第4話 いつも遅い

 彼女はいなくなってしまった。私は山中にひとりぼっちとなってしまった。先ほどまでは気にならなかった暑さも、声高らかに泣く虫たちのコンチェルトも、急にうっとうしく感じ始めた。ため息をついてしゃがみ込む。そんな様子を見た彼女は軽口の一つや二つをたたくだろうが、待てども待てども聞こえてくるのは嘲笑うかのような蝉の声だった。


 私たちは誰かしらの異性交遊を話の種にしていたが、聞きたかったのはそんな有象無象の話ではなかった。私は彼女について知りたかったのだ。あんなにも清廉な彼女に言い寄らない男などいないだろう。知りたかったのは彼女自身の異性との話だった。悶々としながら歩みを進める。こんなに後悔するのならば、聞いてしまえばよかったのだ。私と彼女の間に恋人関係となる未来はありえないし、私にそんな資格はないのだから、問うてしまえばよかったのだ。それは時限爆弾のようなもので、質問が頭に浮かんだ時点で、こうなる気はしていたのだ。どうしてこの道を進むことにこだわったりなどしたのだろう。どうせならついていけばよかった。意固地になったせいで一人さみしく歩くこととなった。いつもそうだ。自分に正直に生きられない。第一目標が傷つかないことにあって、日和って後々になってから悩む。臆病者で、好きなものを好きだと言えず、リスクだけを考えている。今までだって初恋の気持ちさえ伝えることが出来なかった。声に出さなければ、態度で示さなければ、形にしなくては、変わるものなどありはしないのに。


 そうやってまた、一人メランコリックになっているうちに、目標の地点が近付いてきていた。広葉樹たちの傘の届かない、青い空がのぞいている。目に入った途端、私は意味もなく走り出していた。遠吠えのように大きな声を出しながら、坂をのぼっていく。きっと誰も見ていない、誰にも聞こえていない。非日常的な気分をもっと感じていたかった。とうとうまちが見えた。そこには空があり、海が見え、ミニチュアのまちを見下ろしていた。いたく感動した。自宅から少しの場所にこんな絶景があることを知らなかった。自分が18年過ごしたまちですら知らないことはたくさんあるのに、この世界を知り尽くした気でさえいたことが恐ろしかった。ここにない世界からの風が吹き込んでくるような気がして、何をするでもなくそこに立っていた。万事が些細なことのように思われた。私を支配していた暗い影が白日の下にさらされていた。太陽は真南よりも少し西側にある。今日は様々なことがあって疲れてしまった。日陰になっているベンチに寝そべった。

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