔でつぶやくようなこずえさんに、わたくしが言葉を続けると、「知っていたのか」というふうな驚愕きょうがくの表情をしていました。

「それに、結果的にはこれでよかったのかもしれません。こずえさんは、女性たちの攻撃を受けるのが怖かったんでしょう?」

 わたくしが優しく言うと、こずえさんは声を詰まらせました。貴女あなたの悩みを知っていたのに、今まで対策が取れなくてごめんなさい。

「わたくしは、他の女性に嫌われても、こずえさんさえいてくだされば、それでいいんです」

 わたくしはきっぱりとそう言って清々しく笑いました。こずえさんはそんなわたくしをまぶしそうに目を細めて見つめました。

 舞い散る桜吹雪とて、わたくしにとっては彼女をいろどる装飾でしかなく。

「――そろそろ帰りましょうか。お弁当、作ってくださってありがとうございます。ごちそうさまでした」

 わたくしはこずえさんのお弁当を平らげて、ベンチから立ち上がり、お弁当をしまったこずえさんの手を引いて立ち上がらせました。

 車の中で、わたくしはデートの余韻に浸っておりました。彼女も同様なのか、ふたりともアパートに着くまで無言でした。

 彼女が車を降りる時、思わず手首を掴んでいました。

 ――唇が、重なりました。

「次の約束をしても、いいですか」

 わたくしは真剣な口調で申し出ました。

「夏になったら、花火大会を見に行きませんか」

「随分先の約束をするんですね」

 こずえさんは「まだ春ですよ」とくすくす笑っていました。

「こずえさんとこうして未来の話をして、こずえさんが肯定こうていしてくださったら、わたくしはそれだけで満たされるんです」

 素直な気持ちを告げると、こずえさんは笑うのをやめて少し目を見開いたような気がしました。

「……はい。行きましょうね、花火」

 こずえさんと、子供のように指切りで約束をして。穏やかな時間が流れました。

 わたくしは、本当にこずえさんに救われている、と感じました。救われて、満たされて、溺れて。このまま溺死できししても惜しくないくらいでした。

 なんとか衝動を抑えようと名残惜なごりおしくも頬をそっと撫でて、わたくしは車で走り去りました。


〈続く〉

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