夏の教室、タオル

 夏になって気温が高くなると、僕らはしょっちゅう蒸発することになる。

 あちらこちらへ移動するのは目まぐるしいが、その分、様々な視点から物事を見れるということだ。

 何事もポジティブに考えれば、それは不運から幸運へと変わるのだ。



 *****



「いいか? この時代には、農民が……」


 授業をしている先生の額からは汗が滲み出ている。

 窓の外ではギラギラと照りつける陽差しによって、アスファルトが歪んで見える。


 宗信ときのぶは窓側の席だった。彼はノートを取りながら隣の席をチラチラと見た。

 視線の先には藍がいる。彼女は真面目にノートを取り、先生の話を聞いている。


「おい岡田、聞いているか?」

「はいっ!」


 宗信は藍から視線を外し、飛び上がった。

 教室に笑いがおこる。

 先生が宗信の目を鋭くつり上がった目で睨み付ける。


「いま、私は何て言った?」

「岡田、聞いてるか、とおっしゃいました」

「違う! その前だ!」


 再び笑いが起こる。


「授業中は私の話をしっかり聞きなさい!」


 先生は黒板に向き直った。

 宗信は面倒くさそうにノートを取り始めた。

 しばらくして彼はペンの動きを止めた。そしてなにやら考えるような動作をして再びペンを走らせ始めた。

 先ほどとは打って変わって、彼の表情は輝きに満ちあふれていた。


 藍がその変化に気が付いて宗信のノートを覗き込んだ。


「ねえ、何書いてるの?」


 彼女は先生が振り向かないか警戒しながら、ひそひそ声で喋りかけた。

 話しかけられた宗信は一瞬びくっと動いて彼女に顔を向けた。

 ノートに書かれていたのは楽譜だった。


「作曲をしてるんだ」

「えっ、どんな曲を作ってるの?」


 藍は興味津々の顔で聞く。


「うーんとね、将来バンドで演奏する予定の曲だよ」

「岡田君はバンド組んでるの?」

「いや、これからメンバーを探していくつもり。俺はギターをやってるから他の楽器の人を」

「へえー。岡田君が作る曲か……。聞いてみたいな」

「えっ! 本当に!?」


 宗信は顔を赤くして興奮気味に答える。


「本当だよ。今度聞かせて」

「わかった! 北島さんのために曲を作るよ!」


 彼の声が徐々に大きくなっていく。


「嬉しいなー! 興味を持ってもらえたのなんて初めてだよ!」

「岡田君、ちょっと声が大きいっ……!」


 先生が勢いよく振り返った。鬼のような形相。


「また、集中してないのか! 岡田に北島まで!?」


 宗信が勢いよく立ち上がった。


「俺が彼女に話しかけてしまいました! すみませんでした!」


 彼は綺麗に頭を下げた。クラスが静まりかえる。


「お、おう。反省してるならよしとしよう」


 先生は宗信の急な反応に驚きを隠せないようだ。

 宗信は顔を真っ赤にして席に着いた。その横で藍は申し訳なさそうに彼を見ていた。


 ありがとう。


 彼女の口はそう動いて、それを見た宗信ははにかんで顔をそらすのだった。



「いやーそれにしても今日はあっちいなあ」


 先生が教卓の上にあったタオルを手にし、額を拭いた。

 彼の汗はタオルに吸い込まれていく。



 *****



 彼女は透き通る水のような清らかな心を持っている。

 彼女は人に関心を持ち、誠意を持って人々に接する。

 そんな彼女の元にはいつも、同じく清らかな心を持った人々が寄り添ってくる。

 似たもの同士は見えない糸で引き合っているのだと、僕は改めて感じさせられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る